合鍵
合鍵 部屋のチャイムが鳴らされ、飛雄馬は居留守を決め込もうかとも一瞬、思ったがそれが2度、3度と続いたために扉を開けるために玄関先へと出向いた。
扉に備え付けられた覗き窓から外を見遣ると、真正面に立っていたのはつい先日、愛知に旅立った伴宙太その人であり──飛雄馬は思わず息を飲む。
「星、おらんのか?星」
「…………」
一体、その彼が今頃何の用だ、と飛雄馬は息を殺し、覗き窓から伴の動向を見守った。
「星、いるんじゃろう。顔を、見せてくれんか」
今更、何を話すことがあるというのか。
何故、きみはここを訪ねてきた?
声は飛雄馬の喉元まで出掛かったものの、飲み込んだ唾液と共にそれらの言葉は胃腑へと落ちてゆく。
ああ、今顔を突き合わせてしまったらきっとおれは。
冷たい扉に額をこすり付け、飛雄馬は目を閉じる。 どうか、このまま帰ってくれ。
どうかここを訪ねるのはもうこれっきりにしてくれ、とそう、願いながら飛雄馬は伴が去るのを息を潜め、待ち侘びた。
しかして伴は着ているコートのポケットからひとつ、鍵を取り出すと、それを鍵穴に差し込んで錠を開いた。
「………………!」
扉が開き、しまった、と飛雄馬が身を翻したときには既に、伴のどんぐり眼が彼の姿を捉えている。
飛雄馬の足は縫い止められたかのように指一本でさえ動かすことができない。時が止まったような錯覚さえ彼は覚えた。
もしかすると、自分はこうなることを望んでいたのかもしれない、と飛雄馬は思う。
伴が先程、コートのポケットから取り出したのは、この部屋の合鍵だからだ。
飛雄馬の部屋の鍵は3本存在している。
飛雄馬自身が所持するものと姉の明子に渡したもの、それと親友である伴宙太が持つ3本目。
どうかこのまま踵を返し、愛知に帰ってくれと願ったことも本心であったが、伴ならば合鍵を使ってこの重い扉を開けてくれるのではないか、と期待したことも事実。
「ほ、し………きさま、おったのかあ」
「……ここはおれの家だ。家主が自宅にいて何か不都合でもあるのか」
ふふ、と飛雄馬は苦笑し視線を逸らす。
「さっきからチャイムを鳴らしても声をかけても応答がないもんで、てっきり、おらんのかと思ったんじゃが」
「………いないと分かっていながら伴は家に上がり込む気だったのか?かつての親友の家で何をするつもりだった?」
扉を開けたまま、その場に立ちすくんだ状態の伴を見ようともせず、飛雄馬は淡々と言葉を紡ぐ。
「そんな、言い方は……ないじゃろう。おれは、ただ」
「ただ?こんなことを話しにわざわざ愛知から東京に来たわけじゃないだろう」
「…………っ、突然、訪ねて、悪かったのう。今日、ここに来たのはな、鍵を返そうと思ってのことじゃい」
伴は握り込んでいた鍵を掌に乗せ、おずおずと差し出す。
「ふ、ふ…………鍵を返しにわざわざ来たのか?きみも暇な男だな。こんなもの、捨ててくれても構わなかったのに」
「星との、思い出がたくさん詰まった部屋の鍵を捨てられるわけ、ないじゃろう」
ぐっ、と飛雄馬の胸がつまり、鼻の奥が妙に熱くなった。泣いてはいけない。
ここで泣いてしまってはまた伴を困らせてしまう。
こんなもの、捨ててくれてもよかった、いいや、できれば捨ててほしかった。
こんなものがあるから、おれは縋ってしまっていた。伴がいつか、もしかしたら会いに来てくれるかもしれない、と。
父ちゃんは敵になり、ねえちゃんは行方不明になった。そうして、この親友・伴さえも消えてしまった今、この広い部屋は持て余してしまう。
スリッパのまま、玄関先へと下り、鍵を受け取ろうと伸ばした飛雄馬の手を伴は掴むや否や、強く自分の胸に抱き留めた。
「あ…………っ!」
取り損ねた鍵が床へと落ち冷たい金属音を奏で、伴が体で押さえていたために、開いたままになっていた扉が彼が玄関に入ったことで支えを失い、轟音を立て部屋を密室へと変貌させた。
数日ぶりに嗅ぐ伴の懐かしい匂いと厚い胸、暖かく大きな腕に飛雄馬は思わず身を震わせる。
「星……会いたかった。ずっと、おれはお前のことばかり考えとったぞい」
「ば、ん……やめろ、離せ。もう、終わったことだ」
