あんみつ
あんみつ 「この通りですわい。武宮寮長〜星をちょっとでいいからお借りできませんかのう」
寮の相部屋にてひとり、繕いものをしていた飛雄馬は何やら外が騒がしいな、と手を止め、耳を澄ます。
今日は試合も組まれておらず、各々が外出をしたり、各自自由時間を過ごす中で、飛雄馬は寮に残って雑誌を読んでみたり、軽い室内トレーニングをしてみたりとのんびり過ごしていた中での出来事だった。
伴のやつ、来るときは一本連絡を入れろとあれほど言ったのに、と飛雄馬は聞き覚えのある声を耳にしてしまったことで居ても立ってもいられず、繕いものの最中だというのに部屋を飛び出し、寮の玄関へと走る。
すると、あちらも飛雄馬に気付いたか、お〜い!とその太い腕を頭上に掲げるなり、ぶんぶんと左右に振って満面の笑みを見せたではないか。
「星、お前の女房をどうにかしてくれんか。うるさくてかなわん」
「すみません、ご迷惑をおかけしました」
やれやれとばかりに溜息を吐き、あとは任せたぞと去っていく武宮寮長の背中に飛雄馬は頭を下げてから、伴の方を向き直ると、伴!と鋭く彼の名を呼んだ。
「ひぇっ、なんじゃい、そんなに怒らんでもええじゃろ……」
「寮に来るときは連絡をしてくれと言ったじゃないか。急に訪ねてもらっても困る」
しゅん、と大きな体を縮こまらせ、こちらを上目遣い気味に見つめてくる伴を飛雄馬はやや目を細め、睨みつけながら、それで、何の用だ?と単刀直入に尋ねた。
「う、その、あ、甘いものでも食べにいかんかあ?最近な、新しくできた甘味処があってのう」
「甘味処?」
連絡もなしに訪ねてくるから何事かと思えば甘味処に行かないか、だって?まったく、彼の無鉄砲さには呆れて物が言えない。
しかし、今日はこれから予定も特になく、繕いものを終えたら久しぶりに街を出歩こうかと思っていたし、ちょうどいいかもしれんな。
飛雄馬はばつが悪いのかしきりに目を瞬かせ、こちらの様子を伺うようにちらりと視線を遣る親友が何とも滑稽で、ぷっ、と吹き出すと、準備をしてくるから外で、待っていてくれ、と言い残すなり、踵を返した。
「お、おう!」
伴には一回ガツンと言ってやらねばなるまい。
いくら巨人軍OB、武宮寮長と知り合いとは言え、傍若無人が過ぎる。
飛雄馬は居室に戻ると、ひとまず、裁縫道具を片付けてから衣服を余所行きのそれに変え、財布を手に、廊下へと出た。
と、玄関先に立っている寮長が見えて、先程はどうもすみません、と再び頭を下げる。
「ん、いや、わしは構わんぞ。しかし、相変わらず仲がいいな。お前が中日との試合中に球場でぶっ倒れて、救急車で運ばれたかと思えば、それきり行方不明と聞いたときには驚いたもんだが……伴との付き合いも続いとったんだな」
「おれがこうして武宮寮長と再び巨人軍の一選手としてお話できるのも彼の尽力あってこそですから」
「……いい友人を持ったな」
「ええ」
頬を緩ませ、肩を叩いてきた寮長に対し、飛雄馬もまた、微笑むと、門限までには帰りますと告げ、寮の外へと出る。
すると、扉を開けてすぐのところにまるで鏡のごとく車体をピカピカに磨き上げたベンツが停まっていて、その傍らには伴の姿があった。
「おう、星よ、早かったのう」
「早いと悪いのか?」
「そ、そんなこと言うとらん。さあ、乗った乗った!」
にこにことえびす顔で後部座席のドアを開け、伴は飛雄馬に車に乗るよう急かす。
「いつも伴がご迷惑をおかけして申し訳ないです」
車に乗り込むなり、飛雄馬は運転席に座る専属運転手にそんな言葉をかける。
「いえいえ、もう慣れましたから」
「にゃにおう?!」
「…………」
今の会話を聞いていた伴に凄まれ、ひえっ、と肩を竦めた運転手の様子を眺め、飛雄馬は微笑すると、近くなのか?と隣に乗り込んできた彼に尋ねた。
「ん?甘味処の話か?ここからすぐじゃぞい。そうと決まればとっとと行くんじゃい。星は忙しいんじゃから」
「はい、では出発しますう」
「…………」
この調子でよく伴重工業の常務とやらを務められるものだな、伴の親父さんはもちろんだが、その他役職の面々は胃が痛かろうな、とまるで子供のようにはしゃぐ伴を目の前に、飛雄馬は座席に背を預けたまま、そんなことを考える。
