準備
準備 「すまんのう、星」
伴の屋敷の台所に立つ飛雄馬に、家主である彼がそんな言葉をかけた。
「ふふ、気にしてはいないさ。久しぶりにこうして包丁を握ったが、覚えているものだな」
言いつつ、飛雄馬は鍋の蓋を開けると火を緩め、冷蔵庫から取り出した味噌をその中で適量溶いていく。
普段伴の家の食事を作っている飛雄馬とも顔馴染みの老女が体調を崩し、床に伏せっていると今朝方すぐに連絡があり、急遽飛雄馬がピンチヒッターとして朝食を作ることになった。
これが昼や夜であるならば出前を取るなり、外食に出るなりと対処も出来たものの、朝となるとなかなかどこかに食べに行くというわけにもいかず、困ったのうと頭を抱えた伴に対し、飛雄馬がおれでよければと名乗りを上げたのである。
幼い頃、姉の手伝いをしていたお陰で、飛雄馬は一通りの家事はできるようになっていた。
いつもひとりで家のことをこなす明子の少しでも力になれれば、と飛雄馬は一徹との練習で疲れきっているにも関わらず、明子の手伝いを進んで行った。
しかして、一徹はそんな余力が残っているのならば明日からは投げる球数を増やすし、走り込みの距離も伸ばす、と幼い飛雄馬に大人でも音を上げるであろう練習を課した。
今となっては、何もかもが懐かしい思い出だが、と飛雄馬は味噌を溶いた鍋の中身を小皿に取り味見をすると火を止める。
ビル・サンダー氏が大の好物と謳うハムエッグももうじき焼けるであろう。
「しっかし、上手いもんじゃのう。惚れ惚れするわい」
「ほら、ぼうっとしてる暇があったらご飯をよそえ」
隣でしみじみとそんなことをぼやいた伴に指示を出し、飛雄馬は食パンが焼けたことを知らせるトースターの音に後ろを振り返ると、皿にそれらを2枚乗せてからテーブルに着いて待っていたビル・サンダーの前に並べた。
「オー!美味シソウデス。ヒューマ・ホシノ新タナ一面ヲワタシ見マシタ」
「なに、それほどのことじゃないです」
出来たての味噌汁を椀に入れ、飛雄馬は自身と伴の着くテーブルの上に置く。
「しゃもじ、しゃもじはどこじゃい」
「目の前。菜箸たちと一緒に入ってるだろう」
「あ!」
飯をよそえと言われたものの、しゃもじの場所が分からず辺りをきょろきょろと見回していた伴は飛雄馬の言葉に気が付いて、炊飯器の蓋を開ける。
「しゃもじ、濡らしてからにしないと米がくっつくぞ」
「お、おう」
「一回、米をほぐしてからよそえよ」
「む、む……」
指示を出しつつ、飛雄馬はハムエッグをフライパンから皿に盛ると再びビル・サンダーの前に並べた。
「味噌汁は飲みますか」
「イタダキマス。ワタシ、ミソスープトテモ好キ。色ンナ具材ヲ入レテ食ベルトスゴク美味シイ」
尋ねた飛雄馬にビル・サンダーはウインクして見せ、飛雄馬はおれの作ったものが口に合えばいいですかと苦笑しつつ、椀に味噌汁を注ぎ入れた。
「ふう。参ったのう。いつも食うばかりで何も手伝って来なかったツケじゃい」
ご飯をこんもりと盛った茶碗を手に伴はテーブルへと着き、飛雄馬はビル・サンダーにフォークとナイフを渡してから伴に箸を渡すと、彼もまた席に着いた。
「いただきます」
それぞれに食前の文句を口にし、3人は自分のペースで食事を開始する。
「美味いのう。星、この卵焼きもほんのり甘くてわし好みじゃい」
「それは良かった。うちの卵焼きはいつも甘かったからな」
「ハムエッグモイイ焼キ加減デース」
ふふ、と飛雄馬は笑みを溢し、味噌汁を啜る。
「早く嫁さんでももらって美味い食事を作ってもらえ」
「嫁?馬鹿な、わしは星のことが心配でそんなことを考える暇はないわい」
くすくす、と2人、顔を見合わせ笑いつつ飛雄馬は焼き鮭を口に運び、伴は味噌汁を啜った。
「ワタシ、バントヒューマ・ホシハ付キ合ッテイルトズット思ッテイマシタガ、違ウノデスカ?」
互いの顔を指で指し、ビル・サンダーは首を傾げ、まさかの発言を耳にした伴は噎せ込み、飛雄馬は驚いたように目を開いた。
「な、何をぬかすかビル・サンダーよ。わしと星はそんな関係ではない」
「ハテ、ワタシノ見当違イデシタカ。ソーリー」
「………当たらずも遠からずと言ったところ、ですね。伴から聞いていると思いますが、彼とは高校時代からの親友です。おれの無茶なお願いをいつも聞いてくれたし、いつも励まし、共に泣いてくれた彼はおれの、かけがえのない唯一無二の友です。今だって、おれの無謀な夢を応援してくれている」
飛雄馬は食事を中断し、ゆっくりとした口調で言葉を紡ぐ。
「星」
じわっと瞳を涙に濡らして、伴は飛雄馬を見つめる。
「イエス。ヒューマ・ホシモバンもオ互イガオ互イヲトテモ大事ニ想ッテイルノガ伝ワッテキマス。親友。トテモ羨マシイ。ワタシモソンナ友達欲シイデス」
「サンダーさんだっておれたちの大事な友人ですよ」
「そ、そうじゃい。同じ釜の、あいや、同じ炊飯器の飯を食った友じゃい」
「オー……ワンダフル……素晴ラシイ……ワタシトテモ感動シマシタ。男泣キデス」
鼻を啜り、ビル・サンダーは目元を大きな手で拭う。
目配せし合って、伴と飛雄馬ははにかんだように笑うと中断していた食事を再開させる。
朝食の後、しばらくの休養を取ってから飛雄馬たちは再び伴重工業所有のグラウンドにて打撃練習を行う。そんな日々の中での、3人の何気ない日常の、やり取りであった。