寒熱
感熱 「ってえな!気をつけろ!」
「…………」
飛雄馬は今し方、肩のぶつかった体格のいい男からの野次をどこか朦朧としたまま聞き流した。
前を行く背中、隣を行き違う顔が二重、三重に重なって見え歩くのがやっとだ。
どうやら、数日前に打たれた雨のせいで風邪をこじらせてしまったらしい。
真冬の最も冷え込む時期。
自殺のそれとしか思えぬ行動を取った昔の自分を笑いつつ、飛雄馬は悪寒に震え痛む頭を押さえ、顔をしかめた。
医者に行かなければ。
こんな場所で倒れてしまっては通行人に迷惑が掛かる。しかし、土地勘がない。
道行く人に尋ねようにもそれもままならない。 「う……」
まずい、立っていられない。
このままじゃ──飛雄馬はその刹那に、ドン!と何かにぶつかった衝撃を感じたが、彼の意識は一度そこで途切れた。

「…………っ、」
飛雄馬は目を開け、ぼうっと虚ろな瞳に何やら見た覚えがあるような天井を映す。
思わず我が身を抱き締めたくなるような悪寒も、頭を朦朧とさせる体の火照りも今はない。
天国にしてはあまりに日本的だが、と飛雄馬は胸中で冗談を飛ばしてから、自分の置かれている境遇を整理するべく体を起こした。
弾みで、額に乗せられていた湿り気を帯びたタオルが畳へと落ちる。
どこか、だだっ広い和室のど真ん中に敷かれた布団の上で、おれは眠っていたらしい。
しかし、この風景を見るのは初めてではない気がする。あの廊下と部屋とを隔てる襖の絵柄も、時折微かに聞こえてくる鹿威しの音色も、おれは知っている……?
飛雄馬は、自分の足元の方角にある襖が音もなく開いたことに驚き、そちらに視線を遣る。
そして、顔を出した人物に息を呑み、微かに開きかけた唇を閉じ合わせた。
「おや、お目覚めでしたか。突然に挨拶もせず部屋に入ったりしてすみません。額のタオルを取り替えに参りました」
ニコ、と顔に柔和な笑みを浮かべた──長い白髪を綺麗に結い上げた小柄な和服と、割烹着の似合う老女の姿に、飛雄馬はようやくこの部屋がどこであるかを知る。
「…………」
「宙太坊っちゃんはまだお仕事があるとかですっ飛んで行かれましたが、じきお戻りになると思いますよ。それにしてもひどい熱で……」
老女は洗面器を手に部屋の中へと入ってくると、飛雄馬から受け取ったタオルを持ち寄った容器の中に浸した。
「お世話に、なりました。その、伴、いや、宙太さんにはよろしくお伝えください」
そう、ここは親友・伴宙太の屋敷であり──目の前にいるこの人は、彼の乳母代わりでもあり、屋敷の家事全般をひとりで切り盛りしている、おれたちが敬愛を込めておばさん─と呼んでいたお手伝いさんであった。
「あ、いけません!あなた肺炎を起こしかけてらしたんですよ。しばらく休養を取らないと良くなるものも良くなりません」
布団の中から身を這い出しかけた飛雄馬だが、ふと、枕元に病院から処方されたらしき薬袋を発見し、今落ち着いているのはこのお陰か──とその場に留まる。
「医者が、来たんですか」
「宙太坊っちゃん、仕事中だと言うのに慌てて帰宅なされたかと思ったら、意識のないあなたを連れておいでで、医者を呼べだの布団を敷けだのすごい慌てようでしたよ」
「…………」
おばさん、の口ぶりから察するに、この人はおれの正体に気付いてはないらしい。
枕元に置かれた薬袋の名前の欄にも伴としか書かれていない。
確か、意識を失う前におれは何かにぶつかったように記憶しているが、あれは伴だったんだろうか。
そして伴は、おれを星と知らずに、熱にうかされた見ず知らずの人間を屋敷に連れ込み、医者に診せたと言うのだろうか。
なんて悪運の強い──飛雄馬は、ふっ、と口元に笑みを浮かべると、ありがとうございます、とおばさんに礼を述べた。
と、玄関の引き戸が勢いよく開かれ、帰ったぞい!と屋敷全体を揺らすような大声が響いて、飛雄馬とおばさんは顔を見合わせる。
「おばさん!どこじゃあ?おばさん」
「はいはい、坊っちゃん。こちらですよ」
おばさんはその姿からは想像もできぬほど声を張り上げ、帰宅した伴を呼んだ。
「おう!帰ったぞい」
「…………」
飛雄馬は板張りの廊下を踏み鳴らし、こちらに歩み寄ってきたかと思うと、遠慮も配慮も何もなく、襖をスパーンと開けるなりそこから顔を覗かせた彼、の顔を瞳に映す。
紛れもない、あの顔、あの声、あの遠慮のなさ、あれは、あの日以来別れたままになっている伴宙太に他ならない。どこに行くにも、何をするにも一緒だった彼──。
「坊っちゃん、病人がいらっしゃるんですから少しは慎んでくださいよ」
「すまんすまん。だいぶ元気になったかのう」
小言を口にするおばさんを受け流しつつ、三つ揃えのスーツを相応に着こなす彼──伴は飛雄馬との距離を詰めると、その場にあぐらをかいた。
「……まずは礼を言わせてもらう。ありがとう。きみのお陰で助かった」
飛雄馬は伴に頭を下げ、淡々と言葉を紡ぐ。
