駅前
駅前 夕方、日雇いの仕事を終え、朝集められたのと同じ最寄りの駅で他の人夫らと共にトラックの荷台から下ろされた一徹は、ふと人混みの雑踏の中に自身の息子の顔を見つけ、そちらに歩み寄った。
飛雄馬、と一徹が息子の名を呼ぶと、少年は俯けていた顔を上げ、とうちゃん!と満面の笑みをその顔に浮かべる。
「どうした、こんなところにまで」
「今日、夕方から雨が降るって言ってたけど、確かとうちゃん、傘持って行かなかったから」
言った飛雄馬は手にしていた大きな黒い傘を掲げ、はい、と一徹にそれを差し出した。一徹はそう言えば、朝、ラジオでそんなことを言っていたな、と思いつつ空を仰ぐ。今にも一雨来そうな曇り空に、一徹は視線を下げると飛雄馬から傘を受け取り、日に焼けた大きな汚れた手で彼の頭を撫でた。
「へへっ」
ニコッと飛雄馬は誇らしげに顔を綻ばせ、鼻の下を人差し指で擦る。
「髪は明子に刈ってもらったか」
「うん。だいぶ伸びてたからさ」
そんな会話を繰り広げつつ、二人連れたって歩いていると、頭にぽつんと水滴が落ちて来た。あれ?と空を見上げた飛雄馬の鼻先に再びぽつんと来て、ようやくその雫が雨だと言うことに気付いた。
「降り出したな」
ぼやいて、一徹は飛雄馬が手渡した傘を開く。破れた穴を明子が塞いだ継ぎだらけの傘である。
「いけね、ねえちゃんから洗濯物頼まれてたんだ」
思い出したようにひとりごちて、飛雄馬はとうちゃん、また後でね!と言うなり駆け出した。一徹は一度背後を振り返り、ちらとこちらに視線を投げた飛雄馬に対し、早く行けと言わんばかりに顎をしゃくる。
飛雄馬はそれを受け、今度は振り返ることなく雨の中家路へと急いだ。
そのお陰で、洗濯物の被害は少数であったが、買い物に出ていた明子にだから言ったのに、と飛雄馬が小言を言われる羽目になったのは語るまでもない。
しかして飛雄馬がとうちゃんを迎えに行っていたから、と言い訳するでもなく、ごめんなさい、としょんぼり肩を落としたもので、明子はそれ以上責めることもなく、食事の準備に取り掛かった。
「飛雄馬よ、言い訳しなかったことは偉かったぞ。しかしだな、今度からは言いつけられていたことをきちんと守ってから人の心配をするんだな」
「……うん」
いつもの着流しに着替え、明子の入れた茶を啜りつつ一徹はこっそり飛雄馬にだけに聞こえるようにそんな忠告をした。
「……礼をまだ言っておらんだったな。ありがとう、飛雄馬。お前が傘を持ってきてくれたお陰で濡れずに済んだぞ」
「とうちゃん!」
一徹の言葉を聞いた飛雄馬はしょぼくれていた顔を一瞬にして輝かせ、ニンマリと笑顔を作る。
「ふふふ、飛雄馬もいよいよ小学生だな。しっかり勉学に励めよ」
「うん。おれ、とうちゃんの子だもん。とうちゃんの期待に沿えるよう頑張るよ」
「うむ。それでこそ飛雄馬はわしの子じゃ」
一徹に微笑みかけられ、飛雄馬もまた微笑む。そんな二人に背を向けるようにして明子は一人、夕食を作っている。
家の外では細い小さな霧雨が降り続き、地面を濡らす。
明日も雨なら日雇いの仕事は休みである。
飛雄馬は明日も雨だったらいいのになあ、とそんなことを考えつつ、漂う夕食の匂いにぐうと鳴った腹の虫を抑えるために、自身の腹を撫でさすったのだった。