一夜
一夜 取引先の社長からこの度、新しく観光地にホテルを建てたので是非利用してくれまいか、と言う話が花形に舞い込んできたのがつい数日前のことである。
出来るなら夫婦揃って、という要望であったが、明子も明子で何やら外せない用事があり家を空けられず、白羽の矢が立った人物というのが星飛雄馬だった。
ホテルを建てた社長も今をときめく巨人の星飛雄馬が泊まりに来てくれると言うなら大歓迎と言うことで、花形とふたり、飛雄馬は海沿いの観光地に建てられたばかりの観光客向けのホテルに出向くことと相成った。
自分の知らぬ間に勝手に話が進んでおり、気が進まぬ飛雄馬だったが姉の明子にどうしてもと頭を下げられ、他ならぬねえちゃんの頼みならと飛雄馬もホテルへの宿泊を承諾したのである。
住めば都とはよく言ったもので、出来たばかりの新しいホテルの部屋は使い勝手も良く、文句なしと言いたいところであったが、広い窓から外界を見下ろせば青い海と白い砂浜が辺り一面に広がっており、飛雄馬はふと、その大きな黒い瞳を細めた。
「海は嫌いかね」
サービスですと日がまだ高いうちからホテルマンが寄越してきたワインの栓を開け、中身をグラスに注ぎながら花形が尋ねる。
ハッ、と飛雄馬はその声にやや俯けていた顔を上げ、いや、そんなことはないと笑顔を作った。
「……フフ、無理に付き合わせておきながらせっかく来たのだから楽しみたまえ、と、口にするのもおかしな話だが、少し外を散歩でもしてきたらいい。野球漬けであまり旅行などをしたこともなかろう」
「花形さんは行かないのか?ひとりで行ってもこういったのは楽しくないだろう」
「…………」
その言葉にワインを口に運びかけた花形の動きがピタリと止まる。
飛雄馬は何か自分が変なことを言っただろうかと身構えたが、花形がクスッと笑みを溢してからワインに口を付けたもので、ホッと胸を撫で下ろした。
「まさかきみからそんな言葉をかけてもらえるとは思わなかったよ、飛雄馬くん。お誘いいただけたのは嬉しいが、ぼくはワインを開けてしまった。楽しんできたまえ」
「……少し、外を歩いてきます」
グラスを手にこちらを見つめる花形から視線を外し、飛雄馬は彼の座る椅子のそばを通り過ぎる。
広い部屋にこれまた大きなベッドがふたつ。
部屋にも風呂はあるが、温泉施設も併設されているようで、海水浴を楽しんだあとはそこで体を温め食事をすることもできる、というのがホテルの呼び込み文句だった。
無論、今は海水浴の季節ではないため、海で泳いでいる客はいないが、浜辺を歩く人の姿はちらほらと見受けられる。
ホテルなどと言う代物は球団の遠征でしか使用したことのない飛雄馬はこの豪華な部屋の造りに些か緊張していた。
キャンプ用に借りるホテルとてきらびやかで貧乏育ちの飛雄馬には目にするものすべて驚きの連続であったが、ここはそれ以上に豪勢で宿泊している人々の姿も相当の融資家であろうことが伺える身なりをしている。
長島監督から背番号3を受け継ぎ、巨人でエース投手として活躍する飛雄馬にサインを求めてくる客にもホテルの外に出るまでに何度か出くわしたが、その上品な佇まいや身につけているものの高級さからこちらが恐縮してしまうくらいであった。
飛雄馬はホテルの外に出て、帽子をかぶってくればよかったかな、と砂浜に反射する陽の光の眩しさにほんの少し後悔の念を抱きながらも白い砂浜の上を打ち寄せる波の音を聞きつつ特に当てもなく歩き出す。
