一言
一言 「さて、ラーメンでも食って帰るとするかのう」
「またラーメンか。飽きないな」
デーゲームのあと、そんな会話を繰り広げながら飛雄馬と伴のふたりは球場の選手通用口を出たのち、タクシーを捕まえようと辺りを見回していた。
すると、何やら出入口から少し離れたところに人が集まっているのが目に入り、飛雄馬と伴は顔を見合わせてから、その人だかりの中心にあるものの正体を確かめるべく群衆の方へと歩を進めた。
「おい、ありゃ花形じゃないか」
「花形さん?」
「ああ、星はちっこいから見えんのか」
ぷっ、と先に人々の輪の中心にいるものが何であるのか気付いた伴が吹き出し、飛雄馬をからかう。
「ちっこいは余計だぞ、伴。それにしても花形さんがあんなところで一体何を?」
「どうやら、出待ちをしちょったファンたちのサイン攻めに遭っとるようじゃわい。珍しいのう。花形がサインに応じるなんぞ」
「珍しいのか」
それは初耳だな、と飛雄馬が続け、伴の顔を見上げる。
「うむ、花形のやつ、試合が終わると出待ちのファンには見向きもせず、すぐ例のスポーツカーに飛び乗り寮に戻るっちゅう話じゃい。何でも、そのクールさがええとかで若い女子からの人気は高いとか何とか……おれも漫画雑誌のインタビュー記事を読んだだけじゃから詳しいことはよくわからんがのう」
「ふふ、花形さんらしいや。それにしても伴の話が本当ならどういう風の吹き回しだろう」
「さあ、おれには花形の考えなんぞわかりゃせんわい」
やれやれ、と首を振った伴が、人だかりの主がわかったところで帰るとするぞい、と続け、群衆に背を向けたたと同時に、星くん!と呼ぶ声があり、飛雄馬はギクッと肩を竦めた。
「げっ!花形のやつがこっちに駆け寄って来るぞい」
「…………」
「あ〜ん、花形さん、行かないでぇ」
「私まだサイン貰ってないのに〜」
「話が終わったら絶対戻ってきてくださいね」
女子の名残惜しげな声を背中に浴びつつ、飛雄馬は徐々に距離を詰めてきている花形の気配に身を固くする。
「すまない、じっと見るつもりはなかったんだが、つい気になってしまって」
そうして、花形が走り寄って来たのは、自分と伴が訝しげに彼の様子をしばらく眺めていたことに腹を立ててのことだろうと思い、彼の方へと向き直ってから口を開くと、直ぐさま謝罪の言葉を紡いだ。
「何について謝っているのかぼくにはさっぱりわからんが、こうして待っていたのも星くん、今日の試合について一言、きみに伝えたくてね」
「おれに?」
きょとん、と飛雄馬は呆け、再び、先程人だかりを見つけたときと同じように傍らに立つ伴と顔を見合わせ、首をひねる。
「しかしだ、まさか伴豪傑と共にお出ましとはぼくも考えが及ばなかったよ。伝えるのはまたの機会とさせてもらおう」
「…………」
「…………」
そうとだけ言い残し、その場に留まったままのファンたちにも構うことなく花形は駐車場に止めていたスポーツカーに飛び乗ると、車を颯爽と操り球場を出て行ってしまう。
ぽかんと場に残された飛雄馬や伴、ファンたちは呆気に取られたまま立ち尽くしていたが、ファンの数がひとり、ふたりと減るうちに我に返って、自分たちも帰ろうか、とどちらともなく切り出した。
「あ〜あ、もう少しで花形さんにサインがもらえそうだったのに」
「そうよそうよ、星選手が出てこなきゃ次は私の番だったのに」
ファンにちくちくと嫌味を言われ、飛雄馬は唇を引き結ぶと、足早に彼女たちから距離を取る。
「や、やかましいわい!こっちだって急に呼び止められて参っとるんじゃあ!言いたい放題ぬかすんじゃないぞい!」
「伴、よせよ。行こう」
ファンの一言に憤った伴が声を荒らげるのを飛雄馬は制し、球場のタクシー乗り場に一台止まっていた車の後部座席、その窓を拳で軽く叩いた。
