命がけの捕球
命がけの捕球 ベッドの端に座り、飛雄馬は項垂れ伴の帰りを待つ。
巨人軍有する森正捕手の体調が悪く飛雄馬と共に巨人の二軍にて練習に励んでいた伴に一軍へのベンチ入りの通達があったのが昨日のこと。
飛雄馬の千本投球を受け、真っ赤に腫れ上がった手では球がろくに掴めぬとパンヤを抜いた手袋と言っても過言ではない薄い革のみのミットで伴は一軍の試合を乗り切った。そうしてあろうことか伴は薄いミットが捕球の際軽い音を立てるのを逆手に取り、飛雄馬の球にはスピードがないと宣って、より一層強い球を投げさせ、その手を倍に腫らし本日の試合に出た。
その事実を飛雄馬が知ったのは、練習中に投球に付き合ってくれた捕手をその体ごと弾き飛ばし、地面に這いつくばらせた際であった。
慌てふためき多摩川練習場のベンチ際のテレビのスイッチを入れ、巨人―阪神戦を鑑賞してみれば、伴は右手一本で球を見事に打ち据えたばかりか、試合後のインタビューで〝星よ、また明日から一緒に練習をしよう!〟と嬉しそうに言ってのけたのだ。

廊下を誰かが通る足音がする度に飛雄馬は伴だろうか、と顔を上げるが、部屋の扉を開けることなく行き過ぎるのでまたもや頭を垂れる。すると、廊下をドスドスと音を立てやってくる聞きなれた足音が耳に入ったために飛雄馬は再び顔を上げ、部屋と廊下を繋ぐ扉を見遣った。
「星ぃ!」
「伴!」
部屋に飛び込み、バタンと後ろ手に戸を閉めてから伴は満面の笑みで飛雄馬へと走り寄る。飛雄馬もまた腰を上げ両手を広げやって来る彼の胸へと飛び込んだ。
「伴!!お前ってやつは……お前というやつは!」
「見てくれたか星ぃ!あの花形をきりきり舞いさせてやったぞう!!ざまあみろじゃい!」
豪傑笑いをし、今日の活躍を誇る伴の胸に顔を寄せ、飛雄馬はボロボロと涙をその頬に幾重にも滴らせる。
「星、何を泣いとるんじゃあ。どこか痛むか」
「違う。違うんだ伴……手をバットが握れぬほどに真っ赤に腫らして、嘘までついておれに投げさせたお前の優しさに泣けた」
「……なんじゃい、そんなことか。これくらいどうってことないわい」
「伴……伴、お前は、本当に」
「……星」
震える飛雄馬の肩を伴は抱いてやり、その髪に顔を寄せた。
「……っ、伴!すぐ手を冷やせ。こんなことをしている場合じゃない」
我に返り、己を抱く腕を振り解こうとする飛雄馬だったが、それをさせまいと伴の腕に力が篭る。
「もう少しくらいええじゃろう。まったくここ二日はろくに星と一緒におられんで寂しかったぞい」
「……それはおれだっ、う!」
唇を尖らせ、口付けを迫る伴を躱して飛雄馬は、「手の手当てが先だ!」と眉間に皺を寄せた。
「むぅ、冷たいのう。今日の巨人、阪神戦で逆転勝利を決めた男に対してそれはないじゃろう」
「と、とりあえず手当てをしてからでもいいだろう。おれは逃げやしない」
「ほう、言うたな星。しかと聞いたぞ今の言葉」
「……」
失言だった、と歯噛みする飛雄馬だったが伴はまたしてもあの豪傑笑いをひとつしてから、「嘘じゃあ!」と真っ赤に腫れた手で彼の背を叩いた。
「いっ!いてえ!」
「ほら見ろ、言わんこっちゃない。医務室に行けば氷くらい……」
大袈裟に痛がる伴に狼狽え飛雄馬は廊下へ出るべく扉のそばに歩み寄ったが、伴は彼自身に充てがわれているベッドに腰掛けるとスパイクを脱ぎ、星、と呼んだ。
「…………」
