授業中
授業中 5月中旬のよく晴れた週半ば。
飛雄馬は国語の教師が教科書を淡々と朗読するのを夢うつつで聞いていた。昼食後の5時間目の授業。窓から差し込む木漏れ日が暖かくて、温厚な定年間近の教師の優しげな声が眠気を誘うせいか立てた教科書の陰で居眠りをしている生徒もちらほらと見受けられる。
飛雄馬の座る席は、先日の席替えで窓際の前から2番目であった。彼もまた、教科書の陰に隠れて小さな欠伸をした。
掃除当番は先週で終わったために、授業が終わればそのまま部活に直行できる。
例の2学年上の伴宙太と飛雄馬がバッテリーを組むことになって、はや半月と言ったところか。ようやく飛雄馬の剛速球にも慣れてきたか、彼はミットのど真ん中で球を受けられるようになって来ていた。
一時はどうなることかと思ってしまったが、伴と言う女房役を得て今年の地区予選、はたまた甲子園優勝は頂きだな、と飛雄馬は目を瞬かせつつふと、なんの気なしに窓の外を見つめる。
ちょうどグラウンドを1年生の教室である3階から見下ろす形となり、どこぞのクラスが野球をやっているのが視界に入って、飛雄馬は思わず体ごと視線を窓の外に遣った。するとどうだ、たった今まで頭の中で夢想していた顔、伴宙太の姿が目に留まって、ああ、3年生のクラスか、と飛雄馬は教師の姿を一瞥してから再びグラウンドを覗いた。
教師はこちら側に背を向け黒板に何やら文章を書いているようで、注意される恐れは今のところないようだった。
打席に立ったバッターが見事に空振り三振をしたお陰で攻守交代、伴のいるチームが今度は攻めに転じるらしい。飛雄馬はもう一度、教師の動向を目で追ってから、食い入るようにしてグラウンドを見下ろす。
しかして、これぞまさしく人間扇風機であった。振ったバットは球にかすることもせず、後ろで構えた捕手のミットに吸い込まれる。伴の大きな野次が飛んだ。
まったく、自分だって野球を始めてまだ1ヶ月も経っていないだろうに、と飛雄馬は自分のことは棚に上げてクスッと吹き出した。
そうして次の打順。伴がバットを手に素振りをしつつ、打席へと立つ。飛雄馬はゴクリ、と唾を飲み下してその様を見つめる。
するとどうだ、投手の投げた蝿の止まりそうなくらい遅い球はそれこそ吸い寄せられるが如く、構えた伴のバットに打ち取られ、本塁打となった。
カキーン!と小気味いい音が響いて、ワッ!とクラスメイト達が湧いた。
伴はバットを投げ捨てると、それこそ大手を振ってダイヤモンドを悠々と回る。
飛雄馬はその伴の嬉しそうな笑顔に思わず自分も顔を綻ばせつつ、鉛筆を手に黒板に書かれた文章をノートに書き写す。
放課後、見ていたことを伝えたら伴はどんな顔をするだろうか。照れたように笑うだろうか。それとも、誇らしげにどんなもんだとばかりに胸を叩くだろうか。
ふふっ、とその様を想像して思わず飛雄馬は笑みを漏らしつつ、頬杖をつく。
授業が終わるまであと10分弱。早く伴に会って、今のホームランをばっちり目撃したことを話してやりたいな、と思いながら飛雄馬は再度、窓の下を見下ろした。
と、こちらを仰いでいる伴と目が合って、飛雄馬はかあっと頬を染める。
この距離だ、どうせ向こうからこちらの顔は判別できやしないだろうと思いつつも見ていたことに気付かれたことが変に恥ずかしく、飛雄馬はそれっきり授業が終わるまで窓の外を見ることはなかった。
けれども、その代わりに飛雄馬は頬杖をついたまま、チャイムが鳴るまでの数分間、嬉しそうに微笑みながら自分の名を呼ぶ伴の顔を閉じた瞼の裏にこっそりと思い描いているのだった。