運転手はノック音に反応し、ドアを開けてくれたため、飛雄馬はそのまま後部座席へと乗り込む。
続いて、追い付いたらしき伴もまた飛雄馬の隣へと滑り込んだ。それから、少し離れた場所にあるラーメン屋の名を運転手に告げた伴がぼやく。
「まったく、星は優しすぎるい。あんな生意気なのにはガツンと言ってじゃいいんだぞい」
「ふふ……すまないな」
「星と一緒だと損な役回りばかりさせられるわい。しかし──」
「しかし?」
「花形のやつ、何と星に言うつもりじゃったんかのう」
「さあ、何だろうな……」
軽く、流したものの、飛雄馬は車窓の向こうを眺め、花形の言葉を思い出す。ああして、おれが出てくるまで待っていたと言うことは、何か重大なことを伝えたかったのではないだろうか。
今回の試合は巨人が勝利を収めることができたが、明日の試合は果たして──。
「星、気にせんでええ。きさまは何も──明日の試合、普段通りの星でいくんじゃい」
「…………」
ぽつりと伴が呟き、飛雄馬はくす、と小さく微笑む。
「な、なんじゃ?おれ、何か妙なこと言うたか?」
「いや──伴には敵わないなと思ってさ」
「敵わない?」
眉尻を下げ、困惑げな表情を浮かべた伴が首を傾げたところで、ふたりを乗せたタクシーは指定のラーメン屋の前に到着し、飛雄馬は運転手に運賃を払うと車を降りる。
「さて、晩飯といくか」
「おう」
ラーメン屋の戸を開けた飛雄馬と、その後ろに続く伴にこちらに気付いた店主がいらっしゃい、とふたりを歓迎する言葉を紡ぎ、カウンター席に座るように勧めた。伴はラーメン大盛りと炒飯を頼み、飛雄馬はラーメンを注文する。
「それと餃子2人前とコーラをふたつ」
「よく食べるな」
「これでも腹八分で収めたつもりなんじゃが」
一体、どんな腹をしているんだ、伴のやつ。
飛雄馬は苦笑いを浮かべ、店主が出してきた瓶コーラの蓋を栓抜きで開けると、共に出されたグラスへと注ぐ。炭酸がぱちぱちと弾け、甘い香りがふわりと鼻をくすぐる。
「お疲れ様」
「今日も星のお陰で勝てたようなもんじゃい」
コーラを満たしたそれぞれのグラスをカチリと合わせ、ふたりは中身を飲み干す。
「冗談きついぜ、伴。他の先輩たちのフォローや活躍があってこその今日の勝ち星だ」
「ご謙遜。たまには素直に自分の実力を認めるのも大事ぞい」
「はい、こちらラーメン。それとこちらには大盛りラーメンね」
カウンター越しにラーメンの器がふたりの前に置かれる。ふたりは目の前にある箸立てから割箸を取ると、ふたつに割ってから湯気の立つ麺を啜る。
「はい、炒飯。餃子もすぐ出すからね」
あたたかい、と飛雄馬はスープのよく絡んだ麺を口に頬張り、ニコニコと笑みを浮かべながら隣で小皿に餃子のタレを注ぐ伴を横目で見遣る。
謙遜なんかじゃないさ、伴。おれが一軍のマウンドに立てるのだってきみのお陰さ。
花形の言葉は引っ掛かるが、それは明日になれば自ずとわかるであろうことで──。
今はただ、勝利の美酒酔う、じゃないが、勝利のラーメンに舌鼓を打たせてもらおうじゃないか。
飛雄馬はスープを啜ると、今はただ花形の言葉の真意など追求せず、隣に座る伴と共にラーメンを食べることに専念することとした。店内にふたりの他、客の姿はない。
だからこそ、この落ち着いた店の雰囲気と根掘り葉掘り尋ねては来ない店主の人柄が好きで、ふたりはこの店を馴染みとしている──うまいか?と訊く伴に頷き、飛雄馬は餃子をひとつ、箸で摘むとそのまま口へと放り込む。
ひと仕事終えた店主は広げた夕刊の紙面に集中しているらしい。この店の雰囲気が改めて好きだな、と飛雄馬は改めてそんなことを思った。