翻弄
翻弄 お電話が入っております、と外出先から花形コンツェルンの自社ビルへと戻ってきた花形満は、専属秘書から一枚のメモ紙を渡される。
間もなく、終業時刻を迎え、今日は久しぶりに早くに帰宅できそうで、妻の──明子の手料理で晩餐を摂るつもりだったが、どうやらそうもいかなくなったようだな、と花形はメモ紙を受け取りつつ、礼を言うと文字の羅列を目で追う。
会社に戻るのが遅くなったせいとは言え、面倒なことになった。
いっそ見なかったことにして、明日に回してしまおうか──そんな良からぬことを考えつつ、花形はメモ紙に書かれた一文に、ハッ!と息を呑み、秘書にこの電話があったのは何時頃かね?と尋ねた。
「つい三時間ほどになります。専務は外出先からいつお戻りになるかわかりませんし、もしかするとそのままご自宅に帰られるかも知れませんとお伝えしましたが、それでもいい、とだけ……」
「わかった、ありがとう。きみも早く帰りたまえ」
「ハ、ハイ」
秘書は素直に頷いてから、お先に失礼しますと言うなり専務室を出て行く。
彼女の廊下を行く足音を聞きながら、花形はもう一度メモ紙に目を通すと、それを手でバラバラに引き千切る。誰の目にも触れぬように、誰にも気付かれぬように──。
そうして、花形はいつになく足速に自社ビルを後にすると、愛車の運転席に飛び乗り、その足でメモ紙に書かれていたとあるホテルの一室を訪ねる。
秘書は電話の主については語らなかったし、花形も尋ねもしなかった。
しかして花形には、このホテルの一室を指定するに至った電話の主に心当たりがある。
ゆえに、等々力の自宅に戻ろうともせず、一直線にこの部屋に出向いた。
それだけの価値が、この部屋にはあるのだ。
一度、深呼吸をしてから花形は部屋の扉を叩く。
柄にもなく、緊張しているらしい。
「……どうぞ」
向こうから声が掛かって、花形は握ったドアノブを回す。と、やはり中にいたのは先日別れたばかりの彼──で、花形は興奮に肌の表面を粟立たせ、体温がじわりと上昇したことに笑みを浮かべる。
「まさか、連絡をくれるとはね」
「…………」
「理由は詮索しない。何か考えがあってのことだろう」
室内に体を滑り込ませ、後ろ手に扉を閉めつつ花形は逸る気持ちからかやたらと饒舌に言葉を紡ぐ。
むろん、尋ねたいことや言いたいことはそれこそ山のようにあるが、ここでそれを尋ねるのは野暮と言うもの。ただ、彼がどういう風の吹き回しからかぼくに連絡をくれたという事実を、享受すればいいだけのこと。
すると、既に部屋の中にいた彼──星飛雄馬は、何を思ってか突然、身に纏っているシャツを脱ぎ捨て、その場に放り投げた。
「…………?」
らしくないことをする、と花形は眉をひそめ、気を落ち着かせるためにもジャケットのポケットから取り出した煙草の一本を口に咥え、マッチを擦る。
「今日は無理矢理抱こうとはしないんだな」
「それが望みかい。見くびられたものだね。この花形が他でもないきみからそんな扱いを受けようとは」
「…………」
ひとまず、座らせてもらうよと花形は部屋の中ほどまで歩を進めてから、灰皿の置かれたテーブル、その近くにあった椅子に腰を下ろす。
煙草の紫煙のみがゆらゆらと立ち昇り、互いに会話はない。
「何か、あったのかね。話くらいなら聞こう。ぼくでよければ、だが」
「ふふ、なに、あんたが気にするようなことじゃない。少し、誰かと話をしたかっただけさ」
「あんた、ね。またそれだ。他人行儀なのはよしてくれまいか」
「他人行儀も何も、おれと花形さんは他人だろう。かつてはライバルだったこともあるが、今となっては……」
