遠征先からの土産
遠征先からの土産 ベッドで寝付けず、何度か寝返りを打っていた飛雄馬の許に来客を告げるチャイムが鳴った。
一瞬、無視を決め込もうかとも考えたが、飛雄馬はゆるゆると体を起こすと、ゆっくりとした足取りで玄関先へと向かった。
「はい」
飛雄馬は扉の前で短く返事をする。
「あ、星さん、お届け物です」
「今、開けます」
配達員のホッとした声が響いて、飛雄馬は自分が居留守を使おうと思ったことを申し訳なく思いながら扉を開けた。すると、配達員は花束をひとつと何やら菓子折を差し出してきて、サインをお願いします、と機械的に言葉を紡ぎ、伝票とペンを差し出してきた。
無言でそれらを受け取り、飛雄馬は受領サインを書き記すと、配達員へ突き返す。
「どうも」
淡々と配達員は伝票とペンを手に、次の配達があるのか足早に去っていった。飛雄馬はその後ろ姿をしばらく見つめていたが、扉を閉めると、鍵を掛け、受け取った菓子折りの伝票に目を落とす。
宛先には星明子とあり、送り主の欄には花形の名前があった。住所は名古屋。品名はういろう、とある。
先日の中日戦の際に購入したものらしい。
「…………」
飛雄馬はリビングへと菓子折と花束を手に向かうと、テーブルの上にふたつを置く。
時刻は夕方五時を回ってすぐ。すっかり目は冴えてしまったが、妙な時間に仮眠を取り、夜眠れなくなるよりはいいだろう、とそう思うようにして、コーヒーでも飲もうかと台所に立つ。
もう、何度目だろうか、ねえちゃんがいなくなってからも花形さんからの荷物が遠征のたびに届くのは。
いっそ球団事務所に連絡を取り、ねえちゃんが行方不明になってしまったことを伝えてもらおうかとも思ったが、弟のおれがそれをしてしまうのも妙な気がして今に至る。
冷蔵庫には賞味期限が日に日に迫る、手付かずの菓子折りたちが眠っている。
部屋を訪ねた親友・伴はもったいないから食べたらどうだと言うが、それはねえちゃんのためを思い、土産を選んだ花形さんに悪い気がしてしまう。
とは言え、このままにしてしまうのもよくない。
どうしたものかと思案しつつ飛雄馬は水を張ったやかんを火に掛け、湯が沸くのを待つ。
と、再び、玄関先でチャイムが鳴り、飛雄馬は火を止めると、はぁい、と気の抜けた返事をする。
「おう、おれじゃい。伴じゃい」
「ああ、今日はもう来ないのかと思った。すぐ開ける」
駆け寄った玄関にて扉を開け、飛雄馬はにっこりと笑みを見せた親友・伴を部屋に招き入れてから、今日も荷物が届いてな、と花形から菓子折と花束が届いた旨を語って聞かせた。
「なに、またか。ふぅむ。星の気は進まんかもしれんが、花形には知らせておいた方がいいんじゃないかのう」
「しかし、それを告げて花形さんがショックを受けやしないかと考えてしまってな」
「花形が?」
飛雄馬の言葉に、伴は、ぷっと吹き出し、からからと笑い声を上げる。花形はそんなタマじゃあないだろう、とも続けた。
「おれもそうは思うが、男女のことはわからんからな。あの花形さんだからこそ落胆ぶりは目も当てられんほどかもしれん」
