ジュース
ジュース 飛雄馬くん。
ベンチ裏から選手通用出口へと繋がる薄暗い廊下を行く飛雄馬は、背後から名を呼ばれ、ギクッ!と身を強張らせると徐々に近付いてくる何者かの気配に息を殺す。
おれを名前で呼ぶ知り合いは世の中にひとりしか存在しないことに加え、おれはこの血の繋がらない義理の兄がどうにも苦手なのだ──そこまで考えたところで、頬にヒヤリと冷たいものが触れ、飛雄馬は、再び身を強張らせることになった。
「あ……どうも」
頬に触れた冷たいものの正体は、どこから調達したものやら冷えたジュース入りの缶であり、それを差し出してきた花形──の笑顔に対し、飛雄馬はぎこちない笑みを返す。
「久しぶりだね飛雄馬くん。もっとも、球場では毎日のように顔を合わせているがね」
「はあ」
缶を受け取りながらも飛雄馬はどことなくうわの空で返事をすると、すぐに花形から顔を逸らすとそのまま歩き始める。
「…………」
「何か用ですか、こんなところまで追いかけて来て。早く帰ってはどうです」
「どうしてきみはいつまで経ってもそんなに他人行儀なのかね。何か気に障ることでもあるのかい」
「別にそんなことは……」
隣を歩く花形から距離を取ろうと飛雄馬は歩調を速めるが、頭にかぶるYGマークが刺繍された野球帽をひょいと取られ、あっ!と声を上げるなり、返してくれ!と身を翻す彼に縋る。
「フフ、これからぼくの屋敷に来てくれると言うのなら返そうじゃないか」
「からかうのはよせ、花形さん。返せ、返してくれ!」
腕を頭上高く上げ、やや爪先立ちになっている花形の手にある帽子を取ろうと飛雄馬もまた爪先立ちになり、腕を伸ばす。
すると、いつの間にか花形に抱かれる格好を取っていることに気付いて、飛雄馬はハッ!とそこで我に返るが、既に腰には彼の腕が回っており、しまった!と見上げた先で口付けを受ける羽目になる。
「!」
反射的に目を閉じて、飛雄馬は触れた唇の熱さに身震いした。
手にしているジュースの缶はややぬるくなり始めている──。そう感じるのは、与えられた口付けのせいか。
「……フフッ」
口を僅かに開け、覗かせた舌をゆるく吸い上げてきた花形が微笑んだように感じたのは錯覚だろうか。
それとも、思惑通りに事が運ぶ優越感からだろうか。
「ぁ……っ、っ」
思わず、妙な声を上げた自分がいることに気付いて、飛雄馬はかあっ!と頬を染めると、そこで初めて花形を拒絶するように彼の体を両手で突き飛ばし、唇を腕で拭った。
「フフ、怖い怖い。深追いは禁物かな」
YGマークの野球帽で顔を仰ぎつつ、花形が微笑む。
「こんなところで……誰か来たらどうするつもりだ」
「だからぼくの屋敷に来たまえと言っている。明子も待っているよ」
「嫌だ。もう花形さんの家には行くつもりはない。ねえちゃんにもそう伝えてくれ」
「なぜ?」
「な、なぜって……」
手にしている帽子で口元を隠した花形にじっと見つめられ、飛雄馬はかあっと全身に汗を滲ませた。
「言ってくれんとわからんよ、ぼくには。飛雄馬くん」
「う……」
「ぼくに抱かれるのは嫌かい」
「い、嫌に決まってるだろう。なんだっておれが、花形さんとそんなこと……おれは」
「おれは?」
壁を背にし、立っていた花形がふいに距離を詰める。
飛雄馬は寄るな!と声を上げると、手にしていた缶を苦し紛れに投げつける。
「おっと。人から貰ったものを粗末にするのはよくないな」
難なくそれを帽子を所持している手で捕らえた花形はフッ、と口元に笑みを湛えると今にも走り出そうとする飛雄馬の腕を掴み、そのまま壁へと体ごと押し付けた。
「っ……大声を出すぞ」
「ぼくはてっきり、きみも楽しんでくれていると思ったんだがね」
「勝手な、ことをっ……!」
眉間に皺を寄せ、飛雄馬は目の前の男を睨む。
「ジュースでも飲みたまえ。せっかく飛雄馬くんのために買ってきたのだから」
「いっ、いらん!そんなもの」
