デーゲーム
デーゲーム おや、飛雄馬くんじゃないか。
選手通用出口からバットケースとユニフォームの入った鞄を手に出てきた飛雄馬は、突然耳に入った聞き覚えのある声に驚いたように目を見開いてから、直ぐにその顔に笑みを張り付けた。
「花形さん」
花形と呼ばれた彼──はにこやかな微笑みなど浮かべつつ、なんの遠慮もなく飛雄馬との距離を詰めてくる。
今日、我が巨人軍は花形の属するヤクルトに散々に煮え湯を飲まされたと言うのに。
これが勝者の余裕と言うやつなのだろうか。
今の今まで長島監督やコーチたちと明日の試合について話をしていたところで、飛雄馬はすっかり球場を出るのが遅くなってしまったのである。
よりによって通りがかったのが花形さんとは。
面倒な人に会ったな、と言うのが今の飛雄馬の本音で、今から帰るところかい?の問いに、ええ、と短く答えた。
「それはよかった、飛雄馬くん。急で申し訳ないがぼくと夕飯を一緒に食べてくれないだろうか」
「は?」
「明子が会社の役員婦人との食事会に出るというのでね。夜は外で済ますつもりでいたのだが、ひとりではあまりに味気ないだろう」
「…………」
むしろ、ひとりの方が気楽でいいと思うのだが、この社交家の彼はそうではないらしい。
同じ球団の中でできればそういうことは完結してほしいのだが。
「なに、無理にとは言わんよ。突然声をかけてすまなかったね」
「…………寮長に連絡を入れても?」
飛雄馬は尋ね、花形の反応を伺う。
ねえちゃんの手前、やたらに邪険にするのも気が引ける。かと言って、あまりに馴れ合いすぎても試合で支障が出るだろう。
「ぜひ、そうしてくれたまえ」

駐車場付近にあった公衆電話から宿舎に電話を入れ、飛雄馬は寮長に事の顛末を語って聞かせる。
すると寮長はふたつ返事で外出許可をくれたが、おにいちゃんに悪い遊びを教わるなよ!と何やら付け加えてくれた。
飛雄馬は寮長の飛ばした冗談に嘆息しつつも、それを悟られぬよう平静を保ちながら電話ボックスから出ると、待っていてくれた花形に軽く頭を下げ、彼と共に車の駐車位置まで少し歩いた。
「何か、食べたいものはあるかい。むろん、支払いはぼくが持つ。好きなものを言ってくれたまえ」
先に乗るよう後部座席のドアを開けてやった花形が飛雄馬を車内に促しつつそう尋ねた。
まさか花形さんに、ラーメンやうどんはどうですかと言うわけにもいかず、飛雄馬は閉口する。
そもそも、花形さんは何が好きなのか、おれはそれさえも知らない。
おれはこの人のことを、考えてみれば名前くらいしかろくに知らんのだ。
「飛雄馬くんは確か、麺類が好きだったね。蕎麦でいいならぼくがいい店を知っているよ」
運転席に乗り込んだ花形がバックミラー越しに微笑む。
なぜ、この男はおれのことを知っている?
