微笑み
微笑み 「うっ!」
胸の防具に当たり、跳ね返った硬球がマスクを直撃し、伴はそのままふらふらと尻餅をつく。
「伴!ぼうっとするな!」
「す、すまねえ……」
頭を振り、目を数回瞬かせてから伴は近くに転がる硬球を掴むと、20m近く離れた位置にいる飛雄馬にそれを投げ返す。
「先日のはまぐれだったのか!」
「ま、待て!まだ構えとら──おぐっ!」
伴が捕球の体勢を取るより先に、飛雄馬はモーションを起こすと、左腕から球を放る。
しかし、彼の放つ球の速度、と言うのが曲者であり、それは目にも止まらぬ速さで捕手の許へと到達する。
この球を打てる打者などこの関東どころか、日本全国どこを探してもいないのではないかと思えるほどに、星飛雄馬の左腕が繰り出す投球は速い。
ゆえに、青雲高校野球部の正捕手でさえ彼の球を捕ることは不可能に近く、ひょんなことからこの柔道部上がりの伴宙太が野球部に転向し、飛雄馬の球を受けると言う大役を務めることになったまでは良かった。
が、それがどうも上手くいかないのだ。
まず、柔道と言う格闘技一筋、体ひとつで相手と組み合ってきた彼が、ごちゃごちゃとしたマスクや防具を付けるところからして手間取るし、そればかりかこれを付けると上手く動けんと泣き言を言ったかと思えば、そんなもんつけんでもこの伴宙太不死身じゃい!などと悠長なことを吐かす始末である。
子供の遊びではないのだ。
どうにかして、伴を一人前とは言わん。
半人前くらいには仕上げねば、と飛雄馬は心を鬼にして彼に球を放る。
いくら伴が分厚い防具を付けているとは言っても、飛雄馬の渾身の投球が胸に直撃すれば涙が滲むほどに痛むし、しばらく身動きが取れない。
けれども、伴自身も飛雄馬に一生ついていくと言ったからには必死であった。
その一生懸命さは飛雄馬にも伝わっているし、伴も自分のためを思ってのことだとは重々承知している。
伴は痛みに顔をしかめつつも、地面に転がった球を拾うと飛雄馬にそれを投げ返した。
「いくぞ!」
「よし!こい!」
伴のそのひたむきさ、一生懸命な姿に飛雄馬は泣きそうになりつつ投球する。
「もっと腰を落とせ!」
「お、おう!」
言われたとおりに、伴は重心を低くし、胸の前でキャッチャーミットをつけた左手を構えた。
と、次の瞬間、飛雄馬の放った球は吸い寄せられるように伴の掌に着地し、ピタリとその動きを止める。
「…………!」
「と、捕れた!やったぞ!星ぃ!」
「ばか!これで終わりじゃないんだぞ!」
キャッチャーマスクを額まで上げ、ぱあっと顔を輝かせた伴だったが、飛雄馬に窘められ、左手に収まったままの球を右手で投げ返す。
「ちっとくらい褒めてもいいじゃろに。犬でもボールを拾ったら褒められるぞい」
ぶつぶつと下げたマスクの下で伴はぼやきながらも、飛雄馬の言葉通りにその場に構える。
「余計なことを考えるなっ!」
「うぐっ!」
今度は鳩尾に球が突き刺さり、伴は腹を押さえたままその場にうずくまった。
今まで各々、練習をしていた野球部はおろか他の運動部の部員たちも飛雄馬と伴の気迫に言葉を失う。
しん、と辺りは静まり返り、飛雄馬は帽子を取ると、額の汗を拭った。
「伴!」
「まっ、まだまだ……こんなことでへこたれる伴宙太じゃないわい……」
「…………」
返ってきた球を飛雄馬が受け取ったところで、野球部部長の天野が集合!と号令をかけた。
飛雄馬はそこで初めて、未だうずくまったままの伴に駆け寄り、大丈夫か?と尋ねた。
「だっ、大丈夫じゃい。ふふふ……星よ、おまえ、野球のこととなると鬼のようじゃが、それ以外のことになるととたんに優しくなるのう」
「……!」
「ほら、行くぞい。天野先生が呼んどる」
「肩を貸そう。掴まれ、伴」
「いらんわい。かつては柔道で鳴らしたこの体、星のようなちびすけに支えられるなぞ臍が茶を沸かすぞい」
よろよろと伴は立ち上がり、待たせてすんませんと手を振りながら、野球部の皆が集まる天野の許へ歩み寄っていく。
飛雄馬はその背中をしばらく見つめていたが、ふと伴が構えていた地面に出来た赤黒い染みに目が留まり、ぐっと下唇を噛む。
「星、どうかしたか」
「今行きます!」
天野の声に、地面に出来た染みをスパイクで踏み消すと、飛雄馬は汗を拭くふりをして皆の許に駆け寄ってから、こちらに笑顔を向けてきた伴に対し、精一杯の微笑みを返した。