弁当
弁当 寝ても醒めても星のことを考える。
ばばっちいちび、と言うのが最初に抱いた感想だった。どこから調達してきたのか着ている学ランにも継ぎが当てられており、このブルジョア校である青雲には到底相応しくない。
腑抜けた野球部の応援団長を買って出たおれの無理難題を他の部員らが命からがらこなす中で、星だけは違った。
あのちびの体でおれのしごきに耐え、尚且つその細腕からは信じられぬような豪速球を放った。
元々、授業など上の空で聞いていなかったおれだったが、今日の弁当の中身は何であるか、やら野球部のれんじゅうには何をやってやろうかとくだらぬことを考えていたその頭に浮かぶのはあの星飛雄馬のことであった。
中学・高校生柔道で頂点を極めたおれは毎日が退屈だった。どうせおやじの力で勉強なんぞせずとも高校は出れるし、学校を出たらおやじの会社を継げばいい。
なんの面白みもない、なんの刺激もないそんな日常を変えたのが「星」であり、「野球」だった。
単なる移動教室の際、廊下ですれ違っただけでも全身がかあっと熱くなって、心臓が馬鹿に跳ねる。いつも脳裏に浮かぶのは星の笑顔で、その弾む声であった。
「伴!」
ようやく迎えた昼食時間。
伴のいる三年生の教室に星飛雄馬は一緒に食べよう、と自身の姉の作ってくれた弁当を手に顔を出す。
弁当を一緒に食べんか、と言ったのは他ならぬ伴であり、飛雄馬も最初は乗り気ではなかったものの、その内熱意に負け食事を共にするようになった。口数の少ない飛雄馬であったが、伴の持ち前の明るさと饒舌ぶりのおかげで段々と飛雄馬も自分の話を彼にすることが多くなった。
互いに今まで生きてきた年月も、場所も境遇も何もかもが違う二人の話す過去はそれぞれにとって新鮮でもあり、驚きの連続でもあった。
「いい天気だのう、今日も」
本来なら立入禁止である校舎の屋上に二人はこっそり忍び込んで、持ち寄った弁当それぞれに舌鼓を打つ。
「甲子園まであと数日だな」
「ふふ、甲子園……甲子園。いい響きじゃのう。楽しみじゃわい」
「うふふ、おれもさ」
伴につられて笑う飛雄馬の頬に米粒がひとつ付いていることに気付いて伴は、「星」と自身の頬を指で差してみる。
「なんだ?」
「米が、付いとるぞ」
「え?」
飛雄馬は慌てて己の頬に手を遣るも、何やら見当違いの場所を触るばかりで一向に頬に付いた米粒は指に付いてこない。伴は家のお手伝いさんが作ってくれた大きな弁当をそっと包みごと地べたに置くと、飛雄馬のそばに寄った。
「まったく子供じゃのう、星は」
笑って、伴は目を閉じた飛雄馬の頬に触れる。血色の良いふっくらとした頬は存外柔らかで伴は彼の顔に自身の唇を寄せ、そっと米粒を掬った。
「う……?」
「と、取れたぞう」
「ああ。すまんな、世話をかけた」
「え、ええんじゃあ。これくらい気にするなあ」
伴は言うと、地べたに置いた弁当を再び掴むと中身をがつがつと頬張る。
「そんなに焦って食わんでも……伴よ、おまえもほっぺたに付いてるぞ」
「えっ、どこじゃい」
あたふたと伴も先程飛雄馬がしたように頬をそれぞれに触るが、どうも肝心の場所には触れない。飛雄馬はくすっと吹き出すと、伴の顔に向かって手を伸ばす。
そろり、と指が伴の頬に触れたかと思うと、飛雄馬は指についた米粒をぱくりと口に含んだ。
「ふふっ、そのまま帰ったら互いに恥をかくところだったな」
「星……なあ、わし……」
「なんだ。弁当が足らんか」
「ちっ、違わい!!弁当は足りとる!」
「ふふ、なんだ。改まって」
「わしは、そのう、星がすきじゃ。寝ても醒めてもずっと星のことを考えとる」
「好き、とはどういうことを指す?」
「えっ?」
予想外の返答に伴は妙な声を上げる。
「おれは、とうちゃん相手に野球しかやってこなかった。深く人と関わったことがない。好きとか、嫌いとか、そういうのはよく、分からん」
「……ずっとおまえと一緒におりたい。ずっとおまえのことが頭から離れんのだ」
「それが好きと言うことか」
「わ、わからん!他人のことは知らん!だが、おれはおまえのそばにずっといてやりたい」
「卒業したらおやじさんの仕事を継ぐんじゃなかったのか」
「そ、そんなことはいい!おれは星が辛いとき、きついときそばにいてやりたい。いつでも泣けるように支えてやりたいんじゃ」
「……ふふっ、ねえちゃん。今日の鮭はやけに塩が利いてる」
飛雄馬は鼻を啜り、残った白飯を口にがつがつと押し込む。
「……妙な話をして悪かったのう」
ぶちまけ、スッキリしたか伴もまた残った弁当をもそもそと口に運ぶ。
「嬉しかった」
「星」
「おれもずっと伴と友達でいたい」
「……おう」
伴は空になった弁当箱を元のように包み直してから雲一つない快晴の空を仰ぐ。
「伴」
「なんじゃ、いっ!」
手招きされ、体を屈めた伴の頬に飛雄馬はそっと口付ける。
「……好きでもない相手にこんなことをするのか」
「好きだからするんだろう」
「……ほっ、本当か」
「……」
顔を輝かせ己を見遣る伴に飛雄馬はニコッと笑みを浮かべ彼の顔を仰いだ。どうして、こんな時に浮かぶのはとうちゃんの顔なのだろう。
とうちゃんの考えたとおりにおれと伴は出会って、バッテリーを組むまでに至った。伴はおやじさんの敷いたレールの上は歩きたくないと言った。
では、おれは?
とうちゃんの思う筋書き通りにおれは生きたいのか?ちゃんと現に今生きていられるのか?
「星」
「……帰ろう。昼食時間が終わる」
どこかぼんやりとしていた飛雄馬を訝しみ、伴は彼を呼んだが素っ気なく立ち上がられてしまったために、強く拳を握っただけとなった。
思いをぶちまけてしまったおれを星はどう思うだろうか。今まで通り接してくれるだろうか。早合点だったか。どうしておれはこうもせっかちなのか。
一人先に校舎の中へと引っ込んでしまった飛雄馬の姿を伴はしばらく見ていたが、すぐに視線を落とし、弁当箱を包む作業に勤しんだ。