「あ、いや、いいんじゃ。そんなこと気にせんでくれい。乗り掛かった船じゃい。まさか取引先に行く途中であんたを抱き留める羽目になるとは思わんかったが」
「それで商談は纏まったので?」
おばさんが伴に尋ねた。
「なぁに、バッチリよ。お相手さんが野球好き、しかも巨人の大ファンと来とる……星の話をしたらすぐに話が纏まったわい」
伴が口にした星、の名に、飛雄馬は唇を引き結ぶ。
もしや担がれでもしているのではと疑ってかかったが──どうやら本当にこのふたりはおれの正体に気付いていないらしい。
まったくの善意からおれを助け、医者にかからせてくれたばかりか、こうして一部屋を提供してくれている。このお人好しぶりには、感心するどころか呆れてしまう──。
飛雄馬は思わず溢れそうになった涙を隠すためふたりから顔を逸らし、少し休ませてくれ、とそんな嘘をついた。
ふたりは飛雄馬の不自然な仕草に疑問を持つこともなく、そういうことならと素直に部屋を出た。
何かあったら呼びつけてくださいね、と襖の向こうから囁かれた優しい声に飛雄馬は返事をしつつ目元の涙を拭うと、そのまま布団に潜り込む。
こんなに柔らかで、心地のいい布団に身を預けたのはどれくらいぶりだろうか。
ドヤ街の安宿、かび臭い煎餅布団の上、壁とは名ばかりの薄い板張りの向こうから聞こえてくる、酔っぱらいの小言を子守唄に眠ることに慣れすぎていて、ここは居心地が──悪い。
何もかもが暖かくて、優しくて、懐かしい。
「あ、その、ちょっといいか」
咳払いと共に、襖の向こうから声がして、飛雄馬はどうぞ、と入室を許した。
「な、名前をのう、聞いとらんだったと思ってのう」
襖を開けて早々に伴がそう、飛雄馬に問いかけた。
「…………」
この、姿を消してからは一度も鋏を入れていない伸ばしっぱなしの髪のせいで、伴はおれに気付かないのだろうか。
伴と呼ぶ声に覚えは、見つめる瞳に何か感じるものはないのだろうか。
いや、バレたら面倒なことになるのは目に見えている。一刻も早く体を治してここを出ていかねば。
「トビタだ」
「トビタ?名字か?それは。下の名は?」
「下はいいだろう。ふふ、おれもあんたの──命の恩人の名前を知りたい」
「わし?わしは伴じゃい。伴宙太。しっかり養生せい、トビタよ」
「ばん、ちゅうた……」
ひとつひとつ、名を紡ぐたびに胸が変に痛む。
おれは、この男のことを考えない日はなかった。
元気だろうか、めしはちゃんと食べているだろうか。
そんなことばかり考えていた。
春になれば出会った日のことを、夏になれば互いに朦朧となりながら魔球の開発特訓をしたことを、寒くなれば手を取り合い、寄り添うようにして歩いた日のことを。
どうやら、薬が効きすぎているらしいな、と飛雄馬は苦笑し、そのまま寝入ろうとしたが、そうはさせぬと言わんばかりに腹の虫がぐううと音を立てた。
「ん、トビタよ、腹が減っちょるのか」
「…………!」
「おばさんに言うて消化のよいものを作ってもらってくるわい。ちょっと待っちょれ」
にんまり、伴は微笑むと廊下を一目散に駆けていき、台所にいるであろう老女に事の顛末を語る声が、飛雄馬のいる部屋まで聞こえてくる。
しばらく、飛雄馬は布団の中に横たわったまま、高い天井を見上げていたがその内に良い匂いが辺りに漂い始め、再び腹の虫が鳴いたのを聞く。
すると、すぐ粥の入った碗と淹れたばかりの緑茶をそれぞれ盆に乗せた伴が戻ってきて、飛雄馬は慌てて体を起こした。
薬がぼちぼち切れてきたか、頭がぼうっとしている。
「もうそろそろ薬が切れる頃合じゃろうて。たくさん食べて眠るといい」
「……ばん、は、たべたのか?」
「わし?わしは後でいい」
「ば、ばんがたべないとおれもたべない」
飛雄馬は肩で息をしつつ、伴のことを心配するような言葉を口にする。
「ええい!うるさいのう!!誰かにそっくりじゃいその妙な気遣い!」
伴はレンゲで粥を掬うと、表面に息を吹きかけ多少温度を下げてから飛雄馬の口元にそれを寄せて来た。
「う……」
飛雄馬はおそるおそる唇を開き、出汁の利いたやや薄味の粥を啜るようにして口に含む。
汁気を帯びた柔らかな米の粒が口内で解け、空腹を満たしてくれる。
伴の屋敷を失踪前に何度か訪れたことがあるが、その時ご馳走になったおばさんの味そのままで、飛雄馬は思わず目元を手で拭う。
「熱かったか?冷ましたつもりじゃったが」
心配げに尋ねた伴に首を振り、飛雄馬は大丈夫だ、と答え、後は自分で食べられるから伴も夕飯を食べてこい、と彼に部屋から出ていくように促した。
しかして伴は、トビタが食い終わるまでここで待つと言って聞かず、飛雄馬は伴の大きな瞳に終始見つめられる形で粥を啜ることとなった。
ニコニコと笑みを浮かべこちらを見つめてくる伴の視線が痛く、飛雄馬が味を感じることができたのも最初の一口だけで、後はろくに咀嚼もせず飲み込むことを繰り返す。
伴を部屋から出て行かせたかったのには涙を見られたくなかったこともあるが、薬の効き目が切れつつある中で、意識は再び朦朧として来ており、粥を啜るのもやっとの状態だったことが大きい。
