原罪
原罪 「ねえちゃん、いいよ。ゆっくり休んでて」
「ありがとう、飛雄馬。わざわざ来てくれて」
ふと、そんな会話が扉の向こうから聞こえてきて、花形は読んでいた本に栞を挟み、来客の訪問を待つ。
そう間を置かず、扉は開かれ、顔を出したのは今を時めく巨人軍の星、星飛雄馬とその姉・明子であった。
明子はベッドから体を起こし、こちらを見ていた花形に小さく会釈すると飛雄馬に何事かこそこそと耳打ちしてからその場を去っていった。飛雄馬はしばらく彼女の姿を見送っていたが、すぐに部屋に入ると扉を閉める。
「こんな格好ですまないね」
パジャマ姿であることを詫び、花形はベッドの側にある椅子に座るよう促した。
「いえ、お構いなく……体は、もういいんですか」
飛雄馬が訊く。
つい、数週間前になるだろうか。
蜃気楼ボールと呼ばれる魔球。右腕投手となった背番号3を背負った星飛雄馬が放つ右大リーグボール一号。
かつての大リーグボール三号を彷彿とさせるようなアンダースロー。それは飛雄馬の手を離れ、打者まで届く間に本来ならばひとつである球が無数に変化するもの。
どれをミートすればよいのか目を白黒させているうちにそれはひとつに戻り、捕手のミットに到達する。
各球団は総力を上げこの球を打とうと研究し、秘密の特訓を打者にさせた。
しかして、誰一人打てぬまま、この星飛雄馬を擁する巨人は連日連夜快勝を重ね、まさしく向かうところ敵なしの状態であった。しかしてある日、この魔球もたった一人の男によって無敵神話に終止符が打たれることとなる──その蜃気楼ボールを打ち崩したのは他でもない花形満であった。
星飛雄馬の父である星一徹に教えを請い、かつて星飛雄馬が着用していたものと同じようなギブスをその身に纏い、義理ではあるが父子二人山に籠もりそれこそ血の滲むような特訓をしたがゆえのあの一打。
完全試合目前であった飛雄馬は花形の本塁打によってそれを阻止された。
けれども飛雄馬は恨むでも悲しむでもなく、ただただ打席に立ち、真っ直ぐにこちらを見つめてくる花形を美しいと思ったし、全身がズタズタになりながらも塁に帰還した精神力に感動さえした。
飛雄馬はその時の一部始終を思い出し、大きな瞳を潤ませる。
「ああ、もうだいぶいい。ふふ、明子ももう臨月だ。じき子が産まれ、ぼくも父親になる。不思議なものだな」
「花形さんも、ねえちゃんも、人の親に、なるんですね」
これ、丸目からと伴からです、と飛雄馬は持ち寄った果物の盛り合わせと花束を花形に手渡す。
明子に渡してくれたら良かっただろうに、と言う花形に、ねえちゃんが直接渡せとそう言ったので、と飛雄馬は返し、照れ臭そうに笑った。
「…………きみと戦うことがぼくの青春だった。きみを倒すことがぼくのすべてだった。それも、もう終わりだ」
「次は、産まれてくるねえちゃんとの子供を幸せにしてあげることに全力を注いでください」
「飛雄馬くんに、そう言われると弱いな。フフ、それは言われるまでもないことだ。ぼくは、きみの球を打つためなら死んでもいいと思った。いや、死にたいと思った。産まれてくる子の父親としてではなく、永遠にヤクルトスワローズの背番号3、花形満としてきみの中に生き続けたかった」
「…………?」
ぎょっとして飛雄馬は花形を見つめる。
花形もまた飛雄馬を真っ直ぐに見つめ、瞬きひとつしない。
「フッ、フフフッ、飛雄馬くん。きみは変わらないな。相変わらず、冗談の通じん男だ」
「あ、っ………」
冗談、だったのか、と飛雄馬はほっと胸を撫で下ろす。死んでもいいと思ったなんてそんな、今から父親になろうとする人が口にしていい言葉ではない。
ねえちゃんが聞いたら卒倒してしまう。
皆が赤ん坊の誕生を今か今かと心待ちにしているというのに。
「ぼくはそういう覚悟をして、あの日打席に立った。けれど、幸か不幸か、まだこうして生きている」
「やめて、ください。そんなこと、ねえちゃんが聞いたらどう思うか」
「仮にぼくが死んでいたとしても明子はきみを恨んだりはしないさ。ふふ」
意味ありげに花形の瞳が細く歪む。
