地獄
地獄 「ん、ん……みず、みず……」
チュッ、と組み敷く彼の唇を啄んで、その腹の中から自身を抜いた花形はふと、飛雄馬が掠れた喉で水分を催促するのを聞いた。
ソファーの座面の上に置いていた膝をずらし、花形は絨毯敷きの床に足を付くと、テーブル上に置いていたアイスペールの中から角の取れた氷のひとつを手にするとそれを口に含んだ。
それから、再び、ソファーに乗り上げてから花形は飛雄馬の唇へとそっと口付けを落とす。
「……っ、う」
口内の熱でやや溶けつつある氷を飛雄馬の唇の奥に滑り込ませてやってから、花形は続けざまに舌を忍ばせる。
絡み合う舌の熱さで氷は瞬く間に水へと融解し、望み通り飛雄馬の喉を潤した。
「もうひとつ、必要かね」
ゴクン、と喉を鳴らし、与えられた水を飲み込んだ飛雄馬に花形がそう、尋ねる。
「もう、結構だ……」
ひとしきり喘いだ喉が痛むか、飛雄馬は2、3度咳をしてからソファーの上に横たえていた体を起こす。
すると、花形が男根を抜いた際、掻き出したらしき精液が飛雄馬の尻を濡らしていたようで、ソファーを汚した。
あっ!と飛雄馬は驚いたように声を上げると、投げ出していた足を縮め、何事かとこちらを見遣った花形から視線を逸らす。
「…………何か、あったのかね」
「何も、ない、から……その、ティッシュをくれないか」
頬を赤く染め、飛雄馬は手を差し出す。
下手に動くと、余計にソファーを汚してしまいそうで、飛雄馬は花形からティッシュの箱を受け取ると、彼に向こうを向いていてくれと掠れた声で叫んだ。
「…………」
新たに作ったウィスキーの水割りの入ったグラスを手に、花形は言われるがままに飛雄馬に背を向ける。
と、飛雄馬はティッシュを数枚、箱から取り出してまずは体液に濡れた尻を拭ってから、ソファーの座面を拭き取る、と、幸いにも、革の座面にシミを作る前に処理することができたようで、ホッと安堵してからようやく、彼は床に落ちていた下着を拾い上げた。
ねえちゃんは、もうすぐ帰ってくるだろうか、とリビングの壁にかけられている時計に視線を遣ってから飛雄馬は下着に足を通す。
財閥に嫁ぐ、と言うのも色々と大変なようで、明子は時折、飛雄馬に食事でもどうかしらと誘っておきながら留守を頼み、出て行くことも多かった。
それはないだろう、と思いつつも乗りかかった舟だし、と飛雄馬生来のお人好し気質のせいで彼女が帰ってくるまで花形の屋敷にしばらく滞在することもままあった。
そこで偶然、帰宅した花形と鉢合わせ、こういう状態になることも稀にあり──飛雄馬は正直、花形の屋敷に顔を出すことは苦手である。
飛雄馬自身、何度か明子の誘いを断ったことももちろんある。
けれども、長屋に住んでいた頃から親父や自分のことで心を痛めていた姉を、また自分のことで悩ませてしまうのは心苦しいと言う思いもあって、数回に1度ほどはここを訪れていた。
花形とて、毎回このような真似をしてくるわけではない。だからこそ、油断してしまう、というのも事実だった。
「もう、いいかね」
言われ、ハッ!と飛雄馬は我に返り、慌ててスラックスを穿くと、ベルトを締めつつ、もう大丈夫だ、と返事をする。
「また何か、考えていたようだね」
一息にグラスの中身を飲み干し、花形はソファーに腰を下ろすと、足を組む。
「……ねえちゃんの、ためを思って、おれは毎回花形さんの家を訪ねている。だから、もう、こんな関係は終わりにしたい。おれは、ねえちゃんのことを裏切るような、真似は」
「裏切る?ふふ、おかしなことを言うね。ぼくは明子を裏切っているつもりはない」
「………え?」
まさかの言葉に飛雄馬は驚き、こちらを見上げてくる花形の顔を真っ直ぐに見据える。
「ぼくが初めから手に入れたかったのはきみだからだ、飛雄馬くん。一目会ったときから」
「っ、それが、そんなことが、理由に、なるもんか……!!」
「ならば来なければいい。明子のためを思ってというのなら、きみが、ここに、来ないことだ。ぼくは同意の上と思っていた。きみが最中に嫌だと言うのもすべて、善がっているのだと思っていたが、そうか。ぼくの思い過ごしだったか」
フフッ、と花形は笑みを浮かべ、飛雄馬の顔を瞳に映す。
「誰がっ、そんな…………馬鹿げたことを!」
怒りに顔を真っ赤に上気させ、飛雄馬は叫ぶ。
それは姉のためを思って行って来たことがすべて裏目だったからか。それとも、図星だったからか──。
「……明子にももう、飛雄馬くんは誘うなと伝えておこう。明子もこの広い屋敷に手伝いの人間がいるとは言え、ひとりで寂しいのだろう」
「…………」
「今日のところは帰りたまえ。明子には伝えておくさ」
ニッ、と花形は微笑んでから、グラスの中で溶けた氷を口に含む。
ああ、どうして、さっきの出来事を思い出す。
頭の芯がぼうっとなって、どうして、こんなこと、ねえちゃんが、かえってくる、のに。
花形はその場に立ちすくんだままの飛雄馬に、優しく座りたまえ、と指示を出した。
