雨露しのぎ
雨露しのぎ 雨宿りがてら、たまには喫茶店で寒さしのぎにコーヒーと洒落込むことにしようか、と飛雄馬は目に留まった店の扉を開けた。中は平日ということも手伝い、昼飯時をとうに過ぎているお陰か、客の姿もあまりなく、飛雄馬は若い女性店員が勧めたテーブル席へと腰を下ろす。
そうして、おしぼりと冷水入りのグラスを持ち寄ってくれた彼女に、小さく会釈を返してからメニュー表を開いた。日雇いの金が多少はあるにせよ、何か食事を摂る余裕はない。しかし、メニュー表に載っているスパゲッティやらサンドイッチやらがやたらに目を引いて、飛雄馬はほんの少し眉をひそめてから、飲み物のページを開いた。
雨がひどくなってきたか、店内までその雨音が響いてくるようになり、飛雄馬と同じく雨宿りにやって来たらしき客の姿がちらほらと見受けられるようになってくる。店員は店内をいそいそと走り回り、厨房へと注文を伝えに行く。
コーヒーを一杯、頼むだけなのだが、休む間もなく走り回る店員の若い彼女がどうにも気の毒で、声を発せぬまま、飛雄馬は機会を伺っていたが、テーブル席の向かい音もなく座り込む人影が視界に入って、サングラスのレンズ越しに視線をそちらの方へと向けた。
「…………!」
そうして、ハッ、と息を呑む。
この音を立てて降りしきる雨の中、店内に走り込んでくる人々は雨に濡れ、その体を寒さに震わせているのがほとんどだというのに、一糸乱れぬ出で立ちで対面に座っているこの男──上等そうな冬用のコートを羽織った中では、きちんとネクタイを締めており、それなりの役職に就いているであろうことを伺わせる──彼、が、ニヤリと見覚えのある笑みを浮かべ、注文は?と尋ねた。
飛雄馬の額に滲んだ汗が、たらりと眉間を伝い、鼻の横を滑る。一刻も早く、ここから立ち去らなければ。
なぜ、この男が、ここに?
「待ちたまえ。外は雨がひどい。出ていくのはそれからでもいいだろう」
立ち上がりかけた飛雄馬を制するように彼が口を開き、ちょうど近くを通りがかった店員にコーヒーふたつとカレー、それにオムライスをと伝えた。
すると、飛雄馬の腹の虫がぐうと鳴り、対面の彼は、クスリと笑みを溢してから、失敬、と口元に手を遣った。
「…………」
「元気そうで安心したよ、星──いや、飛雄馬くん」
「…………」
「興信所から連絡を受けてね。きみに似た人が駅周辺に姿を現した、とね」
運ばれてきた冷水入りのグラスとおしぼりを受け取り、男は、飛雄馬に微笑みかける。
白々しい、何の目的で、こちらに近付いてきたというのだ。薄気味悪い笑みまで浮かべて。
しかし、雨の中飛び出したところで行くあてなどない。こんなことならどこか商店の軒下にでも身を置くべきであった。今からでもそうすべきだろうか。
雨はますますひどくなっているし、店内も雨宿りの客ですし詰め状態である。
「なぜ、関東に?今まで寄り付くこともなかっただろうに」
手を拭ったおしぼりを弄びつつ、男が尋ねる。
「…………」
「とにかく、会えて嬉しいよ、ぼくはね」
フフッ、と男は再度、微笑むと、店内が運んできた料理の乗った皿とコーヒーをそれぞれふたつ、テーブルの上に置くように勧めた。
湯気の立つ皿を前に、飛雄馬はごくりと唾を飲み──、コーヒーに手を付ける。空腹にブラックのコーヒーは堪えるだろう、と考え、テーブルの端に備え置かれている角砂糖とミルクをひとつずつ、カップに流し入れた。