気味が悪い。なんだってこの人はこんなことをおれに言うのか。花形さんらしくもない。飛雄馬は薄ら寒いものを背筋に感じ、ごくりと唾を飲み込む。
「ゆ、ゆっくり体を休めてください。また来ます」
言って、飛雄馬はその場を立ち去ろうとするが、それを花形が引き留め、すまないがりんごを剥いてくれないかとそんな言葉を口にする。
「ねえちゃんに……」
頼んだらどうですか?と飛雄馬は続けようとしたところで、身重のねえちゃんに再び花形さんが眠る寝室、屋敷の2階に来てもらうよう頼むことは酷であろうと考え、それを承諾した。
「それは助かる」
花形はベッドの側にあったサイドテーブルの上から果物ナイフを手繰ると、飛雄馬に柄の方を向け差し出す。
先程の発言のせいか刃物を花形が持っていることが妙に恐ろしく、飛雄馬は恐る恐るそれを受け取り、ケースを外すと持ち寄った果物の盛り合わせの中からりんごを取り出し、皮を剥いていく。
「…………」
じっと手元を見つめてくる花形の視線が気になったが、あえて反応することなくりんごの皮を剥くと、それを掌の上で半分に切り、また半分に切ることを繰り返して食べやすい大きさにしてから身から芯と種を切り分け、ここに置くといいと言われた小さなトレイの上に並べた。
「ありがとう」
礼を言って、花形はそのひとつを取ると、口に含む。小気味よい音を立て彼の上下の歯はりんごの果肉を咀嚼する。
「……………」
果物ナイフをサイドテーブル上のティッシュ箱から取り出した1枚で拭って、飛雄馬はそれをケースの中に仕舞った。
「飛雄馬くんもひとつ、どうだね」
「じゃあ、ひとつだけ」
一瞬、断ろうとも思った飛雄馬だったが、これを食べたら帰るという良い口実ができた、とりんごのひとかけを手にし、それを頬張る。固くみずみずしいりんごの淡い味に飛雄馬は思わず微笑した。
さすが伴が選んだものだけあるな──などとそんなことさえ思いつつ、飛雄馬は手にしていた残りのりんごを口にして、それを噛み砕く。
「……食べなければよかったのに」
「………?」
ふいに不穏な言葉をかけられ、咀嚼もそこそこに飛雄馬はりんごを嚥下する。
「飛雄馬くん、手を借りてもいいだろうか。ずっと寝ていたもので筋力が落ちてしまったようでね」
「…………」
食べなければよかったのに、とはどういう意味なのか?勧めてきたのはそちらだろうに、と飛雄馬がその真意を確かめるべく手を差し伸べ、口を開いたところで突然に花形が彼の手を握るや否や、強い力で己が方に引き倒した。
「な、っ…………!?」
白いシーツの敷かれたベッドの上に倒れ込んで、飛雄馬はあまりのことに呆然となる。花形は握った手をすぐさま離すと、体を起こし飛雄馬の上に覆いかぶさるようにして跨った。ベッドに突っ伏すように倒れた飛雄馬は花形の下で体を仰向けのそれに体勢を変え、彼の顔を睨み付ける。
「飛雄馬くん、今夜だけでいい。ぼくのものになってほしい」
「ばっ、馬鹿な!花形さん!よしてくれ!そんな、そんなこと」
「ぼくときみの青春の終止符を打ちたいのだよ、飛雄馬くん。きみなら、分かってくれるだろう」
「わっ、分からん!あなたが、今、何を考えているかも、何をしようとしているかも、おれには分からない。今日の花形さんはどこか変だ」
「変…………ふふ、一人で見舞いになど来なければよかったのに」
「っ………花形さん」
「…………」
花形が顔を寄せ、飛雄馬の唇に口付けようとしたところに扉が叩かれ、ふたりはハッと音のした方向に視線を遣った。
「飛雄馬、大丈夫?大きな音がしたから見に来たんだけど」
「ねっ………」
花形の掌が飛雄馬の口元を覆う。
「大丈夫だ。明子は休んでいるといい。積もり積もった話があるからつい盛り上がりもするさ」
「そ、そうよね。私には分からない、ふたりの話が、あるわよね。ごめんなさい。飛雄馬、ゆっくりしていってちょうだいね」
足音が遠ざかるのを聞いて、花形は飛雄馬から手を離す。
「花形さん!あなたはねえちゃんを裏切るのか?なぜこんな、ことをっ」
叫んで、飛雄馬はぽろっと瞳から涙を溢した。
「………ぼくはきみを手に入れたかったんだ」