海に来ると、どうしても彼女を思い出してしまう、と飛雄馬は遠い九州の地に眠る、互いに愛を語らった女性・日高美奈に思いを馳せる。
彼女が生きていたら今頃、いや、考えまい。
そんなことを考えて何になると言うのだ。
今はただ、この束の間の安らぎのひとときを享受していればいい。
夏になったら、きっと大勢の家族連れや恋人たちで溢れ返るであろう、広い海岸。
ホテルの経営も花形さんの会社と提携したことで更に大きく成長していくことだろう。
花形さんも、伴もそれぞれの道でそれぞれに成功を収めている。
一度はうちで働いてみないかとありがたいことにふたりに誘われたこともあったが、自分が生きる道はそこではないと自負している。
「飛雄馬くん」
ふいに名を呼ばれ、飛雄馬はハッと我に返る。
弾かれたように背後を仰ぎ見れば花形がそこには立っており、にこやかな笑みを浮かべていた。
「来たんですか」
「きみのことだろうから、ひとりにしておくとまた何か考え込んでしまうんじゃないだろうかと思ってね」
「ふ、ふふ……嫌だな、花形さんには何もかもお見通しみたいだ。あなたとは左腕の現役時代にもろくに話をしたこともないのに」
「なぁに、わざわざ言葉を交わさずとも見ていればわかるさ、飛雄馬くんのことは」
「……そんなに、わかりやすいですか?」
ふっ、と飛雄馬は口元に笑みを浮かべ、やや自分より背の高い花形を見上げる。
「伊達に10数年もの間、きみの姿だけを追ってはいないさ」
「え?」
「フフ、そろそろホテルに戻って食事にしようじゃないか」
言うなり、花形は背を向け、前を歩き始める。
飛雄馬は花形の口にした言葉の意味をしばらく考えたが、やはりこの人の考えることは自分にはよくわからんな、とそれ以上考え込むのをやめ、打ち寄せる波の音に耳を傾けながら到着したホテルの中へと入った。
ホテルの1階にあるレストランへと向かう花形の後を追い、飛雄馬も会場の中へと入る。
話しかけてきたウエイターに花形は己の名を告げ、案内された席へとふたりはそれぞれ向かい合わせに座った。
飲み物はと尋ねてきたウエイターに花形は何やら横文字の長ったらしい名前を耳打ちし、飛雄馬はオレンジジュースをと彼に告げる。
昼食としては少し遅めの時間のため、はたまた本格的な観光シーズンでもないためにレストランの客の姿はまばらで、あまりこういうところに慣れていない飛雄馬もそう気兼ねすることなくこの場にいることができた。
「最悪な気分だろうね、飛雄馬くんからしてみれば。ぼくとふたりっきりでホテルに宿泊だなんて」
「い、いや、そんなことは……花形さんこそ、男ふたりでこんなところ……次はぜひねえちゃんと……」
最悪、とまではいかないが、何を話していいかわからん男とふたりでどうしたものか、と思っていたところにそんな台詞を投げかけられ、飛雄馬は変に動揺した。
「…………きみとこうして話ができて嬉しいよ」
ふいに花形が運ばれてきた料理に口をつけていた飛雄馬に対し、そんな言葉を口にする。
どう見ても満腹には程遠いであろう高級そうな上品にほんの少しだけ盛り付けられた料理に悪戦苦闘していた飛雄馬は、再び、え?と訊き返した。
「ゆっくり食べたまえ。急ぎはしない」
そう言われても、と飛雄馬は目の前でナイフとフォークを使い優雅に食事をする花形を見つめつつ、とんだところに来てしまった気がするな、と今更ながらそんなことを思った。
やっとのことで食事を終え、飛雄馬はホテルの部屋へと戻ると広いベッドに腰を下ろし、大きく溜息を吐く。