ふ、と飛雄馬はサングラスを掛けていない瞳を細め、口元に笑みを携える。
果たして、その笑みにはどんな意味を持つのか。
もう野球から退いた身でライバルと言うのも妙であろう、とでも言いたいのだろうか。
花形は服を着たまえ、と飛雄馬の脱ぎ捨てたシャツを拾ってやり、それを彼に手渡す。
「ずいぶん、変わったな。花形さん」
「変わった?フフ、またずいぶんと失礼なことを言ってくれるな、飛雄馬くん。ぼくはいつも紳士のつもりだがね」
煙草の灰を灰皿へと指で弾き落とし、花形はここの代金はぼくが持つ、とだけ続ける。
「日雇いの金がある。呼んだのはこちらだ花形さん。そこまで世話になるつもりはない」
「なに、きみが気を遣う必要はない。お言葉に甘えてくれたまえ」
「……ねえちゃんが待っているだろう。急に呼びつけてすまなかったな」
妙にしおらしいな、と花形は咥えた煙草の先から昇る紫煙に目を細め、腕のことかい?とズバリ、尋ねた。
「…………」
図星か、と肺まで巡らせた煙を口から吐きつつ、花形はフフ、と口元に笑みを浮かべる。
「腕が思い通りにならず自棄を起こした。酒を煽るようになったのも、このことがすべての原因とは言わんが、外れてもいないだろう」
「…………」
飛雄馬が自分の左腕をぎゅっと押さえるのを横目に捉えつつ、花形は短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
「ぼくがきみのどこに惹かれたか。一途で、一生懸命で、いつもぼくの予想や期待をいい意味で裏切ってくれる。きみはこの花形を心身ともに成長させてくれた。そんな星飛雄馬がぼくは好きだった。けれど、今のきみには幻滅だ。いくら腕が思い通りにいかなくなったとは言え、自棄になってぼくに自ら抱かれようとするなんてね」
「だから、もういい、すまなかったと言っているじゃないか。忘れてくれ」
ふい、と飛雄馬が視線を逸らし、左腕を押さえる指に力を込めたか、皮膚の表面に指先が食い込むのを花形は見た。
「とは言え、きみがぼくに弱味を見せてくれるとは思ってもみなかった。きみが頼るのはいつも伴くんだったし、まあ、あの頃はそんな間柄でもなかったがね」
フフフ、と花形は笑みを溢し、足を組み替えると、二本目の煙草を口に携える。
「伴に迷惑はかけたくない。それに今更、どんな顔をして会えと言うんだ」
「…………」
「っ……花形さん、呼んでおいて悪いが帰ってくれ。もう、二度と会うこともないだろう。おれのことは忘れてほしい」
「忘れられたら、どんなにいいだろうね。きみのことを」
一度は口に咥えた煙草を離し、花形は席を立つと飛雄馬の許に歩み寄るなり、その両腕をそれぞれ掴む。
「…………!」
花形はその大きな瞳を驚愕のあまり、更に大きく見開いている飛雄馬に顔を寄せると、その唇にそっと自分のそれを押し当てる。
ギク!と一瞬、飛雄馬が体を強張らせたか体が大きく跳ねたが、彼もまたすぐに目を閉じ、花形に身を委ねた。
ふと、重ねた唇を離せば、飛雄馬が薄く唇を開いてきたために花形は再びそこに吸い付くと、今度は舌を滑らせる。辿々しく絡められる舌に、花形は自分の体温が急速に上がるのを感じながら飛雄馬の左手を取ると、己の股間へとその手を添わせた。
「っ……!」
ビク、と飛雄馬は閉じていた目を開けると、掌に触れた感触に慄いたか体を震わせる。
「きみが仕掛けたことだろう。なぜそんなに驚く」
「……まさか、っ、こんな、こと、は」
「触ったくらいで驚いてどうするのかね。これからもっと過激なことを、きみはぼくとするつもりなんだろう」
「う………」