叫んだ飛雄馬だったが、花形が身を屈め、顔を寄せてきたためにうっ!と短く呻いてから顔を背けた。
しかして背けた顔、その耳に花形は口付けを与えてきて、飛雄馬は再び、呻き声を上げる結果となった。
ちゅっ、と耳元で立てられたリップ音に飛雄馬は全身を粟立たせ、強く奥歯を噛む。
背を預ける壁がやけに冷たい。
顔を逸らしたことで晒す羽目になった首筋に吐息が触れて、飛雄馬は鼻がかった声を漏らした。
すると、汗が伝うそこに花形が舌を這わせたのがわかって、飛雄馬は閉じたまぶたの縁に涙を滲ませる。
「あ……っ、い……」
「場所を変えよう。おいで」
「誰がっ、行くもんか……!」
「…………」
涙に濡れた瞳を花形に向け、飛雄馬は彼を拒むが、次の瞬間、噛み付くような口付けを与えられ、無様にも臍の下を反応させた。
いつの間にか花形が手にしていた帽子は床に落ち、缶は辺りを転がる。
顔を振り、逃れようと藻掻く飛雄馬の顎先を手で掬い上げるようにして固定しながら、花形は彼の股の間に膝を差し入れた。
「は……っ、ん、ふ、……」
ゆっくり、時間をかけて花形に口の中を舌で蹂躙され、飛雄馬はとろんと蕩けた顔を彼へと晒す。
そうして、唾液に濡れた唇を重ね合わせながら花形は飛雄馬の着るユニフォームのボタンを片手でひとつひとつ外していった。
飲み込むこともままならず、溢れた唾液がとろりと飛雄馬の顎下を滑る。
頭がぼうっとして、力が入らない。
いつもこれだ、いつもおれは、まんまと、花形さんのペースに飲まれてしまう──試合中だってそうだ──今日だって──。
「あっ!」
アンダーシャツ越しに脇腹へと触れた花形の指の感触に飛雄馬は壁に預ける背を反らし、そこでようやく口付けの間ずっと閉じていた目を開けた。
そろりそろりとシャツの上から肌の表面を這う指先の動きに、体が反応してしまう。
胸の突起と下腹部にじわじわとその感覚が終着し、熱を帯び、次第に膨らんでいくのがわかる。
その現実から目を逸らしたくて、飛雄馬は再び目を閉じる。
と、花形の指先が胸の突起に触れ、飛雄馬は足の間にある膝へと無意識に、股を擦り付けるように腰を揺らした。
「おやおや、飛雄馬くん。ずいぶん煽るじゃないか」
「は……?っ、ぐ!」
柔らかな刺激を与えられてきた突起をいきなり抓られ、飛雄馬はそこから全身に走った痛みに喘ぐ。
と思えば、そこをゆるゆると捏ねられ、飛雄馬は花形の膝の上に尻を擦り付けた。
「ぼくのユニフォームを汚さないでくれたまえよ」
「あ……ぅ、っ」
そこで飛雄馬は自分が花形の前で腰を揺らしていることに気付いて、顔を紅潮させる。
花形が指で芯を押しつぶし、それを捏ね上げる突起からの甘くむず痒い刺激が、飛雄馬に言ってはならない一言を口走らせようとする。
けれども飛雄馬はそれを口元を手で押さえることで堪え、ユニフォームの下、スライディングパンツを滲む先走りで濡らした。
と、ユニフォームの上から花形の手が男根に触れ、飛雄馬は刺激の強さと驚きのあまり、ビクッ!と腰を引く。
「前を開けてごらんよ。大事なユニフォームを汚すのはきみも嫌だろう」
「────!」
飛雄馬は口を押さえたまま顔を横に振る。
しかして、花形の方がやはり一枚上手であり──飛雄馬の股を膝で押し上げつつ、膨らみきった前を手でさすった。
じわり、とスライディングパンツだけでなくズボンにも染みが滲み、飛雄馬はその感触にしまった、と限界まで張り詰めた自分の股へと視線を遣り、それから観念したように口から手を離した。
「早くしたまえよ」
「い、っ……われなくても……」
飛雄馬は震える手でおずおずとベルトを握り、バックルからそれを抜き取ると、ボタンを外し、ファスナーをゆっくりと下ろす。
痛みを感じるほどに張っている飛雄馬のそれ、はようやくユニフォームの中から解放され、スライディングパンツを持ち上げる。
はぁっ……と、飛雄馬はそこで深い溜息を吐き、体を戦慄かせた。