足りないだろうと思っていた料理の量だったが、食べ終わってみれば程良い腹具合で飛雄馬は妙に感心してしまった。
「夜は和食にしようじゃないか。お世辞にもきみのテーブルマナーは良いとは言えないからね」
「う…………」
くっくっと花形は喉を鳴らし、飛雄馬は頬を赤く染める。
「冗談さ、飛雄馬くん。あれは完全にぼくのミスだ。もっときみにも食べやすいものを頼むべきだった。嫌な思いをさせてしまったね」
「いや、そんなことは……花形さんが、謝ることでは」
「…………」
ベッドに座り、目を泳がせる飛雄馬のそばに歩み寄ると、顎に親指と人差し指をかけ、花形はその顔をついと上向かせた。
「あっ……?なん、ですか。急に」
尋ねた飛雄馬の唇に花形の親指の腹が触れる。
びくん、と飛雄馬の体はまさかのことに驚き、跳ね上がり、目を大きく見開いた。
花形は微かに口を開いて、顔をやや傾けつつ飛雄馬に唇を寄せる。
「っ……!」
そっと唇を触れ合わせてから花形はニッ、といつもの彼らしい笑みを浮かべると、飛雄馬から距離を取った。
何が起きたか分からず目を瞬かせる飛雄馬に対し、花形は至って余裕ありげに着ていたスーツのジャケットを脱ぐと、壁にかけられていたハンガーにそれを羽織らせる。
「…………」
あまりの驚きに二の句が告げない飛雄馬とは対照的に花形は続け様にベストを脱ぎ、ネクタイを緩め、徐々に衣服を脱いでいく。
「飛雄馬くんも脱ぐといい。部屋にいるときくらい楽な格好をしたまえ」
「今のは、どういう、つもりで……っ」
「どう、とは?きみは口付けの意味くらいは知っていよう」
まったく悪びれる様子もなく言ってのけた花形に飛雄馬の顔は耳まで赤く染まった。
「それくらいっ、知っている……だからこそ、なぜ」
「なぜ?知っていると言った口でなぜ、と問うのかい」
「っ、あなたは、ねえちゃんの」
「ねえちゃんの、と、来たか。ふふ、それはつまり、飛雄馬くんもぼくのことは満更でもない、と」
「花形さんはそんなことを考えているのか?いつも」
飛雄馬は震える声で花形に問いかける。
これは裏切りだろう、と。
あなたのことを信頼して宿泊を承諾した自分と、ねえちゃんを花形さんは、裏切ったんだ。
「…………」
花形は何も言わず、飛雄馬は口付けを受けた唇を手の甲で拭い、ねえちゃんには言いませんから、とこの期に及んで目の前の彼を擁護する。
「言ってくれても、ぼくは一向に構わんのだが……」
囁き、花形は飛雄馬の頬めがけ手を差し伸べた。
と、飛雄馬はその手を払い除けようと左手を挙げた──花形はその手首を握るとそのままベッドの上に彼の体をいとも容易く組み敷く。
背中から倒れ込んだベッド、その頭上に左手は固定されており、飛雄馬は瞬きさえも忘れ、花形の姿を両の瞳に映した。
「……っ、」
「油断大敵、と言ったところかな。飛雄馬くん」
「何が、っ、望みだ、花形さんは」
動かそうとした左手はびくともせず、花形の力の強さを飛雄馬に知らせる。
「…………」
花形は答えず、先程と同じように薄く開いた唇を寄せ、飛雄馬に口付けを迫った。
「ま、待った!花形さ、っ……ん」
自由の効く右手で静止をかけた飛雄馬だが、その手をも花形に握られ、万事休すであった。
熱を孕んだ柔らかな唇が音を立て、飛雄馬のそこに触れる。
閉じ合わせた飛雄馬の唇の境目を花形の舌がそろりとなぞった。
「は、うっ……」
体を戦慄かせ、声を上げた飛雄馬の口内に花形は何のためらいも見せず舌を滑り込ませた。
花形は飛雄馬の舌に自分のそれを絡ませたかと思うと、今度は舌先で彼の上顎を撫でる。
