初詣
初詣 神社の拝殿にて手を合わせたのち、自宅に戻るべく背後を振り返った飛雄馬はある見知った顔を見つけ、何故ここに?と眉をひそめた。
その見知った顔の持ち主――花形満は右手を挙げると、砂利を踏みしめ飛雄馬の方へと歩み寄ってきた。
真夜中。草木も眠る丑三つ時。飛雄馬は父と姉が眠る中、己ひとり寝付けずトレーニングがてら少し長屋から離れた神社へと来ていた。年が明けた今年の4月に私立の青雲高校に進学することが決まった中学3年の冬であった。
「星くん、明けましておめでとう。高校に進学するようだね」
「…………」
「なぜ知っている、とでも言いたげな顔だね。きみのことなら知っているよ、何でもね」
穿いているスラックスの両ポケットにそれぞれ手を差し込んで、花形は微笑む。
「野球部には入るんだろうね、もちろん。中学校野球できみの名を聞くことはなかったが、高校ともなると話は別だろう」
飛雄馬は首元に巻いているマフラーに鼻先まで埋めるようにし、花形を睨む。
「何の用だ、花形……さん、がわざわざ」
「フフ、あまりに寝付けないものでね。運転手に無理を言って夜のドライブさ」
「………」
「少しだがきみの家まで送ろう」
「気持ちだけいただいておくよ。きみの言うとおりうちまですぐだ。それには及ばない」
「紅洋高校の名を、聞いたことがあるかい」
花形の申し出を突っぱね、自宅まで来たときと同じようにランニングを行いつつ帰ろうと駆け出した飛雄馬であったが、彼の言葉に歩みを止めた。
紅洋高校と言えば、神奈川県のとある野球の強豪校である。それも、花形満が入学し野球部に入部するまでは無名も無名、ブルジョワ校であること以外、それほど取り柄もなかった高校が彼が進学してすぐの夏の甲子園に出場し、惜しくも初戦敗退となったものの、大接戦を繰り広げたことで一躍有名となった高校であった。
それもまだ一年生の花形満の活躍ぶりと言えば新聞やラジオ、テレビ番組がこぞって取り上げ、花形モータースの御曹司でもあり、類稀なる容姿を持つ彼を一躍有名人とした。そんな紅洋高校と、花形満の活躍を飛雄馬も知らぬ訳ではなかったし、もしかするといずれ、どこかで会うかもしれない、などと考えていたが、まさかこうも早く、ましてやグラウンド外で出会うことになろうとは夢にも思わなかった。
花形が紅洋に進学した2年目の去年も準決勝敗退に終わってしまったとは言え、今まで無名であった紅洋高校は開校以来、野球部創設以来の素晴らしい戦績をあげている。今年は花形満も3年生、高校生活最後の年である。
「きみが通う高校だろう。それがどうかしたのかい」
「なぜ、ぼくが野球部に入ったと思う」
「………?」
いつの間にポケットから出していたのか、花形の手が飛雄馬の左腕を掴む。
「きみと、また戦いたいと思ったからだ、星くん」
花形の指が飛雄馬の腕に食い込む。痛っ、と飛雄馬は呻いて、その手を振り解くべく腕を振った。
「やりたいとか、やりたくないとか言う以前に、おれは野球部に入るとは一言も言っていないし、紅洋と青雲が当たるかどうかなんてわかりっこないじゃないか」
「いいや、きみは入るだろう。間違いなく、野球部に」
「…………」
掴まれた左腕をさすり、飛雄馬は自信満々に言ってのける花形をしばらく見つめていたが、ふいに視線を逸らすと、それじゃあ、と止めていた歩みを再開させた。
「星くん!」
「いい加減にしてくれ」
叫ぶようにして自身を呼び止めた花形を飛雄馬は怒りを隠すことなく振り返る。花形なぞに構っている暇はない、と言うのが本音であった。
しかして、花形は彼らしくもなく眉間に皺を寄せ、何か言いたげにじっとその大きな瞳で飛雄馬を見据えている。
これには飛雄馬もたじろいだ。また何やら嫌味を言われるだろう、とばかり思っていたが、そんな意味有りげな目線を向けられては、花形を無視し、帰宅するわけにもいかなかった。
「きみが、青雲に行くと聞いてどんなに嬉しかったか、きみには分かるかい」
「…………」
言いつつ、距離を詰めてくる花形から飛雄馬は離れるべく後退る。
「今度は正々堂々ときみと野球のルールに則って戦える。このぼくを、野球という地獄に引きずり込んだきみとね」
「地獄、だって……?」
「寝ても醒めてもきみのことばかり考える。星飛雄馬、ぼくはきみを打ち負かし、二度とマウンドの土を踏ませないようにしなければ、父の会社は継げない」
「は……?」
たらり、と飛雄馬の額から頬を伝い顎へと汗が滑り落ちた。
「フフフ、まあ、きみは一度や二度負けたくらいで打ちひしがれるような相手ではないだろうがね」
花形から距離を取り、後退っていた飛雄馬だが、その内背中が拝殿に上がる階段脇の石灯籠にぶつかった。
「何を、根拠に、そんなことを」
「言ったろう、ぼくはきみのことなら何でも知っている、とね」
ドン、と花形が石灯籠に手をつき、飛雄馬はその音と間近に迫る花形の顔に身を強張らせた。
「よ、寄るな花形!何なんだきみは、いきなり……そんな」
「フッ、ハハハ。そう怯えることはないだろう。誰も取って食いやしないさ。星くん、ぼくは待っているよ、きみとグラウンドで再び会えることをね」
「…………」
困惑したような、どこか迷惑そうにも見える表情を浮かべ自身を仰ぎ見る飛雄馬の顔を目の当たりにし、花形はもう一度フフッと吹き出すと、身を屈め彼の頬に口付けると颯爽と身を翻した。
己から離れ、去っていく花形を飛雄馬はポカン、と呆けた顔をして見送る。
「体を冷やさないようにしたまえよ星くん」
「そ、そう思うんなら呼び止めないでくれ!!」
気障な台詞を吐きつつ、背を向け手を振る花形に向かって飛雄馬は叫ぶと、口付けられた頬を手でごしごしとこすった。
一体何を考えているんだ、花形満と言う男は、まったく考えが読めない、と飛雄馬は心中で悪態を吐きつつ、とぼとぼと歩み始める。肌を刺す冷たい空気を感じつつ、恐らく花形の乗るスポーツカーのものらしきエンジン音を遠くに聞きながら、飛雄馬は頭上を仰ぐ。
冬の澄んだ夜空に星が瞬き、飛雄馬は思わず見惚れ、息を吐く。その中に父・一徹と目指す――巨人の星と呼ぶ一際輝く大きな星を見つけ飛雄馬はぎゅっと唇を強く引き結ぶと前を見据え、真っ直ぐに自宅への道のりをゆっくりと駆け出したのだった。