愛惜
愛惜 「星、食事中にすまんがちょっといいか」
試合の後、食堂にて食事を摂っていた飛雄馬をジャイアンツの正捕手である森が呼び出した。
それまで伴と共にテーブルに着き、談笑していた飛雄馬だが森の顔を見るなり、はい、と返事をして席を立った。
「大リーグボール二号の件だが」
「ああ、それでしたら………」
そんな会話を交わしつつ、二人は食堂を出て行く。他の選手らも食事を終え、一人、二人と減っていき、遂には伴一人となった。伴は間もなく食べ終わる頃であったが、飛雄馬はまだ半分も手を付けていない状態で、目の前のトレイに乗せられたどんぶりのうどんから立ち上っていた湯気が今はもう見えない。
伴は何だか味気ない自分のカツ丼の残りをもそもそと口に運んでから、コップのみずでそれを流し込む。
大リーグボール二号、消える魔球。
その秘密、その捕り方については万が一にも他球団に漏れてはいけない、ということでジャイアンツの監督やコーチ、一軍選手の数名にしか明かされていない。
だからこそ、ジャイアンツがひた隠しにする魔球について週刊誌やスポーツ紙はこぞって取り上げたし、何やらどこぞの教授だか先生だかが消える魔球の原理について偉ぶってご高説を垂れていたが、どれもこれも的外れも良いところで、思わず吹き出してしまうこともあった。
大リーグボール二号はこの伴と飛雄馬が連日連夜、多摩川グラウンドで練習や特訓を重ねたお陰で編み出されたものであり、彼の父である星一徹、はたまた彼をボスと仰ぐ元カージナルスのアームストロング・オズマさえも驚愕させた代物。
飛雄馬の投球フォームの大胆さも然ることながら、打者の目の前で球が消えるなど前代未聞である。
それをあの男、伴宙太の親友である星飛雄馬はやってのけたのだ。
ただ、伴はそのことが誇らしくもあったが、内心寂しくもあった。
星飛雄馬と言う小柄な男が手の届かないような遠くに行ってしまうようなそんな気さえ抱いたし、あの魔球を捕れるのはおれだけで、川上監督は星が登板するときには自分を捕手として起用してくれるのではないかと期待する気持ちも少なからずあったが、結局は彼から魔球の仕組みを聞き出し、監督は森捕手とのバッテリー練習を積極的にやらせた。
あまり実戦経験のない自分を起用するのは得策ではないと考えてのことだろうが、おれの知らない話を森さんと星がしているであろうことが何だか変に妬けたのだ。
「ええ、はい。では、後ほど」
言いつつ、飛雄馬が食堂へと戻って来て、伴はちらと出入り口の方を一瞥したがすぐに視線を外す。
「伴、待っていてくれたのか」
ぱあっと飛雄馬の顔が輝いて、伴もつられて顔を綻ばせかけたが、咳払いをひとつして、おれももう疲れたから帰るわい、と腰を上げる。
「ああ、それがいい……汗を流してゆっくり眠るといいさ。おれは森さんと少し投げてくる」
席に着き、箸を手にして飛雄馬はすっかり冷えてしまったうどんを啜る。
「森さんとなんの話をしたんじゃあ?」
「いや、大した話じゃない。伴が気にすることじゃないさ」
「………妬けるのう。星と一緒に大リーグボール二号を編み出したのはこのおれなのに……星が一軍で活躍するのは嬉しいし、おれが万年ベンチの保温係なのは別にいいんじゃが、星がおれの知らない話を森さんとしとるんじゃと思うとなんだか無性に寂しくなるわい」
「………伴」
「なんて、ワハハ。冗談じゃい!おれはお言葉に甘えて先に帰るからしっかり練習するんじゃぞい」
空になったどんぶりとコップの乗ったトレイを手に伴は席を立つと返却口にそれを返してから食堂を出て行った。
それから風呂を済ませ、部屋に帰ってきてベッドに転がったまま飛雄馬が部屋を訪ねてきやしないかとまんじりともせぬまま消灯時刻を迎え、そのうち伴が少しまどろんだところで部屋の扉がゆっくりと開く。
その蝶番が軋む音で伴はハッと目を覚まし、暗がりの中こちらによろよろと歩み寄る影を見つけ、体を起こすと倒れ込むその人影を抱き留めた。
「ずいぶん、遅くまで投げとったんじゃのう」
「互いに納得がいくまでやっていたらこんな時間になってしまった。ふふ……あまりに疲れたせいで寮に来てしまった」
じっとりと汗の染み込んだユニフォームを着たままの飛雄馬を抱き締め、伴は少し休んでから帰るといいと言ったが、飛雄馬は終電がなくなるまでに帰る、と伴から離れる。
「星」
「………伴。森さんもきみのことを褒めていたぞ。よくこんな魔球を生み出したものだと。星も然ることながら例の特訓に付き合った伴もものすごいやつだ、と」
「……………」
「伴も、早く寝ろよ。また、明日」
星、と伴が呼び止めるのも聞かず、飛雄馬は寮の部屋を出て行く。
飛雄馬は今は寮を出て、姉の明子と二人マンションに住んでいる。元々二人部屋のこの寮の一室も今や伴が一人寝泊まりしているだけだ。
静けさを取り戻した部屋の中、伴は再びベッドに横たわった。
あんなに、どこに行くにも一緒だった星が、何でも自分に話してくれていた星が離れていく。おれの知らない星が増えて、おれは星がどんどん分からなくなっていく。
忙しいからと食事を共にする時間も減っていき、最後にあの肌に触れたのはもういつになるのか。
地獄の底まで着いていくと誓った彼が遠ざかる。星は巨人の星となるべく天を駆け上がっていくが、おれがその隣を歩くことは叶わないのか。
伴は無理矢理にでも眠るために目を閉じる。ああ、それでも星が、幼い頃よりの悲願であった夢をその手に掴もうとしているのなら、それは願ってもいないことだ。
けれども、どうかおれを必要としてくれなんて贅沢は言わないから、ずっとそばにいさせてくれないだろうか。
伴はごろりと寝返りを打つと、目元を腕で覆う。まぶたの裏に浮かぶは飛雄馬の寂しそうな笑顔のそれで、伴は、星、と愛しい彼の名を口にしてから鼻を小さく啜った。