「あ、ぁッ」
喘ぎながらも飛雄馬は顔を振り、花形の口付けから逃れると目を開け、微かに涙の滲んだ瞳を自分を組み敷く男へと向けた。
「最初から……この、つもりで」
「…………」
飛雄馬の手首を握る手の力をより強めつつ、花形は彼の首筋へと顔を埋める。
薄い肌に唇の跡を刻み、そこに舌を這わせていく。
「ん、んっ……」
触れられた箇所からじわじわと甘い痺れが全身に走り、飛雄馬の体の奥が熱く火照ってくる。
と、花形はいきなり、なんの前触れもなく飛雄馬の首筋へと歯を立てた。
ふいに与えられた痛みにあっ!と声を上げ、飛雄馬は身をよじった。
噛まれた箇所が変に熱を持ち、どくどくと脈を打つ。
「花形さん……っ、」
眉根を寄せ、飛雄馬は潤んだ目で花形を見上げつつ切なげな声でその名を呼んだ。
「そんな顔をしないでくれよ飛雄馬くん。冗談じゃ済まなくなるじゃないか」
言って、花形は飛雄馬の手首を掴んでいた手を緩めると、おもむろに組み敷く彼の下腹部にその手を滑らせる。
「ひ、っ…………」
飛雄馬の臍下は僅かに膨らみかけており、花形はにやりとその顔に笑みを浮かべた。
「こんな、ことっ、ねえちゃんに知れたら」
「まだそんなことを考える余裕があるのかね」
低い声で囁くと、花形はがばっと飛雄馬の着ている長袖のシャツの裾を握り、それをまくり上げる。
「!」
程よく鍛え上げられた白い腹が晒され、飛雄馬はかあっと頬を染めた。
すると、そこにばかり気を取られていた飛雄馬に再び花形は口付けを与え、舌を出してと小さな声で囁く。
「ふ……っ、う……」
指示通り、口を開けた飛雄馬が差し出した舌に花形は自分のそれを絡ませ、緩く唇で吸い上げた。
花形は飛雄馬の口内を犯しつつ、彼の穿くスラックスのベルトを緩めにかかる。
「あ、ん、んっ………」
声を上げた弾みで唇が外れ、飛雄馬は赤く染まった顔を自由になった腕で覆った。
と、ベルトを緩め、スラックスの前をはだけた花形はそこに手を差し入れ、下着の上から飛雄馬の男根を撫でさする。
「ん、う、うっ……」
「ふ、ふ……」
花形は意地悪く笑みを浮かべると、飛雄馬の下着の中に手を滑らせた。
びくっ!と一際大きく飛雄馬は体を跳ねさせ、強く奥歯を噛み締める。
鈴口から先走りを垂らし、固く立ち上がっている男根を花形は下着の中から解放してやると、それを上下にゆっくりと擦り立て始めた。
「あっ!あ、っ、ひ………ん、ん」
花形が手を動かすたびに先走りがとろとろと溢れ、男根そのものと彼の手を濡らしていく。
親指の腹で裏筋をすりすりとなぞり、粘膜の露出している亀頭を花形は重点的に嬲った。
「う、あ………あっ」
「ここをこうされるのが、きみは好きなようだ」
離して、だめだ、と吐息混じりに花形にやめるよう嘆願するも、彼はその手を止めることなく、飛雄馬を絶頂へと誘う。
「いっ、く………いくっ、花形っ、」
「思う存分、出したまえ、飛雄馬くん」
「っ!」
びゅくっ、と飛雄馬の鈴口から白濁がほとばしり、受け留めた花形の指を濡らす。
どく、どくと脈動することを繰り返し、飛雄馬が精液をすべて吐き出したのも束の間、花形は再びそこをしごき始めた。
あまりの刺激の強さに飛雄馬の腰が引ける。
より敏感になった亀頭をくちゅくちゅとやられ、飛雄馬ははしたなく声を上げた。
「気持ちいいかね、飛雄馬くん」
「きもち、よくなんか……ぁっ」
「ふふ……腰が震えている。嘘はよくない」
「あ、っ、あ………」
