不安
不安 「っ、あ、あっ……!」
呻いて、飛雄馬は体を反らすと体の奥に放出された熱を感じながら自分もまた、押し寄せてくる快楽の波に身を委ね、目を閉じて絡ませた伴の指、その手を強く握り締めた。ぴくぴくと体を戦慄かせ、飛雄馬は全身に力を込めたまま伴の脈動が治まるのを待つ。
するとその内、伴も射精を終えたか飛雄馬の中から逸物を抜くとティッシュでそれを拭って下着の中に仕舞い込んだ。
飛雄馬はその様子をじっと目で追っていたが、絶頂後の気怠さに次第に瞼が重くなり、遂には寝息をたて始めてしまった。
はぁ、はぁと飛雄馬が荒い呼吸を繰り返すのを伴も聞いていたが、ふいにそれが規則正しくなり、呼吸音が小さくなったために、何事か、と振り返った。
と、前述の通り飛雄馬が目を閉じ寝入っていたために、寝たのか、と安堵の息を漏らしてから彼の体の上に布団を掛けてやる。 目尻にはまだ涙がうっすらと残っていて、伴はそれを指でそっとすくい取った。
あんなことがなければ、まだ高校に行っている年齢なんだよな、と伴はかつての己の親父の闇討ち事件のことを思い出しつつ、飛雄馬の髪を撫でてやる。
読売ジャイアンツの川上哲治監督が現役時代に背負っていた番号を貰い受け、幼き頃より父と目指した巨人の星、その球団で腕を振るう彼の顔にはまだ幼さが残る。いや、顔だけではない、その体躯からしても小柄であり、プロ野球選手としては些か不利なようにも思える。
しかして彼は、その小柄な体ゆえに大リーグボールという魔球をこの伴宙太相手に編み出し、そのデカブツの他球団打者たちをきりきり舞いさせているのだから、人生とはわからぬものよ、と伴はぶるっ、と武者震いをしてから拳を握る。
針の穴をも通すと言われたコントロールとその手の放つ球の速さだけでも目を見張り、大いに高校野球界では持て囃され、会場を沸かせたというのに、今はどうだ。
幼き頃より豪速球一本でやって来た星飛雄馬にとって、プロの世界でそれは通用しないと知ったときの心中はいかばかりか。
その苦難の末に編み出した大リーグボール一号。構えた相手のバットに球を見事に命中させるという奇想天外な投法。
わざと当てられた球はうまい具合に跳ね返り、そのまま投手のグラブの中に飛んでくる、という仕組み。この狐に馬鹿されたような、奇奇怪怪ぶりに他球団の選手たちは震え上がった。仲間の巨人軍の選手たちとてそれは例外ではない。
そんな夢のような魔球――この星飛雄馬という投手は現にそれを生み出し、投げたのだ。
不安で眠れぬ日もあっただろう、震えて球を投げるのもやっとの日もあっただろう。 「星」
なんだか伴の方が泣きそうになって、彼は目のあたりをグイグイと手で拭った。
「………まだ起きていたのか」
「はっ、ほ、星っ」
ふいに声をかけられ、慌てふためいて伴は涙に濡れた目を数回瞬かせる。
「お前の方こそ、寝ていたんじゃないかとでも言いたげな顔だな」
ついさっきまですやすやと寝息を立てていた飛雄馬がいきなり声を掛けてきたのだから伴が驚くのも無理はない。
「あ、う………」
「……どうして泣いている?」
「な、泣いてなんぞおらんわい!」
「………そうか」
ふっ、と柔和な表情を浮かべて飛雄馬は目を閉じると大きく息を吸って鼻から吐いた。
「強いのう、星は」
鼻をグスッと啜ってから伴はポツリとそんな言葉を呟く。強い?と語尾に疑問符を付けて飛雄馬は目を開けると、今し方そんな言葉を投げかけてきた目の前の男を見上げた。
「大リーグボールなどと言う怪物を思いつくことは凡人でも出来ようが、それを現にやってのけるのじゃから、星は強い男じゃあ」
「強い、か。果たしてそうかな……どちらかと言うと強いのはお前の方じゃないのか」
言いつつ、飛雄馬は体を起こすと布団の中に隠れていた下着を見付けだし、足を通すと身につける。
その際の衣擦れの音が被さり、飛雄馬の声が小さかったこともあって肝心なところが伴には聞き取れず、今何と言ったんじゃあ?と尋ねたが、飛雄馬はそれきり答えなかった。
「………」
「明日も早いぞ、伴も寝ろ」
「お、おう」
釈然とせぬまま、伴は部屋の明かりを消し、自分のベッドへと戻ると布団を被り何も言わず静かに横たわった。
「何も言わず、黙って付き合ってくれる伴がいてくれたこその大リーグボールだ。おれ一人なら思いついても実行にまでは移せなかっただろう。ここまで来られたのはお前のおかげさ」
真っ暗な部屋の中で飛雄馬はぽつりぽつりと語って聞かせる。飛雄馬に背を向ける形で体を横たえていた伴だが、彼の言葉にまたしても泣きそうになって布団を頭から被った。
「伴よ、どうした。寒いか」
「お、おうよ!ちぃっとばかし今日は冷えるのう!」
「……いつも世話になってばかりで悪いな、伴。おれもいつかお前の役に立てたらいいんだが」
「な、何を言うか星よ!お前は十分役に立っとるぞう!お前のお陰で、おれは」
跳ね起き、伴は飛雄馬を振り返る。
暗い部屋で伴から飛雄馬の表情は見えない。
「………ありがとう」
そんな中、飛雄馬は小さな声で囁くように呟いた。星、と伴は目の前の彼の名を呼んで、ベッドから床に足を付くと飛雄馬との距離をゆっくりと縮めていく。
そうやって、伴は飛雄馬の元へ近付いてその小柄な体をぎゅうと柔道で鍛え、今は小柄な彼の球を捕ることに命を懸けている腕で抱き締めた。
「………ば、伴?」
「余計なことは何ひとつ考えんでええんじゃい。何も、何も考えんでええ……」
飛雄馬は突然に抱きすくめられたことでぎょっとなったが、すぐにその己を包み込む体温に顔を綻ばせ、目を閉じる。なんと心地良く、気持ちがいいのだろうか。嫌なことも、恐ろしいことも、不安なことも全部溶けていってしまうような、そんな思いを飛雄馬は抱いた。そうして、その大きな肩に飛雄馬はかおを埋め、目を閉じる。
伴はより一層、飛雄馬の体を強く抱いてやり、その胸の中いっぱいに彼の肌の匂いを吸い込んだ。