伴に心配をこれ以上かけたくもなければ、こんな醜態を晒す自分を見られたくもない。
飛雄馬は背中にじっとりと汗を滲ませながら、空になった碗を盆に戻し、枕元にある薬袋を手に取ると中の顆粒入りらしき小さな包みを取り出す。
ひどく寒い。
体の奥は変に熱いのに、寒くてたまらない。
「トビタ?顔色が悪いぞい、大丈夫か」
伴の声がぼんやりと耳に入ったものの、飛雄馬は頷くのがやっとであり、ぬるくなってしまった湯呑みの中身を口に含むと、そこに包みを開いた薬を流し込んだ。
「…………」
軽い眩暈を覚え、思わず畳の上に倒れそうになるのをすんでのところで伴が抱き留めてくれ、飛雄馬は目を閉じる。
「トビタ……きさま」
伴の体温が、今は妙に冷えていて心地いい。
それだけ、おれの熱は高いのだろうな、と飛雄馬は伴がトビタ!と何度も自分の名を呼んでくれる声を聞きながらそのまま意識を失った。
そうして気付けば部屋の中は明るくなっており、どこかで雀らしき小鳥が鳴く声がし、飛雄馬はハッ!と体を跳ね起こす。
隣には昨日の格好のままで眠る伴の姿があって、飛雄馬は目を細めると、伴、と小さな声で彼を呼んだ。
一晩中、風呂にも入らず着いていてくれたのだろうか。伴、相変わらず優しいな、お前は。
「う、う〜ん、あと十分……」
「伴、伴、起きろ」
このまま寝かせてやりたいのは山々だが、飛雄馬は伴の体を揺り動かし、彼の目を覚ますことを優先させる。もう飲めませんわい、と寝言を口にする伴であったが、飛雄馬が、伴!と大きな声を出したために飛び起きると、血相を変え、部屋を飛び出した。
飛雄馬は開けっぱなしになってしまっている襖の向こうを見つめていたが、なんで起こしてくれんかったんじゃ〜!!と叫ぶ伴の悲痛な叫びを耳にするなり、ふふと吹き出す。
しばらく、広く長い板張りの廊下を右往左往する伴の足音が聞こえていたが、玄関先で一度大きな音を聞いたのを最後に、屋敷がしんと静まり返る。
飛雄馬はそこでようやく部屋を出ると、おばさんがいるであろう台所に向かい、こちらに背を向け朝食の準備をしているらしい彼女に、おはようございます、と声を掛けた。
「あ!驚いた。おはようございます、ええと」
「……トビタです」
ここに来て初めて、飛雄馬はおばさんに偽名ではあるが名を名乗る。
「ああ、トビタさん。おはようございます。朝から騒がしくてすみませんねえ、坊っちゃん、朝が弱くてほんと、困ったもんです」
一瞬、おばさんには自分のことを話そうかと思ったが──飛雄馬はやはりトビタの名を使い、伴の朝が弱い話にも思わず、相変わらずですね──と答えそうになるのを堪え、口を閉ざしたまま、どうぞお座りくださいと促されたダイニングテーブルの一席に腰を下ろした。
味噌汁のいい香りと、魚の焼ける香ばしい匂いが腹の虫を鳴かせる。
飛雄馬は何か手伝いましょうか、と申し出たものの、どうぞ座っていてください、と一蹴されてしまい、素直に大人しくしていることにした。
「もうすぐ出来ますからね。待つのも暇でしょうし、顔を洗っていらしたらどうです?洗面所は廊下をしばらく行くとありますから」
「…………」
飛雄馬は頷くと、席を立ち、洗面所に向かう。
言われてみれば、おれは屋敷を訪ねてから部屋を出ていない。とんだ醜態を晒したなと苦笑し、飛雄馬は長い廊下を一歩一歩踏みしめ、歩いた。
ここを訪ねるのも、何年ぶりになるだろうか。
意外と間取りなどは頭に残っているようで迷うこともなく、飛雄馬は一直線に洗面所へと辿り着くことが出来た。
洗面台の蛇口ハンドルを回し、吐水口の下に両手を差し出すと飛雄馬は掌に溜まった水で顔を二、三度洗い流す。
汗をかいた肌に冷たい水が触れるのが心地よく、飛雄馬は口の中も水で濯ぐと、近くにあった棚の中からタオルを取り出し、それで顔を拭った。
洗面台に取り付けられた鏡に映る顔はどこか青白く見え、未だ本調子でないことを飛雄馬に知らせる。
伴がいないうちに、ここを出ていこうかとも思ったが、どうやらそうもいくまい。
呼吸のたびに胸が痛むのは、やはり肺炎を起こしかけていたからだろう。
飛雄馬は洗面所と併設してある、浴室に繋がる先、脱衣所にて伴が脱ぎ散らかして行ったらしいシャツや下着類を近くにあった洗濯かごの中に放り込むと、顔を拭くのに使ったタオルをその上に乗せた。
それから台所に戻ると、ちょうどおばさんが味噌汁を椀に注いでいる最中であった。
「場所はお分かりになりましたかねえ?」
「ええ、すぐわかりました。ありがとうございます」
「そうですか、それはようございました。このお屋敷に初めていらっしゃる方は大概迷われるんですよ」
「…………」
さすがに何度か来たことがありますからとは言えず、飛雄馬はテーブルに着くとおばさんが渡してくれた味噌汁入りの椀を受け取り、いただきますと両手を合わせた。
