クローバー
クローバー 「これ、飛雄馬にいちゃんにあげるよ」
「え?」
伴との投球練習の後、多摩川グラウンドの均しをしていた飛雄馬に、毎日のように顔を出すジャイアンツファンだという小学校に入るか入らないかくらいの年齢の男児が声を掛けた。
自分のことをター坊と呼んでいたのを見るにつけ、ひょっとするともう少し年齢が若いかもしれない。魔球開発に勤しむ飛雄馬にとって、この少年の存在は癒やしになり、何より励ましにもなった。
何がなんでも球質の軽さを補うために、でっかく輝く明星になるために、巨人の星を目指すために禁断とも言える魔球に手を出し、親友・伴相手に球を投げまくり、ぶつけまくる日々であった。
そこにひょっこりと顔を出したター坊は他愛のない和やかな話題を提供してくれ、神経を張りつめさせ、いつもどこか緊張していた飛雄馬の心を解した。
そんな彼が飛雄馬に手渡してきたのは、いわゆる四つ葉のクローバーと呼ばれる、本来ならば3枚である葉が珍しく4枚集まったシロツメクサである。
「幸運の四つ葉のクローバーだよ。おにいちゃんに幸運が訪れますように」
ター坊はシロツメクサを渡すとニコッと屈託なく笑って、おにいちゃんの活躍、期待してるよ、と飛雄馬の腰辺りを手でポンと叩いた。
「あ、ありがとう。でも、いいのかい。ター坊が見つけた貴重なものじゃないのかい」
「ううん、いいんだ。飛雄馬にいちゃんのために見つけたんだから。ぼく、詳しいことはよくわからないけど、一生懸命頑張ってる飛雄馬にいちゃんがむく、むくわれ、報われますように、って」
「……………」
飛雄馬は右手の掌に乗せられた小さな葉を潰さぬよう指を曲げ、そっと拳を握ると左手で自分の顔を覆う。
おにいちゃん?と心配そうに名を呼んだター坊に、汗が目に入ったんだよ、大丈夫だ、と震える声で呟いて飛雄馬は鼻から大きく空気を吸い込むと、泣くのを堪えるようにして口から息を吐いた。
「………練習、頑張ってね。また来るね。飛雄馬にいちゃんのこと、ずっと応援してるからね」
そうとだけ言うと、ター坊は少し駆け足ぎみにその場から離れて行った。もう日が沈みかけている。
門限などとうに過ぎているであろうに、ター坊はここにいてくれたのだ。
飛雄馬は顔を上げ、目元に滲む涙を指先で拭うと、いつの間にか近くに来ていた伴の気配に気付き、伴、と掠れた声をその口から漏らした。
「あの子のためにも、頑張らんといかんのう」
飛雄馬の肩に手を置きつつ伴は優しく囁く。
「言われんでも、やってやるさ……」
一瞬、間を置いてから飛雄馬は凛とした声で答えた。
「おうともよ。そのためには微力ながら親友のおれが続けて協力するぞい」
ガハハ、と伴は大声で笑うと先程ター坊がしたように飛雄馬の背中をばしばしと叩いて、帰ってめしにするぞい、と日の沈み、真っ暗になったグラウンドの先を行く。
「…………」
飛雄馬もまた、伴の後を追うようにして帰路につき、部屋に戻ってすぐ握っていた四つ葉のクローバーをティッシュに包み、それから厚い辞典で挟み込んだ。
枯れてしおれてしまわぬよう、押し花にしよう、と言うわけだ。
そうして、飛雄馬は夕食を食べに食堂へと向かう。ぼうっとしていると消灯までに風呂を済ませることができなくなってしまう。
さっきの伴の台詞じゃないが、ター坊のためだけでなく、自分のため、はたまた練習に付き合ってくれる伴のためにも一刻も早く魔球を編み出さねば、と飛雄馬は決意新たに拳を握って、部屋を出てすぐにある廊下の明かり取りの窓から空を仰ぎ、そこに一際明るく輝く明星を睨んだ。