悪戯
悪戯 この日、飛雄馬は昼食後、自室に篭もりベッドに寝転がったまま野球雑誌に目を通していた。
ナイターの練習が始まるまで少し時間があるために腹ごなしも兼ねての休息だったが、いつの間にかベッドに突っ伏し寝入ってしまっていたようで、寮長の、「星!電話だぞ!」の声に慌てて体を跳ね起こした。
すると、星!と再び、ほとんど怒鳴り声に近い声量で名を呼ばれ、飛雄馬は返事もそこそこに部屋を出る。
と、電話の前に立っていた寮長に頭を下げてから受話器を受け取るや否や相手を確かめもせずに、「お待たせしました、星ですが」と送話口に向かって名を名乗った。
しかして受話口からは何も聞こえては来ず、あまりに待たせるので痺れを切らし、相手が電話を切ったか?と飛雄馬は一度受話器を耳から離して首を傾げてから、再び、もしもしとやる。
『…………』
「?」
やはり無言。
電話が切れているわけではなさそうで、例の無機質な発信音は聞こえてこない。
イタズラか?と送話口を手で押さえ、寮長に誰からの電話でしたか?と尋ねようとした刹那、受話口からは『もしもし』とどこか聞き覚えのある声がして、飛雄馬は受話器を握る指に力を込めた。
「花形さん?」
『フフ、ご名答。しかし、すんなり電話に出たということは寮長に誰からの電話か聞かなかったのだろうね』
「…………」
花形にズバリ言い当てられ、飛雄馬は口を噤む。
花形からの電話だとあらかじめ分かっていれば、取り次ぎを頼まなかったというのに。
昼食後にうつらうつらと寝入ってしまったのがすべての元凶である。
『なに、きみも夜はナイターで忙しかろう。急にかけて悪かったね』
「あ、いや、その、用件は……花形さんがわざわざ電話をかけてくるなんて、親父やねえちゃんの身に何かあったのか?」
用件も告げず、電話を切ろうとする花形に飛雄馬は慌てて訊き返し、その返答を待った。
電話に出てしまったからにはその用件を聞かなければ寝覚めが悪い。
我ながら現金だとは思うが、飛雄馬は花形の言葉を一言一句聞き漏らすまいと目を閉じ、電話の向こうの彼の第一声を待ち詫びる。
『飛雄馬くんの声を聞きたかったと言ったら、きみは怒るかい?』
「……………!」
飛雄馬は目を開け、まるで幽霊でも見たかのような顔をして耳から離した受話器を見つめる。
『フッ、フフフッ……それでは飛雄馬くん、ナイターはテレビ中継で楽しませてもらうよ』
花形にはここから自宅までだいぶ距離があるというのに、飛雄馬が浮かべている表情までも手に取るように分かるとでも言うのだろうか。
クスクス、と愉快そうに笑う声を飛雄馬は受話器を電話器に叩きつけるようにして置くことで遮断し、何事かと顔を出した寮長に震える声で、「何でもありません」とだけ返した。
「星にしては珍しい。物に当たるとは」
「……すみません。義兄に変なことを言われたものでつい」
飛雄馬は額に浮いた汗を手で拭いながら、謝罪の言葉を口にすると、「義理の兄弟になったとは言え相変わらずだなあ」の声に苦笑いで返し、自室へと引き返す。
あの趣味の悪い自宅で笑っている顔が目に浮かぶようだ、と飛雄馬は怒りで全身を火照らせながら廊下を行き、ふと立ち止まった部屋の前である考えに行き当たる。
もしかして花形は今から試合に臨まんとするおれの緊張を解してくれたのではないか──?
それとも、試合でヘマをしたおれを笑いものにしようとでも言うのだろうか?
彼に限ってそんなことはあるまい、と思いながらも、そのまさかの可能性に苦笑しながら飛雄馬は間もなく始まる練習に参加するために着ていた部屋着を脱ぐと、タンスの中からアンダーウェアを取り出し、それに袖を通すのだった。