「お口に合えばいいんですけどね。こんなものしか作れませんでねえ。坊っちゃんはあの通り寝坊ばかりで一応毎朝ご飯を用意はするんですが、トースト?って言うんですか?食パンを焼いたのを噛りながら出勤なさってねえ。朝ごはんはしっかり食べるように小さい頃から言って聞かせたはずなんですけどねえ」
「……ふふ、彼らしい……しかし、仕事に遅刻していないといいんですが」
飛雄馬は言うと、まずは味噌汁に口をつける。
ちょうどよい温度の味噌汁が舌に触れ、喉を潤した。
具は玉ねぎとわかめが入れられている。
美味しい、と思わず顔が綻ぶのを感じ、飛雄馬は味噌汁入りのテーブルに戻した。
そして炊きたてらしい白いご飯が盛られた茶碗を手に取ろうとして、おばさんが自分の顔をじっと見つめていることに気付いて、思わずその顔を見返した。
「あなた、どこかで見たことがあると思っていたけれど、もしかして星さんでは?」
「……いえ、よく言われますが人違いです」
飛雄馬は茶碗を手に取ると、おばさんから目を逸らすようにして白いご飯を掻き込む。
これまた甘く、固くも柔らかくもない絶妙な加減で炊かれている。
「そうですかねえ。私には星さんにしか見えませんけどねえ……」
おばさんを欺くのは心が痛むが、一度嘘を突き通すと決めた以上、はいとは言えない。
飛雄馬は皿に乗せられた鯖の身を箸で毟るとそれを口に運び、再び飯を頬張る。
お代わりは?と尋ねられ、飛雄馬は一杯だけ、と空になった茶碗を彼女に手渡す。
「フフ。ごめんなさいねえ、なんだか懐かしくなってしまって。その星さんね、行方不明なの。ご存知?野球の巨人、ジャイアンツにいた星飛雄馬って選手」
茶碗に杓文字で飯を盛りつつ、おばさんは語る。
その星飛雄馬と伴は高校時代からの親友であること。
伴は父親の反対も振り切り、その星を追い巨人に入団したこと。
ふたりで、野球ファンの間では魔球と呼ばれる大リーグボールを編み出したこと。
そして、伴が中日にトレードされたこと。
中日に行った後のことを語るおばさんの目には涙が光っており、飛雄馬は茶碗を受け取りつつ、唇をきゅっと引き結んだ。
「坊っちゃん、星さんの腕がボロボロなのを自分が知らずにいたことをずっと後悔しておいでで……会ったら謝らなきゃとおっしゃっていてねえ……あら、私ったら朝ごはんの時間にこんな話、ごめんなさい」
「……伴、さん、は優しい人なんですね。おれを助けてくれたこともそうですが、その、星とやらのことをずっと気にかけていて……おれはその星という人のことはよく知りませんが、彼はきっと伴に謝ってほしいとか、そういうことは考えていないと思います。あれは自分が選んだ結果のことで、誰のせいとか誰が悪いとかそういうことはないとおれは思うんです」
「…………」
「あ、いや、そんな気がして……」
「トビタさん……」
おばさんが目元に涙を浮かべたまま微笑む。
飛雄馬はそれからは無言を貫き、お代わりした飯を平らげ、味噌汁の椀と魚の乗せられていた皿も綺麗にしてからごちそうさまでした、と再び手を合わせた。
「ありがとう、トビタさん。あなたに聞いてもらえてなんだかホッとして……初対面なのに初めて会った気がしなくてついつい話しすぎてしまって」
「……おれでよければ、いつでも聞きますよ」
飛雄馬は目を笑みの形に細め、お世話になりましたと頭を下げた。
「よかったら汗を流されては?坊っちゃんもあなたが起きたら屋敷の中のものは自由に使っていいと伝えろとおっしゃっていましたから……着替えは坊っちゃんのものしかありませんが、昔お使いになってた使い古しでよければちょうどいいものがあると思いますから」
「ありがとうございます」
飛雄馬は再び会釈すると、着替えを用意しますからと言うおばさんが戻るのを待ち、中学時代のものだと言う伴のジャージと下着、それに歯ブラシ類を受け取ると背中を押されるがままに先程訪れたばかりの浴室へ向かった。
さすがに下着──パンツを借りるわけにはいくまいと思いつつ、飛雄馬はしかし何も穿かないのも妙だなと色々考えながら脱衣所で服を脱ぐと浴室の扉を開け、温度を調節したシャワーの湯を体に浴びせる。
汗をかき、べたつく肌を洗い流す熱めの湯が緊張を解す。このまま回復してくれるといいのだが。
薬は何日分処方してあっただろうか。
飛雄馬は歯を磨いてからシャンプーで髪を洗い、石鹸を使い体を洗うと、程よく体を温めてから浴室を出た。そうして、浴室を出てすぐの床に置かれているマットを踏み、洗濯かごの一番上に乗せていたタオルでとりあえず体の水気を吸い取ってから改めて新しいタオルを棚から取り出し、それで髪と全身を拭う。
「…………」
使い古されたランニングシャツを身に着け、飛雄馬はその上に長袖のジャージを頭からかぶった。
とは言え、このジャージは今の飛雄馬の体格でも袖や丈が余るようで、裾などは股間をギリギリの位置で隠しているし、袖は一回折り返すことで丁度よいくらいである。
上はこれでいいとしても、パンツをどうするべきか。
伴のものを穿かざるを得ないだろうか。
そう、飛雄馬が脱衣所で悩んでいると、廊下の向こうから、トビタよう〜!と名を呼ぶ声と足音が近づいて来た。