飛雄馬はしばらくその場に立ちすくみ、伴をじっと見ていたが、彼の座るベッドに向かうと、そこに膝を乗せてにじり寄った。
「星よ、地獄の底までついていくと言ったのはこのおれじゃ……お前が気に負うことはないぞう」
「伴……」
膝立ちの飛雄馬の体をぎゅうと抱き、伴は彼の胸へと顔を埋める。
「これで星の一軍復帰までもう少しじゃあ……ふふ、花形のやつう、お前がいないもんで力が入らず間抜けに三振なんぞしおったぞ」
「花形さんが?」
「あの気取り屋の花形がじゃあ。よっぽど星とやりたいらしいのう」
「……フフ、それは是非拝見したかったな」
「星」
伴は飛雄馬の胸に埋めていた顔を上げ、瞼を閉じると顎を上ずらせた。飛雄馬も少し膝を曲げて体を屈めると彼の唇にそっと己のそれを寄せる。
と、伴が口を開いたために飛雄馬は身を引く。名残惜しそうに伴は抱く彼を仰ぎ、物欲しげな視線を送ってきたが飛雄馬は顔を振ってその誘いを振り払う。
「とにかく、手が先だぞ伴。捕手の立場からしても打者の立場からしても大事なのは手だろう」
「こっちが先じゃあ」
伴は言うなり、飛雄馬の体を抱き締めたまま後ろに倒れ込んだ。どーんとベッドが揺れて、スプリングが馬鹿に跳ねる。飛雄馬は伴の体の上に乗っかる形となった。
「伴!よせ」
飛雄馬が言うのも聞かず、伴は彼の尻を右掌で撫であげる。布越しではあるが伴の手の、指の感覚がゾワゾワと肌を滑る。
「っあ、っ……よせ、っ」
ぴくんと身を跳ねさせ、飛雄馬は身をよじるがその背を伴の左腕が抱いており、距離を取ることもままならない。
尻と足の付け根を指先が撫でたかと思うと、尻たぶ全体を掌がそろそろとさする。布越しゆえかもどかしいようなくすぐったいような感覚が飛雄馬の肌を粟立たせ、熱の篭った声を上げさせた。
すると、伴の穿くユニフォームの臍下がやにわに膨らんでその辺りにある飛雄馬の膝に触れる。
「……!」
「手なんぞ後回しじゃい」
「ば、っ……使い物にならなくなるぞ」
身を震わせ、この期に及んでまだそんなことを言う飛雄馬の体を伴は右手で上にずり上げると彼の唇へと口付けた。逃げようともがく飛雄馬の首を抱いて伴は彼の口内へ舌を入れ込んだ。
「っあ、ふ……む、ぅ」
伴は舌を絡ませ、ちゅるっと音を立て飛雄馬の下唇を吸い上げる。
「あ、っン、んっ」
「伴!帰っとるか!伴!」
はっ!と二人は扉の向こうから伴を呼ぶ二軍の中尾監督の声に顔を上げ、慌てて体を離す。その刹那、監督が扉を開け部屋の中へと入ってきた。間一髪、気付かれずに済んだようで、飛雄馬はほうっと息を吐き、伴はばつが悪そうにへらりと笑んだ。
「星に会うより手が先だろうが。まったく……早く来い!」
手招いて監督は一足先に部屋を出て行く。伴はちらと隣に座る飛雄馬を見遣ってからベッドから腰を上げると監督の後を追って扉の向こうへと消えた。
飛雄馬は肩の力をそこでやっと抜いて、どっと後ろに倒れ込む。
伴のやつ、優しいのはいいが自分のことを考えなさすぎるな、と飛雄馬は己の左腕を天井向け伸ばし、拳を握る。
右手一本でもあれだけの快打を放った伴は、果たしてこうして手を真っ赤に腫れ上がらせつつもおれの捕手を務めるだけでいいのだろうか。
もっと、別の道が――
飛雄馬はそこまで考えつつ、目を閉じる。明日からまた伴を相手に練習を頑張らなくちゃ、とニコニコと笑みを浮かべ嬉しそうに自分の投げた球を取る伴の笑顔を思い浮かべながら飛雄馬は横たわるベッドの持ち主の残り香を感じつつゆっくりと意識を手放していった。