朝食
朝食 「サンダーさんは?」
「残してきた家族に手紙を書いているそうだ」
「マメじゃのう。今時手紙とは」
「ふふ、まあ、いいじゃないか。サンダーさんがしたいということをさせてやったらいい。それに、おれたちだって昔、何通か手紙のやり取りをしたじゃないか」
珍しくこちらが起こすよりも早く寝室から出てきた伴に朝食の準備をしてやりながら飛雄馬は微笑した。
飛雄馬たちはとっくに朝のトレーニングを終え、屋敷のお手伝いさん──おばさんの作ってくれた朝食をそれぞれに摂っている。
何でも今日は用事があるとかで、おばさんは伴の起床を待つことなく帰宅してしまったし、サンダーさんは家族に手紙を書くとのことで部屋に引き篭もってしまっていた。
伴が集めてくれた二軍選手らの集合時間まではまだ少し余裕がある。どうしたものかと考えあぐねていたところに伴が顔を出し、飛雄馬は驚き半分、嬉しさ半分といった心境で朝食の支度を始めたのだった。
とは言っても、ご飯はおばさんが炊いてくれていたものが炊飯器に入っているし、おかずだってテーブルの上にラップを掛け、乗せられている。
飛雄馬がすることと言っても味噌汁を温めるくらいではあったが。
「そんなこともあったかのう。懐かしいわい」
「きみの字は癖がありすぎて、読むのに苦労したのを覚えている」
温まった味噌汁を椀に注ぎ、飛雄馬はそれを伴へと手渡す。
「一応、書道は習っちょったんじゃが、やっぱりペンと筆じゃ勝手が違うのう」
「手紙の方が形に残っていいんじゃないか。それに国際電話となるとだいぶ料金が嵩むだろうし、伴に迷惑を掛けたくないと思われたのかもしれん」
茶碗に盛られた米をあっという間に食べ尽くし、お代わりと差し出された碗を受け取って、飛雄馬は炊飯器の蓋を開ける。
「屋敷にあるものは勝手に使ってくれて構わんとわしゃ通訳ちゃんに伝えるように言ったんじゃがな」
「たまには声も聞きたいだろうしな」
しゃもじで碗に白飯を盛ってやり、飛雄馬はそれを伴へと返す。
伴は焼かれた塩鮭を上手に箸で切り分け、それを口に運ぶと飛雄馬が渡してくれた茶碗に盛られた白米を掻き込んだ。
「朝からよく食べるな」
「何を言うか星よ、食事の中で一番大事なのは朝だぞい。ここを疎かにすると……」
「お茶でも飲むか」
伴の言葉を遮るように飛雄馬は尋ねると、貰おうか、の言葉にポットから急須へと湯を注ぐ。
「しかし、久しぶりにゆっくりとした朝じゃのう。心なしかめしも美味いわい」
「そう思うのなら早く起きる習慣をつけたらいいじゃないか。それこそ早起きは三文の徳と昔から言うだろう」
「う……まあ、そうじゃな。うむ……」
「言葉を濁すな、伴。接待も大事だがおれはきみのことを──」
食器棚から取り出した湯呑みへと緑茶を注ぎ、更に忠告を続けようとした飛雄馬だが、塩鮭と味噌汁、それに二杯目の白飯、加えだし巻き卵と漬物をいつの間にか綺麗に平らげたばかりか、緑茶までを一息に飲み干した伴に、ごちそうさま!と言われてしまい、閉口することとなった。
飛雄馬は身支度を整えてくると言う伴を見送り、彼の使った食器をスポンジで丁寧に洗っていく。
おばさんは流しに置いておいてくれたらいいと言ってくれたが、こちらは居候させてもらっている身。
少しは協力したいものだ。
水切りカゴに皿や椀の類を綺麗に並べてから飛雄馬は、濡れた手を近くに掛けられていた手拭き用の手拭いで拭った。
そうして、伴の座っていたテーブルを濡れ布巾で拭き上げてから玄関先へと出向く。
おばさんは昼にはまた来ると言っていたか。
昼食は何だろうか。ふふ、まるで子供みたいだな。
いつまでも、伴やおばさん、サンダーさんの好意に甘えていてはいけないとわかっていながら、この生活が気に入りつつあるのは事実だ。
「お、なんじゃあ。見送りに来てくれたのか」
「……今日も遅いのか」
玄関先で靴べらを使い、革靴に足を滑り込ませていた伴が飛雄馬の気配を察したか、にこりと微笑む。
「うんにゃ。今日は早く帰れるわい。何の予定も入れてはないからの」
「そうか。それはよかった」
気をつけて、続けた飛雄馬だが、伴が大きな巨体を屈め、唇を突き出しているばかりか目を閉じた間抜けな格好をしていることに気付き、顔を引き攣らせた。
「ん〜」
「馬鹿、調子に乗るとすぐこれだ。遅刻しないうちに早く行け」
「……今日の商談がうまくいかなかったら星のせいじゃぞい」
「おれを強請るのか」
「…………」
「…………」
「……行ってくるわい」
しばし睨み合いのあと、先に折れた伴ががっくりと肩を落とし、屋敷を出て行くのを飛雄馬は黙って見つめる。伴のやつ、朝から何を考えているんだか。
やれやれとばかりに飛雄馬が溜息を吐くと、廊下の向こうからビル・サンダーがやって来るのが目に入り、小さく会釈をする。
「Oh,ヒューマ。ソロソロ行キマショウ。間モナク時間デース」
サンダーの言葉に飛雄馬は頷き、彼に続くように玄関先で靴を履く。これから昼飯時までみっちり、サンダーさんの教えを請いながら二軍選手相手に球を打つ。
昼休憩を挟んで、今度は日没まで同じことを繰り返してようやく一日が終わる。
その頃には掌は血塗れで、指や手は極度の疲労と酷使により感覚はなく、微かに痙攣さえしてしまっている。この血塗れの手が、再び星を掴めるようになるまであとどれくらい、時間を要するか今はまだわからんが──やれるだけのことはやってみるつもりだ。
飛雄馬は隣でニコリと微笑んだサンダーに笑みを返してから、屋敷の玄関を出ると、伴重工業専用グラウンドまでの道のりをふたり並んでトレーニングを兼ね、走り出す。
スラックスのポケットに入れた伴の屋敷の玄関の鍵が体を動かす度に音を立てる。
飛雄馬は伴が帰宅したら、少しは彼の要求も飲んでやろう、とそんなことをひとり考えつつ、隣を走るサンダーに気付かれぬよう、小さく口元に笑みを湛えたのだった。