「…………」
言われ、伴は飛雄馬から手を緩めると、体を離してじっとその瞳を見据えた。
今にも泣き出してしまいそうなそんな双眸が己を映して、伴は思わず身を屈めると飛雄馬の唇へと自身のそれを押し当てる。
「ば、っ…………やめ、ん……やっ」
「星……ほし、っ」
名を呼びながら伴は飛雄馬の唇に何度も、何度も口付け、角度を変えつつ啄む。
いつの間にか飛雄馬の全身は火照って、漏れる吐息もまた熱を帯び、冷えた肌に伴の体温が移った。
閉じた瞼の裏で瞳が涙に濡れていく。
「伴!離せ、離してくれ!」
「いいのか、星は、それで……本当に?」
顔を背け、唇を離した飛雄馬を再び抱き締め伴は問う。飛雄馬を抱く腕が微かに震えている。
今更、何を言っても同じことだろう。
きみは中日の伴で、おれは巨人の星として生きていくほかないのだ。
嫌だ、行かないでくれなんて、どの口でそう言える?親友であればこそ、あの日ああして送り出したのに。
「なんとか、言え!言うてくれ、星よ!」
「用件が、っ…………済んだのなら、帰ってくれ。確かに、鍵は貰い受けた」
「星!」
叫んで、伴は飛雄馬の両腕を掴むと柔道の出足払いの要領で彼の右足を蹴り込んだ。
「う、っ………!」
柔道など嗜んだことのない飛雄馬はまんまとその技にかかり、どっともんどり打ち玄関マットの敷かれた床へと倒れ込み、そのまま伴に組み敷かれる形となった。
そうして伴は間髪を入れず、身を屈めると飛雄馬の首筋に口付けを与えながら彼の着ているタートルネックのニットの中へと手を差し入れてくる。
「っあ、」
びくっ、と肌をなぞられる刺激に震えた飛雄馬の閉じた目尻から涙が滑り落ちた。
星、星、と伴は縋るように飛雄馬の名を呼んで、柔らかな顎下へと唇を押し付け、そっと跡を付けぬよう吸い上げる。
伴の指は飛雄馬の腹を撫で、ニットをたくし上げながら遂には胸の突起に触れた。
飛雄馬はふぅっ、と息を吐いて、背を反らすと、口元に手を遣る。
「聞かせい、星。我慢するな」
言うと伴は飛雄馬の口元にやった手、その掌に自分のそれを重ねると指を絡ませてきた。
ぎゅうっ、と飛雄馬はそれを握り返して、伴が吸い上げた乳首から全身に走った甘い痺れに声を上げる。
「あっ、うあ、っ……」
星、と再び伴は飛雄馬を呼び、吐息を漏らす唇に口付けたかと思うともう一方の手で彼の下腹部に触れる。
伴の大きな手が撫でさするそこは既に膨らんでおり、スラックスの前を大きく持ち上げていた。
飛雄馬は目を開け、己を組み敷く男を仰ぐ。
ああ、このままでは流されてしまう。
伴の暖かな大きな腕に抱かれて決心が揺らいでしまう。おれは中日の伴宙太と果たして戦えるのか。
おれは伴相手に球を投げ込めるのか。
彼の血と汗を吸ったキャッチャーミットではなく、おれの血で染まるであろうバットを手に打席に立つ彼を目の前にしたとき、果たして。
「ん、ん………」
伴の手が飛雄馬のスラックス、その下着の中で解放を待ち侘びる男根へと触れた。
飛雄馬は体を大きく跳ねさせ、伴の手を強く握り締める。
下着の中で先走りにぐちゃぐちゃに濡れた飛雄馬の男根を握って、伴はゆるりと上下にそれをしごく。
あっ!と鋭い声を上げた飛雄馬の視界には火花が散り、カウパーに濡れた伴の手が亀頭を撫でるたびに飛雄馬はがくがくと全身を震わせた。
何も分からなくなる。
伴とこうして肌を合わせるのは幾日ぶりか。ああ、もういっそ、何もかもわからなくなってしまえたらいいのに。
このまま、伴の腕の中で狂ってしまえたらいいのに。
「あ、ァっ……あ──っ、あ、ぅ、うっ」
ぽろぽろと飛雄馬は閉じたまぶたの縁から涙を零しつつ、快楽を享受する。
ぬるぬると伴の手は飛雄馬の男根をしごき、射精を促す。しかして飛雄馬は首を振り、息も絶え絶えにやめてと哀願した。
「やめろ?なぜじゃ、星」
「伴っ、を………忘れられなくなる」
「…………!」
伴は飛雄馬の下着の中から手を取り出すと、荒い呼吸を繰り返す彼を見下ろし、唇を引き結ぶ。
「きみには、きみの人生があるとあの日言ったはずだぞ、伴………こんなところで油を売っている暇などきみにはないだろう」