「え……?」
呆けた飛雄馬の唇を花形はそっと啄む。
反射的に飛雄馬は目を閉じ、固く唇をも引き結んだ。
「…………」
固く身を強張らせた飛雄馬の緊張を解すように花形は彼の額に口付け、その瞼に触れ、まつげを濡らす涙を唇で掬い取る。
日に焼けた赤い頬、その皮膚の上に唇を滑らせ、花形は飛雄馬の唇の端にそっと口付けた。
そうして、緩んで柔らかくなった飛雄馬の唇に己がそれを押し当てて、微かに開いたそこから口内へと舌を滑り込ませる。
興奮したせいか、熱い飛雄馬の舌に自分のそれを絡ませて、逃げるべく顔を背けた彼の上唇に歯を立てた。
「つ!」
声を上げた飛雄馬の目がゆるゆると開いて、濡れた瞳に花形を映す。
「きみは巨人の星をずっと夢見ていたのだろうが、ぼくはずっときみを見ていた」
「……………」
飛雄馬は押し黙ったまま、花形を見上げている。と、花形は飛雄馬の着ているシャツの裾へと手を伸ばす。ハッ、と飛雄馬は一度花形が触れた腹に視線を遣ってから再び彼の顔を見上げる。
飛雄馬の白い肌を指先で撫でつつ、花形は彼の着ているシャツとその中のタンクトップをゆっくりたくし上げていく。
日に当たることのない白い腹が呼吸のたびに上下して、飛雄馬はあまり見ないでくれ、と小さな声で囁いた。
「もう二度と見ることはないだろうからね。しっかり目に焼き付けておきたい」
腹から胸までを肌蹴させ、花形はその胸元に口付ける。びくっと飛雄馬の体が跳ねて、その口からは喘ぎが漏れる。
白い肌に赤い痕跡を残しつつ、花形は飛雄馬の跳ねる腰からベルトを緩め、穿いているスラックスをずらした。
そうして、臍へと下って、現れた足、その腿に口付ける。
スラックスを片足から抜いて、花形は飛雄馬足を手で支えるとその腿から脛へと唇を滑らせ、音を立て肌を啄み、そこに跡を付けていった。
飛雄馬は腕で顔を覆ってはいたものの、花形の与える刺激に素直に反応を返し、声を上げる。
と、花形は少し飛雄馬の上に跨る位置を変え、飛雄馬の下着の上からほんの少し立ち上がりつつある男根に唇を押し付ける。
「あ、っ…………」
下着を持ち上げるそれの頂上部に吸い付くと、飛雄馬は腰を切なげに揺らし、唇を引き結ぶ。
「ふふ、きみも興奮してくれているんだね。嬉しいよ」
言うなり、花形は飛雄馬の穿いている下着を剥ぎ取る。すると、中からは完全に立ち上がった男根がバネ細工のように飛び出し、その鈴口は先走りに濡れている。
「っ、っ…………」
「でも、飛雄馬くん、ここは触らない。きみには女になってもらうよ」
「…………え、っ」
花形は体を起こし、振り返るようにしてサイドテーブルに置かれた小さな容器を手にすると、そのまま蓋を開け、中身を指で掬ったかと思うと、飛雄馬の立てた膝、開いた足の秘部へとそれを塗布する。
「な、っ、ん、ンっ………」
「ワセリンさ。ふふ、明子が置いていったものだ」
粘膜と花形の指が摩擦し合って、くちゅくちゅと鳴った。窄まったそこを刺激に慣らしてから、花形は飛雄馬の中に指を挿入する。まずは一本からゆっくりと丹念にそこを拡張し、解す。
「花形、っ、さ………っ」
「………」
飛雄馬の様子を見つつ、花形は二本目を飲み込ませる。暖かな粘膜は花形の指に絡みついて、それを締め付ける。
この時点でもう花形の下腹部もはちきれんばかりに出来上がっていた。
「あ、っ、あぁっ!」
飛雄馬の立てた膝が揺れる。花形が飛雄馬の中で指を動かすたびに彼の男根からは先走りが漏れ、腹を濡らす。
指を出し入れし、その感覚に慣れさせ、花形は指を抜くと微かに震える飛雄馬の唇にそっと口付けてからパジャマのズボンを僅かに下ろして、いきり立った男根を取り出す。
「花形さっ、それはっ、それだけは、っ」
目元に当てた腕の隙間から飛雄馬は今まさに自分を貫こうとする花形の欲を目の当たりにし、叫んだ。
「飛雄馬くん、愛しているよ。ずっと」
花形は飛雄馬の足を脇に抱えてから男根を彼の尻に宛てがって、腰を押し付ける。
ワセリンのおかげか容易く飛雄馬は花形を飲み込んで、飛雄馬は粘膜を押し広げる花形の圧に身を仰け反らせ、呻いた。