「ワハハ、そりゃ却って好都合じゃい。星は今まで散々やつにはしてやられとるんじゃからのう」
「それとこれとは話が別だぞ、伴。おれはそんな花形さんに勝っても嬉しくない」
飛雄馬は伴をリビングに案内すると、コンロに火を着ける。
「そんなもんかのう。おれなら真実を告げ、ショックで立っているのもやっとであろう花形を今までの恨みとばかりにめためたにしてやるが……」
コーヒーか、と尋ねた伴に、飛雄馬は頷き、それにしてもねえちゃんはどこにいるんだろうな、とぽつりと呟く。
「あの明子さんが星に何も告げず行方知れずになるとは思えんのじゃが……」
「おれとの生活が窮屈だったのかもしれんな。ふふ、まあ、ねえちゃんのことだ、自分の立場に思い悩んで姿をくらましたんだろう」
「自分の立場?」
きょとん、と目を丸くした伴が首を傾げる。
「花形さんに愛を告げられ、まんざらでもない気持ちがありつつも彼のライバルである星飛雄馬の姉という立場に悩んでいるに違いない。ねえちゃんらしい……」
「…………」
「伴?」
「あ、いや。何でもないわい」
急に口を噤んだ伴を訝しみ、飛雄馬は彼を呼んだが、はぐらかされてしまい、会話は途切れる。
やかんの湯でインスタントコーヒーを淹れ、カップをふたつ、テーブルの上に置いた。
「…………」
「手紙のひとつでもくれたらいいんじゃが」
砂糖とミルクをたっぷり入れた、甘いコーヒーを啜りつつ、沈黙に耐えかねたらしき伴がぼやく。
「そう、だな」
「しかし、明子さんのことを悪く言いたくはないが、星の性格のことはわかっとるじゃろうに……自分の立場に思い悩むのも結構じゃが、姿を消せば弟がどうなるかくらい考えつくと思うがのう」
「ねえちゃんも考えに考え抜いての行動だろうさ」
「それもわかるが……」
カップの中身を半分ほど口にしてから飛雄馬は花瓶を用意すると、花束の包みを丁寧に解き、添えられていたメッセージカードを脇に置いてから花々を瓶へと生ける。派手好きの彼が選んだらしい花々が、沈んだ部屋の雰囲気をぱっと明るくさせた。
「…………」
「しかし、花形も律儀なもんじゃのう。遠征のたびにこうして土産を寄越すんじゃから」
「ふふ……」
脇に置いたカードを仕舞おうと、それを手にした飛雄馬だったが、ふと、見るつもりはなかったものの、書かれていた文章を目で追ってしまう。
明子さんへ、ではなく、星くんへ、から書き出されていた文字の羅列。その行動を不信に思った伴が、どうしたんじゃい、と尋ねたが、それに答えることなく、飛雄馬はメッセージを読み終えると、無意識のままにぐしゃりとカードを握り潰した。
「あっ!」
「えっ……あ!」
伴の驚いた声に、飛雄馬は握った拳をそろりと解く。 「な、何が書いてあったんじゃあ」
解いた飛雄馬の掌から床へと落ちたカードを、伴が拾い上げる。
「…………」
「星くんへ、明日の試合は期待しているよ。ういろうはきみの親友とともに食べてくれたまえ…………」
文章を口に出して読み解いた伴が絶句し、飛雄馬もまた、口を開けなかった。
なぜ、おれ宛に花形さんは菓子折を?
まさか、ねえちゃんがいないことを知っている?
