秘めたる想い
秘めたる想い 「京子はまだ星くんのことが忘れられんとじゃろ」
「え?」
寝室にて子どもたちを寝かしつけ、そろそろ自分も布団に入ろうかと思っていたところにそんな話を振られ、京子は弾かれたように夫である左門豊作の顔を見つめる。
それきり何も言わないまま、自分の布団の上であぐらをかき、腕を組んでいる夫に対し、京子はどうしてそんなことを訊くの?と顔に笑みを携えつつ、尋ねた。
「どうしても何も、京子が星くんば未だに好いとるとは初めからわかっとったこつ。ばってん、いつか振り向かせちみせようと頑張っとったとも事実ばい」
「まあ……ふふ、あなたったら」
「あ、う、ご、ごまかすでなか。怒らんけん、正直に答えてほしか」
常夜灯の灯りのみが灯る寝室だが、京子には夫の顔が赤らんでいるように見え、思わず笑みを溢した。
「そんなことはありませんわ。私はあなたが一番好きですもの」
「…………」
「ほら、早く寝ましょう。早朝ランニングに寝坊してしまうわ」
「ならば、なしてわしと子供ば作ってくれんとか」
「…………!!」
京子は布団の中にもぐり込みつつ、夫の口から飛び出したまさかの言葉に一瞬、固まったが、すぐさま何事もなかったかのように体を横たえ、隣に眠る一番下の義妹・みちの布団をかけ直してやった。
「わしじゃ不満とか」
「そんなことない。そんなことないわよ、あなた。ただね、私少し怖いの。施設育ちで親の愛情を受けずに大きくなった私が、自分の子供を持ったとき、本当に愛せるかどうか……それに、私からしてみればあなたの大事な弟や妹が子供みたいなものよ」
「なんの、京子なら大丈夫。わしが保証する。こげんせからしか弟や妹に対し、自分の兄弟のごつ接してくれるとじゃけん」
「……少し、考えさせてほしいわ」
「う……わかった。その、すまんこつです。プロに返り咲いた星くんば見とったら嬉しい反面、こう、どこか胸が切なくなってしもうて……」
「何が不安なのか知らないけど、私はあなたが一番好きよ。もちろんこの子たちのこともね」
「…………」
布団から立ち上がり、こちらの布団にもぐり込んでこようとする左門を今日は疲れてて──と制し、京子はおやすみなさい、と布団の中で目を閉じる。
と、左門はそのまま寝室を出ていき、部屋には子どもたち五人と京子の六人だけとなった。
恐らく、庭に素振りにでも出たのだろう、と京子は閉じた目を開け、頭上高くにある天井を見上げる。
施設育ちで天涯孤独の自分にはもったいないほどの幸せを、夫はくれるというのに、私は何を考えてしまっているんだろう。
不良少女として生き、同じような生い立ちの少女らとつるみ、新宿で番を張っていたあの頃からは想像もつかないほどの幸福を私は得たのに。
それなのに、忘れようと、夫だけを見ようと思うのに、どうしてテレビ画面に映し出されたあの人を目の当たりにするなり、胸がこんなに高鳴ってしまったの。星さん、私、あなたのことが、未だに好きで好きでどうしようもないの。
初めてこんなに人を好きになったわ。
どんな男に言い寄られようとも、お酒を飲み交わそうともこんな気持ちになったことなんてなかった。
それなのにあの日、出会ってしまったあなたのためなら私、なんでもできるって、何でもするって、そう、思ってしまったの。
動かなくなってしまった小指が、未だにこうして痛むたび、私はあなたを思い出しては眠れぬ夜を過ごすのだわ。
「…………」
天井を見上げた視界が涙で潤み、京子は目を閉じる。
すると、目尻から音もなく滑り落ちた涙が、長く伸ばした黒髪を濡らす。
私は夫に嘘をついてしまった。
こんな気持ちを抱えたまま、子供を持つなんて、到底無理な話なのよ。
「京子姉ちゃん、泣いとると?」
末っ子のみちが目を覚まし、そんなことを尋ねてきたため、京子は慌てて目元を拭うと、あくびをしちゃったのよ、とそんな嘘をついた。
「さあさあ、早く寝なさいな。明日も寝坊しちゃうわよ」
「はぁい……」
「…………」
なんて女々しいのかしら。
かつては新宿のチンピラ共を顎で使っていたとは思えない……私は夫のためにも、この子たちのためにも、あの人を振り払わなければ。
あの人が、自分の身も顧みず、救ってくれた命なのだから……。
京子はみちが眠るまで布団の上から彼女の腹を優しく叩いてやったのち、動かぬ小指にそっと口付け、目を閉じる。
すると、素振りを終えた左門が寝室の襖を開けたために、おかえりなさい、と京子は夫をねぎらう。
「…………」
しかして、無言のままに布団に入った夫の背中を見つめ、京子もまた、目を閉じると、まぶたの裏に浮かぶ彼の面影を振り払うように首を振ってから、その目元を腕で覆った。 と、自分の許に忍び寄る気配を感じ──京子は腕を退け、彼にそっと微笑みを返す。 そうして、たどたどしく与えられた口付けを受け入れ、ふと、夫と重なって見えた人物の面影に、京子は自分の体がいつになく火照るの自覚したまま、彼の下で喘いだ。