欺瞞
欺瞞 緊張して指定された時間より早めに着いてしまった、と飛雄馬は通された出版社の待合室にて受付の女性に出された緑茶を啜りつつ、壁に掛かった時計を仰ぎ見る。
何でも、阪神の花形との合同インタビューとグラビア写真を少年漫画雑誌に掲載したい、との話が球団広報から来ていて、今日は練習の合間を縫い、飛雄馬はこうして出版社まで出向いていた。
今まで個人的にインタビューをされたりグラビア写真を撮られたことはあったが、誰かと一緒に取材を受けることは初めてだな、と飛雄馬が半分ほど茶の残る湯呑みをテーブルの上に置いたところで、出入り口の戸が叩かれる。
「は、はい!」
慌てて飛雄馬が返事をすると、戸がゆっくりと開き、先程ここまで案内してくれた受付女性と花形が顔を出した。
小さく飛雄馬が会釈をすると女性も頭を下げ、花形を中に入るよう促すと戸を閉めた。
「おや、星くん、きみも来ていたのか」
「花形さんこそずいぶん早くに着いたものですね」
飛雄馬が既に腰掛けているソファーの隣に座り、花形は足を組む。
「なに、きみのことだから早めに着くだろうと踏んでね。ふふ、今をときめく巨人の星を待たせてはいけないと思ったのさ」
「今をときめくだなんて、そんな……」
かあっ、と飛雄馬は頬を染め、どこか誇らしげに微笑む。花形が口にした通り、現に後楽園球場を本拠地とする巨人軍は星飛雄馬の左腕が繰り出す大リーグボール二号のお陰で破竹の勢いで連戦連勝を重ねていた。
誰一人として消える魔球の原理を解き明かせず、それゆえに攻略法も見つからず、選手たちは日夜その謎と原理の解明に躍起になっている。
それもその筈、飛雄馬の左腕から放たれた何の変哲もない、正式なプロ野球の試合に使用される硬球が打者の目の前で忽然と姿を消すのだから。
いくら球速が速かろうと、球質が重かろうと見えてさえいればどうとでも攻略できる。
しかして、球そのものが消失してしまってはどうしょうもない。
ここにこうして現れた花形とて、消える魔球と称される大リーグボール二号を誰よりも早く打ち果たさん、と魔球の謎を解き明かすべく日々研究を重ねていた。
花形は照れ、笑みを浮かべた飛雄馬を睨み、きみがそうして笑っていられるのも今の内だけさ、と口元に微笑を湛えつつ、先程の賞賛はどこへやらと言った苛辣な言葉を投げかける。
「…………!」
飛雄馬は顔を引き攣らせ、その大きな瞳を細め花形を見た。
と、一旦、部屋を出ていった受付の女性が盆に湯呑みを乗せ、入室してきたことで、場の雰囲気が和らぐ。
「間もなく担当の者が参りますので、もうしばらくお待ちください」
湯呑みをテーブルの上に置き、女性は部屋から出て行った。
ちらと飛雄馬は壁に掛かる時計を見上げたが、まだここに来て10分も経っていないことに気付くと、ぬるくなった湯呑みの中身を口に含む。
「大方、雑誌のインタビューとやらもきみの大リーグボール二号の秘密を聞き出そうと企画され、はたまたぼくにどんな攻略法があるか伺おうと思ってのことだろう。フフ、それを単なるスター選手へのインタビューだと勘違いし、嬉しそうにのこのこ現れるとはね。実に星くんらしい」
「っ…………!」
ついさっきまで嬉しそうに頬を染めていた飛雄馬の顔が今度は羞恥に歪む。
些か天狗になっていたところにグサリとやられ、飛雄馬は自身の腿の上に乗せていた手で拳を作る。
花形はまだ暖かい湯呑みに口を付けると、それで喉を潤した。
「なに、ぼくはアドバイスしただけさ。きみがうっかり口を滑らせ、大リーグボール二号の秘密を漏らさぬようにね。こういった出版社の記者らが秘密にしておけと言った約束を素直に守るとは思えん。特ダネだとばかりに雑誌に掲載するだろう」