「どちらか好きなものを食べるといい。ここの支払いはぼくが持つ」
「…………」
想像していたより甘いコーヒーを啜りつつ、飛雄馬は、乗るべきか、と目の前の男を見据える。
この代償に、何かとんでもないことを言われる、あるいはやらされるのではないか、とも思う。
しかして彼は、下心など何もないから安心したまえ、とまるでこちらの心を見透かしたようなそんな台詞を吐いてきて、飛雄馬は、カレーの乗った皿に手を伸ばすと、そっとスプーンを指で手繰り寄せた。
いただきます、と小さな声で囁いてから、スプーンで一口ぶん、掬ったライスとカレーのルーを口へと運ぶ。スパイスの効いた程よい辛味を帯びたカレーのルーと白い米が口の中で混ざり合い、解けた。
野菜は溶け込んでしまっているのか見当たらぬが、時折感じる甘みは恐らく玉ねぎや人参のそれだろう。
一口が二口、と続いて、次第に空腹を満たしていく。
美味しい?と目の前の彼が問いかけ、飛雄馬は素直に頷いた。
「それはよかった」
男は微笑し、頼んだオムライスを頬張る。
初めて、この男──花形が何かを食べているのを見た気がする。いや、もしかすると球場の食堂で見かけたこともあったかもしれない。
しかして、こうして互いに話をしながら食事をするなど、あの頃からしたら到底あり得ないことで、今や義理の兄弟同士というのもおかしな話で……。
「ぼくの顔に何かついてるかい」
「え?」
ふいに、そんな言葉をかけられて、飛雄馬はスプーンを手にしたまま固まった。
「そんなに見つめないでくれたまえ」
「み、見つめてなんか──」
視線に気付かれ、慌てて視線を逸らして、飛雄馬は無造作にカレーを口に運ぶ。最後の方は味などほとんどわからず、食べているというより流し込んでいるといった方が適当で、飛雄馬は最後にコーヒーを飲み干すと、紙ナプキンで口を拭いた。
ようやく生きた心地になれはしたが、雨はひどく降り続いている。
ゆっくりしていくといい──の声に、飛雄馬は腹が満たされたことで幾分か緊張が解けたか、花形の言葉に従うことにした。
ずいぶんと美味そうにオムライスを食す花形をぼんやりと手持ち無沙汰気味に見つめていた飛雄馬だが、食べるかね、の一言に、顔を横に振る。
「いや、さっきからじっと見つめてくるから足りないのかと思ってね」
「…………」
いたたまれなくなって、飛雄馬はサングラスのブリッジを指で押し上げると、汗をかいてしまったグラスの中身を口に含む。
「これから先の予定は?」
「人の心配をするより、自分の心配をしたらどうだ?平日のこんな時間に悠長に昼飯など食っている場合か?どういうつもりで人に声をかけたか知らんが──」
「今日からしばらく、休み取っていてね、本来なら明子と旅行に行く日程を組んでいたんだが──さっき話したように興信所からきみを、飛雄馬くんに似た人を見つけたとの報を受けたので──彼女には悪いが、日を改めさせたよ」
「っ…………!」
「なに、旅行になどいつでも行けるさ」
食べ終え、空になった皿の上に花形はスプーンを置き、コーヒーに角砂糖とミルクを投入した。
それじゃあ、今頃、ねえちゃんは、家にひとりなのか?花形さんが何と言って旅行を取り止めたか、家を出てきたのか知らんが、わざわざ旅行の日程をずらしてまで、おれに似た人がいる、といったそんな不確かな情報を頼りに、ここまで来たというのか?
