父の話
父の話 アパートの外階段を昇りきった先、飛雄馬は己の父が住まう部屋の戸を叩く。
いつもなら2、3、戸を叩けば中から入室を許す声がかかるのだが、今日に限って何の応答もなく飛雄馬は首を傾げる。
呼んだのは親父だろうに、どうしたことだ?と再び戸を叩きかけた刹那、中からドアノブが回って、飛雄馬は「なんだ、いたのか」とばかりにほっと胸を撫で下ろした。
それから、ドアノブへと落としていた目線を上げ、戸の隙間から顔を覗かせた人物の姿に飛雄馬は視線を遣った。
するとどうだ、戸を開いたのは部屋の主である飛雄馬の父・一徹ではなく、今や義理の兄弟の間柄となった花形満、その人で、飛雄馬は思わず目を見開くと息を飲む。
「おや、きみが来るとは珍しい。お義父さんならたった今銭湯に行くと出て行ったよ」
飛雄馬は花形が己の父を「おとうさん」と呼んだことに胸がチクリと痛んだが、平静を装い、そうですか、とだけ返すと、それなら外で待っておきますとばかりに彼から視線を逸らす。
花形が親父をお義父さんと呼ぶのはねえちゃんと結婚した今、何ひとつおかしなことなどない。
しかして、何故か胸が痛む。
おれにとって親父は絶対だったし、逆らうことも許されなかった幼少期、神にも近い存在であった父を、花形におとうさんと気安く呼ばれるのはどうも気分が良くない。
けれども、それを表に出すつもりもなく、飛雄馬は、また後から訪ねると伝えてくれ、と言うなり身を翻し、その場を立ち去ろうとする。
が、それを見越していたか花形は戸の隙間から手を伸ばすと飛雄馬の腕を捕らえ、中で待ちたまえ、と優しく声をかけた。
「…………!」
離してくれ、とその手を振り解こうと飛雄馬は一瞬、考えたが父の体裁を考え、ここは花形に素直に従うことにした。
変に事を荒立て、今は平穏に暮らす父やアパートの住人皆に迷惑をかけることがあってはならないという、己より他人を優先する、飛雄馬生来の気の優しさの表れである。
飛雄馬は花形に招かれるがまま、父の住まいに足を踏み入れると、玄関先で靴を揃え、畳の上に正座した。
それにしても、何だって親父はおれの左腕現役時代の写真をあんなに大きく引き伸ばして飾っているのだ、と飛雄馬は己を天井近くから見下ろしてくる自分のまだうら若き頃の写真をチラと見遣る。
花形もその視線に気付いたか、お義父さんは相当、あの写真がお気に入りのようだね、と飛雄馬をからかった。
「やめてくれ。恥ずかしい」
「フフ、恥ずかしがることはなかろうに。写真は嫌いかね」
「好きでも、嫌いでもないがあんなに大きいものを飾られるのは分不相応だ。花形さんだって自分の写真があんなに大きく飾られていたら嫌な気分にならないか」
「ぼくなら嬉しいが」
にやりと笑った花形を目の前に、彼に尋ねた自分が浅はかだったな、と飛雄馬は苦笑すると、とりあえず茶でも……と切り出す。
「なに、それならぼくがやろう。きみはあまりここを訪ねたことがないだろう。ぼくの方が勝手がわかる」
「…………」
飛雄馬は立ち上がりかけたところを花形に制され、そのまま畳に膝をついた。
ねえちゃんは花形のものになり、その上、親父までもが花形のものになってしまうのか。
それに伴も花形とは家族ぐるみの付き合いをしていると言っていた。
左腕現役時代のおれの大リーグボールを打ち破るのもいつもこの男だった。
花形はおれからこれ以上、何を奪おうと言うのだろう。
台所に立ち、やかんで沸かした湯を急須に注いでから花形は湯呑みふたつを盆に乗せ、飛雄馬の待つ居間へと戻ってきた。
「お義父さんはお茶にはこだわりがあるようだね。決まった茶葉しか口にしないとおっしゃっていた」
