人だかり
人だかり ふと、伴と待ち合わせていた駅構内で人だかりができていることに気付いて、まだ約束の時間まで少しあるなと飛雄馬はそちらへおそるおそるではあるが歩み寄ってみることとした。
距離が縮まるにつれ、人だかりの中心にいる人物の全容が判明し、飛雄馬はなるほど花形さんが来ていたのか、と納得して、場を離れた。
すると、背を向けた刹那に、花形から星くんじゃないかと大声で呼びかけられ、飛雄馬はおっかなびっくり背後を振り返る。
まずいことになってしまったと飛雄馬は今更ながら自分の行いを後悔したが、起きてしまったことはどうしょうもない。こちらに来たまえよと言われるがままにこわごわ花形の方へ近寄った。
周りにいた花形ファンの女学生や阪神ファンらが浴びせてくる視線が全身に突き刺さる。針の筵とはまさしくこういう状況を指すのだろう。阪神ファンにとって宿敵とも言える巨人の選手が近くにいたのでは敵意を向けられるのも無理はない。
「…………」
「すまないがこのへんで失礼させてもらうよ。約束の時間に遅れては先方に悪いのでね。ほら星くん、行こうじゃないか」
差し出される帳面やペンには目もくれず、輪から外れようとする花形に背中を押され、飛雄馬は頭にいくつもの疑問符を浮かべたまま隣を歩く彼と共に駅構内でを行き交う人の波に紛れた。
「彼と待ち合わせかい」
隣を行く花形が尋ねる。
はあ、まあ、そんなところですと飛雄馬は返し、いいんですかと今度は逆に自分から質問を投げかけた。
「いい、とは?」
「サインをまだ書いていない人もいただろうに」
「フフ、星くんが来てくれて助かったよ。あのままでは本当に約束の時間に遅れてしまうところだった」
「約束、ですか」
「近くの整備工場に車の点検を頼んでいたんだが、タクシーで近くまで来たはいいものの、思っていたより道が空いていてね。時間を潰そうと駅構内に入った途端ご覧の有様さ」
やれやれと花形は首を振り、腕時計で時間を確認してから、それではまたと言うなり飛雄馬から離れた。
微笑み、手を挙げた花形になんだったんだろうと首を傾げつつも飛雄馬も同じく手を挙げ、駅を出ていった彼の背を見遣る。
そうして、花形の姿が見えなくなりつつあったのと同時に肩を叩かれ、飛雄馬はぎくりと身を強張らせたが、顔を覗かせたのが待ち人本人であるのに気付くとホッと胸を撫で下ろした。
「どうしたんじゃい。改札前におらんからしばらく探したぞい」
「ああ……」
花形さんに会ってな、と言いかけ、飛雄馬はここで彼の名を出すときっと伴は不機嫌になるだろうなと考え、ちょっとなと言葉を濁す。
父親同士が商売敵というのもあってか、伴はあまり花形さんのことを快く思ってはいないらしい。
確かに、取っ付きにくいところはあるが、そう悪い人ではないと飛雄馬は花形に対し感じるが、黙っておいた。
「よし、それなら無事落ち合えたところでラーメンでも食べにいくとするかのう」
「ふふ、今日はどこのラーメン屋に行こうか」
駅を出て、ふたり並んで街を歩く。
中華そばの気分じゃが、久しぶりに味噌もいいのうと伴はぶつぶつとひとりごとを呟きながら隣を歩いている。それならハシゴといくかと飛雄馬は微笑み、二杯目はもちろん伴の奢りでなと言うと走り出した。
「き、急になんじゃあ?」
慌てて伴も飛雄馬のあとを追うように駆け出したが、あっという間に置いていかれることとなる。
今日は練習もミーティングもない、完全な休日。
また明日から巨人の星を目指し、精進しなければと飛雄馬はよく晴れた青空を見上げ、そんなことを思う。
「ひいこら。星よう、はあ、ふう、いきなり走り出すなんてひどいぞい」
「休むと体がなまるぞ。ラーメン屋までランニングといこう」
「お、おれはパスじゃあ……ひぃ、私服で走ると体が重くて重くて……」
肩を上下させ息を切らす伴に苦笑して、飛雄馬は明日、また戦うこととなる先程会ったばかりの彼の顔を思い出し、ぎゅっと左の拳を強く握った。
雲ひとつない晴天。明日も晴れるだろうと天気予報は告げていた。