ちゅっ、と飛雄馬の唇を啄み、花形は、いく、いくとうわ言のように繰り返す彼に遠慮することはないと囁いてやってから、そこをしごくスピードをほんの少し速めた。
「やめ、ぇ、っ……」
びくっ!と飛雄馬は体を跳ねさせ、そこから数回、体をがくがくと震わせる。
「…………」
一度、花形は体液に濡れた手を拭ってから、絶頂の余韻に戦慄く飛雄馬のスラックスと下着とをはぎ取ってやり、左右に開かせ、膝を立たせた足の間に自身の身を置いた。
ハッ、と飛雄馬はそこでやっと目元を覆っていた腕を離し、花形を仰ぎ見る。
「なに、心配することはない……痛くはしないさ」
言うと花形は自身の穿くスラックスのポケットから何やら容器を取り出すと、蓋を開け中身を取り出す。
「まだ、っ、なにか……」
「ここからが本番じゃないか……」
夕日が窓から差し込み、飛雄馬と花形を赤く染める。
花形は飛雄馬の立たせた膝と膝の中心、今から自分を飲み込ませようというその入り口へと先程容器の中から掬い取ったものを塗り付ける。
「あ、っ……っ、」
躊躇なく花形は飛雄馬の腹の中に指を挿入させ、奥を探る。
散々に嬲られ、興奮しきった体は花形を受け入れ、その指から与えられる刺激に再び酔いしれた。
「…………」
花形は十分にそこを慣らしてから、一度膝立ちになるとベルトを緩め、スラックスの前をはだける。
そうして取り出した男根を解した飛雄馬の尻に当てがい、腰を押し進めた。
「は………っ、」
指で丹念に解されたそこは花形を容易く受け入れ、それどころか飛雄馬は無意識のうちに自分の腰をも揺り動かす。
その仕草に花形はハッと目を見開き、にやっと口角を上げ、微笑むと、一息に最後まで腰を突き入れた。
「あ、────っ!」
最奥を不意打ちに近い形で穿たれ、飛雄馬は軽く達する。花形のいる、腹の奥が疼き、下腹部が熱くなった。
と、花形は一度腰を引いてから、再び奥へと腰を叩き込む。
「ひ、っ……っ、花形、っ、ゆっくり」
「ゆっくりでは物足らんだろう、ふふ……自分から腰を使うくらい気持ちいいんじゃないか」
花形の言葉にかあっと飛雄馬の顔が再び赤くなる。
飛雄馬は体を密着させてきた花形の背中に腕を回し、そこに爪を立てる。
中を執拗に抉ってくる、こちらの体のことなどまったく考えてなどくれないその激しい腰遣いでさえ、今は気が狂いそうな程に気持ちが良かった。
「あっ、あ、あっ」
花形の体重のかかる下半身が自分のものではないような感覚に陥って、飛雄馬は与えられた口付けに素直に答える。
花形の反り返った男根は腹の中を抉って、快楽を叩き込んでくる。
「っ、ん……」
ぎしぎしとベッドを軋ませ、花形は飛雄馬の体を揺さぶる。
「飛雄馬くん、出すよ……」
射精を予告する花形の熱っぽい声を聞きつつ、飛雄馬は体を弓なりに反らしながら、再び訪れた絶頂に身を預けた。

再び、飛雄馬が目を開け飛び起きた頃には、既に夜もとっぷりと更けており、部屋の中は真っ暗になってしまっていた。
「あ……!?」
なんて夢を見ていたのか……?と飛雄馬がぼんやりとした頭を押さえつつ、辺りを見回すと、目が覚めたかね、という声がふいに耳に入った。
「ルームサービスでも頼むかね。腹が減っただろう」
「…………」
次第に暗闇に目が慣れてきた飛雄馬は部屋の中、そこに備えてあった椅子に座る花形の姿を見つける。
「フフ、そんな顔をするなよ飛雄馬くん。きみだって楽しんだだろうに」
頭が重く、上手い具合に言葉が出てこない。
飛雄馬は体を起こすと、水をくれないか、と一言、言葉を発した。