飛雄馬の背筋を、冷たい汗が流れ落ち、その指先はみるみるうちに冷えていく。
なんてことを、花形さん。ねえちゃんに、なんてことを。
「今すぐ、家に戻るんだ、花形さん。ねえちゃんを悲しませるようなことをするのはよせ」
「悲しませる?ぼくがかい?行き先も知らせず行方をくらませたきみが言っていい台詞じゃないと思うがね」
「し、しかし……」
「それなら、今すぐぼくの屋敷に来るかい。そうすれば明子を泣かせることもあるまいし、ぼくの顔も立つ」
「それは……」
「それなら人の家庭に口を挟むのはよしたまえ。明子はきみの姉でもあるが、今はぼくの妻でもある」
「…………」
コーヒーカップの中身をティースプーンでしばらく、掻き混ぜていた花形が吐き捨て、スプーンをソーサーの上に避けると、そのままカップに口を付けた。気まぐれに現れた関東、何か目的が、あてがあったわけじゃない。まさかその気まぐれが興信所の目に留まり、ねえちゃんの、花形さんの予定を狂わせることになるとは。
「これから飛雄馬くんは、どうするつもりかね。雨が上がるまでここで過ごすかい?」
「……っ、花形さんは?」
場の雰囲気に飲まれ、流されてしまったがゆえに、飛雄馬は今更ながら目の前の男を花形さんと呼んでしまったことを後悔する。他人の空似のふりをして、やり過ごすべきだった、ねえちゃんの名前さえ出されなければ、と。
「車を、近くに停めたままになっていてね。あまり長居はできそうにない。よければ乗っていくかね」
「自宅に帰るのか」
「そうもいくまい。飛雄馬くんを連れて帰ると言って出てきたからね。しばらくどこかで時間を潰すさ。付き合ってくれとは言わんがね──」
「…………少しなら、付き合おう。昼飯の礼と言ってはなんだが」
花形の、家庭での一面を垣間見た気がして、飛雄馬はそんな言葉を口にする。わざわざ予定を潰してまでここを訪れ、なんの収穫もないまま帰らざるを得ない彼に少し、同情してしまったというのもある。
不可抗力とはいえ、飯を奢られたまま立ち去るのも癪であった。
花形は、ニッ、と例の笑みを浮かべ、伝票を手に立ち上がる。飛雄馬もまた、彼に続くようにして席を立ち、勘定を済ませた花形と共に店を出た。
雨は相変わらず降り続いており、辺りは日隠れているために薄暗く、街を歩く人もほとんどいない。
花形はここに来るまでに差していたであろう紳士用の傘を飛雄馬に押し付けると、近くに停めていたと言っていた自分の車まで駆け出した。
「…………」
こんな着の身着のままのような生活をしている自分の衣服など、どれだけ濡れようと、汚れようと構わぬというのに。
飛雄馬は花形が運転席に乗り込むのを見守ってから、彼から手渡された傘を開き、店からほんの目の鼻の先にある車の後部座席へと乗り込んだ。
濡れたコートを助手席へと置き、髪を掻き上げると、花形はエンジンを始動させ、車を走らせる。
「ありがとう、花形さん」
ぽつりと飛雄馬は後部座席から運転席に座る花形へと声をかける。
聞こえているのかいないのか、花形は口を噤んだままで、飛雄馬は、ふっ、と口元を緩めると、車窓の外に視線を遣った。
変わったのはこちらの方で、花形さんは何も変わってはいない。相変わらず、きざな人だ。
雨がひどく、窓の外に視線を遣ったところで何も見えはしないが、それでも飛雄馬は街の風景に目を凝らす。皆、元気だろうか。とうちゃん──親父は、ねえちゃんは、伴は、左門さんは……。
社内の暖房が心地よく、満腹であるのも手伝い、飛雄馬はいつの間にかうとうとと微睡み始める。
しばし、眠っていただろうか、気付けばどこかの施設の地下駐車場に車は停まっており、花形の飛雄馬くん、の声で目を覚ます。
「あ、!」
「いや、いい。疲れていたんだろう。部屋についたらゆっくり休みたまえ」
