雨上がり
雨上がり 「試合前だっちゅうのに、雨に降られるとはついとらんのう」
「まあ、そのおかげで室内練習がはかどったじゃないか」
ぶつくさと文句を口にしながら伴は傘を手にどんより鈍色の空を仰ぎ見る。
昨日までの晴天はどこへやら。
朝になってみれば大粒の雨が降り出しており、そのおかげで朝練もなく、放課後の練習も室内での階段ダッシュなどに限られた。
「そりゃ、そうなんじゃが。やっぱり野球部の一員としてはグラウンドでのびのびやりたいもんじゃのう」
「ふふ、それは皆おんなじさ。明日は晴れるといいな」
不満げな表情を浮かべた伴の隣を歩きつつ、飛雄馬は微笑む。
すると、伴がふいに、それにしても、と何やら意味有りげな台詞を紡いだもので、その続きを聞くために飛雄馬は隣を行く彼の顔を見上げた。
「まさか、おれが柔道を辞め、野球をするようになるとは夢にも思わんかったぞい。将来ちゅうのは分からんもんだなあ」
「……ふ、ふ。おれだってこんな金持ちの学校に行くことになるなんて夢にも思わなかったさ。そのおかげで伴にも会えたし、とうちゃん様々だな」
「星よ、おれはのう、どこに行っても伴大造の息子、伴自動車工場の跡取りと言われるのが嫌で、頭はどうにもならんが、スポーツならと思って手っ取り早く、柔道を始めたんじゃ。自分の体ひとつ、伴大造の息子ではなく、伴宙太として皆に認めてほしかったんじゃい」
「それなのに、PTA会長の息子だと威張り散らして野球部の応援団長をやっていたのか?」
ぽつり、ぽつりと昔を思い出しつつ、そんな言葉を口にする伴を茶化すように飛雄馬は吹き出し、小さく肩を揺らす。
「む、う……それはもう、言わんでくれい……」
「ははは。茶化して悪かった、伴。きみにもそんな経緯があったんだな。言われてみれば柔道の試合に親の地位は関係ないからな。むしろ、相手が伴をそんな大きな会社の跡取りと知ったらムキになって倒そうとする相手も出てくるはずだ」
「そうじゃろう、そうじゃろう。柔道っちゅうのも奥が深いんじゃぞい。星も一度やってみるといい」 「……おれは、伴がものすごく羨ましい」
え?と伴は飛雄馬が発したまさかの言葉に歩みを止めた。
「おれには、野球しか与えられなかった。来る日も、来る日も泥と汗の滲んだグラブを手に硬球を投げ続けた。それ以外の選択肢なんて、おれにはなかったから……」
前を見据えたまま、飛雄馬はどこか虚ろな目をして言葉を紡いでいく。
おれは、人並みの幸せを手に入れられたら、それでよかったんだけれど────。
そこまで言ってから、飛雄馬は、しまった!と伴の顔を見つめる。
こんなこと言うつもりではなかったのに──と、慌てて視線を左右に泳がせ、飛雄馬は口を手で塞いだ。
「…………だからこそ、そんな星だからこそ野球にひたむきに、一生懸命になれたんじゃろう。そしておれも、そんな星だから惹かれたんじゃと思う。おれ自身、柔道に一生懸命じゃなかった訳じゃ決してないが、それ以上に、おれは星飛雄馬という男に惹かれた」
「…………変な、ことを言って、悪かった」
「変?変ではないじゃろう。元はと言えばおれが妙な話題を振ったのが悪いのであって、星のその、トラ、トラウマを刺激するような結果になってしまって申し訳ないぞい」
「……伴、おれは、きみに出会えて初めて、野球をやっていてよかったと思えた」
「えっ!?」
かあっ、と伴の顔が耳まで赤く染まった。
いきなり、何を言い出すんじゃ、星ぃ、とやっとのことで振り絞った伴の声は震えている。
「きみという捕手、また、無二の親友をこの青雲で得ることができた。とても感謝している」
「あ、う、う……そりゃ、星、お、おれを買い被り過ぎとらんかあ」
「まあ、試合でどうなるかが見ものだな」
うふふ、と飛雄馬は笑うと、ふと、雨が上がっていることに気付いて、傘を足元へと下げた。
「み、耳が痛いことを言いおって……」
伴はまだ気付いていないのか傘を頭の上に掲げたまま、しきりに目を瞬かせている。
「雨、やんだな」
「あっ!?」
そこでやっと察したようで伴もまた、傘を頭の上からどかした。
すると、雨雲の隙間からうっすらと虹が覗いて、ふたりは無言のままそれを仰ぐ。
きらきらと輝く7色のアーチを眺めつつ、飛雄馬はこの美しい光景と共に、凛々しい伴の横顔、それから心の曇りを晴らしてくれた彼の言葉を未来永劫、ずっと覚えていよう、とそう、思った。