簡易宿所
簡易宿所 ようやく、本日の宿を見つけた飛雄馬は銭湯にて汗を流し、薄い煎餅布団の上に寝転がっている。
簡易宿所とはよく言ったもので、室内はひどく薄暗く染み付いた煙草の匂いが漂っており、人ひとりが横になれるだけの空間しか設けられてはいない。
古い型のテレビが部屋の奥、カーテンの前に置かれている。
しかし、住めば都とはよく言ったもので、こんな悪所でも雨風が凌げ、布団の上で眠れるのなら飛雄馬からしてみれば上出来であった。外ではしとしとと雨が降り続いており、背中を預けた布団も次第に熱を帯びてくる。
ごろり、と右に寝返りを打って、煙草の脂で茶色くなった壁を見つめる。そうして目を閉じると、雨の音が心地よく眠気を誘う。
明日の予報は確か晴れだとラジオでは言っていたか。
梅雨の晴れ間の一時を何をして過ごそうか。
ああ、もうこれからのことは起きてから考えることにしよう……。
迫り来る睡魔に身を委ね、ふと意識を手放しかけた飛雄馬だったが、部屋の扉を叩く音で目を覚まし、布団の上で体を起こす。空耳か、それとも隣の部屋。
「…………」
無言のまま、飛雄馬は足元にある部屋の扉を見つめ、しばらく押し黙っていたが、再び部屋の扉が叩かれたため、はい、と小さく返事をした。
「お宅にお客ですよ」
「客?」
扉の向こうから、先程宿の入口で宿帳に嘘の名前を書き連ねた際、顔を合わせた管理人が声を掛けてきた。
「はい、トビタさんに会いたいと男性がおひとり」
「…………」
トビタに会いたい、という男性が、ひとり。 管理人の言葉を反芻し、飛雄馬はこのまま追い返すか招き入れるかをしばし思案する。 トビタは、飛雄馬が自身が星飛雄馬であることを隠すために使う偽名である。自分が星だと分かれば、少々厄介になるだろうと考え、他人に名乗る際はこの名を使用している。
こんなところにまで訪ねてくる男に心当たりなどないが、一体、誰が、何の用で。
「名前は?」
少し、逡巡したのち、飛雄馬は尋ねる。
すると、何やらぼそぼそと扉の向こうで会話を交わす声が聞こえてから、花形と申されるそうです、と管理人が続けた。
「…………!」
花形、だって?
飛雄馬が背にしている、室内唯一の窓、カーテンの閉められた先で雨音が急に強くなった。
「トビタさん?」
管理人に名を呼ばれ、飛雄馬は、そんな男は知らん。帰ってくれ!と一言、語気鋭く拒絶の言葉を吐いたが、突如轟いた雷鳴にその声は掻き消されてしまったようで、扉のノブがゆっくりと回る。
そうして、開いた扉の隙間からするりと室内に入り込んだ、花形と名乗る男の、見覚えのある顔に飛雄馬は驚き、言葉を失う。
「それでは、失礼します」
「案内ありがとう」
扉を閉める管理人に礼を述べ、花形は畳敷きの床より一段低い三和土にて靴を脱ぐと、布団の上で固まったままの飛雄馬の側へと歩み寄る。
「っ、」
なぜ、あなたがここに、なぜおれの居場所がわかった。言いたいことは山のようにある。
しかし、数年ぶりに対峙した彼──花形を前に言葉が上手く紡げない。
カーテンの先ではバケツをひっくり返したような雨が降っており、近くに雷でも落ちたか、耳をつんざくような轟音が辺りには響いた。
「こういった場所に泊まるのはお勧めしないな、星くん。簡単に足が付いてしまうよ。こんなふうにね」
「で、出て行ってくれ。おれは入室を許可した覚えはない」
「出て行きたいのは山々だがね、ご覧の通り外は大雨だ。しばらく雨宿りをさせてはもらえんだろうか」
布団の敷かれていない、三和土から上がってすぐのほんの僅かな空間に花形は腰を下ろすと、身に纏う三つ揃えのジャケット、その内ポケットから煙草の箱を取り出した。
