青空
青空 暑いのう、星ぃ、近くの喫茶店に入ろう、と伴が額に浮かぶ汗を拭き拭き、そう言ってきたもので、飛雄馬はしょうがないな、とばかりにその要求を飲んだ。
今日はナイター戦ということで、昼間は気分転換にでも街に繰り出そうと伴が誘ってきたゆえに、飛雄馬もそれを承諾したものの、いざこうしてやって来てみれば灼熱の太陽はじりじりと肌を焼き、蝉の声はやたらとうるさく耳障りである。
二人はしばらく歩いて、視界に入った古めかしい喫茶店の扉を開けた。ドアベルの音が鳴り響いて、出入り口付近の席にて注文聞きをしていた店員が一瞬チラと顔を上げたが、二人のそばに寄ってくるでもなく、カウンターへと客から聞いた注文を伝えに行った。店内は満員に近い。
この暑さだ。喫茶店が混むのも無理はない。皆考えることは同じで、クーラーの効いた涼しい場所で冷たいもので体を冷やそうと言うわけだ。
飛雄馬たちは辺りを見回して、とりあえず空いていた席へと腰を下ろし、テーブルの上に置かれていたメニュー表をそれぞれめくる。すると、先程とは別の店員がおしぼりと冷水の入ったコップを盆に乗せ、やって来た。
どうも、と会釈してそれらを受け取ると、若い女性店員は驚いたような表情を浮かべ、巨人の星選手ですか!?と大きな声で尋ねてきたもので、飛雄馬はしまった、とばかりに肩をすくめ、小さな声で、そうですと答える。
すると、その店員の声が聞こえたか周りにいる客たちも巨人の星だって!?とにわかにざわめきだし、サインや握手を求める者が席にどっと詰めかけ、飛雄馬は恥ずかしいやら嬉しいやらでクーラーが効いているにも関わらず、変な汗をかくはめになってしまった。
そうして、ファンたちが席から離れてから、飛雄馬はやっと、やれやれと運ばれてきたときにはまだ温かったであろうおしぼりで手を拭い、氷が溶け嵩が増したコップの水を口に含んだ。
「ふふ、星は相変わらず人気者じゃのう」
その様子を黙って見ていた伴がようやくそこで口を開く。
「よせよ。それに、おれがこうまで活躍することが出来ているのはきみのおかげだと、日頃からそう言っているじゃないか」
「ご謙遜。おれはただ付き合っとるだけじゃい。星のたゆまぬ努力と負けん気の成果じゃあ」
「………」
ガハハ、と笑う伴を飛雄馬は不満そうに見つめてから、手を挙げ、店員を呼ぶ。
先程は人がいっぱいで遠慮してたけど、会えて嬉しいです!握手してください!と両手を差し伸べてくる店員の女性と飛雄馬は握手を交わし、注文を告げるとオーダーを通しに奥へと引っ込む彼女を見送りつつ、溜息を吐いて再びコップの水を煽った。
「星の今までの苦労や頑張りを知っとるからのう。そうちやほやされているのを見ると、おれも嬉しくなってくるわい」
「……おれからしてみれば、もっと伴が持て囃されて当然と思うのだが」
「星にそう思ってもらえるだけでおれは幸せじゃい」
どこか照れ臭そうに伴が笑ったところで、さっきの店員がアイスコーヒーとアイスクリームをそれぞれ2つずつ持ち寄ってきた。
アイスクリームなど頼んでいないが、と言う飛雄馬に、店員はうちのマスター大のジャイアンツファンで、最近のジャイアンツの快勝続きは星さんのおかげだからぜひに──と、と二人にこっそりと告げた。
伴と飛雄馬は顔を見合わせたものの、せっかくだから、と好意を受け取ることにし、ガラス製のアイス専用の皿に乗った白く丸いアイスクリームにスプーンを刺した。
色から察するに、バニラ味であるだろうそれを飛雄馬は口に運び、伴の顔を見上げるとニコッと笑んだ。
「うまいのう。甘さと冷たさが五臓六腑にしみわたるわい」
「ああ。とても、甘い。ふふ、アイスと言えばかき氷かアイスキャンディーしか食べたことがなかったから、アイスクリームの甘さに少し驚いた」
「……………」
伴はスプーンで掬った一口を口に含み、じわりと口内の熱で溶ける喉を焼くほどの甘さと、目の前の飛雄馬の嬉しそうな、そしてどことなく寂しそうな顔に険しい表情を浮かべる。
彼の父は、どれだけのことをこの人一倍優しく、強く、それでいてすぐに感極まると大粒の涙を流す星飛雄馬という男に科してきたのだろうか、と伴は思う。
出会った頃など今以上に小柄で華奢で顔にはまだ幼さの残っていた彼が、その左腕から恐るべき速度の球を放つに至るには、それこそ並大抵ではない努力や練習を重ねたであろうことは想像に難くない。
多くをあまり語らぬ彼だからこそ、殊更、そんなことを思う。伴自動車工場の御曹司として母はおらずとも悠々自適に好き勝手生きていた伴にとって星飛雄馬という存在そのものが衝撃的であった。
「ちょっと冷えたな。コーヒー、飲んだら帰って試合に向けて体を暖めよう」
「……………」
「伴?」
「星、おまえが今まで経験したことのないことを、たくさん、一緒にやっていけたらいいなとおれは思っちょる。苦しいことも辛いことも、楽しいことも、嬉しいことも星と一緒に」
「…………」
飛雄馬はそんな台詞を顔を真っ赤にして言う伴を見つめたまま、少し泣きそうな表情を浮かべたのち、溶けかかっていたアイスクリームを頬張る。
「伴といるとはじめてのことだらけだ」
「む?なんじゃ?星、すまんが聞こえんかったぞい」
残り少なくなったコーヒーをストローで音を立て啜っていた伴が尋ねたが、飛雄馬もまた、コーヒーを飲み干すと席を立つ。
会計を済ませ、店の外に出た二人の肌は再び身を焦がす太陽の下に晒される。
暑いのう、とぼやく伴の顔を見上げ、飛雄馬は小さく微笑んでから、ありがとう、と呟く。その声は蝉の声に掻き消され、伴の耳には届いていない。冷えた体が気温のおかげでだんだんと暖まってくる。
伴は隣を歩く飛雄馬にちらりと視線を送ってから、代わり映えのしない毎日を、星と共に過ごしていけたらな、と顔を上げて雲一つない青空を見上げつつそんなことを思った。