「水でいいのかね。ご所望なら酒だってジュースだって持って来させることも可能だが」
「気遣いはありがたいが、水だけで結構だ」
「…………」
花形はひとり、晩酌でもしていたかグラスの中に何やら固いものをひとつ、ふたつ入れたのちにこれまたルームサービスとやらで持って来させたのであろう、瓶の中身をその中に注いだ。
花形が立ち上がったか、椅子が軋み、こちらに歩み寄る足音が飛雄馬の耳には入る。
差し出されたグラスがカラン、と鳴って、手にしたガラス製の容器はひどく冷えていた。
先程、花形がグラスに入れた固い何か、と言うのは氷の塊だったようで、飛雄馬は冷えた水を一息に喉を鳴らし、飲み干した。
やっと、ここに来て一息つけたようで、飛雄馬はふう、と大きく息を吐いた。
「汗をかいたろう、シャワーを浴びてきたまえ」
「ずっと、起きていたんですか」
「……ふふ、飛雄馬くんの寝顔を肴に飲んでいた、と言うときみは怒るだろうね。なに、きみより少し前に起きたのさ」
「……汗を、流してきます」
言って、飛雄馬はベッドから立ち上がると、暗い部屋の中を手探り状態で浴室へと向かう。
温泉施設は別にあるものの、この部屋にはシャワー室も備えてあるようで、花形は既に汗を流したか、使用済みらしきタオルが脱衣所にはきちんと畳んで置いてあった。
飛雄馬は脱衣所を過ぎ、浴室へと入ると、シャワーの湯を頭からかぶった。
すると、ずきっ、と何やら首筋に鈍い痛みが走って、何事か、と飛雄馬は痛むそこに手を遣る。
血こそ滲んではいなかったが、じくじくとした痛みがそこから全身に走って、ああ、これは、さっき花形に噛まれたものだな、と飛雄馬はそこで合点がいったか、歯の食い込んだ跡、ひとつひとつを辿るように指で撫でさすった。
花形は何を思って、こんな痕を残したのか。
さっきの行為だって、一体何のために。
飛雄馬は軽く髪や体を洗うと、浴室から出て、脱衣所で水気をタオルで拭き取る。
着替えは用意してきたから、とりあえず汗がひいてからでも身につければいいか、と飛雄馬はバスローブを羽織って、脱衣所を後にした。
「早かったじゃないか」
「…………いい、部屋ですね、ここは」
髪をフェイスタオルで拭いつつ飛雄馬は自分のベッドの足元の端へと座る。
「ふふ、なんせ1番上等な部屋だ。部屋の造りもサービスだって他の部屋とは違うさ」
笑みつつ、花形は氷を浮かべたグラスに口をつける。
飲むかい?と尋ねられたが、飛雄馬はいい、と首を横に振り、それを断った。
「飲めないわけでは、ないだろう。たまにはどうだね」
「……洋酒は、口に合わん。いや、日本の酒なら良いと言うわけでもないが、とにかく、気持ちだけいただいておく」
「残念だ。きみといつか酒を酌み交わすことがぼくの夢だったというのに」
「…………あなたは、変わりましたね、花形さん。今までの、いや、おれの知る花形さんはそんな軽い人ではなかった」
花形は再びグラスに口をつけ、中身を少量、口に含んだ。
「きみが、ぼくの何を知っていると言うのだね。きみが知る花形満は偽りのそれで、今こうしてきみの前にいるぼくこそが真実の姿だとは考えないのか?」
「…………今の、あなたが本当の花形さん、と?」
どういう、意味だ?と飛雄馬が考えている間に、花形はいつの間にか立ち上がり、ふたりの距離を詰めている。
「きみといつか酒を酌み交わしたかったという言葉に嘘はないさ。ぼくはきみを尊敬していたし、現に今もそうだ。背番号3を背負うきみは何よりも美しい」
「……………」
尊敬、だと?
