12月
12月 もうそんな時期か。
飛雄馬は昼飯でも食べようかと日雇いで得た金を手に、立ち寄ったとある地方の繁華街を当てもなく歩いていた。ふと目に入った電光飾の施されたもみの木を模したクリスマスツリーと、赤い帽子に同色の衣装を身に纏う白髭を貯えたサンタクロース。傍らには日本ではあまり馴染みのないトナカイを従えている。
街を行く人々は防寒着で着膨れ、頬を真っ赤に染めていた。年末年始にかけて皆忙しなく準備に追われているようだ。そんな世間の光景を目の当たりにしながら飛雄馬は人波を泳ぐ。
クリスマスを一家で祝った思い出はないが、正月になるとねえちゃんがこしらえてくれた雑煮を食べて、こたつでうとうとしていると親父がグローブを手に立ち上がり、腹もこなれぬうちから投球練習を始めるというのが毎年の恒例であった。
巨人に入団してからは山篭りをしたり、契約更改で意見をするなど、色んなことがあった。
今は何もかもが懐かしい。季節が移り変わろうと、自身の生活はそう代わり映えしないものとなった。
とはいえ、年末となると日雇いの仕事もあまりありつけず、細々と今までの蓄えで糊口を凌ぐことになるのだが。
クリスマスか。
白い息を口から吐いて、飛雄馬は父母に連れられた幼い少年が嬉しそうに綺麗に包装された箱を抱え、駆けていくのとすれ違う。
浮かれた、西洋文化をあまり好まない親父はうちは仏教徒だと事あるがごとに口走り、プレゼントどころかツリーやケーキの類を家で目にすることは一度もなかった。
クラスメイトが誕生日やクリスマスにバタークリームで装飾された甘いケーキを食べたと話すのが、当時はとても羨ましかったのを覚えている。
今、すれ違った少年が抱えていたのはケーキだろうか。プレゼントとやらはサンタが訪れ、置いていったという体で、子供が寝静まった深夜に親がそっと枕元に置くと聞いたことがある。
少年の家の押し入れには、予め希望を聞いていた両親が用意したプレゼントが隠されているのだろう。
そんな幼少期を過ごしてみたかったものだ。
飛雄馬は苦笑し、ふいに視線を前に向けたところに見覚えのある後ろ姿を見留めて、思わず歩みを止める。
しかして、隣を行く恋人らしき女性に話しかけた彼の横顔を目にすると、ふっ、と小さく吹き出し、再び歩み始めた。
未練がましい。消息を絶つことを選んだのはおれ自身だというのに。どうして道行く人に、彼の面影を見てしまうのか。
誕生日にはささやかだがとプレゼントを渡してくれ、一緒にケーキを食べた彼。山篭りをした年始にはおれの居場所を探し、わざわざ訪ねてきた彼。
特訓の際には手を腫らし、夜な夜な痛みに呻いていた彼。いつも何をするにも隣には彼の姿があった。
もうきっと、彼はおれのことなど忘れているだろう。
新しい人生を歩み、幸せに暮らしていることだろう。
ひとりで生きると決めたのに、こんなことを思うのは寒さのせいか。
肌を刺す、冷たい師走の風が人肌恋しくさせるのか。
飛雄馬はふと、思いがけず出くわした食堂の戸を開ける。夕食時だというのに客の姿はあまりなく、気難しそうな店主がのれんをくぐった飛雄馬にじろりと一瞥をくれた。
生姜焼き定食と一杯の焼酎を店主に伝え、飛雄馬は席に着く。すると、なみなみと焼酎を注いだコップを手に店主が厨房から出てきて、飛雄馬の着いたテーブルの上にそれを置いた。
「…………」
一息に焼酎を飲み干して、飛雄馬はアルコールの与えてくれた熱に安堵しほうっと一息吐く。
酒など飲むまいと、親父のようにはならないと、そう若い頃は思っていたのに。
酒はすべてを忘れさせてくれるばかりか正常な思考をも奪う。ぽっかりと空いた心の隙間を満たしてくれる劇薬。親父も、同じ気持ちを抱きながら酒を毎晩飲んでいたのだろうか。
おかわり、と店主に告げ、飛雄馬は鼻を啜る。
店の外では軽快なクリスマスのメロディーが流れており、飛雄馬は店主の持ち寄った二杯目に口を付けた。
戸を一枚隔てたこの店は世間から遮断された別世界のようでもある。
二杯目を飲み終わると同時に店主は生姜焼き定食を飛雄馬の前に置き、三杯目でコップを満たすため厨房へと引き返した。
三杯目を注ぎ、戻ってきた店主が、客から観える位置に置かれたテレビにスイッチを入れる。
飛雄馬は定食に箸を付けつつ、画面に何ともなしに視線を遣った。
そうして、ちょうど番組からコマーシャルに切り替わった画面が映し出した伴重工業の文字に、ぽつりと親友の名を呟いて、大きく息を吸う。
店主は何も言わず、テレビを眺めている。
サングラスをずらし、飛雄馬はいつの間にか両目にうっすら滲んでいた涙を拭うと再び鼻を啜った。
出入口の戸の向こうから聞こえるクリスマスのメロディーがひどく耳障りで、飛雄馬はその不快感を焼酎で飲み込む。
半ば無理やり定食を胃に収め、店を出た飛雄馬の目の前に白いものがちらりと舞った。
雪だと道行く人々は口々にそう言うと、立ち止まり上を見上げている。
飛雄馬はその場を離れ、今日の宿を探すべく街を行く。雪は勢いを増し、辺りを次第に白く染めていく。
寒い、と小さく溢して、飛雄馬は冷たくなった指先を吐息で温めつつ白く染まる街に溶け込むよう雑踏に紛れた。