「あ………」
飛雄馬は伏せていた顔を上げ、隣に座る花形を瞳に映すと、ありがとうございますと礼を言い、ぺこりと頭を下げる。
「…………なぜ、そう好意的に取る?君の口から漏れた消える魔球の秘密が他球団の選手に知れ渡るのが嫌なだけで、ぼくがなぜ既にその原理を暴いているとは思わんのかね。ぼくはきみを守ったわけではない。敵は少ない方がいいに決まっている────」
「っ、それでも、危うく少年漫画雑誌に載せられるかもしれなかった大リーグボールの秘密を、花形さんが守ってくれたことに変わりはない」
「…………」
再び、花形は緑茶を啜る。
飛雄馬は、それにしても、早く着きすぎましたね、と自身に出された湯呑みの中身を飲み干しつつ、そんな当たり障りのない話を振った。
「伴豪傑は今日は一緒じゃないのかね」
「はは。花形さん、いくらおれと伴が親友だからとは言え、四六時中一緒にいるわけないだろう」
花形の口から突然に飛び出した伴の名に飛雄馬は吹き出し、空になった湯呑みをテーブルに乗せる。
「そうか。それは都合がいい」
「都合……?」
何の話だ?と顔を上げた飛雄馬の顔を花形は真っ直ぐに見つめ、何やら言いたげに唇を動かした。
一瞬、その動きに目を奪われた飛雄馬の唇に花形はそっと自分のそれを押し当てる。
「え、っ!?」
驚き、目を見開いた飛雄馬に再び口付けを与えると、花形は開いた唇から覗かせた舌で彼の唇をそろりと撫でた。
「あ……?」
口付けを受け、反射的に目を閉じた飛雄馬だったが、花形が舌で唇をなぞってきたことに驚いて、うっすらと目を開ける。
「目は、閉じていたまえ……」
花形は吐息交じりに囁き、飛雄馬の唇を割ると彼の口内へと舌を滑り込ませた。
「う、っ、ん………」
飛雄馬の上の前歯を舌先でくすぐってから花形は彼の舌に己のそれを触れ合わせる。
微かに震える飛雄馬の肩をぐっと掴んで、彼の口内を花形はじっくりとその舌で撫でるように愛撫していく。
「っ…………ま、った。花形さん、まっ、て。どうして、こんなこと」
「…………」
ちゅっ、と互いの唇が離れ、音を立てる。
飛雄馬は耳まで赤く染め、唾液に濡れた唇を上下にすり合わせた。
「こんな、ところで、いつ誰が、来るかわからないのに」
「ノックもせずいきなり入ってくるような人間がこんな大手出版社にいるとも思えんが」
言いつつ、花形は飛雄馬の腿を掌で優しく撫でさする。
「ふ……っ、ん……う」
口付けのせいか敏感になってしまっている飛雄馬は花形の与えてくる刺激に声を上げ、体を震わせる。
戸を1枚隔てた向こうでは大勢の人が行き来する声や足音がひっきりなしに聞こえていた。
「やめ、てくれ、花形さん。人を、っからかうのは」
「…………」
花形の手が飛雄馬の足からその臍の下へと伸びる。
びくん、と飛雄馬は腰を引き、眉間に皺を寄せた。
ふふ、と耳元で花形が笑う声がして、飛雄馬は奥歯を噛む。
「ん、ん…………」
飛雄馬のソファーに座ったままの股間を撫で、花形は彼の耳朶に淡く歯を立てる。
そうして、花形は飛雄馬の穿くスラックスのファスナーを下ろし、中から男根を取り出すと、やわやわと掌に握り込み、揉みしだいた。
「あ、っ……!!」
「静かにしたまえ。声を出すとそれこそ人が来る」
囁き、花形は徐々に自分の手の中で熱を持ち、固くなり始めたそれを上下に擦る。
初めは柔らかく弾力のあった男根も花形が手を動かすたびに固く芯を持ち始め、その頭頂部である尿道口からカウパーがぷくりと顔を覗かせるまでとなった。
花形は溢れたカウパーを手に纏わせるようにしつつ、飛雄馬の亀頭からカリの位置を絶妙な力加減でしごく。