ねえちゃんから聞いたのか。
一体、このふたりはどんな会話をしているのか。
「……花形さんに、合わせますよ」
飛雄馬が囁くように返すと、花形はキーを捻り、エンジンをかけるや否や巧みなハンドルを見せつけ、球団の駐車場から国道へと出た。
「飛雄馬くんが」
「え?」
ぼんやり、車窓から外を眺めていた飛雄馬は花形の呼びかけに気付かず、なんですか?と聞き返した。
「きみが素直にぼくの誘いを受けるとはね」
「…………」
「明子のためを思ってと言うのだろう。フフ、ぼくたち夫婦のことをきみが気にする必要はない。飛雄馬くんは野球に専念したまえ」
そう、単純に考えられるのであれば苦労はしない。
花形さんはねえちゃんのことをよく知らないんだろうか。
だから簡単にそんなことが言えるんだろうか。
花形さんのことで気に病んで、よく伴に連絡していると言うじゃないかねえちゃんは。
しばらく、車に揺られていると花形は少し都心から離れたホテルの駐車場に入り、エンジンを切った。
まるで場違いなところに連れて来られ飛雄馬は驚いたが、何やら建物の中に作られているレストランの従業員たちまでもが花形に頭を下げるもので、二度に渡り驚く羽目になった。
どうやらここは花形さんの会社所有のビルで、ねえちゃんとふたりよくここを訪ねているらしい、と言うのが横文字の長ったらしいよくわからない皿の中身を見様見真似で頬張る飛雄馬がようやく、ウエイターとの会話の中から聞き取れた内容だった。
見た目は抜群にいいが、食べ慣れていないからか味もよくわからず、何やら腹に溜まる気もしない。
もしかしたら、緊張のせいもあるのかもしれんが。
飛雄馬はワインを口に含みつつ何やら上機嫌の花形を見遣りつつ、まあ、花形さんが楽しく食事ができたというのならそれでいいと思おう、と割り切ることに決めた。
そもそも、花形さんがひとりは寂しいからとの理由で一緒に夕飯を食べることになったのだから、おれの気分など二の次なのだ。
飛雄馬はそれから四苦八苦しながらもようやく食事を終えた。
ねえちゃんはいつもこんなものを食べているのかと妙な感心などしたりして、飛雄馬は何やら楽しげにウエイターと談笑している花形の姿を眺める。
「…………申し訳ない。出ようか」
「え?いや、おれのことは気にせず話をしてくれ。むしろ邪魔だというのなら席を外すが」
「いや、いい。帰ろう」
言うなり、花形は席を立ち、そのまま店の出入り口へと向かっていく。
飛雄馬は慌てて席を立つと、近くに立っていたウエイターに頭を下げてから彼の後を追った。
「せっかく付き合ってもらっていると言うのに変に緊張させてしまったようだね」
「…………」
「これに懲りず、また付き合ってくれると嬉しいが、まあ、無理な相談だろう」
ハハハと自虐的な笑みを溢すと花形は飛雄馬と共に乗り込んだ車のエンジンをかける。
「次はおれが好きな店を教えますよ」
飛雄馬はぽつりと花形に聞こえるか聞こえないかの小さな声でそう、囁くと窓の外に視線を遣った。
車はゆるやかに動き始め、車道を走り出す。
「…………少し、うちに寄ってはくれんだろうか。明子も間もなく帰るだろう。きみの姿を見たらきっと喜ぶ」
「…………」
ねえちゃんにも、考えてみれば長らく会っていない。
伴からよく話は聞くが、花形さんを再び球界に引き込んだおれが何か気の利いた言葉をかけられるわけでもない。
飛雄馬はしばらく考え込んだのち、手首にはめた腕時計を見遣る。
まだ時間に余裕はある。
少しくらいならいいだろう、と飛雄馬は花形の誘いに乗ることにした。
程なく、花形の操る高級外車は等々力にある彼の自宅に到着し、飛雄馬は促されるままに屋敷の中へと入った。
いつも出迎えてくれるお手伝いさんたちはもう帰宅しているようで、この広い屋敷に飛雄馬は花形とふたりと言うことになる。
楽にしたまえよと花形は言うが、そんな気には到底なれなかった。
