終章前
終章前 数回、花形は個室の扉を手の甲で叩くと、しばらく中からの応答を待ちはしたが、何の反応も返ってこないために、握ったドアノブを回した。
ギィィ、とやや、建付けの悪い扉は蝶番を軋ませ、花形を室内へと誘う。
花形は白で統一された個室に足を踏み入れると、見舞い客は今日は誰もいないのか、と部屋に置かれたベッドの上で目を閉じ、恐らく──眠っている星飛雄馬の顔を見下ろした。
大リーグボール3号と呼ばれる魔球。
彼が最も得意としていた速球のそれではなく、ふわふわと宙を舞い、打ってくれと言わんばかりに打席へと届く恐ろしいほどのスローボール。
1号、2号共に足を高々と上げ、その投球フォームだけで観客のみならず他球団の選手らの度肝を抜いたが、大リーグボール3号はその2種類の魔球とは違う、まさかの下手投げから繰り出された。
その腕の振りは元々、豪速球を得意としていた彼の左腕において神経や筋肉に過度の負担を強いり、伴との一戦でギリギリの状態を保っていたそれらが一気に弾け、音を立て断裂したとの話だった。
病院に運び込まれてしばらく、彼の左腕は倍ほどに赤く腫れ、その痛みゆえか昏迷しており、誰が部屋に訪ねてきても分からぬ状態で、これ以上刺激すると治療に支障を来たすとの理由から数日は面会謝絶となっていた。
弟の身を案じ、泣き叫ぶ明子を宥め、慰め、大丈夫だからと励まし続けたことがまだ記憶に新しい。
面会謝絶が解けたと言う連絡を明子から受け、花形は今日、久しぶりに飛雄馬のいる個室を訪ねたのだった。
花形は持ち寄った見舞いの花束と、果物籠を明かり取りと換気のために取り付けられている窓辺に置き、花を生けるために辺りを見回し、花瓶を探す。
すると、ベッドで眠っている飛雄馬が小さく呻き、寝返りを打ったために花形は持ち寄った花束を片付けるのもそこそこに、彼のそばへと歩み寄った。
「っ………う、ぅ……みず、みずを……ねえちゃん」
呻く飛雄馬の額にはびっしょりと脂汗が浮いており、花形は痛み止めが切れたか、と、処方されているであろう頓服薬の袋を探し、それを手にすると、中身を取り出す。
あらかじめ、頓服薬と共にサイドテーブルに置かれていたコップにピッチャーから水を注ぎ、花形は飛雄馬に飲むように言ったが、うなされる彼の耳にそれは届いていないようで、ベッドの上で苦悶の表情を浮かべている。
花形は水を注いだコップに口を付け、錠剤で処方された痛み止めを口内に放り込むとそのまま、呻く飛雄馬の唇に己のそれを押し付けた。
口に含んだ水と共に、錠剤を口の中に流し込んでやると、飛雄馬はごくりと喉を鳴らし、それを飲み込む。
そうしてしばらく、飛雄馬は微かに呻きながら眉根を寄せていたが、次第に痛み止めが効いてきたようで顔の険も取れ、体の緊張も緩んでいく。
「はぁ……っ、ふ……ぅ、あ、はながた、さん、か……」
そこでようやく、飛雄馬は部屋に他人がいることに─そしてそれが花形であることに気付いて、表情を少し緩めた。
「…………」
「誰も、いないのかい?ふふ、恥ずかしい。こんなところを花形さんに見られようとはね……」
目元をパジャマを着た右腕で覆い、自虐に満ちた言葉を吐く飛雄馬の声は震えている。
「腕の調子は、だいぶいいのかね」
「腕?左腕のことかい。見ての通りさ。多分もう、野球は無理だろう」
力なく呟いた飛雄馬の声に、花形は壁際に背を預けたまま腕を組み、その顔を曇らせた。
「なぜ、そんなことを言う?ぼくはきみに発破をかけるためにここを訪ねた。今はゆっくり休みたまえなどと言いに来たつもりはない」
「……ふ、ふ。花形さんらしいや。でも、あなたも見ただろう。おれのレントゲン写真を。もう、あれでは野球なんて」
「野球、なんて?まさか星くんの口からそんな言葉を聞く日が来ようとはね。ぼくに野球の厳しさを教え、野球を通してお互いを高めあってきたこのライバルに対してきみは野球なんてと吐き捨てるのかい」
「…………」
飛雄馬の口元が何か言いたげに動いたものの、泣くのを堪えるようにきゅっと唇を引き結ばれる。
「必ず、蘇ってみせるとなぜ言わん。ぼくはきみのそんな弱りきった姿を見に来たわけじゃない」
「……しばらく、ひとりにしてくれませんか。今のおれに花形さんの励ましを、素直に聞くだけの元気はない」
「星くん……」