ちゅく、ちゅくと花形が手を動かすたびに先走りと男根が擦れ、音が鳴って飛雄馬は声を漏らさぬよう口を手で覆った。
「出してしまうといいさ。なぁに、ここには星くんとぼくしかいない」
飛雄馬の耳に舌を這わせ、花形はわざとらしくちゅっとリップ音を響かせ、そこに口付けを与える。
「い、っ……………」
「……………」
花形は飛雄馬の亀頭を掌で包み、彼が体を戦慄かせながら放出する精液をその手指で受け止めた。
「は……っ、ん……あ、あ……ぁっ」
とくん、とくんと男根は花形の手の中で脈動し、白い体液を吐き出す。
「上手にいけるじゃないか。ふふ」
「…………」
飛雄馬は目を閉じ、声を殺したまま絶頂を迎えた余韻と花形の手によって射精をさせられた屈辱を噛み締めつつ、頬につうっと涙を滴らせる。
と、戸をノックする音が聞こえ、花形は少し待ってもらえませんか、と戸の向こうにいるノックの主を低い声で牽制した。
「あ、っ……すみません。何やら話が弾んでるご様子ですか?」
「…………」
飛雄馬はぼうっと夢うつつの状態で、ベルトを緩めるとボタンを一度外してから己の体液に濡れた男根を下着の中に仕舞い込み、花形はその手をテーブルの上に置かれていたティッシュで拭う。
元の通りに飛雄馬が衣服の乱れを正すのを待ってから花形は戸の向こうにいる人物を呼んだ。
「ああ、すみませんね。おまたせしてしまって……おふたりとも、話はもう、いいんですか?」
「ええ、もう。終わりましたから……ねえ、星くん」
「…………」
何やら意味有りげに微笑んだ花形と、それに応えない飛雄馬の顔を部屋に足を踏み入れた記者は交互に見比べ、取り繕うような笑みをその顔に浮かべる。
案の定、記者が録音しつつ尋ねてきたことは花形は言った通り、大リーグボール二号の謎と攻略法についてで、ふたりはそれを上手く躱しつつ、雑誌を読む少年少女らから誌面に寄せられていた可愛らしい質問に丁寧に答えた。
そのまま無事にグラビア写真の撮影も終わり、ふたりは記者たちの見送りを受けつつ出版社を後にした。
「送ろう、星くん。ぼくの車に乗りたまえ」
「さっきの、あれは……どういう、つもりで、っ」
出入り口付近の来客用駐車場に停めたオープンカー の助手席に乗るよう花形は飛雄馬を誘う。
「あのまま、最後まで行ってもよかったのだが。とんだ邪魔が入った」
「くっ!」
花形の発言にかっと飛雄馬の頭に血が昇る。
「なに、楽しみは後のために取っておこうじゃないか星くん」
「たの、しみ……?」
オープンカーの運転席に飛び乗り、花形は座席に座ると何やら発言の意味が分からず目を瞬かせている飛雄馬を見遣る。
「大リーグボール二号、その秘密の半分はもう既に暴いているとだけ、言わせてもらおう。ふふ……」
飛雄馬の表情が再び険しくなり、その眉間には深い皺が刻まれる。
「花形さん、あなたという人は、おれを持ち上げたり、絶望させたり、どうして、そう……」
「…………」
花形は口を噤み、何も答えないまま、エンジンをかけ車を走らせ、その場を去った。
しばらく、小さくなっていくその後ろ姿を飛雄馬は見つめていたが、近くに停まっていたタクシーに声をかけ、後部座席に乗り込み巨人軍宿舎まで、と指示を出す。
消える魔球の謎をもう、半分暴いているだって?そんな馬鹿な話があるか、と飛雄馬は座席に背を預け、腕を組む。
あんなのは花形さんが得意とするハッタリで、さっきのことだっておれを惑わそうとしただけに過ぎないのをもっともらしく黙ったまま行ってしまっただけだ。
飛雄馬は目を開け、車窓の向こうの景色を見つめる。何ら普段と変わらない見慣れた東京の街。
タクシーのカーラジオから流れる中日vs大洋戦の実況を聞きつつ、飛雄馬は花形の感触の残る唇を噛んだ。