案内された応接室のソファーの端に座り、縮こまってしまっている。
「明日の試合にきみは先発で出るのかい」
「…………」
花形の口から紡がれた明日の試合の言葉に、飛雄馬は目の色を変え、彼を睨んだ。
「おやおや、怖いな、飛雄馬くん。ここは球場じゃない」
「そんなことを訊いてどうしようと言うんだ」
「なに、会話の種に尋ねたまでさ。深い意味はない」
そんなに怖い顔をしないでくれたまえ、と花形は飛雄馬の隣に腰を下ろしてから冗談混じりに続け、首元のネクタイを緩めた。
「やはり、来るべきじゃなかった。おれはどうしても義兄である以前に、ヤクルトの一選手として花形さんを見てしまう。どうしても割り切れん。ねえちゃんには悪いが帰らせてもらう」
飛雄馬は席を立つなり、そのまま踵を返す。
と、出入り口の扉のドアノブを握ったところで後ろからすうっと腕が伸びてきて、扉を押さえた。
「!」
「まあ待ちたまえ、飛雄馬くん。そう急ぐことはない」
花形は囁くと、飛雄馬の背中に体を寄せるが早いか耳元に唇を押し当てた。
「つ!」
短く呻いて、飛雄馬は顔を背ける。
しかして、逸らした顔、その首に吸い付かれ、飛雄馬は再び声を上げることになった。
その熱い吐息と唇の感触にぞわりと飛雄馬の肌が粟立つ。
「は……ぁ、ふっ……」
腕を飛雄馬の脇の下から体の前面に回し、彼の顎を捉えた花形はそのまま指を口内に差し入れ、触れた舌の表面を指先でぬるりと撫でる。
無遠慮に舌を撫で、口の中を弄る花形の指に飛雄馬は目を閉じ、体を震わせる。
「フフッ」
笑い声と共に花形は指を抜くと同時に、飛雄馬の腰に手を遣るとスラックスを留めているベルトを緩めていく。
カチャカチャと聞き慣れた金属音が耳に入って、飛雄馬は涙に濡れた顔を、振り向きざまに花形に向けた。
「なに、少しばかりの礼さ。付き合ってもらった、ね」
「これ、がっ……礼だと……っ、」
飛雄馬の半立ちになっていた男根に花形は下着の上から触れると、布地を押し上げる亀頭の先を指で撫でた。
ビク!と飛雄馬はその刺激に腰が引けてしまい、花形に対し尻を突き出す格好を取ってしまう。
「ほら、そこに手をついて。もっと腰を上げてごらんよ」
飛雄馬は返事の代わりに、いやいやと顔を左右に振り、ぎゅっと奥歯を噛み締める。
「何が気に入らんのかね」
「っ……ぅ、っ!」
「言いたくない?」
「花形さん、っ……は、こんなことを、するためにおれをっ、連れ込んだのか?」
「……そうだと言ったらきみは素直に抱かれるかい」
「い、っ!」
飛雄馬の下着を腰からずり下げ、花形は直に男根へと触れた。
するすると先走りを垂らす先から根元までを巧みにしごき上げる花形の手つきに飛雄馬は声を押さえることしかできず、その刺激から少しでも逃れようと前のめりに倒れ、結果、花形の指示した通り、扉に両手をつく格好を取ってしまう。
と、花形は飛雄馬の腰に手を遣り、更に尻を上げさせると、そこに口に溜めた唾液をとろりと垂らした。
「は……っ、っ」
「痛いようにはしないさ、飛雄馬くん。きみは少しくらい痛い方が好みかも知れんがね」
飛雄馬の白い尻の膨らみを親指で僅かに持ち上げると、唾液に濡れ光る孔が見え、花形はそこに親指の腹を当てると、その上で刺激に慣らすために弧を描く。
すると、飛雄馬のそこはひくつき、腰がいやらしく揺れた。
「あ、ぁっ……」
ぞくぞく、と奇妙な感覚が背筋を駆け抜け、飛雄馬は声を漏らす。
と、そこに何やら挿入された感覚があって、飛雄馬は思わずそれを締め付ける。
それ、は飛雄馬の締め付けに一旦は動きを止めたが、緩めた拍子に、腹の中を奥へと進んだかと思うとゆるりと後退していく。
入り口を行き来する感触に飛雄馬は身震いし、壁についた手を震わせる。
それの正体が、花形の指と気づいたときにはすでに彼はそれを飛雄馬の中から抜いており、彼自身の男根を慣らした孔に当てていた。