「…………」
どうやら、どこぞのホテルの駐車場であるらしく、飛雄馬は花形に連れられ、施設の中に足を踏み入れると、フロントを通り、預けられた鍵のある部屋へと向かうためエレベーターに乗り込む。
あっという間にエレベーターはふたりを目的の階まで運び、飛雄馬は再び、花形の後を追うようにして廊下を歩き、案内された部屋へと体を滑らせた。
中は広々とはしているが、簡素な造りであり、人ひとりが眠るには贅沢すぎるほどの大きさのベッドがふたつ、そこには置かれている。
部屋の奥にあるカーテンの向こうには、ビル街が普段は広がっているのであろうが、今は雨のせいで開けたところで何も見えやしないだろう。
花形は部屋の明かりをつけ、飛雄馬に好きにくつろいでくれたまえ、と言い残すなり、入ってすぐ、右手にある浴室内へと消えた。
さもあらん、濡れたままでは風邪をひいてしまう。
飛雄馬は花形がシャワーを使う水音を聞きながら、ベッドの端に腰掛け、野球帽を取り去り、靴を脱ぐとその上に横たわる。
広く、高い天井が頭上には広がり、照明のほの暗さと程よい硬さのマットレスがなにやら再び眠気を誘う。
目を閉じ、気付けばそのまま寝入ってしまっていたようで、慌てて体を起こすと、上にはブランケットがかけられており、飛雄馬は辺りを見回し、花形の姿を探した。すると、部屋に備えられていたパジャマに着替えたらしき花形が隣のベッドに体を横たえ、こちらをじっと見つめており、飛雄馬は、慌てて目を逸らし、絡んだ視線を解いた。
「いつから、見てたんですか」
「なに、ずいぶんと気持ちよさそうに眠っていたからつい」
「…………」
サングラスも取り払われており、飛雄馬は素顔のまま花形と対峙するのが何やら躊躇われて、ベッドから飛び起きると、浴室へと逃げ込む。
願わくば、汗を流している間に寝ていてはくれないだろうか、の願いを込めて。
扉を開けると洗面台があり、その先に浴室がある造りのようで、飛雄馬はそこで服を脱ぎ、浴室へと向かう。熱いシャワーが体の緊張をほぐし、気分を落ち着かせてくれる。飛雄馬は髪と体をそれぞれ洗い、シャワーの湯に体を晒してからバスローブを纏い、浴室を出た。タオルで髪を拭きつつ、居室へと戻ってみれば、花形は相変わらず起きているようで、飛雄馬は何を言っていいかわからぬままにベッドに腰を下ろす。
「酒でも飲むかね。眠れんだろう」
「いや、結構。花形さんだけ飲むといい……」
何やら冷蔵庫から瓶を取り出してきた花形の誘いに飛雄馬は首を横に振り、ベッドに背中を預ける。
花形が瓶のコルクを抜いたか、小気味いい音が響いたかと思うと、中身をグラスに注ぐ音が耳をくすぐる。
「雨は明日の朝まで続くらしい。テレビの予報がそう言っていた」
「ここに泊まるつもりか」
「ぼくは最初からそのつもりでここを取った」
「…………」
ワインだろうか、花形が傾け、口へ運ぶグラスの中身を見つめ、飛雄馬は目を閉じると、大きく息を吐く。
夜明けまで──出会ったのは昼過ぎだったか──まだしばらく時間があるようで、先程眠ってしまったせいか目は冴えてしまっている。
と、ふいに花形が立ち上がったか、微かに衣擦れの音が耳に入って、飛雄馬は聞き耳を立てた。
何をするつもりか、そう思った矢先に、体を横たえているベッドが不自然に軋み、マットレスが沈み込んで、飛雄馬はハッ、と目を開ける。
すると、目の前には花形の顔があって、その体の先には高い天井が広がっており、飛雄馬は目を見開いたまま固まった。飛雄馬の腰の上に、花形は跨る格好を取っており、それだけで十分不気味だというのに、彼は一言も発することなく、口を噤んでいる。
酔っているのか?どういうつもりで花形さんはこんなことを……?
