帰り道
帰り道 それでな、星──。
伴は部活を終えた帰り道、隣を歩く飛雄馬に話を振りつつその顔に視線を遣る。
けれども、飛雄馬の目線が伴と交わることはなく彼はどことなく寂しそうにも見える険しい表情を浮かべ、地平線に沈み行く夕日を見ている。
えびす顔で飛雄馬を見遣った伴だったが、その横顔に一瞬ドキッとして、星?と再び名を呼んだ。
「あ、すまない。考え事をしていた」
その声に我に返ったか飛雄馬は伴の顔を仰いで申し訳なさそうに微笑む。
伴は時折見せる、星飛雄馬のそんな表情や雰囲気があまり好きではなかった。
己が知る16、17歳のように昨日観たテレビ番組の話や好きな芸能人の話をするでもなく、星飛雄馬と言う男は質問をすれば返してこそくれるが、自分から多くを語らない。
ただ、それでも父親のことを語るときは目がやけにきらきらと輝いていて、それもどことなく伴の目には奇妙に映った。
こんな小さな体であんな悪魔のような球を放るまでになるには、きっと自分など想像もできないほどの特訓を積んできたに違いないであろうに、彼は決して自慢などをすることはない。
小さい頃に誰しもがやったことがあるベーゴマやメンコ遊びの思い出話を振っても、彼は悲しそうに笑うだけであった。
どんな子供時代を星飛雄馬と言う人間は過ごして、今に至るのだろうか。
なぜ、父親の話をするときだけはやたらに声を上ずらせ、楽しそうにするのだろうか。どうして、ふいに消え入りそうな儚い表情を浮かべるんだろうか。
野球のこととなると人が変わったかのように真剣な表情を浮かべ、それを茶化そうものなら烈火のごとく怒り出すと言うのに。
「………それで、何か言いかけてなかったか」
「あ、いや!何でもないんじゃい!おれの方こそくだらん話を振って悪かったのう」
「くだらん?そうか?ふふ、おれの知らない世界を伴はたくさん知っているなとつくづく思っていたところだ。伴と話しているととても楽しい」
「む、う………」
口ごもり、伴は飛雄馬の笑みから目を逸らす。
「伴と友達になれて良かったと心から思うぜ。バッテリーのこともそうだが、世間は思っていた以上に広いのだなと目の前がパアッと開けた」
「そんな、もんかのう」
「…………自分のことを他人に色々と話したのもきみが初めてだ。こうして誰かと登下校を共にしたこともなかったから」
「星は、親父さんが好きか?」
ポツリと伴が問うと、飛雄馬は目を一瞬見開いたがすぐに目線を外して、「ああ」と頷いた。
本当に?と伴は続けて尋ねる。
「おれの夢はとうちゃんの夢でもある。おれがこうして青雲に通えるのも野球が出来るのもとうちゃんのお陰だ。好きとか、嫌いとかそういう問題じゃない」
「星は親父さんのことを思うあまり自分を押し殺して来たんじゃないか?確かにあんなに貧乏長屋住まいで青雲に……あ、いや、子供を親が育てるのは当たり前のことだし、子供の夢を応援するのが親じゃないかのう、とおれは思うんじゃが……い、いや!すまん!そんなつもりじゃ」
口を噤み、伴は言い過ぎたと取り乱す。
しかして飛雄馬はそれに憤慨するでもなく、俯くと小さな、消え入りそうな声で語り出した。
「……………それでも、おれはとうちゃんの夢を叶えてやりたい。おれやとうちゃんのために苦労しているねえちゃんに楽をさせてやりたい」
「星……」
「ふふ、おれととうちゃんの夢にきみまで巻き込むような形になってすまない。高校柔道全国覇者とまでなった伴が──」
そこまで言いかけた飛雄馬の唇はぎゅうっと伴の厚い胸で塞がれる。伴がふいに飛雄馬をその太い腕で抱き締めたのだ。
伴の心臓の鼓動が触れ合う肌を通して伝わって、飛雄馬はその温かさと腕の強さに目を閉じる。
「巻き込まれたなんて思っとらんぞ星。おれは星の野球に対するひたむきな思いに魅せられたんじゃい。お前の球を捕りたいと家を訪ねたのもおれの意思でじゃあ。誰に頼まれたわけでもない。お前は親父さんや明子さんのために野球をやっとるのかもしれん!じゃが、この伴宙太は星のために、微力ながらも星の力になりたいと思っとるぞい!」
「………優しいな、伴は」
「やっ、優しい!?」
伴は飛雄馬を抱く腕の力を緩め、がばっと彼から距離を取る。
「見掛けによらず、ふふ……伴は優しい。血の繋がりもない赤の他人の、出会ってまだ1ヶ月にも満たないおれにそうまで言ってくれるんだからな」
「あ、う……ぐ……」
またしても伴は口をもごもごとやり、よほど恥ずかしかったのか今度は顔を真っ赤にした。
「………きみとは、ずっと友達でいられたらいいな」
「あ、当たり前じゃい!!星が絶交などせん限りはずっと地獄の底までこの伴宙太、お供するぞい」
「地獄の底と来たか。だいぶ物騒な話だ」
飛雄馬は伴の発言がよほどおかしかったか目を細め、声を上げて笑う。
ああ、おれは初めて星のこんなに笑った顔を見たかも知れない。出来ることなら、星にはずっと笑っていてほしい。
伴はクスクスと笑みを溢す飛雄馬に気付かれぬよう日の沈み、闇の深まる空を見上げ小さく鼻を啜った。