働くのなら花形さんの会社の方が気苦労は少ないかもしれんな、とくだらぬことを考えながら、飛雄馬は伴が自分を呼ぶ声にハッ、と我に返った。
「なんじゃい、どうしたんじゃあ。ぼーっとしたりして」
「いや、ちょっと考え事をしていた」
「考え事?何か悩みでもあるのか?わしでよければ何でも聞いてやるぞい」
「なに、きみに話すまでもない」
「そ、そうか?」
そうさ、と飛雄馬は答えると、何やら腑に落ちない表情を浮かべる伴に、仕事をまた抜け出してきたのか?と訊いた。
「ちゃんと半休をもらってきたわい。星と会うのにサボるなんて野暮なことせんぞい」
「…………」
そこまでするのなら、なぜ寮には電話をくれなかったんだ、の言葉を飲み込み、飛雄馬は口を噤む。
すると、車はとある甘味処の駐車場に辿り着いて、その動きを止めた。
「世話になったのう。一時間ほどどっかで時間を潰しとれ」
言うと、伴は運転手に財布から抜き取った万札を差し出し、車の外へと出た。飛雄馬もそれに続くようにして、運転手にお世話になりました、と礼を言うと、開いたドアから身を乗り出した。
店の規模としてはそう大きくない、甘味処の看板がかけられた真新しい建物が目の前にはあって、数人が行列を作っているようでもある。
ベンツが駐車場から出ていくのをふと視線の端に捉えながら、飛雄馬は伴と共に行列の後ろへと着いた。
「え?!巨人の星選手?」
すると、前にいたふたりの女学生のうち、ひとりが振り向くなり、飛雄馬を見て、甲高い声を上げる。
「えっ!?」
声につられ、もうひとりも振り返ると、飛雄馬の顔を見上げ、目を大きく見開いた。
「ご、ご本人ですか?私、大ファンで、その、サイン、いただけたりしますか?」
「え、え〜すごい。まさか星選手に会えるなんて」
参ったな、サングラスでもかけてくるんだったな、と飛雄馬は特に変装らしい変装もせず、ここを訪ねたことを今更ながら後悔する。
鞄の中からペンと手帳に挟んでいたらしきブロマイド写真を取り出す女学生に、今は個人的に訪ねてきているからとも言えず、飛雄馬は彼女からペンを受け取ると、写真の空いたスペースに自分の名前を書き入れた。
「わ、私もお願いします!」
もうひとりの女学生も同じく、鞄から取り出した手帳を差し出してきたために、飛雄馬は開かれたページに手慣れた様子で己の名を印した。
「わ、わしのことは知っちょるか?わしも昔巨人におったことがあってのう」
にこーっとだらしなく表情を緩め、自分の顔を指さす伴だったが、女学生ふたりはきょとんと互いの顔を見つめ合ってから、首を傾げる。
と、中から女学生を呼ぶ声がかかってて、ふたりはいそいそと手帳やペンを鞄に仕舞い込むと、行こ!とこちらには目も暮れず、店内へと入って行った。
「ふん、星はいいのう。いつもちやほやされて」
「臍を曲げるな、伴。彼女たちはきみが現役時代はまだ小さかったんだろう」
「まあ、わしは星さえ元気でいてくれたらそれでええわい」
「ふふ、その言葉、そっくりそのままきみに返そう」
しばしふたりは無言のまま見つめ合い、どちらともなく視線を外すと、咳払いをひとつする。
そんなやり取りをしている間に、席が空いたか、中から呼ばれ、ふたりはようやく店内へと足を踏み入れた。中ではおよそ十人ほどがテーブルにそれぞれ向かい合う形で甘味をつついている。
店員は店内を忙しく走り回り、ふたりを空いた席に案内すると、そのまま奥へと引っ込んでいった。
「混んでるな」
「最近できたばかりじゃからのう。こんなところ男ひとりじゃ入れんしのう」
「男ふたりというのもどうかと思うが」
周りを見渡し、飛雄馬は女性客の多さに恐れおののきながら伴から渡されたメニュー表を受け取る。
ずらずらと並べられた一覧には和のものから洋のものまで多彩に渡っており、飛雄馬は、ひと通り上から下まで眺めてから、伴は決めたのか?と訊いた。
「わし?わしはあんみつじゃい」
「美味しいのか?」
「うむ。秘書ちゃんはそう言っとったぞい」
「じゃあ、おれもそれにしよう」
