暁闇
暁闇 目覚ましのベルがけたたましく鳴り響く音で飛雄馬は目を覚ますと、布団の中から腕を伸ばし、時計の頭をトンと叩いた。
早朝ランニングに向かう時間に合わせて目覚ましをかけているが、ようやく日が昇りかけつつある時分で部屋の中もまだ薄暗い。
隣で寝ている伴を起こさぬよう、布団を出なければと思った矢先に、そこからぬうっと現れた太い腕が飛雄馬を抱き締めた。
「伴、っ……!」
後ろにそのまま転びそうになるのを堪え、飛雄馬はなるべく努めて小さな声で伴を呼ぶ。
昨日、夜中に帰ってきたと思うと突然、酒の匂いをぷんぷんとさせながら部屋に入ってくるなり人の寝ている布団の中に潜り込んできた彼。
叱咤しようにも夜分遅くの出来事で、伴もまた気持ちよさそうにいびきをかいて寝ているために起こすのも可哀想かとそのままにしておいたが、今になって起き出して来るとは。
「もう少し、いいじゃろう。サンダーさんもまだ起きちょらん」
「いい加減にしろ、伴。部屋に夜中に入ってきたことについては水に流すが、これ以上妙なことをされるのは困る」
「うう……5年も会えんかったんじゃぞい。再会の余韻を噛み締めたくもなるわい」
「…………」
相変わらずだな、伴は。
飛雄馬はその喉元まで出かかった言葉を飲み込み、自分を抱く彼の腕を撫でる。
おれだって、伴のことを思わなかった日はないさ、そう言いかけはしたが、口に出したら最後、また調子づくのが分かっているからこそ、飛雄馬は黙った。
「よし、いいぞい。行ってこい、星」
「ふふ。そんなにおれと一緒にいたいなら伴も行こうじゃないか。早朝ランニングに」
ゆるゆると手を離した彼に飛雄馬が冗談交じりにそう言うと、伴はゲッ!と呻き声を上げるなり、布団を頭からかぶる。
「え、遠慮しとくわい。まだ日も昇っとらんし」
「遠慮することはない。おれもサンダーさんも大歓迎だぞ」
クスクス、と飛雄馬は笑みを溢しながら衣服を寝間着のそれから普段着に着替えると、YGマークのついた野球帽とサングラスを手に部屋を出ていく。
「あっ、ほ、星っ!」
すると、後ろを追いかけてきたか伴が部屋と廊下を繋ぐ襖を開け、飛雄馬を呼んだ。
「行く気になったか?」
口元にふふっ、と笑みを携え背後を振り返った飛雄馬に、伴は少し視線を泳がせつつ、「その、待っちょるから、必ずここに帰ってくるんじゃぞい!」と、そんな言葉を恥ずかしげもなく言ってのけた。
「そんな心配は無用さ、伴。きみこそ仕事に遅れんように気をつけろよ」
言うと飛雄馬は、身支度を整えるため広い廊下をひとり歩く。
よほど、おれがいなくて寂しかったと見える。
昔から図体のわりに女々しいというか、変なところで肝が座っているというか、こっちが聞いていて恥ずかしくなるような台詞を伴は平気で吐いてくる。
いつまでもおれの尻ばかり追わず、この5年の間に嫁さんでももらっていたらよかっただろうに。
着いた先、洗面所で歯を磨き、顔を洗いつつ飛雄馬は伴のことを頭に思い浮かべる。
いつも世話になってばかりで、いつかおれも伴の力になれることがあればいいんだが。
飛雄馬がタオルで顔を拭き、サングラスをかけたところでちょうど、ビル・サンダーもまた、洗面所に入ってきた。
「おはようございます。サンダーさん」
「oh!ヒューマ、オハヨウゴザイマス。今日モガンバリマショウ。ファイト!」
片言の日本語に相槌を打ち、飛雄馬は会釈すると先に玄関先に向かい靴を履く。
すると、そう間を置かず彼もやってきて、ふたり揃って屋敷を出る。
これから町内を1周し、軽いストレッチやバッティング練習をしてから伴宅で家事の一切を担う老女の作ってくれた朝食を食べるのがいつもの日課だ。
その頃までに伴が起きてくればいい方で、聞くところによると、いつも家を出ていくのは9時過ぎだとかで、親父さんに怒られているそうだ。
朝、少し早起きして体を動かせば運動不足の解消にもなって親父さんに怒られることもないだろうに伴のやつ……と、思案しつつ飛雄馬がビル・サンダーの隣を走っていると、名前を呼ばれていることに気づいて、えっ!?と声を上ずらせた。
「す、すみません、考えことをしていて」
思わず、日本語で謝罪の言葉を口にしたものの、果たしてサンダーさんには伝わっただろうか、英語ではなんと言えばいいのか、と飛雄馬は高校中退の頭で一生懸命に英語の言い回しを考える。
「ウフフ。ミスター・伴ノコト考エテイマシタネ」
「!」
「ヒューマ・ホシトミスター・伴ハトテモ仲良シ。羨マシイクライ」
「仲良し、というほどでもありませんよ」
「オ互イヲトテモ良ク想イ合ッテイル。素敵ナ関係デス」
「…………」
「大事ニシテアゲテクダサイ、彼ノコト」
「もちろん、そのつもりですよ」
飛雄馬は建ち並ぶ家々の背後からゆっくりとその身を輝かせ、天高く昇っていく太陽を見つめながら、そう答える。
夜を支配していた闇も次第に太陽に感化され、淡く薄くその色を変えていく。
伴はまるで、あの太陽のようだな、と飛雄馬はサングラスのレンズの下で目を細めながら、少しスピードを速めますよと言ったサンダーの言葉に、はいと短く返事をした。