「そんなことはおれには関係ないだろう。勝手に上がり込んでおいて何様のつもりなんだ」
「…………」
煙草の箱とともに取り出したマッチで咥えた一本の先に火を灯した花形が、口から白味が掛かった煙を吐き出す。落ち着いてよく花形の格好を眺めてみれば、確かに彼の言う通り、頭の先からスラックスの裾まで見事に濡れてしまっている。値の張りそうなスーツは今や見る影もない。
「仕事で近くまで来ていてね、偶然星──いや、飛雄馬くんに似た人を見つけて、声を掛けようか迷っていたらこの有様さ。迷惑だろうとは思ったが、つい、きみを頼ってしまった」
「どこか喫茶店か何かに入ることは考えつかなかったのか」
「この辺りにそんな気の利いたものがあると思うかい」
「…………」
灰皿をくれないか、と花形からテレビの上に置かれた灰皿を取るように言われ、飛雄馬はそろそろと布団の上から這い出ると、手にした薄いアルミ製のそれを彼に手渡す。
「…………」
灰皿を受け取り、花形は中に灰を落とすと、煙草を口に咥え、雨が止むまでここにいてもいいかね。きみの邪魔をするつもりはないから、と付け加えた。
「……だったら、そんなところにいないでもっと中に来たらいいだろう」
布団を畳み、奥に追いやりつつ、飛雄馬は言う。
花形のためではない、彼に体調でも崩されたらそれを看病するねえちゃんが大変だろうと考えてのこと。
「いいのかい」
「…………二度は言わせないでくれ」
布団を畳んだことで広くなった部屋の壁側に身を寄せ、飛雄馬は背広を脱いだらどうだと続ける。
「相変わらずだな、飛雄馬くんは」
「花形さんともあろう人がこんな失態を晒すとは」
「きみに似た人を見かけたのが嬉しくてね。フフ」
短くなった煙草の火を灰皿で消しながら、花形が笑う。
「世辞が上手くなったんだな」
「世辞?まさか、事実だよ。乗っていた車から飛び降りてしまったよ。傘も持たずに」
「…………」
「しばらく休みたまえ」
花形は言うと、カーテンレールに引っ掛けられていたハンガーへと脱いだジャケットを纏わせた。
休めと言われはしたものの、布団は部屋の奥に片付けてしまっている。それに、男ふたりでこの狭い室内にてどうしろと言うのだろう。なす術なくその場に座り込んだ飛雄馬を見かね、花形が申し訳ない、と口元に二本目の煙草を携えつつフフッと笑みを溢した。
「いや……大丈夫だ」
「それはよかった」
咥えた煙草に火を付け、花形がニヤリと口角を上げる。と、再び雷鳴が轟き、頼りなくはあったが、部屋を照らしていた明かりが消え、室内は闇に包まれた。
「!」
「停電か」
参ったな、花形は続けると、明かりをもらってこよう、と言うなり腰を上げたか、微かに室内で人の動く気配が感じられた。
「このままでいい。そのうち復旧するだろう」
「…………」
雨は勢いを増している。部屋の扉の向こうでは停電に驚いた宿泊客が怒鳴る声や、廊下を行き来する足音がしきりに耳に入る。そんな外から聞こえてくる物音に気を取られていたが、花形が畳の上を歩く気配がし、飛雄馬は身構える。
気付けば煙草の赤い火が、ほんの一メートルほどの距離にあった。この男を前にすると変に、緊張してしまう。出会ってから今まで、友人同士がするような会話を交わしたことはほとんどない。話の内容と言えば、いつも野球に、試合に関することばかりで、お互いの個人的なことなど何ひとつ知らない。ふたりきりになったのも美奈さんの死後、落胆するおれを励ますべく鉄拳を食らわせてきたのが唯一だろうか。