「…………」
おれと、ねえちゃんしか知らなかったことを、この男は知っている。
おれが知らぬ間に、彼はねえちゃんや親父を介し、知っていく。
急須から湯呑みにそれぞれ茶を注いで、花形は飛雄馬に飲むよう勧めた。
飛雄馬は湯呑みを手にすると、それをひと口、口に含む。
程よい温度が舌の上を滑り、喉を潤す。
この味を、懐かしい、と飛雄馬は思った。
長屋にいた頃、よく飲んでいた緑茶の味そのままだ。
花形もまた、自身が入れた茶を啜ると、お義父さん、遅いようだね、とポツリ呟く。
「花形さんは、ねえちゃんの……いや、姉のどこに惹かれたんですか。親父を父と呼び、伴とも家族ぐるみの付き合いをしていたと聞く。おれの身内が、全部あなたに取られる気がして、気味が悪い」
飛雄馬は思わず、本音を口走る。
意図せぬままにそんな言葉が口を吐いたのは、懐かしい味に感化されたせいか。
「…………今頃気付いた?」
ふ、と目を細めた花形のまさかの表情に飛雄馬はドキン、と心臓が跳ねる感覚を覚えた。
「気付いた、とは?」
空になった湯呑みを盆の上に置いて、飛雄馬は食い気味に尋ねる。
「ぼくが、1番、欲しかったのは飛雄馬くん、きみだよ」
いつの間に距離を詰めたか花形は、正座した飛雄馬の腿を撫でつつ、彼の耳元に顔を近づけると、薄気味悪い台詞を囁く。
「…………!」
かあっ、と飛雄馬の、花形に囁かれた耳が熱を持ち、肌が粟立った。
「明子と結婚したのも、お義父さんと良好な関係を築いたのも、伴くんと家族ぐるみの付き合いをするに至ったのも全部、きみのことを知りたかったからさ。ぼくの知らない飛雄馬くんを、全部」
「あ…………?」
面食らい、固まった飛雄馬の耳に口付け、花形はその形に沿って舌を這わせる。
呻いて、距離を取ろうとする飛雄馬の体を抱き寄せ、勢いのままに畳の上に組み伏せてから花形は、ニッ、とその顔に笑みを浮かべた。
「冗談さ。フフッ、ぼくがそんなことをするような人間に見えるかい」
「…………」
飛雄馬はそうだ、と言わんばかりに己の上に跨るようにして体を組み敷く花形を睨みつけ、どいてくれ、と語気強く言い放つ。
「相変わらず、飛雄馬くんだけは変わらんね」
言うと花形は顔を寄せ、飛雄馬に口付けを迫るが、顔を背けられたために眉間に小さく皺を刻む。
「おれは、っ、兄とこんなことをする趣味はない……っ!」
「誰となら、あるのかね」
飛雄馬の顎先を掴み、顔を固定すると花形は無理やり己の唇を彼のそれへと押し当てた。
顎に花形の指が食い込み、飛雄馬は痛みに顔をしかめる。
と、飛雄馬の唇を舌で舐め上げ、小さくそこを啄んでから花形は彼の首筋に顔を埋めた。
「は、っ……ぁ、」
両手首を恐ろしい力で顔の横に押さえ込まれ、飛雄馬は逃げようにも身動きが取れない。
目を閉じれば、薄い皮膚を吸い上げる花形の唇の音が耳を犯し、目を開けていればこちらを得意げな表情を浮かべ見つめてくる彼と視線が絡む。
親父が帰ってきてくれたら、しかし、この状況を見られでもしたら──。
ちゅっ、と飛雄馬の首筋を啄みつつ花形は手首を握っていた力を緩めると、組み敷く彼の着ているシャツの裾をスラックスから引き出し、そこから中へと手を差し入れる。
「ふ……ぅ、っ」
滑らかな指先が飛雄馬の腹を撫で、脇腹の上を滑った。
花形の指が上に昇るに連れ、飛雄馬の着ている衣服もずり上げられ、白い腹が次第に露わになっていき、ついには胸のあたりまでが蛍光灯の下に晒される。
花形は飛雄馬の唇に軽く口付けを落とすと、現れた胸の突起に指を這わせ、そこを指先で軽くくすぐった。