何を、急にこの人は言い出すのか、と飛雄馬は目の前の花形を瞬きもせず見据える。
酒に酔ったにしてはたちが悪すぎる。
「飛雄馬くん」
呼びつつ、花形は飛雄馬の左の頬を指先で撫でたかと思うと、彼の髪を掻き上げるようにして耳の上を滑らせた手はそのまま後頭部に添えられた。
「あ………」
花形は間髪入れず、顔をほんの少し傾けると飛雄馬に口付けを与える。
反射的に飛雄馬は目を閉じ、触れた熱い唇にびく、と素直に反応を返した。
「ほら、さっき教えただろう……口を開けて」
「っ、…………む、」
恐る恐る開いた唇から舌を差し入れられ、飛雄馬はひいた汗が再び肌の上にぱっと散った感覚を覚える。
逃げる舌を花形は追い、何度も何度も飛雄馬に角度を変えるようにして口付けていく。
後頭部を支えられているために身動きもろくに取れず、飛雄馬はただ、為すがままに花形に口の中を嬲られ続ける。
「う、っ…………ふ、ぅっ」
とろり、と飛雄馬の唇の端を唾液が滑り、花形は彼の上唇を優しく啄む。
飛雄馬の頭の芯はこれだけで既に痺れ、シャワーで火照った体は更に熱く疼いた。
「おやおや、フフッ。抵抗しないところを見ると、ずいぶん、よかったようだね」
ちゅっ、と花形は唇に軽く口付けてやってから、飛雄馬が端に座るベッドの真ん中に乗り上げ、じゃあ、今度はきみにお願いしようかな、とそんな挑発的な台詞を口にした。
「…………!」
「なぁに、飛雄馬くんなら、できるだろう。ぼくだけ楽しむのはよくない」
「だれが、っ、そんな……」
「ふぅん。それは残念だ。ぼくは飛雄馬くんのことを思って言ったつもりが、そんな風に言われるとはね」
ベッドの上に仰向けに寝転がり、花形は自分に背を向ける飛雄馬を再び呼んだ。
その甘い声がじぃん、と腹の中に響く。
さっき散々に嬲られた場所が更に刺激を欲しているようで、飛雄馬はごくん、と喉を鳴らす。
馬鹿な、冷静になれ、と警鐘を鳴らす自分がいる反面で、さっきのあの行為に再び身を委ねてしまいたい、と思う自分がいる。
噛まれた首筋が体温が上がったせいか痛み始める。
「……………」
飛雄馬は腰の辺りで結んだローブの紐を解くと、ゆるりと白いタオル地のバスローブを脱ぎ捨て、ベッドに乗り上げる。
ああ、違う。こんなのは違う。
なぜ、この人は、こんなにもおれを操る術を持つ。
花形は既に自分の男根を露出しており、飛雄馬は彼の枕元で鈍く光る橙の明かりを頼りに腰の位置へと身を寄せる。
そうして、彼の体の上に跨ると、膝立ちのままそそり立つ怒張の上に狙いを定め、腰を下ろしていく。
「そのままでは辛かろう。これで解したまえ」
言って、花形は握っていた掌より少し小さな容器を飛雄馬へと差し出す。
「…………」
既に蓋の開いていたそこから中身を掬い、飛雄馬は自分の尻へとそれを塗布すると、締まった入り口に股の間から指を飲み込ませる。
んっ、と鼻がかった声が上がり、飛雄馬は身震いした。
「ゆっくりで構わんよ。きみの体に無理があってはよくないからね」
クスクス、と花形は笑みを湛え、自分の上で飛雄馬が腰をくねらせる様子を見据える。
と、その言葉がひどく癇に障って、飛雄馬は慣らしも程々に花形の男根に手を添えるとそこに腰を落としていく。
「は、っ………ふ、ぅ……」
腹の中を花形が突き進んでくる感覚に飛雄馬は体を戦慄かせ、良い場所に当たるよう腰を動かす。
「く……」
熱く柔らかな粘膜が飛雄馬のタイミングで自身を包み、締め上げるために我慢が利かず、花形は眉間に皺を寄せる。