何の躊躇いもなく、飛雄馬はすとん、と花形の隣に腰を下ろしたかと思うと、下唇を噛む。
「ぼくばかり悪者に仕立て上げて、自分は無実だとでも言いたいのかね」
飛雄馬の腿に手を乗せ、花形は彼の耳元で囁きかける。
「あ…………」
さあっ、と飛雄馬の顔から血の気が引く。
「ぼくを受け入れたときからきみだって同じさ。自分ひとりだけ助かろうったって、そうはいかんよ」
言いつつ、花形は飛雄馬の耳朶に淡く歯を立てる。
ぞく、っと飛雄馬の体に甘い痺れが走って、再び、下腹部が熱を持つ。
「悪魔め……!」
震える声で飛雄馬は花形を罵る。
「……悪魔はきみだろう、飛雄馬くん。何人もの、人々の人生を狂わせたきみこそ、正真正銘の悪魔だと思うが」
顔を背けた飛雄馬の首筋に舌を這わせ、花形はクスクス、と笑みを溢す。
「さわ、るな……ぁっ」
身をよじり、距離を取ろうとする飛雄馬の体を花形は再び、ソファーの座面の上に組み敷くと、身を屈め、彼の唇を軽く啄む。
「っ、ふ………」
「さっき教えたばかりじゃないか……」
驚き、唇を閉じた飛雄馬に対し、花形は言い聞かせるかのように囁く。
すると飛雄馬はゆるゆると閉じていた唇を開いて、そこから赤い舌を覗かせる。
まったく、飛雄馬くんはぼくを飽きさせんな、と花形は呟くと、そのまま彼の唇に噛み付くような口付けを見舞う。
与える刺激に、素直に反応を返す飛雄馬にゾクゾクと肌を粟立たせながらも花形はつい先程、組み敷く彼が身に着けたばかりのスラックスと下着とを剥ぎ取りにかかった。
「あ、っ…………いや、ぁっ」
ベルトを緩め、スラックスと下着共々を花形は飛雄馬の腰からずり下げると、彼の足の間に自身の身を置き、両足からそれぞれを引き抜く。
またしても、花形の眼下に飛雄馬は白い足を晒すこととなり、カッ、と頬を染めた。
花形は飛雄馬の片足を床に投げ出させてやってから、自身もまた、スラックスのファスナーをゆっくりと下ろしていく。
飛雄馬の視線が自分の顔からそこに移るのが花形の目にははっきりと映った。
腰を揺らす飛雄馬の白い腹の奥は、花形を待ち侘び、疼く。
「ふふっ」
花形の笑みにそこで初めて、飛雄馬は彼が取り出した屹立を凝視していたことに気付いて、顔を腕で覆った。
全身が火のように熱い。
どうして、こんなことになってしまったのか。
ねえちゃんのために、と思っていたことが、全部ねえちゃんを苦しめることになっていただなんて。
飛雄馬の片足を脇に抱え、花形は自身の怒張を彼の尻へと宛てがう。
「あ、ぁ…………っ、待っ、花形さ……」
嘆願虚しく、花形は飛雄馬の体を己の熱で貫く。
ぐっ!と飛雄馬は呻き、腹の中をぐいぐいと突き進んでくる花形の感触に身を反らす。
全身がその悦びに震え、得も言われぬような快楽が背筋を駆け上がる。
先程の行為の感覚が、まだ体の奥に残っていて、そこを刺激されたせいであろうことは飛雄馬にも朧気ながら推測できた。
けれども、もう飛雄馬の体中の神経は貫かれた体の奥に集中してしまっていて、頭の中に霞がかかる。
「ひ、っ……あ、あっ!!」
だらしなく、飛雄馬はまたしても声を上げた。
花形が腰を使い、中を抉るたびに声が漏れる。
気が狂ってしまいそうなほどの、快感を的確に花形は与えてくる。
こんな馬鹿な話があってたまるか、と、そう、思うのに、花形が腰を使うたびに、激しい口付けを与えてくるたびに、全身が戦慄く。
「いやだっ…………いやだ、あっ……!!」
「きみはいつから、そう、嘘ばかりつくようになったのかね」
「うそ、じゃな……いっ、ア!あ、あ、あっ」
逃げようともがく飛雄馬の腹に花形は自身の腹を密着させ、上ずる彼の顎先に口付ける。
閉じた飛雄馬のまぶたの縁から涙が溢れ、こめかみを伝い落ちた。
「出すよ、飛雄馬くん」
「っ、…………う、ぅっ」
宣言通り、花形はまたしても飛雄馬の中へと欲を吐く。
それを受け、飛雄馬はびく、びくと体を跳ねさせ、口元に手を遣った。
飛雄馬の全身は過敏になってしまって、服に擦れる乳首が変に疼く。
一滴残らず搾り取ろうとするかのごとく花形を飛雄馬は締め付け、腹を呼吸のたびに大きく上下させる。頭がひどく痛む。
散々に欲望のままに腰を打ち付けられた飛雄馬の腰は震え、体を起こすこともままならないままに彼は目を閉じる。
ぬるっ、と花形は飛雄馬から自身を引き抜くと、ソファーの足元に落ちていたティッシュ箱を拾い上げ、後処理を済ませると衣服の乱れを直した。
「悪魔は天使の姿を借りて現れる、とはよく言ったものだ」
クスクス、と花形は苦笑混じりに呟いて、飛雄馬の横たわったままのソファーに再び座った。
そうして、投げ出されたままの飛雄馬の足をすうっ、と指で撫でてから、ビクンと大きく震えたその反応にニッ、と口角を上げる。
果たして、地獄に引きずり込んだのはどちらなんだろうね、と、花形は目を閉じ、誰に言うでもなく呟いてからソファーに深く座り直すと、足を組んだ。