花形は飛雄馬の名を呼ぶと、目元を覆う彼の腕を掴み、無理やりそこから外させると、そのまま頭の上、ベッドに押し付けた。
「う、っ………っ、ふふ……花形さんの励まし方はいつも力尽くだ。いつかもこうやって、殴られたっけ……」
でも、今度は何をされても、何を言われても無理です。腕が壊れてしまって何が投手だ、巨人の星だ、と飛雄馬が続けたところに花形は彼の唇を己のそれで塞いだ。
「あ、っ………!」
捻った右手首をギリギリと恐ろしいほどの力で掴まれ、飛雄馬は自由なままの左腕で花形を押し戻そうとするが、筋や神経の断裂したそれでは何の抵抗にもならない。
「はな、っ、花形っ……っ」
名を紡ぐために開いた口に舌を入れられ、飛雄馬はビクン、と体を震わせたが、いやいやをするように顔を振って辛うじて口付けから逃れた。
はあっ、と口から熱っぽい吐息を漏らした飛雄馬の唇は唾液に濡れ、花形の眼下で艷やかに光る。
「ひとりだけ、逃げる気かい。星くん」
「…………っ」
「ぼくや伴くんの人生を狂わせておいて、きみだけひとり、逃げようと言うのかね。星くん、きみはなんて卑怯な男だ」
「逃げて、なんか────」
言いかけた飛雄馬の唇に花形は再び口付け、押し付けた彼の右手に己の指を絡ませた。
飛雄馬はその手を握り返しながらも、口の中に滑り込んできた舌に身震いする。
舌が絡み、唾液が混じり合う音がくちゅ、くちゅと部屋の中に響き渡った。
「ふ、っ、……」
躱した唇を追い、ゆるくそこを啄むと、花形は飛雄馬の漏らす吐息の熱さに小さく笑みを溢す。
「星くん……」
名を呼んで、花形は飛雄馬の首筋に口付けつつ、ベッドに膝をつくとそこに乗り上げた。
そうして、飛雄馬の体に乗っていた掛け布団をまくり上げると、彼の上に跨るような格好を取りながら、その下腹部へと手を伸ばす。
ややそこは膨らみかけ、パジャマのズボンを押し上げつつある。
花形はゆるゆるとそこをパジャマの上から撫でさすってやると、顔を反らした飛雄馬の耳元に顔を寄せ、わざとらしく音を立て、そこを吸い上げながら下着の中に手を滑らせる。
「っ、う………」
直に触れた飛雄馬の男根からは先走りが溢れ、花形の指を濡らす。
「このままではこの花形と星くんの決着はいつまでもつかんままじゃないか」
「けっ、ちゃくだなんて……そっ、んな」
飛雄馬の男根を握り、花形はゆっくりとそれを上下に擦っていく。
花形の手の中でそれは固さを増し、膨張し、ビク、ビクと手の動きに合わせ戦慄いた。
「あ、ァっ………」
顔を紅潮させ、与える愛撫に素直に答える飛雄馬の姿を見下ろし、花形はこれが、あのマウンドの上で凛々しく気高かった星飛雄馬の姿なのか、と、眉間に深い皺を刻む。
左腕を壊し、野球はやれないと言った言葉が果たして本心か、見極めたいと、そう思っての愚行。
ぼくの星飛雄馬は、こんなことで沈んでしまう彼ではないはずで、きっとまた、球場で対峙することが近い将来、できるに決まっている。
花形から解放された右手で飛雄馬は口を覆い、湿った鼻を抜ける声を漏らす。
「んンッ………う、」
「…………」
花形は男根への愛撫を一旦、中断させると、飛雄馬の穿くパジャマのズボンを腰から剥ぎ取り、それを両足から引き抜く。
すると、普段はユニフォームに包まれ、太陽に晒されることの少ない白い下半身が蛍光灯の下に現れ、花形は、左右に開かせた足の間に己の身を置いた。
「力を抜いていたまえよ、星くん」
言うと花形は、サイドテーブル上にあった使いかけの軟膏を手に取ると、蓋を開け、中身を指先に取り出す。
「あ、っ、花形………それ、はっ」
恐らく、左腕の炎症を止める薬膏であろうことは花形にも察しがつく。
花形は指先に取ったそれを、飛雄馬の膝を立たせ、露わになった尻の中心へと塗布する。
「う………」
窄まりの皺を解すよう、丹念にそこを撫でられ、軟膏を塗り込まれたことで、飛雄馬のやや萎えつつあった男根が再び首をもたげ始めた。
花形はゆっくり、時間をかけ、指をそこに挿入すると、中を刺激に慣らしつつ奥へと突き進んでいく。
「は、ぁ、あっ…………」
足を左右に大きく開いて、花形の眼下に半立ちの男根を晒しつつ、飛雄馬は嬌声を上げる。
星飛雄馬が、左腕を壊すことがなければ、こんな行為を行うことなど花形自身、考えもしなかったであろう。
