初詣
初詣 遅いな、と飛雄馬は待ち合わせ場所に選んだ国鉄駅舎の壁に掛かる時計を見上げる。
もう二十分は過ぎている。いつまで待たせる気だろう。あと五分経ったら帰ろう、そんなことを考えつつ、冷えてしまった手の指先を擦り合わせ、巻いてきたマフラーに首を縮めるようにして口元を埋める。
また親父さんに咎められでもしたんだろう。
ぐす、と鼻を啜って、飛雄馬は改札近くにある掲示板に帰宅する旨を書き綴り、自宅マンションへの道のりを引き返す。何か温かいものでも食べて帰ろう。
こんなことならもう少し厚着をしてくるべきであった。飛雄馬はスラックスのポケットにそれぞれ両手を突っ込み、冷たい風が吹き荒ぶ街中を歩く。
それにしても寒い、どこかに入ろう。
ぶるっと体を震わせ、歩みを止めたと同時に星くん?と名を呼ばれ、飛雄馬は声のした方向を振り返る。
すると、目の前にはあろうことか因縁のライバルである花形が立っており、飛雄馬は、うっ!と思わず声を上げた。その姿を目の当たりにした街行く女性らが、花形さんじゃない?などという黄色い声を上げているが、花形本人はまったく意に介す様子なく、新年明けましておめでとう、星くん、などと呑気に構えている。
「こ、こちらこそ明けましておめでとう、花形さん。こんなところで会うなんて……」
「父の使いでね。まさか星くんに出会うとは東京に出てきた甲斐があったというもの」
「…………」
いつものオープンカーは近くには見当たらない。
父の使いと言っていたが、まさかタクシーで神奈川から東京まで来たということもあるまい。
一言も発さず、じっと見つめる飛雄馬の視線を察してか、花形は、父の会社の系列店が近くにあってね、車はそこに置いてきたのさ、と微笑んだ。
「星くんこそなぜ駅前に?買い物かね」
「いや、大した用事では……」
「へえ、そうかい。ぼくはてっきり……例の彼と出掛ける約束をすっぽかされたのかと」
「…………」
言葉を濁した飛雄馬の胸中を見事言い当て、花形がにやりと口角を上げる。
「初詣にでも?きみさえよければご一緒するがね」
「花形さんはねえちゃんと一緒に行ったらどうです」
花形の言葉にムッとし、声を荒らげた飛雄馬に驚いたか、道行く人々が歩を止め、何事かと辺りに集まり始める。便乗したがごとく花形ファンの女性らもきゃあきゃあと騒ぎ始めたために、飛雄馬はこの場を一刻も早く立ち去るべく、タクシーを呼ぶため左手を挙げた。
すると、運良く近くを通りがかっていたタクシーが一台、目の前に停車し、飛雄馬は開けられた後部座席のドアから慌てて中へと乗り込む。
「近くにある神社まで」
座席に背を預け、ホッと一息ついた飛雄馬の隣で、花形が運転手に囁く。
「なっ……!」
「初詣ですか。いいですねえ」
運転手は飛雄馬の動揺など気にも止めないまま、花形に笑みを見せてからドアを閉めると、車を走らせた。
三人掛けの後部座席に悠々と腰掛け足などを組み、満足げな表情を浮かべる花形の隣で、飛雄馬は小さく縮こまる。とんだことになってしまった。
どれもこれも伴のせいだと親友に八つ当たりしつつ、飛雄馬は運転手と楽しげに談笑する花形の横顔をちらりと盗み見る。
「ねえ、星くん」
「えっ?」
ふいに話を振られ、飛雄馬の声が裏返る。
「いやだ、花形さん。星さんびっくりされてるじゃないですか」
「フフ、王者の余裕ですよ。阪神の花形なぞ眼中にないとのおおせだ」
「…………」
こんなことなら、もう少し駅で待っていればよかった。伴は今頃何をしているだろうか。マンションに大慌てで向かっているところだろうか。実家で親父さんと口論の真っ最中だろうか。
「ここらでいいですかねえ」
運賃の端を請求しない代わりにとサインをねだられ、飛雄馬は渋々渡された手帳にペンで名前を書き記す。
花形も同様に手帳に手慣れた様子でサインを書き綴ると、運転手にそれを手渡し、どうもと会釈し、運賃を支払ってからタクシーを降りた。
