月光
月光 内壁を引きずり、中に出された体液を掻き出しつつ自分から離れていく伴の感触に飛雄馬は身震いすると、一度、大きく溜息を吐いた。
体を横たえている布団には汗が染みたかじっとりと重く肌に貼りついている。
月が出ているのか、明かりを消しているというのに部屋の中は妙に明るい。
布団の上に投げ出していた足を引き寄せ、飛雄馬は背を向け、後始末をしているらしい伴に、「中には出すなと言ったはずだが」と先程の行為のことを咎めるような言葉を投げかけた。
「う……その、あの……」
「言い訳は聞きたくないな、伴。人が寝ているところに忍び込んできたかと思えばこれだ。いい加減にしてもらいたい」
「す、すまん、星……あ、あんまり、そ、その」
ティッシュをくれ、と飛雄馬は体を起こしつつ、伴に向かって手を差し出す。
伴はなにやらもごもごと口ごもりながらも飛雄馬にティッシュの箱を手渡した。
「あんまり、なんだ?怒るなと言いたいのか」
ついさっきまで伴と繋がっていた場所を拭って、飛雄馬は近くにあったゴミ箱にティッシュを投げ入れると、乱れた寝間着代わりの大きめの浴衣を正し、続きの言葉を待つ。
「星の中が、気持ちよくて、つい……のう」
「ばか……」
半ば呆れつつも吹き出し、飛雄馬は、まあ、いい。言ったのはおれだからな、と呟いて、寝よう、とも続けた。
「う、うむ。いつもわしのわがままに付き合ってもらうばかりで申し訳ないわい」
「そう思うのなら夜更けに部屋を訪ねんことだ」
ピシャリと伴を跳ね除け、飛雄馬は布団に再び横になると、大きな体を縮こめてぶつぶつと何やらぼやいている後ろ姿を眺め、微笑む。
「うぐぐ……」
「もういい。伴も早く寝ろ」
「う、うむ……ここで寝てもいいか?」
「それは構わんが、二度目はないからな」
飛雄馬の言葉に、伴はニッコリと満面の笑みをその顔面に湛え、布団の半分を空けてくれた彼の隣に体を横たえた。
「…………」
「どうした、寝ないのか」
いつもならものの数分で大いびきをかきながら夢の世界に旅立つはずなのに、今日に限って伴は何やら天井を見上げ、物思いに耽っている様子が見られ、飛雄馬は何事かと尋ねた。
「いや、ちょっとな、昔、星に似た男に会ったことがあったのをふと、思い出してのう」
「…………」
「街中で、すれ違ったときに懐かしい匂いがしてな、それでつい、その男を呼び止めたことがあるんじゃい」
飛雄馬もまた、伴の言葉に、当時のことを思い返す。星じゃないと言うおれを呼び止め、あの、今にも泣きだしてしまいそうな、そんな表情をこちらに向けてきた、今となっては遠い昔のことを。
おれのいた山中の打撃練習場を訪れた際、その時のことを訊かれるのではないかと思ったが、それは杞憂に終わり──今になってその話をするとは、と飛雄馬は伴の横顔を食い入るように見つめた。
「それで?口説いたか」
「ばっ、ばか!そ、そんなこと……」
「ふふ。茶化してすまん。続けてほしい」
「それで、うちまで来てくれてのう。腹が減ったというわしのためにめしを作ってくれたんじゃ」
「めしを?器用な男がいるものだな」
「う、うむ。やたらと手際がよくて驚いたわい」
「…………」
伴は、てっきり、おれだと気づいていると思っていたが。それとも、鎌をかけているのだろうか。
伴はそんな、駆け引きをするような男だっただろうか。
飛雄馬は、ふっ、と口元に笑みを携えてから、それで、彼を抱いたか、とも訊いた。
すると、とぼけてごまかすかと思った飛雄馬だったが、予想に反して伴はガバと体を起こし、その大きなどんぐり眼をこちらに向けてきて、思わず面食らった。そうして、何をするかと思えば、伴は姿勢を正し、正座の格好を取ると飛雄馬を前に、額を畳に擦り付けた。
「すまん。星、この通りじゃ。つい寂しさから星と似た男と関係を持ってしまった。許してくれとは言わん。煮るなり焼くなり好きにせい」
ああ、そうだ。伴はこんな男だった。
飛雄馬は頭を垂れ、微動だにしない伴を目の前に、唇を震わせる。
馬鹿正直で、真面目で、嘘をつくのがやたらに下手なのだ。そんなこと、黙っていればわからないだろうに。
それはおれだって同じこと。
おれは星じゃないと嘯く口で、きみに体を任せたのだから。自分から離れておきながら、おれはいつだってきみの面影を探していた。
あの雑踏の、数百の人が行き交う中、きみは、伴は、おれを見つけ出してくれたのだ。
「もう、済んだことだろう。謝ることはない」
「ほ、星……」
おずおずと飛雄馬に促され、伴は顔を上げた。
「おれも、きみに似た人を見つけて懐かしくなったことが何度もある。おあいこさ」
「……う」
月明かりに照らされ、伴の目元に浮かんだ涙がキラリと光ったのを飛雄馬は目の当たりにする。
「伴……」
「あ、いや、すまん。星もわしと同じことを思ってくれていたんじゃなとつい嬉しくてのう。星のことを考えん日はなかったからな」
「大袈裟だな、伴は」
「に、にゃんじゃと!大袈裟なんかじゃないわい!毎日毎日星は元気じゃろうかとかどこで何をしとるんじゃろうかとかそんなことばかり考えとったわい」
「…………」
その言葉に、飛雄馬の瞳にも涙が滲む。
しかし、それを悟られぬよう伴に背を向け、飛雄馬は、もう寝よう、と同じ台詞を繰り返す。
「あの、名前は何じゃったかのう。あの、星に似た男が、どこかで幸せにしてくれとったらいいんじゃが」
「相変わらず、いいやつだな、伴は」
「そ、そうかのう」
「ふふふ」
「なんか釈然とせんのう」
「おやすみ」
「う、う〜ん」
飛雄馬は伴の匂いが染みた布団の中で体を丸め、目を閉じる。すると、しばらく伴は寝返りを打っていたが、そのうちに高いびきをかき始めた。
いつも、きみには助けられてばかりだな、伴。
飛雄馬はそっと体を起こし、眠る伴の頬に口付けてから再び、布団に潜る。
背中に触れる伴の体温が心地よくて、飛雄馬は数秒のうちに訪れた睡魔に抗うことなく、その身を任せた。