逆転勝利
逆転勝利 この日の巨人―阪神戦は伴の捨て身のホームスチールにより逆転勝利となった。それでなくとも伴がその腕より放った長打にスタンドが湧き、阪神側の監督は悔しさから脱いだ帽子をベンチに叩きつけた。
二軍落ちした星飛雄馬に付き合い彼もまた二軍落ちし、そんな彼の捕手として、はたまた同じ青雲高校時代からの知り合いとして少しは名の知れていた伴であるが、この日、巨人を勝利に導いた救世主として伴宙太の名と顔は世間に広く知れ渡ることとなった。
多摩川グラウンドでの練習を終え、自宅のあるクラウンマンションの一室でその試合を観ていた飛雄馬は思わず涙ぐむ。
体調を崩した森捕手に代わり、時折伴はこうして一軍の捕手、そして重要な戦力としてグラウンドの土を踏むことがあった。
その度に伴は好調な成績を残すゆえに、二軍に籍を置いているのはもったいないのではないか、という声も上がったが、何より本人が星のそばにいてやりたい、と言うので彼の要望を飲み、伴宙太の籍は二軍にあった。
むろん、一選手である伴の意見がそのまままかり通る訳もなく、彼が星飛雄馬のそばにいられるのも、他でもない川上哲治監督の力が働いているからなのだが、それを伴と、伴が二軍に残りたいと言っていることなど微塵も知らぬ飛雄馬は知る由もない。
飛雄馬は目元の雫を拭って、ソファーから立ち上がると、テレビのスイッチをオフにした。そうして、再びソファーに腰を下ろす。
目を閉じて、鼻から吸った息を口からゆっくりと飛雄馬は吐いた。伴は、伴宙太はそういうやつなのだ、打席に立てば見事に快打を放つことができると言うのに。
何もおれの捕手だけをやっていることはないのだ、と。いっそのこと、おれが中尾監督や川上監督に話してやろうか、とも飛雄馬は考えつつ目を開ける。
伴だけでも一軍で活躍してくれたら、それは巨人のためにもなろうし、はたまた伴宙太のためにもなるであろう。
おやじさんからあんなに野球はやめろ、星飛雄馬とは付き合うなと言われている彼だ、自分の息子が巨人の一軍で活躍するとなれば伴のおやじさんも鼻が高いであろうし、野球をやめろなどとは言わなくなるであろう、と飛雄馬は伴の父である大造の嬉しそうな顔を想像し、フフと笑んだ。
そうして飛雄馬が淹れたコーヒー片手にソファーに座りぼんやり窓の外を眺めていると、部屋のチャイムを鳴らされたために、「開いているぞ」と声を掛ける。
すると、玄関の扉が勢いよく開け放たれ、私服姿の伴が顔を出したもので、飛雄馬は思わず顔を綻ばせた。
「星、ただいま」
「ただいまとはなんだ、ここは伴の家じゃないだろう」
「ワハハ、もう我が家も同然じゃい。星、見てくれたか、おれの大活躍」
靴を脱ぎつつ大きな声で今日の試合のことを話す伴を飛雄馬はどことなく寂しそうな表情を浮かべ見遣る。飛雄馬からの返事がないことを訝しみ、伴は脱いだ靴を揃えようともせず、飛雄馬の待つリビングへ大股で歩み寄ると、星?と名を呼んだ。
「伴、お前、一軍に行ってはどうだ。森さんの代わりとはいえ今日の試合といい、先日の片手の三塁打と言い十分、一軍でも通用するんじゃないか。何ならおれが監督に――」
「星っ!!」
飛雄馬の言葉を伴の大声が中断させた。ビクッと突然の大声に驚き、跳ねた飛雄馬を見つめ、伴は一瞬、しまった!と口元に手を遣ったが、すぐに険しい表情をその顔に湛えると彼の隣にドカッと腰を下ろした。
「なんじゃい、その言い草は。褒めるでもなく開口一番、一軍に起用して貰えじゃと?ちゃんちゃらおかしいわい」
「二軍でおれの捕手ばかりやっていても仕方ないだろう」
「星!なぜきさまはそんなおれの気持ちを無視して自分の意見ばかり通そうとするんじゃあ?おれが、いつ、星の捕手などやりたくないと言うた?」
今にも掴みかからんばかりの剣幕で責め立てる伴に飛雄馬はたじろいたが、彼とて負けてはいない。伴の顔を真っ直ぐに見据え、口を開く。
「自分の意見ばかり通そうとするのは伴とて同じだろう。十分、一軍でやっていけるだけの力を持ちながらなぜ縁の下の力持ちに甘んじているのか、それが不思議でならんのだ。おやじさんからもせっつかれているんだろう、お前は星飛雄馬のお守りをさせるためにプロ入りさせた訳じゃない、と」
「ぐ、ぐ………」
冷や汗をかき、二の句が継げない伴から飛雄馬は視線を逸らすとソファーから腰を上げ、電話のある部屋の隅へと向かう。その口で川上監督に話をつけようというのだ。
「星!」
受話器を上げ、ダイヤルを回す飛雄馬から受話器を取り上げ、伴はガチャン!とフックにそれを押し付け電話を切った。
「星!人の話は最後まで聞けい!」
「最後まで?図星を突かれ、呆気にとられたのは伴だろう。何かまだ言いたいことがあるのか」
「違うわい!おれが星のそばにいたいから、支えてやりたいから二軍におるんじゃい!!おやじがどうとか、一軍がどうとか、そういうのは関係ないんじゃあ!」
「…………」
「わしはくたばるまでお前についていくと約束した筈じゃい!だから、だから、そのう……一軍に行け、だなんて、言わんで、ほしいのう」
途中で照れ臭くなったか、先程までの勢いはどこへやら、伴はしどろもどろになりつつ頬を染め苦笑いを浮かべる。
「………伴」
「星が気に病んだり、自分のせいにしたりだとか、そういうのは気にしてくれるなよ!これはおれが、自分の意思で決めたことじゃからな!!」
「きみは、いいやつだな….」
「いいやつ?そうかのう……ふふふ、惚れた一念ってやつじゃい」
「……逆転勝利、おめでとう」
「………それが一番に聞きたかったんじゃい」
瞳を涙に濡らして、飛雄馬は伴を仰ぐ。伴はこれまた嬉しそうに破顔して、小柄な彼の体をぎゅうっと抱き締めた。
伴のためにはならない、と分かっていながら、おれは彼を突き放せない。彼の口を吐く言葉がこんなに耳に優しく、胸に染み渡っていく温かさを知ってしまっているからだ。いつかこの腕と訣別する日が来るのだろうか、出来るならば、永遠にその日など来なければいいのに、とそんな甘いことを飛雄馬は思う。
伴の背に回す腕に飛雄馬は力を込め、彼の胸に顔を埋める。すると、伴の腕にも力が篭って、飛雄馬はその息苦しさに一瞬顔をしかめたものの、息ができないほどの力強い腕に酔って、緩やかに目を閉じつつ己を抱き締める彼の鼓動の音を聞いた。