花形は無言のまま、飛雄馬の纏うバスローブの紐を解き始めたかと思うと、その合わせの部分に手を差し入れ、直に肌へと触れた。熱い掌が腹を撫で、指先が皮膚の表面を滑る。
「う、っ……」
思わず声が漏れて、飛雄馬はきつく唇を引き結ぶと、体の上に跨る彼へ、どいてくれないか、と一言、そんな言葉をかけた。
けれども花形は、それが聞こえているのかいないのか、彼の指先は臍からみぞおち、そうして胸へと次第にそろそろと駆けのぼってきて、飛雄馬は、次第に粟立ち、妙に火照り始める自分の体に歯噛みする。
それから、次に触れてくると予想した箇所を外し、その指先は、胸の突起からやや離れた位置をそろりと撫で、飛雄馬が体が震わせた刹那に、その尖りつつあった膨らみを強く捻り上げた。
「い、っ、……!」
びくん、と大きく飛雄馬の体が跳ね、その双眸には涙が滲む。指で押し潰した突起の芯を捏ねるようにして弄びながら花形は今になってようやく、ニッ、と微笑んでみせた。
押し潰された突起からじわじわと与えられる痺れにも似た感覚が、頭の先から爪先までを駆け抜け、飛雄馬は小さく呻き声を上げる。
臍の下はかような屈辱を受けながらも、徐々に立ち上がりつつあり、体の奥は熱を持ち始めていた。
「こうされることを望んでいたのかね」
「っ、ふざけるな、誰がっ、こんな……」
「もう完全に立っているよ。自分で触ってみたまえ」
やっとのことで声を発した飛雄馬だったが、花形に左手を掴まれるや否や、そのまま自身の下腹部へと導かれる。紐を解かれたバスローブの生地が、辛うじてその部分を隠してくれているものの、厚手のタオル地を持ち上げた自身の男根の存在をはっきりと自覚し、飛雄馬は思わず顔を背け、固く目を閉じる。
「ひとりでしたことは?フフッ、あるまいね。品行方正、優等生の星飛雄馬くんは連日野球の練習漬けでこのようなことに時間を割いたことなどないだろう」
「っ、そういう、花形さん、っ…………」
男根から離した手を再び取られ、その怒張を握るよう促される。
「毎晩のようにきみを想って夜な夜な、自分を慰めていたと言えば満足かね」
その言葉に、とろりと飛雄馬の男根の先から先走りが溢れ落ちる。
「そ、んなっ…………っ、」
バスローブがはだけ落ち、露わになったそれを、花形の導きにより、飛雄馬は自身の手で一度ぬるりとしごいた。瞬間、臍の下に力がこもって、どくん、と男根の先から精が迸った。とろとろと情けなく、己の意思に反し、溢れ出るその絶頂の証に飛雄馬の視界は涙に滲む。
「フフッ……」
思わず漏れ出たであろう花形の笑みが、更なる自己嫌悪と羞恥心を煽って、飛雄馬は、いい加減にしてくれ、とここに来て初めて彼に対し強い反発の姿勢を見せた。
「はじめから、このつもりで……花形さんともあろう人が、こんな……」
「飛雄馬くんはこの花形の何を知っていると言うのかね。言ってみたまえ、きみの目に、ぼくはどう映っているのか」
花形は吐き捨てるように言うと、飛雄馬の体から下りるなり、その両足の間に身を置いた。
両膝を曲げられ、足を大きく左右に広げられて飛雄馬は身をよじる。
「何をっ、花形さん!こんなことをしたらねえちゃんが、ねえちゃんが悲しむぞ」
「…………」
身を乗り出し、飛雄馬を組み敷くような体勢を取った花形は明子の名を出され、一種躊躇ったようにも思えた。しかして、彼はそのまま飛雄馬の顔を見下ろし、ニヤリと口元に笑みを浮かべる。
そうして、こちらに顔を寄せてきた花形から顔を背け、飛雄馬は目を閉じたまま彼を諭すべく語りかけた。
「っ、よせ!花形さん、今ならまだ、引き返せる」
「引き返す?一体どこに?初めて出会ったあの日の橋の上かね」
「っ、違う、こんなこと……こんな、人の道に背くようなことをっ、」
目を開け、飛雄馬は花形に視線を向けると彼の顔を睨みつけた。すると、何ら躊躇することなく、花形は飛雄馬の唇に口付け、押し開いた足の中心へと、男根をあてがった。
「──、っ…………!」
強引に絡められる舌が、飛雄馬の頭の中に靄をかける。中心へと無理矢理捩じ込まれる熱に、飛雄馬は身をよじって、花形の腕に爪を立てた。