「伴……」
「おう、もう上がっちょっ……えっ!!?きさま、なんちゅう格好をしとるんじゃい!!!」
「え?」
「ばっ、ばか!はようパンツを穿けい!これ、新しいの、買ってきたから、ほれ!」
久方ぶりに見た伴は顔を背け、何やら腕を伸ばし、紙袋をこちらに押し付けてくるではないか。
飛雄馬は伴の奇妙な行動に首を傾げたが、自分がパンツを穿くか穿きまいか迷っていたことを思い出すと、すまん!と差し出された紙袋をひったくり、中から新品のパンツを取り出し、封を開けるとそれに足を通した。
そうしてジャージのズボンを穿くと、もういいかと尋ねてきた伴に、もういいぞ、と返した。
「…………」
「…………」
「ぷっ……」
「ふふっ……」
「ワハハ!なんじゃ今の格好は!変態さんかと思ったぞい」
「変態はそっちだろう。なんの断りもなく入ってきて」
ふたり顔を見合わせ、ひとしきり笑ってから、先に伴がだいぶ落ち着いたようじゃのう、と仕切り直す。
ああ、と飛雄馬は返事をし、洗濯機を回してもいいか、と問うた。
「おう、それもあって来たんじゃい。その、えっと……」
ゴホン、と歯切れ悪く咳払いする伴の顔を見上げ、飛雄馬は彼の続きの言葉を待つ。
「…………」
「み、見るつもりはなかったんじゃ。見るつもりは……その、すまん」
「……なに、そんなことか。男同士、気にすることじゃないさ。それに、こちらこそ変なところを見せたな」
改まって先程の件を謝罪してきた伴に飛雄馬はふふ、と微笑みを返すと、おれがやるさ、と洗濯かごを抱え、最新らしい二層式洗濯機の洗濯槽の中へ洗い物を入れた。
「いや、客人、それも病人にそんなことはさせられんわい」
「これくらいさせてくれ。世話になりっぱなしなのはおれも嫌だ」
「いいやわしがする」
「きみは仕事に行ったんじゃなかったのか」
「トビタが心配で外回りをサボってきたんじゃい」
「それならおれがやろう。伴は仕事に戻れ」
そんな押し問答をしばらく続けていたが、あまりにふたりが帰ってこないために心配になったおばさんが現れ、私がやりますから!の言葉に休戦を余儀なくされる。飛雄馬は伴と連れ立ち、部屋に戻ると、食後の薬を服用し、そこでようやく一息ついた。
「なんだかトビタとは初めて会う気がせんわい。昔からの知り合いのような……」
「…………」
ぽつりぽつりと語り出す伴の横顔を見つめ、飛雄馬は黙っている。
「仕事はええんじゃい。わしひとりおらんでもどうにかなるわい」
「それならいいが……ふふ、昔話なら帰ってからゆっくりお聞かせ願いたいがな」
「……よう似ちょるわい。本当に、星にそっくりじゃあ」
「……伴の恋人か?」
「…………恋人、うんにゃ、そんなもんじゃないわい。大事な、大事な親友じゃった。かけがえのない、唯一無二の」
からかうつもりで訊いた飛雄馬だったが、予想外の言葉が返ってきて、言葉に詰まる。
いっそ、ぶちまけてしまおうかとまで考えた。
けれど、そうして何になる。
別々の道を生きるおれたちが再び交わってどうなると言うのだ。何のためにおれはあの日、伴を中日に行けと、心を鬼にして送り出したのか。
伴に幸せになってほしくて、自分の道を歩いていってほしかったからだろう。
だと言うのに、おれはなぜ、今にも泣きだしてしまいそうになっている。
「…………」
飛雄馬はジャージの袖で目元を拭う。
伴が心配そうに名前を呼んだ。
何でもない、と答えた飛雄馬の髪に、伴の指が絡む。
「トビタは泣き虫じゃのう」
「…………」
「泣かんでもええ。わしがついとるから。ゆっくり体を治すといい」
「伴……」
飛雄馬は涙に濡れた瞳を伴に向け、鼻を啜る。
「……星?」
「…………」
飛雄馬は目を閉じると顔を傾け、こちらに体を寄せてくる伴にそのまま身を委ねてしまおう、と思った。
違う、と否定すれば伴はそれ以上触れてはこないだろう。それでも、いけないとわかっていながらも、おれはこの唇に触れたかった。
その吐息が交わり、唇が重なる刹那に飛雄馬は目を閉じる。心臓の鼓動がまるで耳元で鳴っているかのような錯覚を覚える。
「洗濯、終わりましたよ」
「…………!」
ハッ!と飛雄馬と伴のふたりは襖の向こうから掛けられた声に我に返り、そそくさと互いに距離を取ると、おばさんに礼を言い、襖を開けた。
廊下を並んで歩くふたりの間に会話はない。
ただ行く先は同じであり、おばさんが入れ替えて脱水まで行ってくれたらしい洗濯機の脱水槽の蓋を開けると、洗濯物をそれぞれにかごへと取り出していく。
洗濯物は伴の下着やシャツ類と、飛雄馬の衣服一式にタオルくらいで量はそう多くない。
伴に病人は部屋で休んどれと言われ、飛雄馬は先程のこともある手前、それ以上反論できず、ひとり来た道を引き返した。
何やらおばさんと伴が話している声が聞こえたが、会話の内容までは聞き取れず、玄関の扉が開く音だけが飛雄馬の耳には入った。
ひとり、部屋に戻った飛雄馬は布団に潜り込むと、寝返りを打ち、目を閉じる。