ライバルというものは、得てしてそういうものだろう。変に私情を挟めば、対峙する際、妙に意識してしまう。おれなど特にその傾向が強い。
まさか、義理の兄弟になるとは思ってもみなかったが。
「緊張しているのかい」
ふいに花形の口から放たれた言葉に飛雄馬は我に返ると、いや、そんなことはない、と彼の問い掛けを否定し、花形さんとこうしてふたりで話をするのは初めてかもしれんなと思ってな、と微笑んでみせる。
「言われてみればそうかも知れない。フフ、いつだったか腑抜けたきみを電報で呼び出したことはあったね」
「そのことを今、まさに思い出していた」
「きみの事情も考えず一方的に殴りつけて、ひどい男さ。ぼくも」
「なに、花形さんの気持ちは十分伝わったさ。変に同情され、慰めの言葉を掛けられるよりずっといい……」
「…………左腕はだいぶいいのかい」
花形が灰皿で煙草を揉み消すなり、唐突に腕の調子について尋ねてきたために、飛雄馬は面食らいはしたが、腕?ああ、元通りとは言えないが、と彼からの質問に答え、右手で左腕を擦ってみせた。
「ずいぶん、探したよきみのことを。ぼくも伴くんも、明子も、左門くんも……」
「…………」
説教を、しにきたのだろうかこの男は。
つい今し方、きみの事情も考えずと言ったのはどの口か。多少、現役時代より丸くなったようだと感じたが、どうやら思い過ごしだったらしいな。
「なんて、きみを責めているつもりはない。ぼくたちの前から姿を消すに至った理由を尋ねたいわけでもない。ただ、皆心配している、と伝えたかっただけさ」
「…………」
「そう考え込まんでくれたまえ。今は何より、きみが息災でいてくれて嬉しい。ただその一言に尽きる」
「ふ、ふふ。まさか花形さんからそんな優しい言葉が聞けるとは意外だな。人は変わるものだ」
飛雄馬は花形の意外な一面が垣間見えたことに驚いて思わず微笑んでしまう。
「何もかも変わったさ。飛雄馬くんがいなくなってからと言うもの、ぼくは球界を引退し、父の会社を引き継いだ。今は野球からは完全に手を引いている」
「野球をやめた?なぜ、花形さんともあろう人が……」
飛雄馬は怒気を孕んだような花形の強い口調に気圧され、強く奥歯を噛み締める。
「きみの、飛雄馬くんのいない球界に身を置く理由がない。巨人の星がいてこその阪神の花形だったんだよ、ぼくにしてみればね」
「はっ、花形さんならもっと活躍できただろう。おれのいるいないに関係なく」
「きみのいない球界に用はない。ぼくはきみと戦うため、いや、きみに勝つために阪神への入団を選んだ。父は高校卒業後はぼくを留学させるつもりでいたし、ぼくもそのつもりでいたさ。きみと甲子園の決勝で戦うまではね」
「…………」
飛雄馬の額には嫌な汗が滲む。
まさか花形が球界から身を引いていたなんて。
それがおれのせいだと。おれが左腕を壊し、行方をくらませたからだと言うのか。
「ぼくのこれまでの人生は飛雄馬くんと共にあった。あの日、ギブスを装着したきみを見た日からね。飛雄馬くんが巨人の星を目指したように、ぼくもきみに勝つことだけを目指してきた」
「っ、そんなことをおれに聞かせてどうしようと言うんだ、花形さんは!」
「きみがぼくに変わったとそう言うから、話をしたまでのこと。きみは自分が他人の人生をどれほど狂わせたのか知らないようだからね」
「狂わせた、だって?何を根拠にそんな……」
花形との距離が、いつの間にかひどく縮んでいる。
打席から、こちらを見据えてきた花形の両の瞳がおれを映している。一閃走った稲光が辺りを照らした際にそれが見てとれた。
