風雪
風雪 「痛むかい」
灯りの消された暗い寝室で体を起こし、左腕をさすっていた飛雄馬は隣から投げ掛けられた質問に一瞬、口を噤んでから小さく頷くと、寒い日はな、と続けた。
「病院へは行ったのかね」
体を預けるベッドのスプリングが軋み、隣に寝ていた人間が体勢を変えたことを飛雄馬に知らせる。
その後、すぐに暗闇の中に赤く小さな炎が上がり、辺りには微かに焦げ臭い匂いが漂う。
「いいや、行ってはいない。行ったところでどうしようもないだろう。断裂した筋や神経を元通り縫い合わせてもらえるとは思えん」
「…………」
「そんなことより早くねえちゃんのところに帰ってくれ。心配するんじゃないのか」
「フフ、なに、気にすることはない。急な出張を頼まれたと電話を入れたさ。夜が明けるまでここにいたまえ」
「しかし」
「そんなに姉が心配なら一度くらい顔を見せてやったらどうだね」
「…………」
ここに来て、もうどれくらいの時間が経ったのだろうか。川べりの公園にて草野球に興じる選手らが雪が降り始め、吹雪いてきたことで試合を中断させ、蜘蛛の子を散らすように逃げ帰っても尚、球場に立ち尽くしていたところをまさかこの男に呼び止められようとは、夢にも思わなかった。
国道には雪が積もり始め、車があちこちで立ち往生する中、共に入ったホテルの一室。
知らぬふりをして振り切ってもよかった、いや、そうするつもりだったと言うのに、冷えた左腕が疼いて堪らなかった。冬はあまり、好きではない。
忘れようと努める痛みと、傷を思い出させるから。
「何か飲むかい。とは言っても、ビールくらいしかないが」
入ってすぐから感じた煙草の香り、そのじめじめとした陰気臭い匂いの染み付いた狭い部屋。
場末の、こんな事態でもなければ誰も泊まりはしないだろうという古ぼけたホテルの一室。
高級外車を乗り回す男がこんな場所を選ぶとは。
「…………」
「もっと上等な場所がよかったかね。フフ……次はきみの、飛雄馬くんのお気に召す場所を手配しておくよ」
「誰も、そんなことは言っていない」
「おや……そうか。それは失礼。お世辞にも綺麗とは言えん場所だからね。気分を損ねてしまったかと」
くすくす、と男は──花形は笑みを溢すと、咥えていた煙草を消すためかベッドから立ち上がった。
弾みでベッドが揺れ、飛雄馬は暗闇の中、まだ慣れぬ目で彼の姿を追う。
「灯りを、付けてくれないか」
「灯りを?暗い方がいいんじゃないかね。明るい場所でぼくと顔を突き合わせて何を話す?」
「はっ、花形さんが、動きづらいだろうと思って」
笑い声混じりの問い掛けに飛雄馬は面食らい、慌てて場を取り繕うべく、そんな言葉を紡ぐ。
今の刹那、脳裏によぎったのは花形の肌の熱さだったゆえに、飛雄馬は変に動揺してしまう。
もしかすると夢だったのかもしれぬ──そう思っていた淡い期待も彼の一言によりたちまち掻き消され、飛雄馬は、事実を確かめるかのように自分の下腹を撫でた。
と、再びベッドのスプリングが軋む音で飛雄馬は我に返り、ハッ、と慌てて上げた顔の目と鼻の先に気配を感じたが、逃げる間もなく唇を塞がれる。
「な、っ…………う、」
身を強張らせ、顔を逸らした飛雄馬の耳元に花形は唇を寄せると、勢いのままにベッドの上へと押し倒す。
飛雄馬もまた、花形の口付けから逃げるのが精一杯の状態で、抵抗することもなく背中からベッドへと落ちた。スプリングがいつまでも軋み、不愉快なバネの音を立てる。
「…………」
また、例の気配があって、飛雄馬はついと顔を逸らすと目を閉じた。観念した、と言ったほうが正しいか。
唇に触れた感触に応えるように口を開け、飛雄馬は花形を受け入れると、その首に腕を回す。
自分が寝ている間に、酒でも飲んだのか、触れ合う肌は先程のそれよりもっと熱くて、飛雄馬は吐息とともに高い声を上げた。