心臓は今も早鐘を打っている。
おばさんが呼んでくれなかったら今頃、おれは…………。
「トビタさん」
「は、はい」
襖の向こうからまたしても名を呼ばれ、飛雄馬は慌てるあまり声を裏返らせた。
「坊っちゃん、また夕方にお戻りになるそうです。病み上がりですしもう少し眠られてはどうですか。洗濯物はこのババが干しておきました」
「ありがとう、ございます」
飛雄馬はやっとのことで礼を言うと、おばさんが去っていく伴とは違う、軽い床の上を擦るような足音を聞きながら目を閉じはしたが、どうにも寝付けない。
さっきのことがあるからだろうか。
夕方、帰宅した伴にどんな顔をして会えばいいんだろうか。そんなことを考えていると、いつの間にか眠っていたようで、飛雄馬は夕飯ですよと声を掛けに来たおばさんの声で目を覚ます。
もうそんな時間か、おれはここに来て寝てばかりだな。伴もおばさんもそれぞれの職務を全うしていると言うのに──と自己嫌悪に陥りつつも飛雄馬は呼ばれるがままに朝食を摂った台所へと顔を出した。
昼食を食べていないため、腹は減っている。
おれはあれから眠り通しだったのか、と飛雄馬が席に着いたと同時に帰宅していたらしい伴が顔を出した。
「…………!」
「…………」
ふたりは無言のままにおばさんの作ってくれた夕食に舌鼓を打ち、飛雄馬は今度こそはと片付けを買って出た。伴は汗を流してくるわいと浴室に消え、飛雄馬もまた片付けを終えると、深々と頭を下げ、礼を言うおばさんに却って気を遣わせてしまったなと思いつつ、部屋に戻る。
服用した薬袋には二日分とある。
このままいけば明日、再び医師の診察を受けることになるだろうか。
飛雄馬は布団の中ではなく、上に横たわってから天井を見上げる。
薬のおかげか、おばさんの食事のおかげか、それともこの布団のせいか体調は日に日によくなってきている。医師の診察次第ではここを発とう。
肺炎になりかけていた、とゾッとすることを言われてしまったがゆえに、伴にもおばさんにも甘えてしまった。
「…………」
「トビタ、起きとるか」
「伴……!」
目を閉じ、ここに来てからのことを思い出していた飛雄馬だったが、襖の向こう、廊下から伴の声が聞こえたことに体を跳ね起こし、どうした?と訊いた。
「入ってもいいかのう」
「構わんが。元よりここはきみの屋敷だろう」
「そりゃあ、そうじゃが、今はトビタの部屋じゃろう」
すっ、と襖が開くなり、湯上がりの浴衣姿の伴が顔を出し、飛雄馬はほのかに香る石鹸の芳香に、体の奥が変に燻るのを感じた。
「……何の用だ。風邪は治りかけに人に移ると言うぞ。あまり近寄らん方が身の為じゃないか」
「わしが風邪をひいたらトビタが看病してくれるか?」
「ばか……相変わらず能天気……いや、こっちの話。変な冗談を言うのはよせ、伴」
「…………」
飛雄馬は襖を閉め、畳を軋ませつつこちらに歩み寄って来る伴の姿を目で追いながら、近くまで来た彼の顔を仰ぎ見る。
「伴?」
「おばさんにはちと早いが帰ってもらった。今、屋敷にいるのはわしとお前だけじゃトビタよ」
「…………それが?」
「星じゃろう、きさま。この親友伴宙太を欺こうなどと考えるのは百年早いぞい」
「……きみは優しいが、少し思い込みが激しいところがあるな。ふふ、そうだと言ってやりたいのは山々だが、人違いだ」
飛雄馬は淡々と伴の言葉を否定し、畳に正座している彼の許に身を寄せる。
「本当に、星じゃないのか」
「星じゃないと抱く気が起きんか」
「…………!」
飛雄馬は伴の鼻と自分のそれがぶつからぬよう、顔をほんの少し傾けつつ、距離を詰め彼をからかう。
何をするんだ、と跳ね除けてくれたら、おれは伴を諦められる。
これは賭けだ、勝算などひとつもない、おれの負けが決まった駆け引き。
飛雄馬は頬に平手打ちのひとつでも受けるだろう、と身構えたが、目を閉じた彼の顔に触れたのは固い拳でも鋭い平手でもなく、柔らかな唇で──間髪入れず口内に滑り込んできた舌に、思わず身震いした。
「あ……っ、」
背中を太く大きな腕に抱かれ、飛雄馬はそのまま布団の上に押し倒されたことにより、体に伴の重みを受ける。やがて夜を迎え、世界を支配する黒と沈みゆく太陽の橙が交わり合う時刻。
唇を離そうともがく両手首を布団の上に縫い留め、伴の唇は何度も何度も飛雄馬のそれを啄んだ。
「ばっ……おま、ぇっ」
伴の熱い吐息が首筋に触れ、飛雄馬は身震いすると、奥歯を強く噛む。
触れられた箇所から肌が火照って、飛雄馬は伴を呼んだ。
すると再び伴は飛雄馬の唇に自分のそれを寄せ、口付けを与えてから、握っていた手首をようやく解放してくれた。
「すまん……頭に血が昇ってしまったようじゃわい。こんなことをするつもりはなかった。申し訳ない。殴るなり罵るなり気の済むようにしてくれて構わんぞい」
「…………」
そう、言うなり伴は体を起こすと、今にも泣き出してしまいそうな、そんな顔をして飛雄馬を見下ろしてきた。なぜ、そんな顔をする?