どこで、どうやって。
「…………」
「薄気味悪い。なんじゃこのカードは」
「花形さんは、ねえちゃんがいないことを知っているんじゃないか」
「花形が?」
まさかあ、と伴は付け加え、再び、げらげらと笑い声を上げる。
「もしかすると花形さんはねえちゃんの居場所を知っているのかもしれない」
「おい、星よ。気味が悪いことを言わんでくれえ」
「花形さんならあるいは……」
「考えすぎじゃい、星よ。それよりお言葉に甘えてういろうを食うとしようぞい」
「…………」
「相変わらず何を考えとるかわからんのう、あの男。こんなもん送り届けてどうしようと言うんじゃい」
「星?」
「あ、ああ。ういろう、切ろうか」
伴の声で我に返ると、飛雄馬は菓子折の包装を解き、個包装されていたういろうを取り出し、台所から包丁と皿、フォークを持ち寄る。
羊羹に似た、長方形のういろうを二切れずつ切り分けたもの皿に乗せ、そのひとつを伴の前に差し出す。
「花形なんぞこのういろうのように食ってしまえばええ。ええい、胸糞悪い」
ぱくりとひと切れを口に放り込み、伴はもぐもぐとやってから、しかし、うまいのう……と呟いた。
間髪入れずふたつめを口に運び、食わんのなら星のもくれい、と催促する始末で、飛雄馬は、ああ、と皿を伴の傍に押しやる。
花形さんが、ねえちゃんの居場所を知っているかもしれない、と言うのは考えすぎだろうか。
星くんへ、の書き出しは明らかに変だ。
彼は何を知っている?大リーグボール二号の正体とでも言うのか。まさか、それこそ考えすぎであろう。
ういろうをぱくつく伴の助けを借りながら死に物狂いで編み出した消える魔球……そのカラクリ、正体を見抜いた人間は同じ巨人軍の中にもいやしない。種を明かした監督、ONふたりと森さんを除いては。
「おう、星よ。いけるぞ、このういろう」
「…………」
「星、聞いちょるか星」
「あ、ああ。まだ食べるようなら切り分けるが……」
「星、気にするな。やつのいつもの気まぐれよ。気にしてしまっては花形の思うつぼじゃい」
「わかってる。気にしてはいないさ……」
飛雄馬は空になった皿へと切り分けたういろうを乗せてやる。ぱくりと伴は即座にそれを口に放り、うまいうまいと目を細めた。
この、能天気さがうらやましい。
いや、彼なりの励ましを能天気と一蹴してはいけない。明日の大洋戦で、何も起こらないといいが。
その後は、甲子園球場にて阪神戦が組まれている。
飛雄馬はテーブルの上で、くしゃくしゃになってしまったメッセージカードに視線を落とすと、花形の勝ち誇った高笑いを思い出し、小さく身を震わせた。
「風邪か?」
「いや、武者震いさ」
「明日は左門のいる大洋との一戦じゃったのう。何も心配することはないわい。大リーグボール二号は誰にも打てん」
「ああ」
ういろうの一本をすべて切り分け、伴に与えてから飛雄馬はぬるくなってしまったコーヒーを啜る。
ねえちゃん、おれはねえちゃんが思っているより弱い人間ではないが、強くもないんだ。
花形さんとおれの間で思い悩むのはわかるが、おれはねえちゃんが行方不明になってしまったことで、ろくに眠れないんだ。どうか電話の一本でいい、連絡をくれないか。
カップの中身を飲み干し、飛雄馬は風呂の準備をすべく浴室へと向かう。
「今日も泊まってもええじゃろうか」
「ああ、助かる……」
もう、この部屋にねえちゃんの面影はあまりない。
出ていく際に、私物のほとんどを持っていってしまったねえちゃんの代わりに、伴の私物が日に日に増えていく。花形さんは、花瓶の花が枯れる頃になると新しい花束を送ってくれるし、遠征先からはその土地の名物を寄越してくれる。伴のおかげで寂しくはない。
それだけに、彼の存在に依存していく自分が怖い。
浴槽に湯を溜めつつ、飛雄馬はゆらゆらと揺れる湯の表面に映る自分の顔を見つめる。
ねえちゃんの行方、敵となったとうちゃんとオズマのこと、そして花形さんから届いたメッセージカードの意味。悩みは尽きず、不安は募る。
「…………」
考えていても仕方がない。明日の試合に備え、早く眠らなければ。
飛雄馬はリビングへ戻り、皿とカップを台所の流しに置くと、伴に風呂に入るよう勧めた。
そうして、湯船に浸かる伴の大きな鼻歌を聞きながら、ベランダへと繋がる大きな窓に設置したカーテンの隙間から覗く東京タワーへと飛雄馬はふと、視線を遣る。リビングのテーブルの上には、開けたままの花束の包みと、ういろうの包装、くしゃくしゃになったメッセージカードがそのままになっている。
片付けなければ、とは思いつつも、飛雄馬は東京タワーから目が離せず、物言わず静かに佇むその建造物を、しばらくの間見つめていた。