「う、うっ!」
「もうされるがままかい。フフ、実に飛雄馬くんらしい。下手に大きな声を出して騒ぎになることは避けたい、そうだろう」
「……っ」
読まれている、と飛雄馬は腕で口元を覆うようにしながらぎゅっと拳を握る。
「お義父さんの迷惑になるようなことはしたくない。自分が黙っていれば済むことだ」
言いつつ、花形は飛雄馬の突起をゆるく抓った。
「ぐ、ぅっ!」
びくん!と大きく飛雄馬の腰が跳ね、その瞳には薄く涙の膜が張る。
花形は抓った突起を指の腹で擦るように刺激し、次第に固く、芯を持ち始めたそこをふいに強く、押し潰す。
「────!!」
じわっ、と飛雄馬のスラックスの奥、下着の中が湿って染みを作る。
呼吸が段々と荒くなっていき、飛雄馬は畳の上に投げ出している両足の内腿をすり合わせた。
「お義父さんの部屋で、こんなことになって。いや、お義父さんの部屋だから余計、かな」
クスクス、と花形は笑みを溢しつつ飛雄馬の腰からベルトを緩め、スラックスのボタンを外すとファスナーを下ろしてやる。
己を押さえつけるもののなくなった下着の中は、はだけられたスラックスの前部からその顔を覗かせ、未だ解放を待ち侘びている。
飛雄馬は焦れったさに身をよじり、花形を涙に濡れた目で睨んだ。
「そういう、顔をするように言われたのかい」
飛雄馬の男根を下着の上から撫でさすり、花形は意地悪くそんなことを尋ねる。
下着にできた染みはじわじわと大きさを増していき、花形が指を差し入れたときには中は飛雄馬の先走りでじっとりと濡れ、湿っていた。
ふっ、と花形がそれを目の当たりにし、微笑んだことで飛雄馬はかあっと全身の血液が沸騰するような感覚を覚え、頭の中がぼやけた。
花形は先走りで濡れた飛雄馬のそれをゆっくりとしごいてやりながら、彼を絶頂へと導いていく。
「っ、く………ふ、ぅ、うっ」
背中を反らし、飛雄馬は額にかいた汗を畳の上へと滑らせる。
くちゅ、くちゅと己の臍の下から鳴る水音が飛雄馬の頭の中を真っ白にしていく。
「い、っ………っ!」 飛雄馬は目を閉じ、全身を強張らせると花形の手の中にその欲をぶち撒けた。
とく、とく、と規則正しく脈動しながら飛雄馬の男根は白濁を吐き続け、すべてを出し切るとその動きを止める。
それが収まるのを待ってから花形は、飛雄馬の額に口付けてやり、己の体を置く位置を変えながら彼の膝を立たせると、下着とスラックスとを剥ぎ取っていく。
そうして、左右に開かせた飛雄馬の足をそれぞれの脇に抱えるようにしながら精液に濡れた指を、彼の体の中心へと這わせた。
「…………!」
飛雄馬はそこでようやく我に返り、花形から距離を取るよう体を起こし、身をよじる。
「逃げることはないだろう。痛いことはしないさ」
「っ、そうじゃ、ない……おれは、花形さんと、こんな……」
口ごもった飛雄馬の孔へと花形は指を滑らせ、中を探った。
「あ、っ」
花形は飛雄馬の腹の中を丹念に、ゆっくりとその形を教え込むように、粘膜を刺激で慣らしながら指を奥へと進めていく。
奥まで来たかと思えば指を僅かに引いて、浅いところを花形は撫でる。
入り口を時間をかけ、解してやりながら花形は2本目の指を挿入し、飛雄馬の反応を見ながら彼の腹側の粘膜を掻いていく。
白く、薄い腹を呼吸の度に上下させ、飛雄馬は花形の指の動きに体を戦慄かせた。
閉じたままの目尻からは涙が滴り、こめかみを濡らしている。
1度は達した飛雄馬の男根も、中を刺激され、前立腺を撫でられたせいで再び首をもたげ始めていた。
「ふ………っ、う、ぅ」