ダイヤモンドを悠々と走りながら己に球を打ち込まれ、幾度となくマウンドに這いつくばる彼を目の当たりにし、嗜虐心が煽られなかったかと言われたら、それは嘘になるが──。
花形が挿入した指を動かし、腹の中を掻き回してやれば飛雄馬は体を反らし、全身に汗を散らす。
「あたまっ、ぼうっと………して、っ……」
花形が中を弄ぶたび、飛雄馬は小刻みに震え、体を小さく縮こまらせると目を頼りなさげに何度も瞬かせる。
「星くん、ぼくは今シーズンで球界を去るつもりだ。きみのいなくなった今、プロ野球にはなんの未練もない。そこでだ、ぼくの会社に来てはくれまいか」
指を抜き、穿いているスラックスのボタンとファスナーとを緩め、中から花形は男根を取り出しつつ飛雄馬に誘いをかける。
「……………」
飛雄馬は己の尻に当てられた花形の熱さに全身を強張らせ、口元に遣った手で拳を作った。
聞こえていない、か、と花形は苦笑し、彼の望み通り、己を腹の中へと埋めてやる。
「あ…………!」
逃げる腰を花形は追い、飛雄馬の左右の脇の下に手を入れるようにし、ベッドにそれぞれ手をつくと、腰を使う。
きゅうっ、と瞬間、花形を飛雄馬が締め付け、そのまま達したか、小さく体を戦慄かせた。
「フフッ……」
根元まで埋め込んで、花形は身を乗り出し、飛雄馬の胸元に口付けてやりながらその手で前開きのパジャマのボタンを外してやる。
鎖骨から臍までが露わになって、花形は口付けた胸元から乳首を掠め、みぞおち辺りまで下ってから仰け反った背中の下に腕を入れ、飛雄馬の体をきつく抱き締めた。
こうして、彼の体を抱くのも甲子園の決勝ぶりになる──。
あの頃はまだ華奢だった体も野球選手として、投手として完成されつつあって、まだまだこれからだというのに。
「星くん……」
「はっ、はながた、ぁっ……」
己を抱く腕に縋って、飛雄馬は彼の名を掠れた声で呼んだ。
飛雄馬の左腕が、体温が上がったことでじわじわと痛み始める。
花形は飛雄馬の耳に顔を寄せ、耳朶に歯を立てると逸らした彼の口を追って、そこに口付けた。
「ふ……ぅ、うっ……」
飛雄馬の開いた唇から覗いた舌を吸い上げ、再び唇を摺り合わせながら舌先を絡め合う。
花形が腰をゆっくりと使えば、飛雄馬の体の緊張も解れ、ふっ、と力が緩む。
そこを見計らって花形は腰を使う速度を速め、飛雄馬の中を深く抉る。
「っ、う、ぅっ………」
「星くん、目を開けて。ぼくの顔を見て」
「…………」
飛雄馬は閉じていた目を薄っすらと開け、涙の膜の張った瞳に花形を映す。
もう、この瞳が炎を宿すことはないのだろうか。
左腕を壊した彼が、再起する方法は……。
花形は飛雄馬の背中から腕を離すと、彼の左手をそっと握ってやりながら、絶頂に向け腰を叩きつける。
それに合わせ、病室のベッドは軋み、テーブル上のピッチャーの中の水が揺れた。
「う、ぁ、あぁっ!」
愛しているだとか、好きだなんて薄っぺらな言葉で片付くようなぼくたちの関係ではない。
何を引き替えにしてもいい、彼の魔球を打つためなら死ぬことさえ恐ろしくはなかった。
もうきっと、ぼくは彼から逃れられないし、それは星くんとて同じこと。
握った手の指を絡め、花形は飛雄馬を呼ぶと、そのまま彼の腹の中に射精した。
「…………ふ………っ、」
とく、とく、と飛雄馬の腹の中、奥深いところに欲を放出してから花形は彼から男根を抜くと、彼の枕元にあったティッシュの箱から中身を取り出し、それで後始末を終える。
飛雄馬が腹を押さえ、寝返りを打ち、己に背を向ける様を見つめ、花形は中断していた持ち寄った花束を花瓶に生ける作業を進めると、ちょうどそこで病室の扉がノックされたために返事をし、そのまま部屋の外へと出た。
「今、眠っているようですから少し外で話をしませんか」
遅れてやってきた飛雄馬の姉・明子を病室外の廊下に置かれた椅子に座らせ、花形は明日の左門の結婚式の話を彼女に振る。
楽しみね、と微笑む明子に彼もまた、笑みを返すと、己を見つめる彼女の熱っぽい視線から目を逸らし、出てきたばかりの物言わぬ、個室の扉を見つめた。
──そうして迎えた明日、左門の結婚式の真っ最中に、病院をこっそりと抜け出した飛雄馬がそれから数年の間行方をくらませることを、花形はもちろん、誰もまだ今は知る由もない。