伴PTA会長からの差し入れだ──の声に、飛雄馬は構えた伴のミットに球を投げ込んでから、くるりと体の向きを変えた。
5月半ばと言うのに太陽は燦々と照りつけ、じりじりと肌を焦がす、そんな日の夕方。皆それぞれにユニフォームの袖などで額から滑り落ちる汗を拭いながら、近々開かれる紅洋高校との試合に向けて練習に励んでいた。
伴は自分に背を向け、皆と同じように差し入れを持ち寄った野球部顧問の天野の元に駆け寄った飛雄馬を見送りつつ、ちぇっ、と唇を尖らせる。
親父のやつ、いつもいらんことしかせんのう、と心中で悪態を吐きつつ、伴もまたキャッチャーマスクを額まで上げながら、部員たちが集まるベンチ付近へと歩み寄った。
やっと星の球を受けられるようになって、掌の痛みにも慣れてきたと言うのに、変なところで水を差されたような気がするわい、と伴はミットを外すと、それを脇に挟んで額の汗を掌で拭う。
「伴!」
「わっ、たた、たっ!」
汗を拭うことに意識をやっていた伴は突然に名を呼ばれ、何やら顔面めがけ投げて寄越されたために慌てふためき、投げられた何物かを受け取ろうと両手をめちゃくちゃに動かした。
「……ふふ、すまん。これ、栓抜きだ」
口ではそう言いながらも、全く悪びれた様子なく、むしろ笑みさえ浮かべて飛雄馬はやっとのことで投げられた瓶をキャッチした伴のそばへと近寄った。
伴が受け取ったのは熱く火照った肌をひやりと刺した冷たい瓶で、すこし緑がかったガラスの中には茶色い液体が充填されている。
飲み口に金属の王冠が嵌められており、瓶の中ほどが少し女性のウエストのようにくびれたそれはコーラと呼ばれる炭酸入りの清涼飲料水であった。
「落としたらどうするつもりだったんじゃい!」
叫びつつ、伴は飛雄馬から栓抜きを受け取ると、王冠に充てがい栓を抜く。
「おれの球を捕る伴なら、それくらい簡単だろう」
「なんの断りもなく投げられたら取れっこないわい!」
そこで鼻息荒く言い返しながら、伴は瓶の中身に口を付けようとして、隣で瓶を傾ける飛雄馬の横顔に目が釘付けとなる。
ああ、なんとこの横顔の美しいことだろうか、と柄にもなく、伴はそんなことを思った。額から頬を滑る汗と、瓶を濡らす水滴が夕日を受け、きらきらと輝いている。
ほんの少し尖らせた赤い唇と淡い緑色をした細い瓶の飲み口と触れ合って、中身が減っていくたびに白い喉がまるで意思を持った生き物のように動いているではないか。
それと相反するように、閉じられた瞼の縁に生え揃う黒い睫毛が、喉を鳴らすたびに小さく揺れた。
そうして、視線に気付いた飛雄馬が瓶から口を離して伴を見つめた一瞬、伴は目線を逸らして瓶に口を付ける。
焼けて渇いた喉を冷たく甘い、ビリビリとした刺激が通り抜けていく。
「そんなに喉が渇いてたのか」
苦笑すると、飛雄馬は空になった瓶を片手に皆が集まるベンチへと引き返す。
一息に中身を胃腑に追いやって、伴は口元を先程額の汗を拭ったように掌で拭った。 日が暮れかけ、部員たちの影がグラウンドの土に伸びてくる。
「今日はこれで解散とする。また明朝、グラウンドに集まるように」
天野がそう言うと、部員たちはやれやれとばかりに散っていった。
飛雄馬は一人、伴の父親の差し入れたコーラの空き瓶の入ったケースを持って帰ろうとする天野に声を掛け、二人それぞれの手にケースを持つと何やら談笑しながら校舎の方へと歩んでいく。
空になった瓶を手に、ぼうっとその様を見ていた伴は星の出てきた空を仰いで、ふと蘇ってきた飛雄馬の横顔に再び心臓の鼓動が速まるのを感じた。
星のことを目で追うようになってしまったのは果たしていつからだろうか。
最初は生意気なチビに吠え面かかせてやりたい、とそう思ったに過ぎないのに。それがいつしか姿が見えるたびに胸が高鳴って、ちょっかいを掛けたくなって、今こうして野球部に入ってバッテリーを組むまでになった。
「伴!」
「わっ、たた、たっ!」
急に呼ばれて、またもや伴は瓶を取り落としそうになって、目を細めつつ背後を振り返る。するとそこには想像した通り、飛雄馬の姿があって、伴の心臓は変に跳ねた。
「帰ろう。って……伴だったのか、瓶を返してなかったのは。1本足りないと天野先生が首を傾げていたぞ。ほら、返しに行こうぜ」
飛雄馬は言いつつ、伴の腕を掴む。一人で歩けるわい!と彼はその手を振り解くと、プロテクターも付けたまま、校舎の方へと向かっていく。
すると、今頃になって炭酸が上がってきて、伴がまるでしゃっくりのようなへんてこなゲップをしたために、飛雄馬は思わず吹き出した。
一瞬、ぽかんと呆けた伴だったが、彼もまた隣で楽しそうに声を上げて笑う飛雄馬につられ、顔を綻ばせながら、きっと明日も晴れるじゃろうな、と瓶を片手にそんなことを思った。