依存
依存 「もう電気を消すぞ」
「ま、待て、星」
「まだ何かやり残したことがあるのか」
飛雄馬は竿縁天井から吊り下げられた照明器具の明かりを消すべく立ち上がると、つい先程、ここで寝ていいかと寝室を訪ねてきた伴にそう、尋ねる。
彼が部屋を訪れたと言うのも、ひとりで眠るのは心細いからと言う間の抜けた話だったが、飛雄馬は二つ返事で伴を室内へと招き入れた。
ここまでは良かったのだが、伴は部屋に入るなりやれ親父がうるさいだの会議が長引いて厄介だのと寝る前にしては重い話を振って寄越し、飛雄馬としても内心辟易しての消灯の申し出だった。
「おやすみのチュ──あ!」
また伴の悪ふざけか、と飛雄馬は目を閉じ、唇を尖らせた顔をこちらに向けてくる彼を一瞥したものの、特に反応も返さず、照明器具から下がる紐を引いた。
一瞬にして部屋は闇に包まれ、飛雄馬はおやすみと言うなり早々と畳に敷かれた布団へと潜り込む。
「まったく。せっかく一緒に住んどるのに冷たいわい。星は」
「住むところがないのなら家に来いと言ってくれたのは伴だろう。今更そんなことを言って脅迫するのか。おれはこれまで通りドヤ暮らしでも一向に構わんが」
「き、脅迫とはひどいのう……うう。わしがそんなことするわけなかろう」
大きな体をしゅん、と縮こまらせ、肩を落とす伴が何だかんだ言いつつも愛おしく思え、そこに寝食の恩に加え、サンダーさんの件もあるやらで飛雄馬は、ち、チューだけだぞ、と口にするだけでも鳥肌が立ちそうな単語を呟くと、目を閉じる。
「い、いいのか」
「気が変わらんうちに早くしてくれ」
「お、おう……」
ゴクン、と伴が喉を鳴らしたらしき音が耳に入り、飛雄馬は自分もまた、口内にうっすらと溜まった唾液を飲み込む。
すると、両肩をそれぞれに強く掴まれる感触があって、飛雄馬は一瞬、息を止める。
伴はそれを受け、飛雄馬の口にちょっぴり尖らせた唇を押し当ててからそっと肩を掴む手の力を緩め、布団に横になる、と言うのがいつものお約束であった。
しかして今宵に限って伴は、目の前にある閉じた唇に濡れた舌を這わせると無理やりにそこをこじ開けようとし、小さく呻き声を上げた飛雄馬をそのまま布団の上へと押し倒したのだ。
「な、っ、伴、約束が違う……っ、」
ふいに頬から耳にかけて添えられた大きな手に身じろいだ唇に文字通り食らいつかれ、飛雄馬は口周りを伴の唾液でべとべとに汚されつつ、彼の口付けを受けることになった。
それこそ食むような、ねっとりとした舌使いで口の中を舐め回され、飛雄馬は耳をくすぐる指先に高い声を上げる。
「っふ……ぅ、う」
ここに来てようやく唇を解放され、飛雄馬は肺を満たす新鮮な酸素のせいかぼんやりと痛む頭に顔をしかめ、虚ろに開いた目を伴へと向けた。
「ちょいと悪ふざけが過ぎたようじゃわい」
「…………」
飛雄馬はしばらく、涙に潤む瞳を伴に向けていたが、眉間に皺を刻むと、自分に跨る男の顔を睨みつける。
「そんな顔しとる星は全然怖くないのう」
言うと、伴は再び組み敷く彼の唇を啄み、飛雄馬のはだけた寝間着代わりの浴衣、その帯の下の合わせから中に差し入れた手で汗に濡れる腿を撫でた。
「う……」
ぞくり、と飛雄馬の伴に触れられた肌が粟立ち、そこに熱が宿る。
「なあ、いいじゃろう。星よう」
「い、っ……嫌だと、言っても続ける気だろう、お前は」
「無理矢理は嫌だしのう」
「ほとんど、無理矢理じゃないか……」
下着の上から下腹部を撫でられ、飛雄馬は背を反らすと、口元に手を遣った。
伴の手の中で、下着の中のものもゆっくりと膨らんでいくのがわかる。
飛雄馬は流されつつある自分を律するため、はたまた伴のやる気を削ぐため、やめろ!と珍しく大きな声を出すと、肘を使いそのまま大きな体の下から這い出た。
「…………」
「いつもいつもこの調子で、お前は人の迷惑を考えたことがないのか?確かに伴には感謝してもしきれんほどの恩がある。けれど、夜中にこう何度も何度も訪ねてこられるのは正直迷惑だ」
