会話
会話 星く〜ん!
牧場は移動教室の際、偶然3年生の教室が並ぶ廊下を星飛雄馬が歩いていることに気づいて、名前を呼びながら駆け寄った。
運動音痴で普段、そう大声を出すこともない牧場がスケッチブックを小脇に抱え、廊下を駆ける姿はやはり同級生からも珍しく映るようで、すれ違う女学生らも振り返ってまで見つめる始末だ。
と、慣れぬことをしたせいか飛雄馬の待つ廊下の端に来た頃には、牧場はちょっと待ってくれと息も絶え絶えに言うのがやっとの状態であった。
けれども彼は──星飛雄馬は嫌な顔ひとつせず、肩で息をしながら呼吸を整えている牧場を待ってくれている。
ああ、早く何か言わなくちゃ。星くんが待ってくれているのに。ええと、おれはなんで星くんを呼び止めようと思ったんだっけ。
心臓がバクバクと高鳴っており、頭がろくに働かない。
「牧場さん、待ちますからゆっくり」
「はあ……はあ、ふぅ……ごめんよ、呼び止めておきながら待たせてしまった」
「いえ、お気遣いなく。それで?」
「あ、え、えっと、なんだったかな。ああ、そう。今日の練習も見に行ってもいい?」
額に浮いた汗を拭い、微笑んだ牧場に対し、飛雄馬もまた笑みを返すと、ええ、と頷く。
「いつでも来てください。牧場さんの絵を見るの好きですから」
「ほ、本当に?やだな、お世辞はよしてくれよ星くん。本気にしてしまうよ」
「またスケッチブック見せてくださいね」
それじゃあおれ、次音楽なのでと飛雄馬は牧場を残し、廊下の奥にある音楽室の中へと入って行った。
「き、急に呼び止めてごめんよ〜!」
牧場が大声で叫んだ刹那、次の授業の開始を告げるチャイムが大音量で鳴り響いた。
気がつけば廊下を歩いている生徒は誰ひとりとしておらず、牧場はまたしても廊下を駆けることになった。
途中、既に授業を始めていた違うクラスの教師に怒鳴られ、渋々歩いてようやく到着した自分のクラスで、牧場はまたしても女教師に注意を受け、顔を真っ赤にしながら席につく。
目立たぬように、変に注目されぬように大人しく生きてきた牧場にとって、教師に怒鳴られるというのはまさしく生まれて初めてのことであった。
しかして、恥ずかしさはあれど、思いがけず星飛雄馬に会えたことが嬉しくて、牧場は教科書を開くと、続いて開いた帳面の隅の方に彼の似顔絵を描く。
早く放課後にならないかな。
星くんに会いたいな。
彼が野球をする姿を早く見たいな。
牧場はふと、初夏の爽やかな風に乗り、聞こえてきた校歌に星飛雄馬の面影を見た気がして立てた教科書で顔を隠しながら、先程のやり取りを思い出しつつ顔を綻ばせた。