「もう一枚、残っているじゃないか」
「う、う……」
いくらここが薄暗いとは言え、なぜこんなところで自分の下腹部を晒さねばならないのか。
なぜ、おれは花形さんの言いなりになってしまっているのか。
「手伝おうか」
「っ…………」
飛雄馬はぎゅっと下唇を噛み、臍下に手を添えると、スライディングパンツの中に指を差し入れ、先走りでぐちゃぐちゃに濡れた柔らかな毛をなぞり、その下にある自分の男根をそこから解放した。
弾かれるようにして顔を出した、びくびくと脈打つそれが花形の眼下に晒され、飛雄馬は羞恥のあまり頬に一筋、涙を伝わらせる。
「いつもより大きいね。興奮してる?」
臍の下で涎を垂らし、戦慄くそれを花形が指で弾くと飛雄馬はびくん!とそのまま達してしまう。
「あ……ぁっ、っ」
「…………フフッ」
股下へと入れられた花形の膝、そのユニフォームの上に飛雄馬は射精した白濁を飛ばし、虚ろな目を瞬かせる。と、射精したばかりの男根を花形は握り、それを擦りつつ、この責任をどう取ってもらおうかなと飛雄馬の耳元で囁いた。
「せ、っ……き、にん……?」
「ユニフォームを汚した責任さ」
「元はと言えば、花形さっ……」
足の間から膝を抜かれ、飛雄馬はそのまま床へと滑り落ち、尻餅を着く。
花形に支えられ、壁に背を預けていたために気付いていなかったが、とうに腰は砕けており、膝が震えている。
えっ──と、まさかの事態に驚き、目を見開く飛雄馬だったが、膝を折り、身を屈めた花形の姿が目の前にはあって、両足からユニフォームとスライディングパンツ一式を引き剥がされるが早いか、彼の体の両脇に左右それぞれの足を抱えられていた。
逃げようにも体に力が入らない。
それどころか、背中が触れる床が冷たく、心地よいと感じる始末で──飛雄馬は花形が穿くユニフォームのズボンを留めるベルトを緩めていることに気付くと、彼へ縋るような視線を向けた。
馬鹿な、こんなこと、花形さんが、こんなところで──。
飛雄馬は花形の顔から、その胸、その腹へと目線を下げる。
そして飛雄馬は、花形がユニフォームの中から取り出したそれ、を目の当たりにし、彼が本気であることを知る。
誰も助けには来ない。
しかして、誰を呪うでもない、罵るとすればこんなところで花形さんに体を許してしまった自分を──。
「っ、く……」
尻に触れた花形の熱に飛雄馬は我に返り、ただただこの厄災が通り過ぎてくれるのを待つ。
腹の中をその形に作り変えつつ、ゆっくりと中を犯す存在に飛雄馬は奥歯を強く噛み締める。
「痛い?」
「…………」
花形から浴びせられた問いに飛雄馬は答えず、目元を腕で覆う。
痛くはない、それどころか──。
飛雄馬はふと、脳裏によぎった言葉を飲み込み、自分の体の上に差す花形の影に唇を引き結ぶ。
「慣れてきたね。すんなり飲み込んでくれる」
「っ──!」
「そう、締め付けないでくれたまえ」
フフ、と花形の笑みが腹の奥を変に疼かせ、飛雄馬は彼から逃れるために身をよじる。
「……ぁ、!」
「逃げないでほしいね、飛雄馬くん。馴染む前に動くと辛いのはきみだ」
取った距離をその分、詰められ、飛雄馬はより深く腹の中へと入り込む花形に体を反らした。
飛雄馬の左右に開いた足の下へと花形はそれぞれの膝を滑り込ませ、腰を押し付けるようにして根元まですべてを腹の中へと埋める。
いつもとは違う、コンクリートで四面を固められた球場の廊下。
なんと背徳的で、なんと穢らわしいことだろう。
ベッドの上なんて場所は、そもそも、おれたちの関係には不釣り合いだ。
薄汚れた、冷たく暗く淀んだ場所が似合いだろう。
飛雄馬は腹の中を満たす熱と存在に戦慄いた。
花形は、ふ、と小さく笑みを溢すと、ゆっくり腰を動かす。
「うっ……うごくな、ぁっ」
今までじっと押し黙っていた飛雄馬が初めて口を開く。
「動かないといつまで経っても終わらんとぼくは思うが」
