改札前
改札前 それにしても、遅いなと飛雄馬は手首にはめた腕時計に視線を落としてから辺りをキョロキョロと見回す。
約束した時間はとっくに過ぎていると言うのに、いつまで経っても伴が現れる気配がなく、飛雄馬はどうしたものかと溜息を吐く。
駅の改札前にと昨日、約束したばかりなのに、寝坊でもしているんだろうか、宿舎に問い合わせてみようか、と、その場を離れようとしたところに、星くん?と声をかけられ、飛雄馬ははたと歩みを止める。
「伴?!あ……花形、さんか」
ぱあっと顔を輝かせ、声のした方向を見遣った飛雄馬だったが、振り返った先に立っていたのが待ち合わせをしていた彼ではなく、阪神タイガースの花形満であったためにその顔から笑みを消した。
「フフ、花形さんで悪かったね、星くん。きみとこんなところで会うとは珍しいこともあるものだ」
「それはこちらの台詞ですよ。花形さんがわざわざ電車に乗るなんて、何かあったんですか」
駅の雑踏の中、ふたりは淡々と言葉を交わす。
道行く人の中から、あれ、阪神の花形さんじゃない?と言う声もちらほらと聞こえるようになり、飛雄馬はちらと辺りに視線を遣った。
「気になるかね」
「何も用がないのなら早いとこ立ち去ってくれると助かる。こんなところ、写真に撮られでもしたら」
「フフッ、なに、ぼくと星くんの関係などファンの皆さんの方がご存知だろう。今更、会っていたところで誰も何も勘繰りはしないさ」
「……それはあなたの考えであって、おれは違う。何か目的があって花形さんもわざわざここを訪れたんだろう。おれに構う暇などないはず」
「…………」
花形は何も言わず、じっと飛雄馬の目を見つめる。 何を考えているのか、さっぱり読めないその冷たい瞳に飛雄馬は気圧され、視線を外す。
「おれは、伴と待ち合わせが」
「伴くんと、ね。それなら星くん、背後の伝言板を見たまえ」
「伝言板……?」
立てた親指で花形は自身の背後を指し示し、飛雄馬は素直に己の後ろに置かれていた伝言板を振り仰いだ。
『星、オヤジの用事で行けなくなった。
  埋め合わせはきっとする 伴』
の文字が緑色の伝言板に白のチョークでデカデカと書いてあり、飛雄馬は目を瞬かせる。
駅に電話を入れて駅員に言付けを頼めばいいものを、伴のやつ、気が動転してわざわざここまで来たんだろうな、と言うその情景がありありと頭の中に思い浮かんで、飛雄馬はぽかんと呆けたあと、ぷっと吹き出した。
こんなに大きな字で書いてあるにも関わらず、指摘されるまで気付かなかった自分の間抜けさも相俟って、飛雄馬は花形を前にしながらも笑い声を上げる。
「……」
「ふ、ふふ……花形さんのおかげで命拾いしましたよ」
目元に浮かんだ涙を拭いつつ、飛雄馬は腕時計を見遣ると、お礼にお昼、奢りますよと話を振った。
ハッ、と花形は何やら考え事でもしていたか、飛雄馬の言葉に驚いたように目を見開いたが、すぐにいつもの笑みを唇の端に湛えると、「出向きたいのは山々だが、車のメンテナンスを頼んでいてね。受取りを指定した時間に間に合わなくなってしまう」と言うなり、飛雄馬の背後にある伝言板の伴が書いた文字を黒板消しで拭った。
「それに、さっき、ぼくと一緒にいるところを見られたくないと言ったのはきみの方だろう。わざわざそんな危険な目に遭う必要はない」
「あ…………」
コトン、と黒板消しを伝言板の粉受けに置くと、花形は両手についたチョークの粉を払うように手をはたき、それじゃあ、また、と右手を挙げる。
「は、花形さ……」
一言、礼をと花形の名を口にしたとき既にその姿は人混みの中に消えており、飛雄馬は伸ばしかけた左腕を下ろすと、ラーメンでも食べて帰るかとばかりに駅の出入り口を目指した。

先に駅を後にした花形は、少し駅から離れた場所にある贔屓にしている自動車工場への道のりを行きつつ、星くんもあんな顔をすることがあるのだな、と先程のやり取りを思い出す。
すると、サインしてくださいと声をかけてきた女性の姿があって花形は色紙を受け取りながらも、果たして彼が、自分に対し、あんな顔をしてくれることが今後あり得るだろうか、とそんなことを考えつつ、淡々とサインペンで自分の名をそこに記した。