ラジオの天気予報では確かに夕方から雨と言っていたな、と飛雄馬は下駄箱の前で空から音を立て降り注ぐ雨の粒を見上げる。
もしかするとねえちゃんなら傘を持ってきてくれるかもしれない、と思ったが、そうだ今日は何やら用事があって家を空けると言っていたな、と飛雄馬は眉間に皺を寄せると、う〜むと唸った。
飛雄馬と同じく傘を忘れた生徒も数名、見受けられたがそこはやはりブルジョワ学校。お抱えの運転手やら小奇麗な身なりの父兄が傘を手に迎えに来ているようで、ポツンと一人残される羽目になったのは飛雄馬だけのようだった。
野球部の練習も、こう雨が降っていればむろん今日は休みということになる。
いっそのこと濡れて帰ろうかとも思うが、そうすると一張羅であるこの学生服が水に濡れてダメになってしまう。
しばらくすればやむだろうか、どうしたものかと飛雄馬が灰色の空を見つめていると、急に背後から背中をドンとやられてつんのめった。
「あっ」
「おう、まだおったのかあ」
転びそうになるのをすんでで堪え、誰だと後ろを振り返れば、そこに笑みを携え立っていたのは二学年上の伴宙太で、飛雄馬は、「伴」と彼を呼んだ。
「帰らんのか?誰が待っちょったのか?」
「ん……いや、ちょっと」
ちょっと?と伴は飛雄馬の様子がおかしいのを訝しんで、彼の頭の上から足の先までを一瞥して、ははあ、傘を忘れたな、と苦笑した。練習もないのに帰りもせず下駄箱の前でうろついていると来たら相場は決まっている。
「星」
「伴こそまだいたのか」
言った飛雄馬の目の前に、伴は傘立てに立てていた自分の傘を差し出す。
「………」
「差して帰るとええ。おれは濡れて帰る」
「濡れて?馬鹿な、そんないくら最近暖かいとは言え風邪をひくぞ」
「この伴宙太、伊達に体を鍛えてはおらん。これくらいの雨、どうということはないわい」
「だが」
「だが、も、ヘチマもないわい!帰れと言うたら帰れ!」
「じゃあ、一緒に入ろうじゃないか」
「い、一緒に!?」
声を張り上げた伴だったが、飛雄馬からの申し出に思わず後ずさった。
「い、嫌か」
伴の反応に飛雄馬はやや上目遣い気味に彼を仰ぐ。そんなに驚かれることを言っただろうか、と不安さえ覚えつつ。
「む、う……」
伴は何やら口をもごもごさせていたが靴を履いてから黒い大きな傘を開くと、それを手に下駄箱から玄関先へと向かった。
飛雄馬も一年生の自身の組の下駄箱から靴を出すと、それを履いて伴のそばへ駆け寄る。そうして二人仲良く相合傘なんぞしながら寄り添って家路につく。
「しかし、伴の家は反対方向だろう、いいのか」
伴の差してくれる傘の中に入って、飛雄馬は尋ねる。
「帰ってもどうせお手伝いさんたちがいなくなれば一人じゃからな」
「………」
「なんじゃい、その顔は。もう慣れたもんじゃ。それにあんな親父おらん方が清々するわい」
ガハハ、と伴は豪快に笑って、失言だったと肩を落とす飛雄馬の背中を学生鞄を持った手で叩いた。
「明日、晴れるといいな」
「そうじゃのう……グラウンドがベチャベチャでは野球どころじゃないからのう」
そんな他愛のない会話を交わしつつ、飛雄馬の家に向かっていた二人だったが、間もなく終点が近い。飛雄馬の住む長屋がそこに見えてきたからだ。
心なしか二人の足取りは重い。明日になればまた学校で会えるというのに、何故かしら離れがたく、名残惜しいような気になった。
「……星、また、学校で」
けれども、先に伴が切り出した。飛雄馬は自宅のある長屋の戸を開けつつ、その姿を見守ってくれている伴を見据える。
会話がなくなると、雨音がやたらと強く聞こえてくるような気がした。
「……ああ、ありがとう」
答えて、飛雄馬は微笑む。すると伴もニコッと笑顔を浮かべたが、すぐに踵を返すと来た道を引き返し始める。飛雄馬はしばらくその後ろ姿を見つめていたが、玄関先に置いてあった自分の傘を引ったくると、それを開きつつ伴の後を追う。
「伴!」
「な、なんじゃあ!?」
まさかの飛雄馬の登場に伴は目を白黒させ、そのまま数回瞬きを繰り返す。
「い、家まで送ろう。もっと、話したいことがあるし」
「…………」
傘で顔を隠し俯き加減に飛雄馬はそんなことを口にする。
「嫌か」
「そ、そんなことある訳なかろう!嬉しいわい!おれももっと星のことを知りたいからのう」
「………」
傘の柄を強く握り締め、飛雄馬は隣を行く伴の真っ赤に染まっている耳を仰ぐ。
野球の出来なくなる雨は今まで大嫌いだったが、学年も違えば、住んでいる場所も違う伴とこうして会話らしい会話をしたこともなかったことを考えれば、たまにはこういう日があっても良いな、と飛雄馬は思う。せっかくバッテリーを組むことになった仲なのだ、少しくらい互いのことを知っていてもいいのではないか。
「今度の日曜にでも、ラーメンを食べに行かないか。この辺に美味しい店があるんだ」
「ラーメン!?いいのう。おれは麺類には目がないんじゃあ」
「へえ、奇遇だな。おれも麺類は好きだ」
「おう!それは嬉しい限りじゃい!」
「まさかの共通点だったな」
フフフ、と飛雄馬は思わず笑みを零しつつ、傘を握る。
「嬉しいのう。星とは公私ともに仲良くやっていけそうじゃわい」
ニコニコとえびす顔で伴は言う。
「……いつまでの縁かは分からんが、よろしく頼む」
「何を言うとるか星!おれは一生お前についていくつもりでおるぞい!星の投げる球を取ったときからお前にゾッコン参ってしもうたからな」
「ぷっ、なんだそれ」
「お、おかしなこと言うたか?」
「ふふ……じゃあ、末永くよろしく頼む」
「それはこっちの言うことじゃい!」
二人は顔を見合わせ、ニコッ!と笑顔を作ると互いに手を伸ばし拳骨の形を作ると、その拳同士を合わせる。
そうして青雲高校校歌を口ずさみながら、伴の住む大きな屋敷までの道のりを二人仲良く降り注ぐ雨など諸共せずにゆっくりと歩くのだった。