雨の中
雨の中 雨がずっと降り続いている。
そのせいで本来ならば日中に行われるはずであったデーゲームも中止が決まり、飛雄馬は明かりをつけても薄暗い宿舎の自室にて窓の外を何を考えるでもなく、ぼうっと眺めていた。
「……し、………ほし、星!」
飛雄馬は肩を掴まれ、少し揺すられたことでハッ!と我に返り、困惑したような様子でこちらを見ている伴の顔を瞳に映すと、「すまない。少しぼうっとしていた」と返した。
「せっかくの試合が流れて星も欲求不満じゃろう。どうじゃ、鬱憤晴らしに外にめしでも食いに行かんか」
「もうそんな時間か」
「いや、昼には少し早いが部屋に閉じ篭ってばかりでも何にもならんじゃろう」
「それも、そうだな」
座っていた椅子から降り、そのまま飛雄馬はベッドの上に置いていた上着を羽織った。
「珍しい。星のことじゃから体がなまるとか何とか言うと思っていたが、やけに素直じゃのう」
「雨の中、付き合ってくれると言うならそうしよう。ふふふ、たまにはゆっくり羽を伸ばすのも体調管理の内さ」
「ふむ。さっき、何か物憂げに窓の外を眺めていたことと何か関係があるんかのう。雨は嫌いか?」
伴もまた、外出するために薄手のカーディガンに袖を通しつつ尋ねる。
「………雨が降ると、とうちゃんとの投球練習が休みになったんだ。肩を冷やすといかんという理由で、雨で地面もぬかるみ、ボールもろくに見えんしな。とは言え、雨だと日雇いの仕事も大抵は休みになるからとうちゃんは朝から酒を飲んで酔いつぶれていることが多かった。その相手をするのも大変ではあったが……雨が降ると無性に嬉しかったものだ」
「そ、そうじゃったか……おれはまた変なことを訊いてしまったのう」
「……ふふ、伴にはつい、何でも話してしまうな。こちらこそ妙な昔話を聞かせてすまん。行こう」
にこっと飛雄馬は微笑み、伴に退出を促す。
「星のことなら何でも知っておきたいと思っちょるぞい。星さえ、嫌じゃなければ何でも話してほしい」
「…………」
飛雄馬はふと、伴に視線を遣ってから前を向くと一足先に部屋を出た。
おれと、とうちゃんとのふたりだけの世界に突如現れた伴という男。
おれに初めて出来た親友と呼べる存在。
彼の一挙一動が、おれの暗く淀んだ心の奥、そこにある傷のようなものをゆっくり癒やしてくれる。
不思議な男だ。
おれと、とうちゃんのことなど今まで誰にも話したことなどなかったのに。
とうちゃんの言うとおりにしていれば万事丸く収まったし、おれさえ我慢すればねえちゃんが泣くこともなかった。
全部、おれがひとりで背負えば済むことだった。
それなのに、おれはどうして自分の身の上話をこの男に打ち明けているのだろう。
おれは、こんなに弱い人間だったのか?
廊下に出て、飛雄馬は伴が部屋の外に出てくるのを待った。
「おう、待たせたのう。めしの前に本屋に寄ってもいいか?」
「ああ、せっかくなら寄るといい」
伴が部屋の鍵を締めるのを確認してから飛雄馬は廊下を歩み出す。
雨が宿舎の外に植えられている木々や建物の屋根を叩く音が飛雄馬の耳にまで聞こえてくる。
「なぁに、心配することはない。星がおれをいらんと言う日が来るまで、この伴宙太、星飛雄馬のそばにいてやる所存じゃわい」
伴はいつもの高笑いをやらかしてからドンと自分の胸を叩いてみせる。
「…………」
おれは、伴といたらいけないような気がする。
おれが、おれじゃなくなってしまうような気がする。
飛雄馬は、本屋で何を買うんだ?と話をはぐらかし、また漫画か?と茶化してから再び顔に笑みを湛える。
「まあ、そんなところじゃい」
「ふふ……」
ふたりは寮長に外出許可を取ってから玄関先で靴を履き、傘を片手に表へ出た。
差した傘の表面を無数の雨粒が落ちては次々と滑り落ちていく。
「明日には止むかのう」
「ラジオではそう言っていたが、どうだろうな」
伴とふたり、飛雄馬は雨の街中を歩く。
靴が跳ね上げた水がスラックスの裾を僅かに湿らせる。
「…………」
「青雲高校で、出会えたのがきみでよかったぜ、伴」
「や、藪から棒になんじゃい!?たまげて傘を落とすかと思ったぞい」
飛雄馬は呟いて、照れからか顔を真っ赤にしている伴を仰ぎ見る。
ずっとそばにいてほしい、と口に出したら伴はその願いを叶えてくれるだろうか。
おれから野球を取ったら、一体何が残ると言うのだろう。
「…………」
雨のせいか、憂鬱なことばかりが頭をよぎる。 そんな思考を払拭するよう飛雄馬は首を振り、傘の柄を掌に握り込む。
「星……」
伴の不安そうな声が降ってきて、飛雄馬は隣を行く彼に心配をかけぬよう作り笑顔を顔面に貼り付けて、大丈夫だ、と精一杯の強がりを見せた。