時間をかけ、ゆっくり花形は自分の形に飛雄馬を慣らし、根元までを彼の腹の中に埋める。内壁は異物の侵入を拒むがごとく花形を締め付けた。
「っ、く、ぅ………うっ」
腹の中をいっぱいに満たす花形に飛雄馬は悲鳴を上げ、いつの間にか体を横たえているベッドのシーツを握り込む。
花形は上ずる飛雄馬の顎に口付けてから、腰を叩く。飛雄馬の腹側の粘膜を花形の逸物が撫で、擦ることで理性を飛ばす。
「は、っあ…………あ、花形、花形さ、ああっ!」
飛雄馬の声も次第に苦痛のそれから高い鼻がかったそれへと変わる。背中を弓なりに反った飛雄馬の胸の突起へと花形は吸い付く。
「だめっ、あ、っ、変、へん、なの、来っ…………!」
強く吸い上げた突起を舌で転がし、花形は飛雄馬の逃げる腰を捕まえ、奥を叩く。
塗り付けたワセリンがぐちゅぐちゅと鳴って、飛雄馬は再び顔を腕で覆う。
「飛雄馬くん、出すよ……いいね」
囁いて、花形は飛雄馬の中に射精する。
「い、っ、いやっ、っ───」
「……………」
どくどくっ、と花形は飛雄馬の中で達する。飛雄馬もまた小さく震え、体にぱあっと汗をかいてから腹を上下させる。
「………は、っ………ん、ふ、」
未だ体を戦慄かせている飛雄馬の涙の雫の残る頬に口付け、花形は彼から男根を抜くとティッシュでそれを拭い、下着の中に仕舞った。
「…………っ、花形さん。ねえちゃんを、ねえちゃん……幸せに」
「…………」
うわ言のように呟いた飛雄馬の額に汗で貼り付いた前髪を花形は拭ってやったが、彼はそれを拒絶するように跳ね除け、体を起こす。
「あなたはっ、もうねえちゃんの夫であり、産まれてくる子供の父親だ。こういうことは二度と、っ…………」
耐えかね、飛雄馬の頬を再び涙が伝う。飛雄馬くん、と花形はそれを拭ってやろうとしたが飛雄馬は彼から距離を取り、下着を穿こうとしたがうまくいかずよろよろとベッドに手を付いた。
「…………落ち着いたら降りてくるといい」 「……………」
花形は何事か続けようとしたが、口を噤み部屋を出ていく。
下では明子がソファーに座り心配そうな面持ちでこちらを見上げてきており、花形はその顔に笑みを携えてから階段を降りていった。
「飛雄馬は?」
「……じき降りてくるさ。ふふ、話が盛り上がってね。すまない」
「いいえ。いいんです、気にしてませんわ」
明子は膨らんだ己の腹を愛おしそうに撫で、その顔に幸せそうな笑みを湛える。
「………………」
その様を花形はじっと何やら声を掛けてやるでもなく見つめ、ふと、階段を降りてくる飛雄馬の姿に気付いた。
「ねえちゃん、体に気を付けて。赤ちゃんに会えるの楽しみにしてるよ」
「ふふ、そうね。抱っこさせてあげるわ」
「………………」
ちらり、と飛雄馬は花形を一瞥し、花形もまた、彼を見つめる。
「花形さんも、ゆっくり体を治すことに専念してください」
「ああ、ぼくにまでそんな言葉、すまないな」
飛雄馬の口を吐いた言葉に花形は当たり障りない返事をし、玄関まで送ろうと言った。私も行くわと言う明子を大丈夫だからと制し、花形は飛雄馬の後を追う。
そうして靴を履き、出て行こうとする飛雄馬の腕を取るとこちらを向かせた。
「飛雄馬くん、ぼくは」
「花形さん、それから先は言ってはだめだ。あなたは、ねえちゃんの夫で、産まれてくる子の父親なんだから」
「……………」
「それじゃあ、また」
飛雄馬はそんな言葉を残し、花形の屋敷を出ていく。
手を伸ばせばそこにいた飛雄馬くんが、遠い存在になってしまう。果たして、自分の人生、これでよかったのだろうか、と脳裏にそんな考えがよぎって、花形は首を振る。いいや、もう何も、何も考えまい。
飛雄馬くんの言う通り、産まれてくる子供のことだけを考えていたらいい。
彼を打つために生き、彼を倒すことに人生のすべてを懸けた。そこに悔いはない。
もうライバルとして、ぼくはきみの隣を歩くことはできない。
「あなた」
「……………」
声を掛けられ、花形は背後を振り返る。出来るだけ平穏を装って。
ニコッと微笑む明子に笑みを返して、花形は彼女の膨らんだ腹をそっと撫でた。