午前中授業
午前中授業 「おぅい、星よう!待たせてすまん」
「いや、大丈夫。そんなに待ってはいない」
帰宅する生徒の姿も疎らとなった、青雲高校の正門前。この日は教職員らの研修があるために午前中で授業は終了し、各部活動も活動はしないことと、と学校からお達しがあった。
それなら、どこかで昼飯でも食って帰ろうとばかりにふたりは前日に示し合わせ、こうして先に教室を出た飛雄馬が校門前にて待っていたのだった。
「しかし腹が減ったのう。今頃は普段なら昼飯を食っとる時間ぞい」
「いつものように駅前まで出て、うどんでも食べて帰るか」
制服のスラックスを留める、ベルトの上に乗った太鼓腹を撫でながらぼやく伴の横で飛雄馬は微笑み、そう、彼に声を掛けてから空を見上げる。
こんな野球日和の天気だというのに、部活ができないのはもったいないな、と。
本来なら、昼飯を食べ、午後の授業が終わったらグラウンドに集まり、皆で野球に勤しんでいたと言うのに。五月の、長袖シャツでは汗ばむほどの陽気。
ねえちゃんも、今日は洗濯物がよく乾いて機嫌が良いだろうな。とうちゃんはどうだろう。
今日は日雇いの仕事に行くと言っていたっけ。
「し……し、ほし、星よ、さっきから上ばかり見とるが、おれの話は聞いちょったか」
「あ、す、すまん。考えごとをしていた」
伴に呼ばれ、飛雄馬は慌てて視線を隣を歩く伴へと戻し、苦笑いを浮かべる。
「ここから少し歩くが、うまい蕎麦屋があってのう、そこでカツ丼でも、と言ったんじゃが、その調子だと聞いとらんな」
「申し訳ない。聞いていなかった」
「ふん。ええわい、ええわい。星は巨人の星のことで頭がいっぱいじゃろうからな」
ちぇっ、と舌を鳴らし、伴が口を尖らせる。
「そう臍を曲げないでくれよ、伴。蕎麦屋、いいじゃないか。ぜひ行こう」
「例の喫茶店でナポリタン、オムライスもええのう」
「優柔不断だなあ、伴は。おれは何でもいいぜ」
くすくすと飛雄馬は笑みを溢し、よかった、伴が機嫌を直してくれて、と隣でぶつぶつとラーメンやら餃子やらと呟く親友の顔を見つめる。
「新しくできた洋食屋のビーフシチューも絶品だという話を聞いたのう」
伴が言ったところで、飛雄馬の腹の虫がぐうと鳴いた。ふたり、顔を見合わせ、吹き出すと、声を上げて笑いながら住宅街を抜ける。
「まったく傑作じゃわい。まさか星の腹が鳴るとは」
「伴がそんな話ばかりするからだ」
「話しながら歩いちょったら駅前に出てしまったのう」
笑い合い、腹を抱えたふたりが辿り着いたのは青雲から程近い国鉄駅。この際、うどんにするか、と伴が微笑む。
「いいのか、カツ丼やビーフシチューは」
「なに、これからいつでも行けるじゃろ。カツ丼やビーフシチュー、ナポリタンやオムライスは逃げはせんぞい」
「行くって、誰と」
「星に決まっとるじゃろ!他に誰がおるんじゃい」
「…………」
伴の言葉に、飛雄馬は目を細め、ああ、一緒に行こう、と囁く。
「い、嫌なら無理にとは言わんぞ」
「嫌なわけあるもんか。その、誰かと、とうちゃんやねえちゃん以外と食事なんて行ったことがないから嬉しくてな」
「星……」
「まあ、野球、野球の日々だったからな。ギプスの音が気味が悪いとクラスの女子からは避けられていたし、年相応の遊びを知らないおれは男子たちの会話にもついていけなかった。今思えば、仕方のないことさ」
「…………」
ぐす、と飛雄馬の話を聞いていた伴が鼻を啜り、目元を手で擦る。
「伴?」
そんな伴の様子を訝しみ、飛雄馬が彼を呼んだ。
「辛かったのう、頑張ったのう、星。おれは星と知り合えて本当によかったと思っとるぞい」
「……大袈裟だな、伴は、いつも」
ああ、おれの境遇に、泣いてくれる人がいるのだ。
辛い、苦しい、と、泣きながら耐えた日々を、伴は自分のことのように感じてくれる。
なぜとうちゃんは、伴をおれの捕手に据えたのか、それは身体的なことだけではないように思う。
飛雄馬は隣で鼻を啜る伴の背中を叩くと、辛気臭い話はここまでにして昼食にしよう、と駆け出す。
「ま、待て、星よう〜涙で前が見えんのじゃあ」
「置いていくぞ、伴」
駅前を行く人並みを掻き分けるようにしてうどん屋へと走る飛雄馬を、頬に涙の跡を残したままの伴が追う、そんな春のひととき。
到着したうどん屋で、飛雄馬は大きな海老天の乗ったうどんを食べ、伴はきつねうどん二杯といなり寿司を三つほど食べ、また明日と別れた、青雲高時代の五月の思い出。