言いながら、飛雄馬は絡めていた指をゆっくりと解いた。伴は体を起こし、じっと飛雄馬を見据える。
「忘れんでええわい。一生、覚えておくといいんじゃ」
涙を拭きつつ、そんな強がりを口にした飛雄馬のスラックスと下着共々、伴は一息に剥ぎ取ると彼の両膝を割り、その間に身を置く。
「ば、っ………よせ、伴!」
両足を広げた飛雄馬の目の前に膝立ちで立つ伴の体がこうまで恐ろしく、そして強大に見えたことが今までにあっただろうか。
ゾクッ、と身の毛がよだつ感覚を覚えつつも、飛雄馬は散々に伴の形を覚え込まされた腹の中が変に疼いたのを感じた。
伴は飛雄馬の体の中心を彼の先走りに濡れた指でほんの少し慣らすとすぐ、自身のスラックスのファスナーを下ろし、そこから怒張を取り出す。
「あ…………っ、」
期待に体が火照る。いやだと頭では拒絶するのに。
あの日道を違えた伴と、おれはなぜこんなことを。
それなのに、幾度となく伴に抱かれた体は彼の到来を待ち侘びる。
ぐっ、と伴は解した飛雄馬の窄まりへ己を充てがうと、ゆっくりと腰を押し付けるようにして彼の体の中へ自分を飲み込ませていく。
「ふ、ぅ……う」
腹の中を伴が突き進んでくるのが分かって、飛雄馬は声を上げる。粘膜を伴のものが擦るだけで体は快感に打ち震え、ぞくぞくと肌が粟立つ。
慣らされ、柔らかくなった体内を嬲られるのとは違う感覚が全身に走って、飛雄馬は固い床の上で腰を揺らす。
するとどうだ、伴は一気に自身を飛雄馬の中へと突き込むと、腰を引く。突然に奥を抉られ、飛雄馬は悲鳴を上げた。
けれども伴はいつものように飛雄馬の身を案じるでもなく、がつがつとその腰を打ち付ける。
「かっ、は………ぁぐ……あ、あ」
肘を使い、逃れようとする飛雄馬の足を掴んで伴は鋭く腰を叩き入れた。
「いっ、や………なんで、なんで、こん、な……」
伴は答えず、虚ろな目を向ける飛雄馬の腹の中を腰を回し、ぐりぐりと掻き回す。
ひくひく、と飛雄馬は震え、微かに声を上げるがそれでも伴は彼を解放しなかった。激しく突き上げたと思えば、優しく中を嬲り、飛雄馬に甘い声を上げさせる。
そうして、飛雄馬が再び絶頂に昇りつめたのを見計らい、彼の腹の中を抉った。
もはや飛雄馬の意識は朦朧となってしまっており、ただただ与えられる快感に酔いしれ、体を反応させるのみだった。
「う………っ」
ぬるっ、と伴は飛雄馬から男根を抜き、彼の腹の上へと欲を撒く。
飛雄馬は全身を絶頂の余韻に戦慄かせつつ、床に投げ出された足を己の方に引き寄せ小さく丸まった。
星、と後始末を終えた伴が名を呼び、彼に触れようとすると飛雄馬は触らないでくれ、と掠れた声を上げた。
「何度も、言わせるな………用が、済んだのなら、とうちゃんの、星コーチのところに帰ってくれ」
「星、おれは」
「伴、いつまでも過去に囚われるのはよせ!」
「過去……そうか、星の中でおれはもう過去の人なんじゃな」
「……そうじゃない。きみは巨人の伴宙太ではない、もう中日の伴宙太なんだ……いつまでもおれと言うかつての親友に、しがみついていることはないんだ」
「…………!」
飛雄馬はゆっくりと床に手をつき、体を起こす。
「伴は、どうか幸せになってくれ」
「ほ、し………」
震える声で名を呼んで、伴は飛雄馬に触れようとしたが、すんでのところで手を止め、奥歯を噛み締める。
「ふふ、冷静になったか。きみは頭に血が昇ると周りが見えなくなるのが悪い癖だ……伴」
頬に涙を幾重にも伝わらせながら飛雄馬は無理に笑みを作った。
「星っ……」
「早く、出て行ってくれ!」
痛む喉を振り絞り、飛雄馬は叫ぶ。伴は後ろ手で扉のノブを回すとそれを体の厚み分、開いてその隙間から外へ身を翻した。
ガチャン!と大きな音を立て、扉は閉まる。
しばらく、伴はその場に立ちすくんでいたか物音ひとつ飛雄馬の耳には聞こえてこなかったが、その内、足音を響かせ去っていった。
そうして、飛雄馬は玄関先のコンクリートの上に落とされたままの部屋の合鍵を目にし、顔を歪ませる。
腹の中にはまだ伴が存在しているかのように熱いのに、頭は変に冷えていて飛雄馬は声を押し殺すようにして泣いた。