「飛雄馬くんは頭上の星ばかり見ていて気付かなかったかもしれんがね。考えてもみたまえ、柔道一筋だった伴くんだって野球に転向し、きみの捕手を務めたじゃないか。左門くんだって大洋とは言わずに巨人で活躍する道も────」
「それ以上、言うのはよせ……もう聞きたくない」
「…………」
雨が少し、落ち着いたか先程よりは窓を叩く雨粒の勢いも落ちつつあった。雷も遠ざかり、例の雷鳴の音も幾分小さくなっている。
「少し、休ませてくれないか。雨が止むまではここにいて構わないから」
「こんな話を、するつもりではなかったんだが」
「花形さんも横になるといい。狭いが、ふたりで寝るぶんには支障あるまい」
「…………」
部屋の左側の壁に背を寄せ、飛雄馬は畳の上に体を横たえた。すると、花形は壁の右側に身を寄せて仰向けの体勢をとったようであり、その様子がわかるほどには飛雄馬の目も暗闇に慣れてきたらしかった。
互いの距離は三十センチも離れておらず、寝返りを打つことも容易ではない。
ふたり、何を言うでもなく天井を見上げ、窓を叩く雨音を聞いている。
「ねえちゃんは、花形さんの帰りが遅いと心配しないだろうか。タクシーでも捕まえて帰っていればよかったんじゃないか」
「ぼくは家で過ごすことの方が少なくてね。今日も出張だと伝えている。まあ、事実ではあるが、このあとの商談には別の手の空いている役員に行かせたよ。ぼくでなければならない理由はないし、大方電話で話は済んでいたからね」
「…………」
「つまらん毎日さ、飛雄馬くん」
「そんな、ものか」
そんな、ものさ、と花形が続け、ふいに体を起こした。ぎく、と飛雄馬は身体を震わせ、こちらに何を思ってか距離を詰めてくる花形を仰ぎ見る。
すると花形は、呆気に取られていた飛雄馬の唇にそっと口付けた。
「な、に、をっ……!」
唇に触れたのが花形の唇であると飛雄馬が気付いたときには、その両手は頭上でひとつに纏められ、畳に押し付けられている。
飛雄馬の唇を音を立てて啄みながら、口を開けてと花形が囁く。
「なんで、っ……こんな、ぁ」
僅かにできた唇の隙間から花形が舌を捩じ込み、飛雄馬のそれと絡めた。体温より熱い粘膜が重なり合って、互いの吐息が混ざる。飛雄馬くんと名を呼ぶ花形の声が耳をくすぐり、頭の芯を痺れさせた。
と、花形の自由の利く左手がスラックスのファスナーを下ろしつつあることを察して、飛雄馬は身を捩る。
しかして、花形は手慣れた様子でそのままベルトを緩めると、スラックスのボタンを外し、僅かに膨らみ始めている飛雄馬の男根を下着の上から撫でさすった。
すると飛雄馬の腰は大きく跳ね、背中は弓なりに反った。花形の熱い掌がそろりと下着越しに男根を撫でる。その布地の下で、ゆるやかな刺激を与えられ、飛雄馬の男根は首をもたげ始めており、花形の手を押し返しつつあった。
フフッとさも愉快そうに笑う花形の声が耳に入って、飛雄馬は、悪魔め!と一言、悪態を吐く。
「驚いた。人を地獄に引きずり込んだ張本人がそれを言うのかい」
「だれが、っ……!地獄、なんて…………っあ!」
花形の指が下着の中に滑り込むと、飛雄馬の男根へと直に触れた。そのままを下着を下げ、露出させた男根を花形はゆるく握るや否やゆっくりと上下にしごいていく。
「花形っ、よせ、やめろっ、……手をはなっ、っ!」
男根をしごきつつ、唇を寄せてきた花形の口付けを受け入れながら飛雄馬は頭上でひとつに纏められた腕に力を込めた。男根を擦る速度は徐々に強くなっていき、飛雄馬を射精へと誘っていく。
頭が、思考が、回らない。口の中を犯す花形の舌が、下腹部をまさぐる手が、自分をおかしくさせる。