「花形さん、お金……」
「いや、結構。連れ出したのはこちらだからね。タクシー代くらい出させてもらおうじゃないか」
神社の境内へと続く石造りの階段を昇りつつ、切り出した飛雄馬だったが、花形に一蹴され、押し黙る。
運転手が車を寄せてくれた神社は参拝客の姿もそれほど多くはなく、集うのも近所の住民ばかりと言ったふうの小規模なものではあったが、飛雄馬は大きな鳥居を見上げ、小さく息を吐く。
「お気に召さなかったかね」
「い、いや。これくらいの方が気疲れせずに済んでありがたい。なんて、神様に失礼か……」
苦笑し、飛雄馬は先を行く花形の後を追うようにして石畳の上を歩くと、手水舎で手や口を清めてから、境内の前に立ち、小さく会釈をしたのちに財布から取り出した小銭を数枚、賽銭箱に投げ入れた。
それから、作法に習い、参拝を行う。
しばし、目を閉じたまま両手を合わせていた飛雄馬だが、隣で足音がしたために目を開け、すでに去り行く花形を見遣った。
「…………」
「何か食べて帰りませんか。冷えは体に悪い」
無言のまま、来た道を引き返す花形に居たたまれず、飛雄馬は声を掛ける。
「……申し訳ないが、すぐ父のところに戻らねばならんのでね。フフ、まさか星くんから食事の誘いがあるとはね。早速初詣のご利益と言ったところか」
「…………」
「冗談。気を悪くしないでくれたまえ。名残惜しいがここで別れようじゃないか」
「気をつけて」
フッ、といつもの笑みを浮かべてから、こちらに背を向けると住宅街に消えていく花形の姿を飛雄馬はじっと見つめる。
彼に対する、考えを改めなければならないな、と飛雄馬は首に巻かれたマフラーに口元を埋め、そんなことを思う。付き合いこそ伴より長いが、彼のことをおれは何も知らない。たまには、こうして話をするのも悪くはないかもしれない。あちらの気分次第ではあるにせよ、だ。
ふと、来た道を引き返し、飛雄馬は社務所内にある授与所に立ち寄ると御守をひとつ、授かってから、帰宅の途に就く。
適当なところでタクシーを捕まえ、クラウンマンションに辿り着くと、エレベーターを使い、自室のある階へと昇る。鍵を使って、ドアを開けると、姉が、伴さんと会わなかった?とこちらの顔を見るなり、口を開いたため、いや、と首を横に振った。
「あら、そう。さっきまで伴さん、いらしたんだけどね。出掛けるところをお父さんに見つかって出発が遅れたと言っていたわ。飛雄馬にごめんなさいと伝えてほしいって」
「うん。一緒に初詣に行くつもりがさ、すれ違いになったらしい」
玄関にて靴を脱ぎつつ、飛雄馬は答える。
「追いかけなくていいの?」
「また行き違いになるといけないからね。また日を改めて行くとするよ。寮にはあとで電話をするさ」
「そう。それならいいけど。ところでお昼は食べてきたの?何か作りましょうか」
「うん、それじゃあ、お願いするよ……」
マフラーを取り、上着をダイニングテーブルと対になった椅子に掛けてから飛雄馬はテレビの前に置かれたソファーへと腰掛ける。
「もう、皺になるわよ」
「あ、ごめんよ……」
椅子に掛けた上着を手にした姉の足元に、御守がころりと転がり出て、飛雄馬は、あ、と声を上げた。
「あら、御守。初詣には行かなかったんじゃなかったの」
「……それが、変える途中に花形さんと会ってね。一緒に行ってきたんだ」
「まあ、花形さんと?珍しい。ふふ……」
「わ、笑いごとじゃないよ、ねえちゃん!今度はねえちゃんと行くように伝えたから、近々誘いがあるかもしれないぜ」
「ふふ、楽しみにしておくわね……」
姉が御守を拾い上げ、テーブルの上に置いたのを一瞥してから、飛雄馬は視線を窓の向こう、東京タワーへと向ける。
また、新たな一年が始まる。
今年も、昨年同様、背番号16に恥じない生き方をしなければ……飛雄馬は眉間に皺を寄せ、唇をぎゅっと引き結んでから、先程訪れた神社の境内にて願った事柄を、ひとり、反芻した。