「まだ、腹……っ、っ」
腰を引き、花形は飛雄馬の浅いところを探る。
すると、やや萎えつつあった飛雄馬の男根が再び首をもたげ始め、鈴口から先走りを溢した。
「体は正直だね、飛雄馬くん。いくのが怖いのかい」
「…………」
「まただんまりと来た」
花形が膝裏に手を遣り、膝を腹へと押し付けるようにして足を押し開いて来たために飛雄馬はより深く奥へと到達した圧に呻く。
「う、ぁ、あ…………!」
「楽しみは長い方がいい。フフ、次いつきみが体を許してくれるかわからないからね」
「──っ、う」
前立腺の位置をぐりぐりと掻き乱して、花形はそこを突き上げたかと思えば今度はわざと浅い箇所を撫でてくる。
飛雄馬はようやく届きかけた絶頂が遠退き、ビクッ!と体を大きく震わせると、目元を隠す腕をずらし、涙に濡れた瞳を縋るように花形へと向けた。
「何か言いたいことがあるのなら言いたまえ」
「…………」
飛雄馬は少しでも早く、この地獄から逃れようと腰の位置をずらす。
しかしてそれは、花形を煽る結果にしかならず、却ってこの惨劇を長引かせることとなった。
黒いアンダーシャツを捲り上げられ、日に当たることを知らぬ白い腹から胸までを廊下の薄暗い明かりの下に晒して飛雄馬は身をよじる。
この男はなぜ、おれを抱くのだろうか。
いや、なぜ、こうまでしておれの尊厳を踏みにじるのか。たった今、おれの球を打ったばかりじゃないか。
なぜ、の疑問も、浮かびかけたように思うその答えも花形さんに嬲られる腹の中から、全身に走る痺れがすべて打ち消してしまう。
「いっ………っ、!」
ビクッ!と飛雄馬は背を反らし、絶頂を迎える。
頭の先から、爪先までゆるく電気が走ったようになり、頭が真っ白になって飛雄馬は目元を覆う腕、その手に拳を握った。
と、その腕を何やら跳ね除けるものがあって、飛雄馬がハッ、とそちらに顔を向けると、突然呼吸を奪われ、指を絡めてきた手に爪を立てる。
すると、腹の中の存在がドクドクと脈動する感触があって、飛雄馬は息つく暇もないままに与えられる口付けに応えながら自分もまた、軽く達した。
「ふ……っ、」
それから、どろっ、と腹の中に出された白濁を掻き出しつつ離れていく花形に飛雄馬は顔をしかめ、ようやく両足を冷たい床へと下ろした。
これは夢だ、悪い夢だ。
そう思い込まなければ、おれは二度とねえちゃんに会えない。
飛雄馬はプルタブの上げられた缶が目の前に差し出されたことに気付き、一瞬、それを跳ね除けようかとも思ったが、無言のままに受け取ると飲み口に口を付けた。
「立てるかい」
先に身支度を終えた花形が手を差し出す。
「あっちに行ってくれ!」
飛雄馬は叫び、缶を床へと置くと辺りに散乱するユニフォーム一式を手で手繰り寄せる。
「……明日も出るのかね」
「っ、そんなこと……あなたに、っ……花形さんは、おれにこんなことをして、試合に出させないつもりなのか?いくらなんでも……」
「そう、思っていればいい」
花形は足元に落ちていた巨人の帽子を拾い上げ、音もなく立ち上がると、飛雄馬にそれを差し出した。
「触らないでくれ!」
花形の手から帽子をひったくり、飛雄馬は手にした野球帽に顔を埋めると、声を殺し、肩を震わせる。
しばらく、花形がそこに立っていたか気配を感じていたが、その内に歩き始めたかスパイクの音が次第に遠ざかっていくのを飛雄馬は聞く。
花形さんは、平然と、何食わぬ顔をしてこれからねえちゃんに会うのだろうか。
おれはいい、おれの体のことなんてどうでも……心配なのはねえちゃんだ。
花形さんを再び、球界に引きずり込んだおれをねえちゃんは恨んでいるだろうか。
果たしてこれはその罰なんだろうか。
飛雄馬は誰もいない薄暗い廊下でひとり、ぬるくなってしまった缶の中身を啜ると、落ち着いたところでようやく身支度を整えてから宿舎に帰るべくコンクリート製の廊下にスパイクの音を響かせた。