昼下がり
昼下がり 「おはよう、ねえちゃん」
早朝の町内ランニング、父・一徹との投球練習を終えた飛雄馬はこの日が日曜ということもあり、帰宅後は仮眠を取っていたのだが、何やらいい匂いが漂い始めたことで、ふと、目を覚ました。
「あら、飛雄馬ったら。おはようだなんて。もうお昼よ」
くすくすと笑い声を漏らしつつ、飛雄馬の姉・明子が昼食を作る傍ら、弟のいる方向を振り返る。
「もうそんな時間かい。あれ、とうちゃんは」
「日雇いの仕事に行くと言ってお弁当を持って出て行ったわよ」
「日曜なのに珍しいね」
大きく体を伸ばしながら飛雄馬がぼやき、明子に何か手伝おうか、と続けた。
「大丈夫よ。もうできるから。今日は角の八百屋さんで大根が安かったからイカと一緒に煮たの」
「お昼に食べちゃって大丈夫なのかい」
飛雄馬は夕食のおかずがなくなるのではないかと危惧し、そんな言葉を明子に投げ掛けたが、お魚も買ってあるから心配しないで、と微笑まれたために口を噤む。それにしても、とそれから飛雄馬は窓から差し込む暖かな陽の光に目を細める。
思い返してみれば、早朝の町内ランニングもそれほど苦ではなくなって来ている。
真冬の頃は起きるのも容易ではなく、冷たい水で顔を洗って無理やり目を覚ましてから出かけていたっけ。
春は気分も明るくなって、顔が自然と綻んでしまう。
「ほら、お昼にしましょう」
「うん」
明子の声掛けに飛雄馬は頷くと、座卓の所定の位置に腰を下ろす。すると、出来上がったというイカと大根の煮付けや、茶碗に盛られた白米、朝の味噌汁の残りを明子が揃えてくれ、飛雄馬はいただきます、と手を合わせると、湯気の立つ大根の一切れを箸で取ってから口へと運ぶ。
「お口に合うかしら」
「うん。味が染みてて美味しい」
「よかった。お醤油がなくなっちゃって心許なかったんだけど、上手く出来たみたい」
「後で買いに行こうか」
茶碗の飯を掻き込みながら飛雄馬は明子に問う。
「明日ねえさんが買いに行くからいいわよ」
「そうかい?それならいいんだけど」
「おかわりは?」
空になった茶碗を見かね、明子は飛雄馬に手を差し出す。お願い、と飛雄馬は差し伸べられた手に茶碗を渡すと、ふう、と一息ついてから、仮眠の最中に見た夢をふいに思い出し、戻ってきた明子に訥々と語り始める。とうちゃんと、ねえさん、それにおれが理由はわからないけど、離れ離れになる夢を見てさ。とても気味が悪かった、と。
「まあ、縁起でもない」
明子が目を丸くし、早く忘れちゃいなさいな、と続ける。
「その、理由が何かわからなくてさ……おれはここじゃなくてどこか広い、マンションのような部屋に住んでいてね……」
「マンション?宝くじにても当たったのかしら」
「それなら嬉しいんだけどさ」
明子から受け取った茶碗の飯を掻き込み、飛雄馬はイカを口に放り込む。
「変な夢は早く忘れるに限るわよ」
「ねえちゃんがどこぞのお金持ちに見初められたのかもしれないぜ」
「ばか!」
「えへへ」
大根を頬張り、茶碗に残った飯を全部口に詰めてから飛雄馬は味噌汁を飲み干すと、食器類を重ね、流しへと持ち寄った。
「お粗末さまでした」
「ごちそうさま、ねえちゃん」
黙々と食事を続ける明子の傍らで、飛雄馬は近くにあった座布団を枕に、再び畳の上に横になる。
「食べてすぐ寝ると牛になるわよ」
「…………」
明子の小言など右から左に流れていき、腹も満たされたことに加え、春の陽気も相俟って飛雄馬は再びうとうとと微睡み始める。
「飛雄馬ったら……」
呆れたような明子の声を聞きながら、飛雄馬は今度は楽しく、良い夢が見られますようにと夢うつつでそんなことを考えつつ、眠りに落ちていく。
部屋の中は程よい暖かさに包まれており、体に触れる陽の光が心地よい、そんな日曜の平穏な昼下がり。