飛雄馬は涙に滲む瞳を伴に向け、誘ったのはおれの方だ、と彼に非は一切ないことを伝える。
しかして、それで納得する伴でないことは飛雄馬が一番、理解している。
距離を取り、畳の上に正座している伴を前に飛雄馬は体を起こすと、ジャージの裾を掴み、それをまくり上げるようにして脱ぎ捨ててから、下に着込んでいたランニングシャツも同じように畳の上へと放った。
「トビタ、体を冷やすとぶり返すぞい。ええい、この寒いのに馬鹿なことをしおって」
「伴が暖めてくれたらいい。そうだろう」
「………………」
部屋にはいつの間にか夜が訪れている。
この広い屋敷の中にふたりきりだ。
不思議と寒さを感じないのは、また熱が上がってきているからだろうか。いや、そうではない。
「トビタ、わし……」
「もう、しゃべるな」
飛雄馬はこちらににじり寄り、再び自分の上に身を乗り出してきた伴の頬にそっと手を添える。
無意識のうちに笑みが溢れて、飛雄馬は伴を呼ぶと、微かに唇を開いて彼が来るのを待った。
先程とは違い、伴の唇は僅かに震えていて、飛雄馬はまたそれに吹き出しそうになりながらも、彼の口内へと舌を滑らせる。
「あ、う……っ!」
「初めてか?」
くすくす、と飛雄馬は急激に体温の上がった伴をからかうように笑い声を上げ、わざと声を出しつつ唇をゆるく吸い上げた。
「は、初めてじゃないわい……たっ、ただ、その、久しぶりで……」
「久しぶりか……ふふ、最後はいつだ?」
「さっ、最後は……」
「…………」
「最後はっ、星としてからそんなこと、わし……」
「……純情だな」
飛雄馬は言うと、伴の首に腕を回し、そこに体重を掛けながら距離を詰めるべく彼の体を抱き寄せる。
そうして驚き、口を開けた伴の唇を啄み、舌を絡ませてから吐息と共に声を漏らした。
密着している体に触れる伴の下腹部が熱く、そして固くなりつつあるのを感じながら、飛雄馬は彼の大きな手が自分の肌を撫でたことに体を震わせた。
「ふ……っ、ぅ、う」
角度を変え、啄むような軽いものから舌を絡め、唾液の交換を伴うようなものまで様々な口付けを互いに交わしつつ、飛雄馬もまた、臍の下を昂ぶらせる。
伴の手は粟立つ飛雄馬の腹を撫でさすり、遂に触れるに至った胸の突起を指先でくすぐってから、尖ったそこを抓み上げた。
「……!──!!」
飛雄馬の体が大きく震えたことで、伴は一度躊躇ったように手の動きを止めたが、再びゆるゆると再開させ、それを抓んだ二本の指で中の芯を押しつぶす。
「う……っ、」
大きな手が与えてくる刺激はひどく繊細で、じわじわと体の奥を疼かせる。
この頃になると、絡めてくる舌に応えるのがやっとで、飛雄馬は伴の首に縋り、小さく喉を鳴らして口内に溜まった唾液を飲み下すことを繰り返した。
その内に、伴の手は胸から離れ、その遥か下にあるジャージのズボンの中へと忍び寄って来る。
「は……っ、あ……」
そのまま下着の中に滑り込んだ伴の手が、飛雄馬の男根に触れ、それを掌に握り込んだ。
弾みで、先からとろりと先走りが溢れたのがわかって、飛雄馬は伴から腕を離すと、布団の上に身を預けた。とは言え、離す、と言うより外れてしまったという方が正しいか。
下着から取り出された男根を手淫のごとく上下に擦られ、声を上げる顔を見られたくなくて、飛雄馬は自分の顔を両腕で覆うと、時折、うっ!と短く声を上げる。
「トビタ……きさま、忌々しいほど星に似ちょるわい。やつもそうしていつも顔を隠していた」
「っ……っ、す、き、このんで……こんな顔、あぅ……見せたい、やつがいるとは思えん、んっ」
飛雄馬はそのまま伴の手の中に精を吐き、全身を射精の余韻に小さく震わせた。
「このまま、抱いてしまっても、いいのか」
最後の確認をするように伴が尋ねる。
飛雄馬は目を閉じたまま頷くと、腰を上げ、自分からズボンと下着とを足から剥ぎ取った。
もう、ここまで来たら戻れない。
戻る気も、途中でやめる気も更々ないが。
飛雄馬は伴の体を両足で挟み込むような格好を取りつつ、ゴクリ、と唾を飲み込んだ。
「…………」
すると、伴の手が直に尻へと触れ、何やらぬるい液体をその中心へとなすりつけてきた。
恐らく、先程出したおれの精液だろうな、と飛雄馬は腹の中を伴の指が犯していく感触に身震いしながらも、冷静な自分がいることに苦笑する。
思わず腰が引け、飛雄馬は唇を噛み締める。
「ここの経験は?」
「はっ……っ、話す必要は、っない……」
「初めてじゃないとすると……恋人か?事情はわからんが、わしのような男に抱かれるのが相手に知れたら悲しむと思うがのう」
「使い古しは……っ、ん……ふふ、ごめん、か」
「…………」
中を解すように動かしていた指の本数を増やし、伴は入り口を解そうとら挿入した二本の指で飛雄馬の腹の中、浅い位置を掻き回す。
「あ、ぁ……っ!」
「そうじゃないわい。そんな話じゃない」
「ここに来て、っ、説教か、伴……おれに星を重ねて、代わりにしようとしておきながら──ぁっ!!」
奥に指を突き入れ、伴は飛雄馬の前立腺を二本の指で優しく突き上げ、そこを指先で撫で回す。