ひく、ひくと体を震わせ、花形の与えてくる快楽に酔い痴れていた飛雄馬だが、ふいに指が腹の中から抜かれ、やや平常を取り戻しかけつつあった。
このままではいけない。
取り返しのつかなくなる前に、やめさせなければ。
未だぼうっとした頭で解決策を懸命に練る飛雄馬の両足を左右それぞれの脇に抱え、花形は手を添えた男根を彼の尻の中心へと当てがうや否や、ぐっとその腰を押し付けた。
たった今まで指によって慣らされていたそこは容易く花形を飲み込み、指で探っていた箇所までは難なく彼を受け入れた。
「あ、っ……っ!」
半ばまでを挿入し、花形は飛雄馬の腹の中が馴染んでくるのを待つ。
やや立ち上がりかけている飛雄馬の男根からは先走りが滴り、白い腹を汚している。
顔をしかめ、眉間に深い皺を刻みながら懸命に受け入れようとする飛雄馬の更に奥へと腰を押し進め、花形は組み敷く彼の名を囁く。
すると飛雄馬はハッ、と目を開け、肘を使い体を起こすと花形から逃れようともがいた。
ぬるっ、と抜けかけた男根を再び飛雄馬の中に収め、花形は逃げられぬようその腰を己の腰で押さえつける。
そうして、飛雄馬の体の脇に手を置くと、ゆっくり腰を使い始めた。
飛雄馬が身をよじり、花形が腰を叩くたびに畳が軋み、部屋の中の座卓や箪笥が揺れ、音を立てる。
飛雄馬は声を上げぬようずっと口元を腕で覆ったまま、快楽に耐えていた。
密着する互いの腿同士が熱を持ち、飛雄馬が背中を預ける畳も汗で湿気を帯びている。
「っ、あ………ァっ」
胸元でゆらゆらと揺れるネクタイを肩にかけ、花形はより深く己を飛雄馬の中に挿入するように身を乗り出し、自身の体の脇で揺れていた白い足を、彼の腹へと押し付けるようにより左右に大きく開かせた。
「うぁ、っ…………」
腹の奥を深く突かれ、飛雄馬の口からは今までのそれとは違う嬌声が上がる。
もう動かないでくれ、と言いかけた言葉も花形の腰の動きに掻き消された。
口元だけではなく、目元も腕で覆い隠して飛雄馬は体を反らし、幾度となく花形を締め付ける。
「…………」
「いぁっ……あっ、も、うごくな、ぁっ!」
振り絞るようにして声を上げ、飛雄馬は腕を使い花形の体を押し返そうとするが、逆にその手を絡め取られ、真っ赤に染まった顔を彼の眼下に晒すことになった。
花形は飛雄馬に噛み付くような口付けを与え、歯列を割るようにして舌を滑り込ませる。
そうして、拙いながらも舌を絡ませてくる飛雄馬の中へと吐精し、ひとしきり唇を貪ったあとにようやく彼から離れた。
畳の上に体を投げ出し、呼吸を整えている飛雄馬に湯呑みに残っていた冷えた緑茶を口移しに飲ませてやってから花形は緩んだネクタイを締め直す。
「っ………はぁっ、っ」
小さく咳き込みながら飛雄馬は体を起こし、花形には目もくれず、あたりに脱ぎ散らかされていた下着類に足を通した。
濡れてしまっているが、これを穿くより他、術がないのだ。
立ち上がり、飛雄馬がベルトを締め直していると出入り口の戸が開いて、洗面器片手に部屋へと戻ってきた一徹が顔を出した。
「それではお義父さん、飛雄馬くん、また」
「…………!」
言うなり、一徹と入れ違いで部屋を出た花形の後ろ姿を飛雄馬は吸い寄せられるようにして見つめた。
ここで追えば、何かあったのかと詮索されるに違いない。
ここは黙って見送るのが最善。
おれが事を荒立てなければ、すべて元通りなのだから。
「飛雄馬」
呼ばれ、飛雄馬は視線を己が父へと戻す。
「親父がおれを呼ぶなんて珍しいな」
飛雄馬は感情を抑え、努めて平常心を保ちつつ、一徹を瞳に捉えると、得意の作り笑顔をニコリとその顔に貼りつかせた。