飛雄馬は花形から口移しに与えられた唾液を飲み込み、次第に高まる射精の衝動に身を強張らせた。
と、その刹那に花形の手は男根から外れ、手首をひとつに留めていた拘束も解かれたことで、飛雄馬は寸止めを食らった不快感を露わにしながら自分を組み敷く男の顔を見上げた。
「不満極まりないと言った顔だね、飛雄馬くん。あと一歩で果てそうだったのに、ねえ」
こちらの、顔など影になり、花形からはわからないであろうに。おれは、そんなに物欲しげな表情を浮かべているのだろうか。
「っ、っ…………」
「やり方くらい、知っているだろう」
「やり方……?」
「まさか初めて?まあ、ぼくとしてはどちらでも構わんが」
花形はそう言うと、飛雄馬のスラックスに手を掛け、下着諸とも引きずり下ろす。
「!」
「腰を上げて」
「花形さんは、っ、自分のしていることをわかっているのか!こんなことをしたら」
「したら、何?」
花形の手が、腿を撫で、ゆっくりと下着とスラックスとを剥ぎ取っていく。
「ねえちゃんが、っ、ねえちゃんが悲しむぞ」
「明子が?どうして。打ち明けるのかい、飛雄馬くんが、自分で姉に対して、こんなことをされたと。泣きつくのかね」
「く、狂っている!花形さん!やめろ!」
「…………」
畳の上に下半身を晒し、飛雄馬は叫ぶ。
大きく広げられた足、左右の立てた膝の間には花形が身を置き、腰を寄せている。
暗い部屋の中には一筋の光も差していない。
雨の音ばかりが部屋の中には響いている。
尻に押し当てられた熱に飛雄馬は体を戦慄かせ、己を組み敷く男の顔を見上げる。
腰を引き寄せられ、あてがわれた熱い何か、が腹の中を犯していく。
「あ、ァっ……!!」
その熱が、花形の男根だと飛雄馬が察したときには既に、根元までが腹の中に埋まっていた。
花形の体の脇に抱えられた両の膝が震えているのがわかる。しかし、それは痛みにではなく、与えられぬままに終わった絶頂を満たしてくれであろうと言う期待の現れ。今、こうしているだけでも臍の上に男根からの先走りが溢れ落ちている。
「言っていることとやっていることが正反対だよ、飛雄馬くん。狂っているのは、どちらだろうね」
「ふ、ぅ、っ……っ!」
花形が腰を突き上げ、飛雄馬の腹の中を男根の先で抉った。目の前に火花が散って、飛雄馬は小さな呻き声を上げる。
「打ち明けたらいいさ。自分は姉の夫に抱かれて喜ぶ変態だとね」
「ま、まだっ、動かな、っ──〜〜!!」
花形が引いた腰で浅い位置をゆるゆると刺激し、飛雄馬は顔を両手で覆った。
中を掻き乱し、突き上げられるたびに飛雄馬は声を上げ、じわじわと訪れるゆるい絶頂に体を震わせる。
顔を覗き込みつつ、腰を叩きつける花形が寄せて来た体へと飛雄馬は腕を回すと、再び押し付けられた唇に口付け、舌を絡ませた。
「ん、っ……ふ、……ぅ」 
「飛雄馬くん……」
優しく名を呼ぶ、花形の声が頭の中にじんと響いた。
「あぁ、いっ……!」
腹の奥深くを抉られ、背中を大きく反らして飛雄馬は絶頂の嬌声を上げた。全身を絶頂の余韻に戦慄かせ、花形の背にしがみつく。
しかして、花形は飛雄馬を解放せず、それどころか腰の速度を速めた。汗の滲んだ飛雄馬の首筋に唇を寄せ、腹の中を掻き回すように腰を使う。
「はっ、花形っ……!」
「自分だけ満足して終わるつもりだったのかね」
「これ、っ……以上されたら、ぁ!」
「散々人のことを罵っておいてひどいじゃないか」
「く、ぅうっ……」
飛雄馬の羽織るシャツの裾に手を遣り、花形は指先で肌をなぞりつつ上へとたくし上げていく。
「もっと深いところに来てもいいかい」