射精を終え、一度は萎えた飛雄馬のそれが前立腺の刺激を受け、再び首をもたげる。
「しゃべるなと言うたのはトビタぞい」
「ひ……っ、ぅ、う、そこ、い、いやだ……」
「ここが好きか、トビタは」
「あっ、い…………!!」
飛雄馬は背中を反らし、勃起しきった男根の先から溢れた先走りをその幹に滴らせた。
刺激を受け、尖りきった乳首にまでそこからの快感が突き抜け、鈍い痛みが走る。
「スキンが確か、あったはずじゃが……」
「いい、っ、から、伴。おれのことは気にするな……そのまま、来てくれ……」
飛雄馬は腹の中を弄りつつ、確か避妊具があったはずと一度は部屋を離れようとする伴を叱咤し、彼を誘う。伴は一瞬、躊躇うような素振りを見せたがすぐ、指を抜くと膝立ちになり、浴衣の下、裾を左右に払うと下着の中からいきり立った男根を取り出した。
飛雄馬は腰の位置を調節し、尻に押し当てられた熱に再び、肌を粟立たせる。
「いいのか、このままで」
「直に、伴を感じたいからな。ふ、ふ……男同士、変な心配をする必要もないだろうに」
「…………」
覚悟を決めたか伴が腰を進め、あてがったそれを飛雄馬の中へと挿入していく。
背筋がひりつき、飛雄馬は、う、と声を上げると、ゆっくりとではあるが確実に、腹の中を突き進んでくる伴の熱さに体を仰け反らせる。
何も、何も変わっていない。
このぬくもりを、腹の中を満たす質量を、おれは覚えている。心配そうにおれに大丈夫か、と声を掛けるその仕草まですべて。
「あ、あぅ……う──!!」
伴の体に圧迫され、飛雄馬は大きく息を吸うと、身を預けている布団のシーツを握り締める。
今ので軽く達してしまったな、と飛雄馬は目尻に涙を溜めつつ、自分を組み敷く伴の顔を見つめ、更に奥を目指してくる熱に唇を噛む。
「い、いかん……出そうじゃい」
言うと伴はまだ飛雄馬の体が馴染んでいないにも関わらず、腰を引き、突き入れることを繰り返し彼の尻を叩く。
「これ、っ…………!」
ゆるく指で責められた前立腺の位置を、伴のそれが内側から突き上げ、飛雄馬の中を嬲る。
飛雄馬は伴の体の横で長い足をぴんと反らしたが、直ぐに膝を曲げられ、より深く奥を責めようとした伴により腹へとそれを押し付けられた。
先程伴をからかった余裕は今の飛雄馬にはない。
自分の弱い位置を執拗に責め立てられ、逃げる腰を捕らえられ、飛雄馬は伴の下で喘いだ。
全身を汗にまみれさせ、離れていた時間を取り戻すかのように互いの体を貪り合う。
時には飛雄馬が上になりその細い腰をくねらせ、再び伴の下で長い足を開き、彼を受け入れた。
そうしてふたりは、いつの間にか眠っていたようであり、部屋の中に差し込む太陽光で目を覚ますと汗を流しに浴室へと向かい、そこでも口付けを交わし合い、互いを求めた。
「……ばか、もうよせ」
シャワーを浴びている最中に胸を弄ぶ伴の手をはたき、飛雄馬は先に出るぞと脱衣所で肌の滴を拭う。
するとおばさんが既に来ているのか、少し距離のある台所の方から物音がするのに気付いて飛雄馬は伴に早く上がるように告げた。
そうしてふたりは何事もなかったかのように、食事を用意して待ってくれていたおばさんの許に身を寄せ、彼女が作ってくれた朝食を平らげた。
「まぁまぁ坊っちゃん、どういう風の吹き回しで。朝ご飯を食べてくださるなんて……いつもこうだと嬉しいんですがねえ」
「あ、う、うむ努力するわい」
伴と飛雄馬はこっそり顔を見合わせ、互いに吹き出すと、わけが分からぬまま目を白黒させるおばさんに朝食の礼を言い、それぞれの部屋に戻った。
「行ってらっしゃい、伴」
「おう、今日も早めに帰るからのう。いい子でおるんじゃぞ」
「…………」
玄関先まで伴を見送り、飛雄馬は彼が運転手付きのベンツの後部座席に乗り込むまでを見守ると、屋敷の中へと踵を返し、昨日から干したままになっていた自分のシャツと下着、それにスラックス類を取り込む。
そうして部屋で伴のジャージから一式、ここに来た当初の服装に着替えると、布団を綺麗に畳んでから洗面所にて薬袋の中から最後の一包を飲み込み、鏡に映る自分の顔を見つめた。
昨夜の痕が鮮明に残る首筋を撫で、飛雄馬はふふ、と微笑むとそのまま玄関へと身を翻す。
おばさんは片付けをしているようで、こちらの様子には何ひとつ気付いていない。
このまま姿を消せば、伴はおばさんを責めるだろうか。いや、伴もきっと、こうなることに薄々勘付いていたはず──だからこそ昨夜は──。
飛雄馬は、女々しいな、と吹き出し、台所にいるおばさんに対し、ありがとうございました、と頭を下げてから玄関から外へと出た。
高熱にうなされたことも、ここを訪ねたことも、すべて嘘のようで、夢のようでもあった。
伴の屋敷の佇まいを見上げ、飛雄馬は目を細めると奥歯を噛む。
会えたのが、きみでよかった、伴。
おれの茶番に付き合ってくれて感謝している。
いつかまた、会うときがあればその時は今日の礼を、是非ともさせてほしい。
屋敷に背を向け、飛雄馬は冬の朝、空気の澄み切った爽やかな雰囲気を纏いつつ歩き始める。
息苦しさは今はもう感じない。
春の訪れは、まだ遠い──。