飛雄馬は時間をかけ、ゆっくりと花形を腹の中に取り込み、彼の腹の上に尻を乗せると、小さくくぐもった声を上げた。
少し、こなれるまでこのままでいようと思った飛雄馬の意に反するように花形は腰を動かし、腹の中を擦り上げる。
「っあ、あ」
びくびくっ、と飛雄馬の花形を飲み込んでいる場所から脳天へと電流が走った。
「きみの好きに動きたまえ……どこがいいか、自分のことはきみ自身が一番よく、わかるだろう」
飛雄馬は額に汗を滲ませ、花形の腹に両手をつくと、腰を前後に揺り動かす。
花形の固い男根は飛雄馬の腹の中を抉って、ちりちりとした快感の信号を全身へと送ってくる。
けれども、さっきのそれとは到底比べ物になりはしない。呼吸さえ止まりそうなほどの、あれとは。
「…………」
花形は飛雄馬の腰に手を添えると、下から軽く腰を使い彼の体を突き上げてやる。
「あ、ひ、っ…………」
「きみは一度打者を目指した身だろう。そんな腰遣いでよく返り咲こうと思ったものだ」
「ちが、ぁ……っ、こんなの、ちがっ…………」
飛雄馬の目の前には閃光が走り、花形が突き上げる箇所に全ての意識が集中する。
花形の男根を飛雄馬はきつく締め上げ、更なる快楽を貪ろうと花形の突き上げに合わせ腰を振った。
「人を当てにしすぎるのはよくない……フフッ、野球はひとりでするものではない。それは投手のきみが一番、よくわかっていることだろう」
「いっ、腰、やめて……やめろ、ぉ、」
ぐちゅ、ぐちゅと潤滑剤代わりに使った花形の整髪料らしきクリームが摩擦により溶け、混ざり合い音を立てる。
花形はやっとのことで自分の体を支え、膝立ちの格好で立っている飛雄馬を己の胸の上に倒れ込ませると、その体を抱き締めつつ、自分もまた膝を立て、 一際強く抱く体を突き上げ始めた。
「ああ、っ、ん…………花形っ、花形」
「…………」
全身にびっしょりと汗をかき、名を呼ぶ飛雄馬の唇にそっと自分のそれを触れ合わせてから、花形は彼の腹の中にて精を放つ。
「あ、ああっ……!」
花形の熱い欲を体内に撒かれ、飛雄馬もまた、彼の体の上に跨ったまま絶頂に身を任せた。
そうして、再び、飛雄馬が目を覚ましたときには夜はすっかり明けており、窓から差し込む日光はやたらと部屋の中を明るく照らしている。
「…………」
「急ぐことはない。チェックアウトまではまだだいぶ時間がある」
既に身支度を整え、いつもの三揃いのスーツに身を包み、髪も綺麗に整えていた花形が優しく声をかけてきた。
「花形さんは、先に帰っていてくれ…………おれはもう少し、ここにいさせてもらう。構わんだろう」
「…………そうしたまえ。ホテルにはぼくから伝えておこう。ゆっくり休むといい。何か食べたいのなら代金はぼくにつけておいてくれ」
ベッドの上で飛雄馬は目元を腕で覆ったまま、頷く。
「ぼくのわがままに付き合ってくれて感謝するよ」
言葉のあとに何やらぎしっ、とベッドの頭の位置が軋んで、何事かと顔を覆う腕を外した飛雄馬の額に花形は口付けを落とすと、無言のまま部屋を出て行った。
「…………」
一体、どこからどこまでがあの人の本当の姿なのか、おれにはまったく見当もつかない。
けれど、花形の掌にあった真新しいあのバットだこが一体何を意味するのか。
あの人は、何をしようとしているのか。
飛雄馬は窓に背を向けるように寝返りをうつと、何やら背筋に冷たいものを感じ、と小さく身を震わせると、ずきん、と首筋に走った鈍い痛みに眉根を寄せたのだった。