「ここを開けて、直に触って」
「な、っ……!」
耳元でそう、花形が囁いてやると飛雄馬は目に見えて動揺し、顔に汗の滴を滴らせた。
「ここに来て怖気づいたかい」
「…………」
花形がそう、煽るや否や飛雄馬は手を添えているスラックスのファスナーをゆっくりと下ろしていく。
そうして、スラックスの中に挿入された震える指が、下着の上から花形の立ち上がったそれをそろそろと撫でた。
「このままでは下着が汚れてしまう。出来れば汚さず帰りたいのだが」
「く、っ……」
飛雄馬は下着の上から刺激を与えるのを中断し、ほんの少し上にある、下着の腹に留まるゴムの位置から手を中に差し入れ、直に花形のそれに触れる。
「目を逸らさず、よく見たまえよ。自分が何をしようとしていたか自覚したまえ」
「ふ……っ、っ」
ぬるっ、と掌に触れる濡れた感触に飛雄馬は全身を総毛立たせる。
そうでなくとも、指に引っかかる窪んだ箇所と、張り出した箇所の段差に飛雄馬は身震いした。
「手が留守だよ飛雄馬くん。何を考えているのかな」
「あ……う、ぅっ」
頼りなく、そして探り探り己の下腹部を擦る指と手の感触に花形はニッ、と笑みを浮かべる。
「ここでするかね。それともベッドに行こうか」
「あ……っ」
ぼうっと虚ろな目を向ける飛雄馬の唇に花形はそっと口付けを与えてやってから、手を離してやると彼に背を向け、スラックスのベルトを緩めながらベッドへと向かった。
「おいで、飛雄馬くん。今更嫌とはきみも言うまい」
「…………」
ふらっ、とまるで引き寄せられるがごとく、こちらに歩み寄ってきた飛雄馬の腕を取り、花形はベッドの上、自分の体の下にその身を組み敷くと、何の前触れもなくその唇を貪る。
忘れろだなんて、きみはなんて酷なことを言うのだろうね。それが出来たらどんなにいいだろう。
明子を、きみの姉を前にしてぼくはいい夫であろうと努力したし、完璧に演じている自惚れも少なからずある。けれど、きみの、星飛雄馬の姿が、マウンドでぼくを見据えてきたあの瞳が忘れられんのだ。
もう二度と会えないと思っていたぼくの前に、きみは再び現れた。夢ではなく、実体を持って。
「っ……ふ、……はぁっ、」
蕩けた瞳を向けてくる飛雄馬の頬に手を添え、親指を口の中に滑り込ませる。
指の腹に熱い舌が触れて、花形はにやりと口角を上げた。歯並びのいい奥歯をなぞって、下唇に指に纏わせた唾液を塗りつけてやってから花形は飛雄馬の首筋に顔を寄せる。
う、と一声呻いて、飛雄馬が晒した喉に歯を立て、花形は左右に開かせた彼の足の間に身を置く。
声を抑えようと口元を覆う腕を跳ね除け、我慢しなくていいと囁けば、飛雄馬は我を忘れたがごとく声を上げた。
シャツの上からでも膨らんでいるのがわかる胸の突起に吸い付き、そこを尖らせた舌で舐め上げてやると飛雄馬は背中を反らし、身をよじる。
「ァ、あっ……!」
突起を甘噛みし、花形は飛雄馬のスラックスのベルトを緩めると、腰からそれらを剥ぎ取り、ベッドの下へと放り投げた。
飛雄馬に中途半端な刺激を与えられた花形自身のそれも、今にも達してしまいそうなほどに立ち上がり、興奮しきっている。
「申し訳ないが、ぼくも限界が近くてね。慣らしてあげる余裕がない」
飛雄馬の腰を引き寄せ、花形は自分の腰との位置を合わせると彼の中に強引に己を突き入れた。
「う……うっ!」
きゅう、と入り口が花形を締め上げ、中が緊張したようにうねる。
余裕が出来たか、閉じていた目を開けた飛雄馬と視線が絡み、花形はフッ、と笑みを浮かべた。
かつては、死闘を繰り広げたこともあるふたりが、今や義理の兄弟の関係になったぼくたちが、人知れず互いの熱に酔い痴れている。