ジャケットとベストこそ身に着けていないが、ある程度の身支度は整えていたらしき花形の姿が目の前にはあって、飛雄馬はそのシャツの感触を確かめるように肩口へと指を下ろし、その腕に縋る。
花形の膝が飛雄馬の閉じ合わせていた腿を左右に割り、その間に体を滑り込ませてくる。
「っ、く…………」
「フフッ……腰の位置を合わせるのも上手になったじゃないか。そう、その高さだ」
一旦、花形は体を起こすと、履いているスラックスのファスナーを下げていく。
その金属同士が擦れ合う音に、飛雄馬は身をよじり、花形の体の両脇に置かれている膝を揺らす。
そうして体の中心にあてがわれた熱に唇を引き結び、腹の中へと侵入してくる異物の違和感に対し、大きく息を吐くと、花形の腕に爪を立てた。
「う、ぅ…………っ、」
「きつい?」
「ん、ん……っ……」
「最後まで入れるよ」
その言葉とともに尻を腰で叩かれて、今まで触れるか触れないかの位置をゆるゆると撫でていた花形の男根が前立腺をまともに突き上げ、飛雄馬は今ので軽い絶頂を迎える。
半ば立ちつつある、飛雄馬の腹の上で花形の腰の動きに合わせ揺れる男根の先からは先走りが溢れ、腹へと滴り落ちた。
「あ、ぁっ……っ、!」
余韻に浸る間もなく腰を引かれ、飛雄馬は花形の腕に縋ったまま声を上げる。
「ゆっくり覚えていくといい。この場所」
引かれた腰を叩きつけられて、飛雄馬は花形から与えられる快感から逃れるべく身をよじった。
けれども、腕に縋った手を掴まれ、顔の横、ベッドの上に左右それぞれ縫い留められたかと思うと、中を抉るように腰を回され、飛雄馬は白い喉を晒し、絶頂を迎える。全身は汗に濡れ、開きっぱなしの口から溢れた唾液が顎を伝った。
「…………!」
これで終わる、解放される、と虚ろに開けた目を瞬かせていた飛雄馬の腹の中は再び擦られ、突き上げられる。花形の口付けに応え、飛雄馬は与えられた甘い唾液を喉を鳴らし、飲み込んだ。
舌を絡め、その唇を啄んでから花形は飛雄馬の両手を彼の頭上の上に一纏めにすると、彼もまた絶頂を迎えるために腰を叩く。
「っ、っ…………ぅ、っ」
握られた手首が引き攣り、飛雄馬は顔をしかめるが、またしても迎えた絶頂に肌を粟立たせ、体を小さく戦慄かせた。
「腰が動いてる。フフッ……気持ちいいね」
「嘘っ………っ、ハッタリだ、そんな、のっ!!」
背けた顔、その耳元で囁かれ、飛雄馬は腹の中にいる花形を強く締め付ける。
「ほら、出すよ。どこがいい?」
「なっ、中に……っ、」
「聞こえない」
「中に出せ、っ……!」
腹の中で何かが大きく弾けて、飛雄馬は喉から掠れた声を上げると涙に濡れ、霞んだ瞳を花形へと向けた。
「…………」
それから、腹を圧迫していた重みが消え、体内から放出された液体を掻き出しつつ離れていった存在に、飛雄馬は身をよじり、大きく息を吐いた。
体を預けているベッドシーツが汗を吸い、やたらと肌に貼り付く。
「…………」
「朝になったら医者に診せようじゃないか、その腕──」
「なぜ今更?何のために」
「まともに動かぬ状態では日常生活にも支障が出るだろう」
「……おれのことはもうほっといてくれないか。あなたが第一に考えるべきはねえちゃんのことだし、会社のことだ」
「…………」
「そんなもの?」
何やら、花形が呟いた気がしたが、上手く聞き取れず飛雄馬は訊き返したものの要領を得ず、有耶無耶になってしまった。
幸せな結婚生活と、大企業の専務と言う肩書を持ちながら、花形さんはこれ以上、何を望み何を手に入れようとしているのか。
花形がまた、煙草に火を付けたか部屋の中には独特の匂いが漂う。ベッドの上で身支度もろくに整えぬまま目を閉じ、飛雄馬は花形の嗜む煙草の匂いを嗅ぎつつ眠りに落ちていく。
ゆっくりお休み、飛雄馬くん、という優しく囁く声をどこか遠くに聞きながら。