誓い
誓い 「ミナさん、じゃったかのう」
ビル・サンダーとの打撃練習を終え、伴の屋敷に戻った飛雄馬が好きに使ってくれと与えられた和室に寝転び、眺めていた一枚の写真。
いつの間に部屋を訪れたのか、仕事から帰ったばかりの姿で佇んでいる伴に声をかけられ、飛雄馬は枕代わりにしていた二つ折りの座布団の下に写真を仕舞い込んだ。
「何の用だ、伴」
「さっきから夕飯じゃと呼んどるのに、何の用だとはなんじゃい。返事もせんで訪ねてみれば写真なんぞ眺めてぼんやりしおって」
むすっと唇を尖らせ不機嫌な表情を浮かべ、伴がそんな嫌味を口にする。
「すまん、今行く」
そう言って体を起こした飛雄馬の敷いていた座布団の下から伴はそろりと写真を取り出し、天井から吊り下げられた室内灯へとかざした。
あっ、と飛雄馬は声を上げ、写真を取り返そうと腕を伸ばしたが、伴が立ち上がったことで身長差が邪魔をし、両手は虚しく空を掻く。
「いつの間に撮ったんじゃい。こんな写真」
「返せ、伴!それは沖先生が撮ってくれたんだ」
知り合ってどれくらい経った頃だろうか。
診療所に電話をすると、患者がとても多い日で街へ下りるのは難しいと言われてしまった日。
それならとタクシーの運転手に無理を言い、沖診療所を訪ねた際、記念にと沖先生が撮影してくれた、まだ彼女が──日高美奈が病気を患う素振りを微塵も見せなかった時分、のたった一枚の写真。
照れ臭そうに隣に並び、微笑む飛雄馬と無理に笑顔を作ってくれたのか、にこやかに笑う彼女が映っている。
飛雄馬はどうしてもこの一枚を処分することができず、時折こうして眺めていたのだった。
「言われんでも返すわい。しかしだな、星。彼女を今でも忘れられんというのはわかるが、そんな生半可な気持ちでは……」
伴が差し出してきた写真を引っ手繰るようにして取り返すと、飛雄馬はふ、と口元に笑みを湛える。
「病床に伏せる彼女もそう言っていたらしい。自分よりもマウンドを大事にしてほしい、とな。おれは放浪中、ずっと写真の中の彼女に尋ねていた、おれの生き方はこれでいいのか、進むべき道は合っているのか、と」
「…………」
「何を問いかけても彼女は微笑むばかりで、合っているとも間違いだとも言ってはくれない。当たり前のことだが」
飛雄馬は言うと、手にした写真を二枚に引き裂き、それを四枚、六枚と言うように伴の目の前で小さく細切れのように破いていく。
「なっ、何を馬鹿なことをっ!きさま」
飛雄馬のまさかの行動に、血相を変えた伴は畳の上に無残に撒かれた写真の破片を拾うべく這いつくばると、一枚一枚をパズルの絵合わせのように組み合わせていく。
「伴の言うとおりだ。今からあの地獄へと、球界へと返り咲こうとしているのにいつまでも思い出に浸っていても始まらない。それに、写真などなくとも彼女は今でもおれの中に生きている」
「しっ、しかし……みっ、ミナさんとの写真はこの一枚しかないんじゃろう!?大丈夫なのか」
「しつこいぞ、伴。生半可な気持ちでは球界には戻れんと言ったのはきみだろう。行こう、せっかくおばさんが作ってくれた夕飯が冷えてしまう」
「あんな、ビリビリに破いてしまわんでも……」
立つように促され、飛雄馬に背中を押される形で伴は部屋を出てからも破かれ、畳に撒かれたままの写真の心配をしている。
「写真に女々しく語りかけるより、球場のグラウンドに立つ姿を見せる方が美奈さんも安心するだろうさ」
「……す、すまん。星に活を入れるつもりがとんだことになってしまったわい」
「なに、気にするなよ、伴。いつか処分しなければとは思っていたんだ。きみにガツンと言ってもらえたことで踏ん切りがついた」
「う、うむ…………」
長い廊下を台所へと向かいながら、肩を落とす伴の背中を叩き、飛雄馬は明日は寝坊しないようにな、と今朝方、ろくに朝食も摂らず慌てて屋敷を飛び出して行った彼をからかう。
「ほ、星が心配で眠れんし、行ったところで仕事も手につかんのじゃあ」
「ふふ……」
「あ、明日にでも写真屋を回って修復できんか訊いてみるわい」
「ネガがないとどうにもならんさ。それにもう済んだことだ。伴には嫌な役をやらせてしまったな」
「ほ、本当にすまん、星……」
「……無事、球場に戻ることができたら、報告も兼ねて美奈さんの墓参りに行くつもりだ。そのときは伴、きみも着いてきてくれるな」
「も、もちろんじゃい。この伴宙太、どこまでも着いていくぞい」
どんと勢いよく拳で胸を叩いた伴を笑い、飛雄馬は台所で待つ家政婦のおばさんに遅れたことを謝罪すると、美奈さん、もう少しだけ待っていてください、と胸中で、写真の非礼を詫び、あなたのためにも必ず球界に返り咲いてみせます、と写真の彼女へと固く誓う。
心なしか、記憶にある写真の彼女の顔が綻んだような気がして飛雄馬は泣きそうになるのを堪え、いただきます、と食卓に着いたところで両手を合わせた。