「ばかなっ、はながっ──!!」
指とは比べ物にならないほどの質量が一息に飛雄馬の腹の中を埋め尽くす。
内壁をこすり上げ、奥に触れた花形の圧に、飛雄馬は目を見開いたまま固まった。
「そんなに、気持ちよかったかい」
花形が腰を引き、彼の男根は飛雄馬の内壁を押し上げつつ、粘膜を掻く。
「あ、ぁ……っ、だめ、っ、だめだっ」
引く速度は恐ろしく遅いのに、再び中を突く速度は骨盤が悲鳴を上げるほどに強い。
その緩急が、飛雄馬を絶頂に誘い、思考を停止させる。
「ただいま帰りました。あら、飛雄馬?来てるの?」
ふいに、耳に入った懐かしい声に飛雄馬はギクッ!と体を震わせると花形を締め上げる。
「あなた、あなた!変ね、どこかしら」
「おかえり、明子。すまないがちょっと取り込んでいてね。待っていてほしい」
「っ……」
扉の向こうに、ねえちゃんがいる。
飛雄馬は目を閉じ、唇を引き結ぶ。
おれは、なんてことを。
「そう、なの。わかったわ」
「ひ、ぃっ……!!」
予想だにせぬ、深い腰の一打を浴びせられ、飛雄馬の喉は引き攣ったと同時に、強制的に絶頂を与えられる。
「よそ見せんでほしいな、飛雄馬くん」
はあっ、はぁっ、と飛雄馬は荒い呼吸を繰り返しつつ、膝を震わせる。
「よそ見、っ、なんか……ァっ!」
腰を飛雄馬の尻に押し付け、花形は中を掻き回す。
「フフ、明子をあまり待たせても後々面倒だからね……」
「ん、ぁ、あっ」
飛雄馬の腰を掴み、花形は中を激しく穿つ。
と、射精の瞬間に花形は飛雄馬から己を抜き、その肉付きのいい尻の上に精を吐いた。
花形はそのまま離れていき、飛雄馬は扉の前で顔を俯けていた。
「明子も、思ったより早かったようだね」
飛雄馬の尻に飛散したものを拭いてやろうとしてか、花形がティッシュを手に歩み寄ってくる。
「…………」
飛雄馬は虚ろな顔を花形へと向け、尻を拭かれる感触に小さく身を震わせたが、そのまま覚束ない手つきではありながらも床にまで落ちていた下着とスラックスを定位置まで戻した。
未だ頭は霞がかかったようにぼんやりとしている。
立てるかい?の問いを飛雄馬は無視し、深呼吸をひとつすると部屋の扉を開ける。
するとちょうど、リビングから出てきた明子と鉢合わせ、飛雄馬はねえちゃん、と彼女を呼んだ。
大丈夫だ、おかしなところなどないはず。
「来てたのね。嬉しいわ」
ニコッと明子が言うなり、微笑みを返してくれたもので飛雄馬はほっと胸を撫で下ろしつつ続ける。
「花形さんが、嘆いていたよ。ねえちゃんがいないと寂しいって」
「あらいやだ、飛雄馬ったら」
「ふふ……ねえちゃん、元気そうでよかった」
「伊達にあなたとお父さんに鍛えられてないわよ」
くすくすと笑い声を上げる明子に釣られ、飛雄馬も破顔すると、今日のところは帰るよ、とだけ彼女に返した。
「またいらしてちょうだい。待ってるわ、来てくれるの。話したいこと、たくさんあるから」
「…………」
玄関先まで見送られ、飛雄馬は胸が痛むのを感じる。宿舎まで送ると何気ない表情を浮かべ、囁く花形に薄ら寒いものを感じつつ、飛雄馬はいらないと顔を震る。
「タクシー代くらい、出させてほしい」
「いらんと言っている。花形さんは、ねえちゃんとの時間を大事にしてくれ」
「飛雄馬……」
明子が心配そうに飛雄馬を呼ぶ。
「花形さん、また明日」
「…………」
花形の顔を一切見ようとはせず、飛雄馬は言い放つと戸を開け、外に身を翻す。
腹が、胸がやたらに痛むのはねえちゃんへの罪悪感からか。
飛雄馬は花形の屋敷の敷地内から空を見上げふと、天高く輝く星々が、今にも降ってきそうな錯覚を覚える。
飛雄馬はその星ひとつひとつをしばらく眺めていたが、足早に花形の屋敷の敷地から抜け出ると、通りがったタクシーに行き先を伝えてから、そのまま後部座席の背もたれに身を委ね、静かに目を閉じた。