気などとうに触れているのだ。
彼に、星飛雄馬に初めて会ったときから。
花形は引いた腰を、飛雄馬の尻へとぶつける。
すると、半ば抜けた花形のそれは腰を叩きつけたことにより、飛雄馬の腹の中を擦り上げ、更に奥を穿つ。
「あ、っ、!」
花形の背に縋って、飛雄馬は眉間に皺を寄せる。
飛雄馬の両足を抱え、花形は腰を結合部へと押し付けるようにしてぐりぐりと彼の腹の中を掻き回した。
「あっ……っ、花形っ、……!」
喘ぐ飛雄馬の唇に花形は口付け、唾液を口内に含ませる。飛雄馬はそれを拒むでもなく素直に飲み込み、花形の背に縋る指に力を込めた。
「一度、出すよ」
「…………ん、っ!」
どく、と飛雄馬の中に花形は欲を吐いたものの、今度は自分にしがみついている彼の体を引き剥がし、上体を起こしてから腰を振る。
「あ、ぅ、うっ、……っ」
違う箇所を擦るのか、飛雄馬の反応が変わったことに対し、花形は気持ちいい?と尋ねた。
飛雄馬は目を閉じたまま顔を横に振り、その手で顔を覆うと唇を引き結ぶ。
「…………」
花形の出した精液が腰を動かすたびに飛雄馬の中から掻き出され、結合部がぐちゅぐちゅと音を立てる。
「っ──〜〜!!」
「じゃあ、どうしてあげようか飛雄馬くん。上になるかい」
「い、ぃッ………っ、」
微かな吐息を漏らしつつ、飛雄馬は花形に突かれたまま体を痙攣させた。
「……フフッ、」
花形は腰を止め、小さく痙攣する飛雄馬のやや立ち上がっては腹の上に乗っている男根に手を添え、それの裏筋を指の腹でぬるぬると撫でる。
「ひ、ぃっ…………!」
とぷ、と飛雄馬の男根の先から先走りが溢れ、露を垂らした。
「目を逸らさないで飛雄馬くん。きみが始めたことだ」
「……──っ、」
ゆるゆると顔から腕を離した飛雄馬の唇に噛み付くような口付けを与え、花形は腰を振る。
身をよじっては逃れようとする飛雄馬の体を腰で押さえ込み、唇を塞いで、花形は二度目の射精を迎えた。
脈動が治まるのを待って飛雄馬から引き抜いた男根は自分の精液にべっとりと濡れている。
ひとまず、花形は自分の後処理を終えると、ベッドの上で薄い腹を呼吸のたびに上下させている飛雄馬の腹の上を拭いてやってから、ティッシュの箱を枕元に置いた。
「満足したかね」
「ふ……まだだと言ったらどうする。花形さん」
「…………」
体を起こし、こちらを睨む飛雄馬の瞳の奥に鈍く光るものを見、花形の体の奥がかあっ、と火照った。
ああ、そうだ、あの目だ。
あの輝きにぼくは、花形満は恐ろしいほどに魅入られた。
咥え、一旦は火を付けた煙草を灰皿で揉み消し、花形はベッドの上で乱れた衣服を正すこともせず佇む飛雄馬との距離を縮めると、その腕を取り、再び己の体の下に組み敷く。
そうして、間髪入れず唇を自分のそれで塞いで、汗ばんだ腿に手を這わせる。
開いた足の中心に、煽られ、首をもたげた自身のそれを押し当て、花形は飛雄馬の体を貫く。
ふっ、と飛雄馬の口元から微かに笑みにも似た吐息が漏れ出たような気がしたが、花形は気のせいだろう、とそう、気にも留めず、彼の体を犯した。
否、弄ばれていたのは、こちらの方だったかも知れん、と花形は、今になって思う。
目が覚めてみればとっくに翌日の始業時間を過ぎていたばかりか、確かに抱いたはずの彼の姿は忽然と消えていた。
会社に連絡して、明子にも一言詫びを入れなければ。
花形はベッドの上で乱れた髪を掻き上げ、煙草を咥えると、もう二度と会えぬことの叶わぬであろう彼の体温を思い出し、その未練がましさに苦笑してから煙草の先に火を点した。