雨宿り
雨宿り 雨に降られてしまったな、と花形は今は閉店しシャッターの下ろされた商店の軒下でスラックスのポケットからハンカチを取り出すと、それで濡れた髪や顔を拭った。
そういえば、天気予報で午後からのにわか雨に注意と言っていたかと今更になって出勤前に眺めていたニュース番組のキャスターの文句などを思い出し苦笑する。
折りたたみ傘を持って出てくださいねとも明子は言っていたか、とそこまで思い出したところで、花形さん?と呼ばれ、花形は声のした方へと顔を向けた。
と、花形はまさかの人物の出現に驚き、思わず瞬きすることさえも忘れ、目の前に現れた彼──をじっと見据える。
「どうして、あなたがここに?」
花形の驚きなど露ほども知らず、まさかの人物──星飛雄馬は黒い紳士用の傘の端を少し傾けるようにして、そう尋ねた。
「いや、なに、近場でひとつ案件があったものでね。車を出すより歩いた方が速いと考えてのことだが、あとは見ての通りさ」
「花形さんが、わざわざ?」
訝しげに飛雄馬は尋ねる。
無理もない。
花形は彼の父が興した会社で専務の職に就いているということを明子から聞かされているからだ。
いくら会社勤めのない飛雄馬とて専務と言えば社内で相当な地位にあることくらいは理解している。
そんな役職の立場にいる花形がなぜ自分の足で出向するに至ったのか、何か考えがあってのことだろうかと飛雄馬は傘の表面を叩く雨音を聞きつつ彼の言葉を待った。
「なに、いくら父が興した会社とはいえ甘えてばかりもおれんさ。専務の肩書きは付いているが社内ではまだ若い部類に入る。役職の地位に酔っているばかりでは後々花形コンツェルンは治められんよ」
フフッ、と花形は雨に濡れ、落ちてきた前髪を掻き上げつつそんな台詞を口にした。
「……花形さんが普段、何をしているか甚だ疑問だったが──ちゃんと今後のことも考えているんだな」
「まあ、そうだろうね。いちいち口に出すことでもない。そういう飛雄馬くんこそこんなところで何を」
花形が問うと、飛雄馬は、「伴と会っていたが急用ができたというので車から追い出された」と言うなり微笑んでから、「今から帰るところだ」とも続けた。
「伴くんと、ね。フフ、姉や義理の兄との付き合いよりよほど親友との逢瀬の方が重要らしい」
「何を、馬鹿な、そんな」
「冗談さ。フフッ……お互い今日は厄日と見た」
「…………それで、その案件とやらは片付いたのか」
「また明日、足を運ぶ予定さ。飛雄馬くんがぼくに興味を持ってくれるとは、案外雨に降られるのも悪くないかもしれんな」
にやりと花形が微笑むと、飛雄馬は面食らったかその大きな瞳を更に見開いた。
フフッ、と花形はそれにまた吹き出すと口元を押さえ、失礼、と咳払いをしつつ顔を背けてから、「こんなところで油を売ってないで早く帰りたまえ」と飛雄馬に帰宅を促す。
体が冷えるのはよくないとも続け、シガレットケースに入れていたために濡れずに済んだ煙草を1本、唇に携えるとその先にジッポ・ライターで火を付けた。
「あなたは、これからどうするつもりだ」
「止むまで待つさ。そう長くは降らんだろう」
「…………」
一瞬の間ののち、己が差す傘を差し出してきた飛雄馬の気遣いを花形は結構だと一蹴し、口から紫煙を吐くと、「ぼくに構う暇があるなら一刻も早く寮に帰りトレーニングでも始めるべきだ」と強い口調で言ってのける。
「う…………」
そうして、傘を引き寄せ口ごもる飛雄馬に花形は再び笑みを口元に浮かべてから、それともふたりでどこか静かな、雨宿りができるころにでも行くかねと冗談を飛ばした。
「…………!!」
まさかの言葉に目を白黒させている飛雄馬の背中を押し、花形はつんのめるような形で歩き出した彼に手を振る。
飛雄馬が背後を一度だけ振り返り、何か言いたげに口を開くのが花形からも見えたが、それきり彼は何も言わず前を向くとそのまま住宅街の中へと消えていった。
さてはせっかくのチャンスを棒に振ったかな、と花形は煙草を咥えたまま微笑むと、まだしばらくは止みそうにない厚い雨雲が覆う空を仰ぎ、フフンと鼻を鳴らした。