「いっ、いやだっ……もうっ、おわりに……ぐっ!」
やや体を起こした花形が、身を乗り出すと体重を飛雄馬の腹へと掛けた。腹の奥へとより深く到達した花形の男根が飛雄馬の中を突き上げる。
そのまま中を抉り、奥を嬲る花形の男根から与えられる快感に飛雄馬は我を忘れた。
「届いた?」
「っ、っ……♡♡」
ひくひくと全身を震わせ、飛雄馬は再び迎えさせられた絶頂に酔う。と、花形が飛雄馬の膝の下に手を遣り、腹へと足を押し付け、引いた腰を勢いよく叩き付けた。花形によって三度の絶頂を与えられ、飛雄馬は悲鳴を上げる。
「どこに出そうか、フフ……」
「ゆるして……はながたさっ……もっ、ゆるひて……おねが、ぁ、あぁ!」
「…………」
花形が寄せて来た唇に飛雄馬は応え、絡められた指、その手を握り締めると、腹の中で放出された熱に大きく震えた。
「あ、ぅ……っふ」
ひとしきり唇を貪ったあと、ようやく花形が離れていき、飛雄馬は畳の上にだらりと横になる。
雨は未だ、勢いは収まったものの部屋の窓を叩き続けている。
すると、花形が煙草に火を付けたか小さな何かを擦る音が聞こえたのちに、ふいに煙の匂いが部屋の中に混じった。
「近くの酒屋がまだ開いていたはずだが、何か飲み物でも飲むかね」
「…………」
頭がずきずきと痛む。
飛雄馬は、コーラを、と小さな声で答え、灰皿で煙草の火を消した花形が部屋を出て行くのを畳の上に横たわったままで聞いた。それから程なく、戻ってきた花形に冷たい缶を渡され、体を起こして中身を半分程度飲んだところでやっと一息つくことができた。
冷たく、甘い炭酸が渇いた喉を通り、体の中心を流れ落ちて行くのがありありと感じられる。
「…………」
花形も何やら炭酸入りの缶を買ったのか、プルタブを上げた際に例の音が雨音に混ざった。
「少し、休んでいったらどうだ。明日は仕事があるんだろう」
「……出て行けとは、言わないのかい」
「出来れば、そうしてもらいたいものだが、この雨の中に放り出すほど薄情ではないつもりだ」
「あんな形できみを抱いたのに?」
「…………魔が、差すことなど誰だってあるさ」
一瞬の間ののち、飛雄馬はぽつりと溢す。
「ぼくの気持ちは、そんな陳腐な言葉で片付けられてしまうか。フフッ……」
では、なぜ──?
その問いを、飛雄馬は甘い炭酸とともに飲み下す。
気の迷いなのだ。そうだ、そうに決まっている。
でなければ花形がこんなことをするはずがない。
「眠ろう、花形さん」
「……先に、寝たまえ」
缶の中身を飲み干して、飛雄馬は下着とスラックスを暗い部屋の中で探り当て、それらを身に着けると畳の上に寝転がる。花形がまた、火を付けたらしき煙草の匂いが辺りには漂う。
けだるい雰囲気のまま、飛雄馬は煙草の火のおかげでぼんやりと照らし出される花形の横顔を見つめる。
野球をなぜ、花形は辞めたのだろう。
おれのいない球界に未練はないと言っていたが、そんなものは建前で、何かきっと理由があるに違いないのだ。
「……おやすみ、花形さん」
「ゆっくり、眠りたまえ」
それが交わした最後の言葉で、いつの間にか眠っていた飛雄馬が目を覚ましたとき既に花形の姿は見えなかった。どうやら雨が少なくなり、眠っているうちに出ていったらしい。
あれは、夢、だったのかもしれん。
花形は、今でも球界で名を馳せているに違いない。
思うように球を放れなくなったおれの見た、悪夢。
妙な夢を見るものだ──飛雄馬は畳の上で寝返りを打つと、目を閉じる。夜明けまでは、まだしばらくかかりそうだ。もう一眠りすることにしよう──飛雄馬はそんなことを考えながら、再び深い眠りに落ちた。