そうして、痛みから逃れるように仰け反った飛雄馬の喉に花形は唇を寄せ、それでも躊躇することなく、ゆっくりと腰を押し進めていった。
「は、っ……う、ぅっ、」
喉がからからに渇いて、だというのに全身には汗が滲む。花形の体が割り込んだ股関節が軋んで、鈍い痛みが彼と繋がる箇所に走る。
花形が喉に歯を立てたか、痛みと共に汗とは違う液体が肌を伝うのがわかって、飛雄馬は握られた手に絡められた指をきつく握り返す。
首筋を這う、花形の舌──に飛雄馬は腹の中が疼くのを感じて、眉間に皺を寄せた。
すると、花形がようやく最後までを体内に受け入れ、安堵していた飛雄馬から腰を引き、腹の中を掻き乱した。
「あ、ぅ……っ、!」
様子を伺うようにこちらを見下ろしているであろう、花形の視線から目を逸らしながら飛雄馬は、腹の中を乱される違和感と未だ引かぬ鈍い痛みに声を上げる。
ベッドが音を立てて軋み、飛雄馬はこの状況と、腹の中にある、花形のものに馴染みつつある単純な己の身を呪う。
口付け、絡ませられる舌に応えながら飛雄馬は与えられる快感にただただ酔いしれる。
彼の唇が紡ぐ、己の名は、どうしてこうも心地よく耳をくすぐるのか。
深い位置を、勢いをつけて抉られて、飛雄馬は喘ぐとともに、一度軽い絶頂を迎える。
そうして浅い位置をゆるゆると撫でるその物足りなさに閉じていた目を虚ろに開け、花形を呼んだ。
ゆるりと顔を寄せ、唇を啄んだ花形がどうしたの、と問いかける。
「っ、もっと、奥、ぅ、っ!」
勢いをつけ、中を掻き回されて、飛雄馬の目の前には閃光が走った。全身が弛緩し、頭の中で白く何かが弾けた。はしたなく声を上げて、飛雄馬は今までにないほどの強い快楽を得る。ひくひくと全身が戦慄いて、その絶頂の強さを物語る。
けれども、花形はそこで終わるでもなく、だらりと脱力した飛雄馬の両足をそれぞれ左右の脇に抱え込むと、今度は彼自身が絶頂を迎えるために腰を打ち付け始めた。
「はっ、はながたさっ……ん、ん、きゅうけい、休憩させ、っ──!!」
奥を突かれ、飛雄馬は再び体が熱を持ち始めるのを感じる。花形の肩に縋って快感に身を委ね、飛雄馬は三度の絶頂を迎えると、腹の中に放出された熱さに全身を震わせた。花形の軽い口付けを受けてから、飛雄馬はようやく自由を得た両足をベッドへと投げ出す。
足は小刻みに震えていて、全身はじっとりと汗に濡れている。
花形はベッドから身を起こすと、飛雄馬をひとり残しまたしても浴室へと入っていった。
シャワーの水音を聞きながら、ベッド上でようやく寝返りを打った飛雄馬は、いつの間にか雨の音がしなくなっていることに気付く。
雨は知らぬ間に止んでいたようで、飛雄馬はほっと溜息を吐くと痛む体に鞭打ち、ゆるゆるとベッドから体を起こす。 
「…………」
これからどうすべきか、彼がいない間に部屋を出るべきなのはわかっている。しかし、散々弄ばれたせいで体が言うことを聞かない。
「汗を流して来たらどうだね」
いつの間に、浴室を出たのか花形にそう、声をかけられ、飛雄馬はハッと後ろを振り向く。
「…………」
「そう睨まないでほしいな」
濡れた髪を拭いつつ、花形は微笑む。
それから、優雅にワインなど嗜む姿を見て、この男の身勝手さにはほとほと嫌気が差す、と首を左右に振り、項垂れる。いや、嫌気が差すのは自分の馬鹿さ加減にだ……。
その内に、ここを訪れたときと同じ格好に着替えた花形が、飛雄馬くん、また、明子が心配するからね、と言い残し、部屋を出ていく。何がまた、だ。もう二度と顔を見せるな、と既に閉じられた部屋の扉を忌々しく睨みつけて、飛雄馬はようやくベッドから立ち上がる。もうカーテンの向こうは晴れているらしい、いつの間に朝を迎えたのか。
汗を流すために浴室へと向かい、シャワーの湯を頭からかぶりながら、飛雄馬は嗚咽を漏らす。
熱い湯が体の表面を伝い、床に落ちては足元で排水口に飲み込まれていく。ねえちゃん、ごめん、と飛雄馬は小さく呟くと、涙に濡れた顔を、シャワーヘッドから迸る水の粒たちに晒した。