寒苦
寒苦 球を放ろうとモーションを起こした飛雄馬はふいにくしゅん!とひとつくしゃみをしてから、鼻の下を指で擦った。投球を受けるべくミットを構えていた伴がマスクを額の位置まで上げ、立ち上がるや否や飛雄馬の元に駆け寄る。
「来るな、伴。来なくていい。元の場所に戻れ」
「しかし、今くしゃみをしたじゃろう。汗が冷えたんだ。練習も大事だが体を壊しては何にもならんぞ」
「砂埃を吸い込んだだけだ。さあ、戻って構えてくれ」
「…………」
伴を睨むように見上げながら、強い口調でそう、言葉を発した飛雄馬の腕を掴むと伴は彼の体をベンチの備えられた練習場の端にまで引きずった。
かと思うと、そのままベンチに座らせ、綺麗に畳まれていた飛雄馬のグラウンドコートを広げてやってから、彼の背中側から肩へと掛けてやった。
「伴?」
「星!練習に付き合うのは苦ではないが、お前が体を壊してしまう。過ぎたるは及ばざるが如しじゃい!」
「ふ、ふ……おれの体調をこうして気にかけてくれるのは伴くらいのものだ。プロとして給料を貰っている以上、体調管理は自己責任だし、とうちゃんにだって風邪をひいていようが熱があろうが毎日の練習はやらされたからな」
「あ、う……」
かける言葉が見つからず、伴は視線を泳がせ口をもごもごさせる。
「熱中すると周りが見えなくなるのはおれの悪い癖だな……伴。きみも寒かっただろう」
「ベンチの保温係であるおれの心配はいいんじゃい。星には夢があるじゃろう。そのために一生懸命なのはおれも十分理解しとるつもりじゃ。だから、無理をしてしまうのも分かる。でも、たまには自分のことも顧みてほしいんじゃい」
ベンチから立ち上がった飛雄馬に対し、伴がそんな言葉を投げかけた。
「伴」
「あ、いや……偉そうなことを言うて悪かったのう」
帽子のひさしを下げ、伴は表情を隠した。
飛雄馬は伴に視線を遣ってから、ふと、帰ろう、と呟く。日が暮れ、気温が下がってきたらしくじっとしていたことで余計に体が冷えたようだった。
「伴こそ、人の心配ばかりしてたまの休みくらい好きなことをして過ごしたらどうだ」
「おれは星の役に立てたらそれでいいんじゃ。星と一緒にいる時間は何より楽しいし、必要としてもらえることは嬉しいぞい」
「…………」
飛雄馬はグラウンドコートの袖に腕を通すと、ベンチから出て球場を横切っていく。
「ほ、星?怒っとるのか?何か気に障るようなこと、言ってしもうたか?」
後を追いかけて来た伴が問うが、飛雄馬はそれに応えることもせずマンションに帰るために薄暗い道を歩む。
寒いと、良からぬことばかり考えてしまう。
暖かさなんて知らなければよかった。
優しさなんて与えてもらわなければよかった。
いっそおれが本当に感情のないロボットだったのなら、こんなことを考えることもなく、寒さに凍えるようなこともなかっただろうに。
「星!」
追いついた伴が飛雄馬の手を握る。
「っ…………」
その手が驚くほど暖かくて、冷えた飛雄馬の手指を包んでゆっくりとその熱を分け与えてくれる。
「しばらくこうしておれば暖かくなるじゃろう」
「いい、触るな」
握られた手を振り解き、飛雄馬は歩調を早め伴から距離を取る。
「星…………」
「遅くまで付き合わせて悪かったな。また、明日」 今度は飛雄馬が表情を隠すように帽子のひさしを下げる。
「おれは、星の味方じゃからな。誰がなんと言おうと」
伴から離れ、歩く飛雄馬はその言葉にはたと足を止め、後ろを振り返る。
しかして伴は既にこちらに背を向け、宿舎に向かい歩き始めている状態であり、飛雄馬が立ち止まったことにはまったく気付いていない。
まだほんの少し、伴の体温の残る掌をぎゅっと握り締め、飛雄馬は涙で曇りかけた目を閉じてから唇を強く引き結んだ。