「……そ、それに関してはその、すまん。じゃが、そのう、うう……」
「今日という今日は何を言われてもしないからな」
飛雄馬は乱れた浴衣を正すと布団の上に正座し、しゅんと肩を落とす伴を睨む。
でかい図体を縮こまらせ、申し訳なさそうにしながらもちらちらとこちらに視線を遣ってくる様は滑稽でもあり、不憫にも思えるのだが、飛雄馬は敢えてここで伴を突き放すこととした。
「き、機嫌を直してほしい。も、もう、しないから」
「別に怒ってなどいない。伴も早いところ寝るんだな」
「う、うむ……」
伴が乗っていた布団の中に飛雄馬は潜り込み、彼にも入るように勧める。
布団に入ると一悶着あったせいか、やたらに静寂が耳につくような気がした。
火照った肌も、大人しくしていると次第に熱が引いてくる。
飛雄馬は目を閉じ眠る体制に入ったが、弱々しく名を呼ぶ者があり、なんだ?と隣に眠る彼に視線を投げた。
「こういうことを言うと、星に怒られると思うが、そのう……ちょっと目を離すと星がまたどこかに行ってしまうんじゃなかろうかと気が気でなくてのう。まさかいくらなんでもそんなことはないとわかっていても、出来る限り近くにいないと怖いんじゃ」
「……心配性だな、相変わらず」
「そりゃ五年も音信不通じゃったんじゃから心配性にもなるわい」
ふん、と伴は鼻を鳴らし、飛雄馬に背を向けるように寝返りを打った。
「どうしたら伴を安心させられる?お前も今は親父さんの会社の重役だろう。それが無断欠勤ばかりで会議にも顔を出さんとなると示しがつかんだろうに」
ありがたいことではあるが、と付け加え、飛雄馬は体を起こすと伴の返事を待つ。
「う、う〜む、急に言われるとわからんのう」
「ゆっくり考えたらいいさ。おれも考えておく」
飛雄馬はふふ、と口元に笑みを携え、再び布団に横になると伴の背中に寄り添うように身を寄せた。
「…………!」
伴の体が硬直したのがわかって、飛雄馬は微笑むと目を閉じる。
伴を拒絶しているわけではない、しかし、それではお互いのためにならんのだ。
あの若かった日々とは違う、伴は野球から離れ、今や立派な肩書のついた会社役員となり、おれは無謀にも長島さんが率いる巨人に返り咲こうとしている。
互いに慰めあった日々もある、若さゆえの勢いに身を任せたこともある。
けれど、もう分別のつく年齢のはずだ。
「ひ、ひどいぞい。わしを拒んでおいてそれは鬼の所業じゃい」
「……おやすみ」
「…………」
飛雄馬は心地よい、変に肌に馴染む体温を感じつつ再び眠るために目を閉じる。
すると伴が寝返りを打ったか、もぞもぞと布団が動いて触れていた体が離れた。
「伴?」
「これくらいは許してくれい!」
何事かと声を上げた飛雄馬を、伴は引き寄せるや否やその体を強く抱き締める。
伴の胸にぎゅうっと顔を埋める形になって、飛雄馬はやや微睡みつつあったが、完全に覚醒してしまった。
ドキドキと妙に拍の多い伴の鼓動が伝わり、飛雄馬は目を細める。
やはり、伴の腕の中は落ち着く。
彼を拒絶しておいて、こんなことを思うなど自分勝手も甚だしいが、おれはこの腕が、この匂いが、このぬくもりが好きなのだ。
この存在があったから、おれは魔球を産み出すことが出来たのだから。
体の奥がじわりと熱を持ち、飛雄馬は身震いすると伴を呼ぶ。
「嫌じゃと言われても離さんからな!」
「いや、そうじゃない……ふふ、まあ、いい。おやすみ」
「?」
飛雄馬は胸いっぱいに密着する肌の匂いを吸い込むと、次第に落ち着きつつある伴の鼓動に耳を澄ませ、眠るために呼吸を整える。
次、伴が部屋を訪ねてきたらその時は素直に身を委ねることにしよう、と飛雄馬は結局、この存在が必要不可欠でありこのぬくもりに依存しきっているのはおれの方なのだな、と苦笑しながらも、あたたかな腕の中で夢の世界へと旅立った。