ちょうどお冷とおしぼりをひとつずつ持ってきた店員に飛雄馬はあんみつをふたつと告げ、渡されたおしぼりで手を拭った。
伴はと言うと、おしぼりで手だけでなく顔まで拭っている始末で、飛雄馬は苦笑する。
「ん?なんじゃ?面白いことでもあったか?」
「いや……」
言葉を濁し、飛雄馬は冷水入りのコップに口を付けた。店内の客たちはそれぞれが話題に花を咲かせ、甘味に夢中なのか、こちらには気づいていない様子で、それに少し飛雄馬はホッとする。
「しかし、最近の星は冴えとるのう。相手打線はきりきり舞いじゃい」
「お陰様でな」
「うんうん。その調子で頼むぞい」
「伴はどうなんだ?おれはあまり伴の仕事のことはわからんが、調子は」
「う、うむ。何とか、やれとるわい」
ぐびぐびと冷水を喉を鳴らし、飲み下しながら伴が言う。
「それならいいが……あまり親父さんたちを心配させるなよ」
「い、言われんでもわかっとるわい」
伴が声を荒げたところで、先程とは違う店員があんみつと緑茶の入った湯呑みをそれぞれふたつ、持ち寄った。テーブルの上に置かれたあんみつは、まず色とりどりのフルーツ類が目を引く。パイナップルやみかん、それにさくらんぼ。サイコロ状に切られた寒天が瑞々しく、盛られた黒餡が輝いている。
甘いものなど、いつぶりだろうか、とそんな感慨深さに飛雄馬が浸っているのも露知らず、伴はあんみつの上から黒蜜をかけている。
風情も何もないな、と飛雄馬はスプーンで寒天やフルーツを掬うなり、口へと運ぶ伴の嬉しそうな顔に吹き出しそうになるのを堪え、自分もまた、そばに置かれた容器を手に、あんみつの上から黒蜜を垂らした。
一口、口に含めばフルーツと寒天、それに黒蜜の味が口いっぱいに広がって、思わず笑みが溢れる。
「どうじゃ?口に合ったか?」
「うん、美味しいな」
「じゃろ。ふふふ、秘書ちゃんに聞いてから星を一遍連れて来たかったんじゃい」
「…………」
伴に、悪気はないのだ。
いつもおれのことを一番に考えてくれる。
少し向こう見ずなところはあるが、それも彼の持ち味だ。伴がこうして皆に愛されるのも、この愛嬌があるからだろう。
「よし、次はみたらし団子を食べようかのう」
「まだ食べるのか。太るぞ」
「うっ、それを言うな星よ」
「また、来ようじゃないか」
「………………!」
甘さ控えめの餡を口に運ぶと、何やら伴がこちらを見つめていることに気付いて、飛雄馬は、食べたいのか?と訊いた。
「う、うんにゃ。そうじゃのうて……またと言うたか星よ、また、と」
「言ったが、それがどうした?」
「い、いや。またわしと来たいと言ってくれたのが嬉しゅうて……その、わしゃてっきり星が怒っとるんじゃと……」
「……怒ってはいるが、あんみつに免じて許そうじゃないか。秘書さんを大事にしろよ」
「大事にしとるわい。まったく、口を開けば迷惑をかけるなとか心配させるなとかそんなことばかり言いおって」
「ふふ……」
「ふん、笑ってごまかすとはひどいぞい」
くすくす、と飛雄馬は思わず笑みを溢して、近くを通りかかった店員にみたらし団子を注文した。
それから伴は、飛雄馬があんみつを食べ終えるまでにみたらし団子とところてんを食べ、はちきれんばかりに膨らんだ腹を撫で、店を後にした。
「勘定、いいのか」
「うっぷ、ふう。誘ったのはわしじゃからな。これくらいさせてくれい」
「…………」
「もう食えんわい。うう、腹が破れそうじゃい」
「それなら伴よ、ひとつ、腹ごなしに走ろうじゃないか」
「ばっ、馬鹿を、げっぷ。言うんじゃないぞい!これで走ったら吐くわい!」
「ふふ……」
「まったく星にはついていけんわい」
腹を撫でる伴を尻目に、飛雄馬はゆっくりと駆け出す。待ってくれえ〜と情けない声を背後に聞きながら、飛雄馬はやや日の落ちかけた東京の空を見上げた。
「ほ、星ぃ。わしゃ無理じゃあ。こ、今度はちゃんと……連絡……」
「じゃあここでお別れだな、伴。夕食をあまり食べすぎるなよ」
「お、おう…………」
ひらひらと力なく手を振る伴を残し、飛雄馬は寮までの道のりを駆ける。次は、こちらから伴を誘うことにしよう、と、そんなことを考えながら。